もう先月のことなんだけど、上野の東京国立博物館へ俵屋宗達の描いた国宝「風神雷神図屏風」を観に行ってきた。
実はこの屏風、今年の1月に京都の建仁寺で観ている。観てはいるけどキヤノンの高性能デジタル技術で復元した贋作であった。それがコレ↓
上野までわざわざこの屏風(今度は本物!)を観に行ったのは、たまたまチケットを戴いたからで、本音を言えばあまり興味はなかった。ヒマだったから行ったまでのこと。でも心の中ではもう一人の私が「ホンモノヲシラナイ、ミラレナイコトハ、カナシイコトダ」とも言っていたので、京都で観た偽物と本物を見比べる良いチャンスだとも思って出向いたのだった。
しかし悲しいかな、私には芸術を理解する能力が少々不足している。特に絵画がダメだ。果たして本物観て偽物との違いが分かるか?
ズ~ッと昔、世界中の名画が観られる最後のチャンスと言われたバーンズ・コレクション展のチケットも戴いたのだけれど、あの時、出向いたら猛烈な長蛇の列で、その列の長さにおののいた私は観るのあきらめて動物園に行ったのだった。だから以来、私には本物の絵画を鑑賞する能力が欠如してるような気がする。
さて、そんな私が本物観て感動するか?
偽物にはライト当てて劣化しても、またプリントすれば良いわけだけど、本物はそうはいかない。だから、照明が当たってるのとそうでない違いは大きい。
それにしても私には贋作の方が迫力を感じた。レプリカ(贋作)の方が輪郭や色合いがしっかりしてるからだ。色味がとんだ本物は、およそ400年という歴史こそ感じるけれど、その古さだけが印象に残った。そんな昔に描かれた構図や色使いなんだと思えば、これは凄い作品だとは思う。けれど、(古さから)輪郭がボケた本物は、特に風神の顔は、『ゲゲゲの鬼太郎』にでも出てきそうだと思っちゃった。(バチがあたりそうな発言してるゾ!)
絵画の良さが分からないと言う私に、「本物を観続けていればいつか分かるようになるよ」と、とある人に言われたことがあるけれど、本当になるだろうか?
もう何十年も議員センセイと呼ばれる方々の言動追っかけてるけど、いまだに本物に出会っていない。まさか本物が一人もいないんじゃあるまいな。せめて贋作でもよいからピリリとくるような言葉と実行力は出せんもんなのだろうか?