タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

タグ:錦鯉

nisikigoi



日本の国花や国鳥、国蝶は知ってるので、国魚ってあるのかしら?と調べたら錦鯉だったと前回書きましたが、実はその時、私は日本の国魚があるとしたら鮎(アユ)じゃないかと想像してました。
金魚の原産国は中国と記憶してるしオランダにもいるようだし、けれど外国に錦鯉がいるとは聞いた記憶がない。でも、まさか日本の国魚が錦鯉とは思いませんでした。

かつて我が家の庭の片隅に小さな池があって、父はこの錦鯉を数匹飼ってました。
私はどうにもこの人工的に色が付けられた魚が好きになれず、多摩川で釣ってきた普通の鯉や鮒をこの池に入れて可愛がっていたのですが、父は「こんな汚い魚と一緒にするなよ」と、ちょっと嫌だったようです。
まぁ、その気持ちは理解できるのですが、「黒いのがいるから赤いのが引き立つだろ?」と言いなだめて一緒に飼ってました。(そのために池の掃除はいつも私の役目に

私が大学生の時。父と母は例年通り旅行に出かけて私は独りアルバイトしながら自宅を守っておりました。年末だったか年明けだったか記憶が定かではないのですが、私はアルバイトも休みになったので友人たち数人を自宅に呼びました。
酒とつまみを用意して飲み明かそう…ってなことになったわけですが、その時わたしの頭にグッド・アイディアが閃きました。
「ヨシ! せっかくみんなが集まってくれたし酒も持ってきてくれたのだから、今日はわたしが腕によりをかけて美味しい鯉の洗いと鯉こくを馳走してしんぜよう」。(料理は得意なのです)

私は自分が可愛がってる鯉が食らい付かないよう注意しながら池から一匹の錦鯉を釣り上げ、それをさばきました。

驚きました。
三枚に卸された鯉の身には、ものの見事に生前の模様が残っていたのです。

錦鯉のあの模様は表皮だけのもので、まさか身にまで至っているとは思わなかったのです。
あらいは薄造りなのでさほど気にもならないのですが、鯉こくはぶつ切りなので段だら模様が残ります。
でも味はいたって普通の鯉でした。
皆はちょっと気味悪がりながらも「美味しいゾ!」「料理、上手だねぇ」などと完食でした。

そして、数日後。
帰宅した父がその鯉に餌をやろうとし、「アレ?赤白が一匹居ない」。

流石です。ちゃんと可愛がっていた鯉を覚えていました。
焦ったわたしは、
「ネコにやられたんじゃない?」。


私はいまだ墓前報告もしておりません。


画像はシンガポール@エスプラネード公園そばのホテルにて










belise



国歌斉唱の際に起立しない人を条例で罰することが「思想、良心を直ちに制約するものではない」と、最高裁で合憲とされたそうな。
なんか私には理解できない話しだ。

まず第一に、なんで国歌斉唱の際に起立しない人がいるのか?
そして起立しない人を罰する、もしくは叱責することが何故いけないのか?
その両者の相容れない考えが何故に最高裁にまで上がって判じられねばならないのか?

学校に限らず企業でもサークルでも、人が集う場所にはそれなりのルールってものがある。そのルールに従わない者がいれば何らかのかたちで罰するのは当然だろうし、それが嫌な奴はその組織から抜ければ良いだけのことだ。
一番不思議だったのは国歌斉唱時に起立しない人ってのは、なんで立たないのか…だった。日本人じゃないんじゃない?なんて思ったのだが、どうやらその人たちはちゃんとした日本人で、彼らの論理では「国歌は天皇制を支持する内容で戦争を想起させる。故に侵略された国々に申し訳ない」という事らしい。ナンジャ、ソリャ?

日本はいまでも厳然とした天皇制国家です。ゆえに国歌は天皇を奉る歌詞にはなっているけれど、それと過去の戦争を結びつける思考回路が私には理解できん。
天皇制といっても現在の日本国においての天皇は、日本国家の象徴であってそれ以上でも以下でもない。
それほど日本国歌を斉唱したくないなら日本人を辞めるべきだろう。中国だろうがアメリカだろうが、どうぞお好きな歌詞の国歌を歌える国民におなりください。
あまりにバカバカしくて、放屁してやる気にもならん。裁判長、ご苦労様でした m(_ _)m

国歌斉唱を否定する理由がワカランかったのでググってみたのだけど、あまりのくだらなさにググった自分が恥ずかしくなった。
あまりに恥ずかしかったので、気持ちを入れ替えるためにちょっと別のこと調べてみた。

国の歌は「君が代」。国の旗は「日の丸」。国の花は「桜と菊」。国の鳥は「キジ」。この辺までは大抵の人が知っているでしょう。私は子供の頃に蝶々が好きだったので国の蝶は知ってました。「オオムラサキ」です。

では、国の魚は?





 

錦鯉だそうです。

ウナギじゃなくてよかった

belise_bay




画像はベリーズ、サン・ペドロの中心を抜けた町の裏通りに建つ家と、その時の家の前の湾で撮った夕景です。




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