こんな事を書くと年がバレバレになるのだが(もうバレてるか!?)、私が小学生低学年の頃、生まれ故郷である新潟に行くには上野から10時間ほどかかった。
まだ、蒸気機関車の頃だ。トンネル通過の際に窓を閉めないと、窓から入り込んできたススで顔が真っ黒になるという、まさに笑い話のような移動だった。しかし窓を自由に開閉できるってことで、今では廃業になってしまった弁当売りのおじさん&おばさんとの時間との勝負! のような弁当買いも、子供心に「お金だけ取られて弁当もらえなかったどうするんだ?」と、スリルがあって楽しかった。
その鈍行列車は数年後には電気機関車となり、名前は佐渡といった。急行・佐渡は上野-新潟間を6時間で走った。そしてすぐに特急電車が誕生した。白を基調にした綺麗な電車だった。当時は純血の日本産トキが佐渡にまだいた頃で、とき号という名称がつけられた。新潟までは4時間に短縮された。それが今や同じ名称だけど新幹線に取って代わり、新潟までは2時間ちょっとだ。私が体験した移動時間が1/5に短縮されたのだ。これは驚異だとつくづく思う。きっと当時の経済はいまの1/5くらいだったのではあるまいか。移動時間の短縮が経済世界に与える効果は絶大なものだ。その結果、弁当売りのように無くなってしまった業種や、列車が止まらなくなったことで廃れていった町もあるのだけど。

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上の写真は先日、かみさん&愚息1号、2号が乗ってきた小田急ロマンスカー。新型車両だけど、あのピンポンパンポ~ン、ピンポンピンポン~という小田急ロマンスカー特有の警笛(?)もいまだ健在のようで、新宿駅や住宅地周辺では鳴らさないけど、小田原や箱根に近づくと、ここで自己主張しなけりゃどこでする!とばかりに鳴らしまくってる。

そして先月のアニラオ行き(あっ!そうそう。ウェッブ、アップしました!)。私はようやっと京成電鉄の新型スカイライナーに乗ることが出来た。(実は数ヶ月前に赤面ものの勘違いをして大恥かいたのだった。そのお話はコチラ)。

keisei

せっかく初めて乗るんだからと、記念に写真を撮ろうとしたら、ちょうど黄色い点字誘導ブロックのL字の場所に、「ここから先は立ち入り禁止です」の立て札があって、どうしても前部を撮れない。そしたら、私のその姿を見ていた清掃員のおじいちゃんが「撮りたいなら入ってもいいよ」と、その看板を動かしてくれた。
私がお礼を言って携帯カメラを構えた時、「事故が起きるからその看板置いてるんだろ! あんた親切心でやってるんだろうけど事故が起きたら責任取れるのかね!」と若い運転手(写真の右端に背中だけ写ってる奴)が怒鳴った。
かりにも年齢的には親のような大先輩のおじいちゃんと、ちょっとは先輩である私に向かってのその言い方にカチンッ!と来たので、
「停車してる電車を写真撮ろうとして、どんな事故が起きるのですか?」と私が聞くと、
「線路に落ちるんだよ! 撮影に夢中になっちゃって!」。 ハァ~?

chiket撮影に夢中になって線路に落ちてケガする奴なんか、単なるアホだろう。そんな奴が落ちて怪我したなら笑ってやればいいんだ。
そんなアホよりより、入線して来る電車をホームの端で撮影してる撮り鉄の方がずっと危険だろう。線路に立ち入ってまで撮影してるバカもいると聞いたゾ!
事故が起きて困るのはそっちの方だろうが。線路に勝手に落ちて怪我しても誰も困らんけど、撮り鉄に電車止められれば乗客みんなが困るんだぞ! アホなんかほっといて、そういうバカをなんとかしろ!
それともうひとつ注意しておいてやるが、目の不自由な人のために設置されてる点字誘導ブロックのそばに立て看板置く方がよっぽど危険だと思わんのか、このスカポンタン!

せっかく上野・日暮里から成田空港まで36分で行けるようになり、しかも昔の“いかにも田舎、走ってますぅ~”みたいなダッさいデザインから脱皮も出来たというのに、運転士がこの程度じゃ悲しくなりますナ。

さて、スカポン野郎にいつまでもカッカとしてるわけにはいかんのだった。
今夕、新潟へと向かいます。新幹線に乗って。

蒸気機関車で行っていた頃、ススけた顔の私を我が子のように迎え、可愛がってくれた叔母が他界してしまったのだ。
わずか2時間に短縮してくれた文明の利器を、私はなんで叔母が生きてるときに活用しなかったのか。移動時間の短縮は、決して経済効果を上げるためだけに開発されたわけじゃないのに。











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