trugilli
数日前の帰宅時のこと。
下車駅に到着し降りようと座席を立った瞬間、ちょっと括約筋への緊張感が足りなかったのか、気体が少々漏れてしまいました。
そのまま素知らぬ顔で電車を降りましたが、音声を伴っていたので周囲の人にはバレバレだったと思うのです。下車駅だったからまだ良かったようなものの、これが帰宅途上のことだったらきっと、最初に停車した駅で降りていたことでしょう。イヤハヤ、なんともお恥ずかしい話しでありまして。

毎度のことのように話しは唐突に変わるのですが、今回は意味があってのお話しです。
過去2回、ヌーディスト・ビーチに行ったことあります。初めて行ったのがニューカレドニアのクエンドビーチでした。その時は、浜辺に出た瞬間  でしたが、ものの1時間もしないうちに、むしろ着衣であった自分が恥ずかしく感じた記憶があります。
大多数が裸だと、着衣少数派の方が異様に感じられるんですね。水着着用混浴風呂と思って水着を着て入ったら、水着姿は自分一人だけだった……なんて感じです。

最近、公共の場でのマナー欠落してる人が多くなったように感じます。特に電車の中が最悪だと感じるのは私だけじゃ無いでしょう。
座席に浅く座って足を組む、大股開きする。携帯電話で大声の会話も平気の平左。しかも聞こえてくる内容がこれまたド~でもよい低レベルな会話。大きな手鏡出したと思ったら、平然と化粧を始める。車内で立ったまま何かをパクつく。車中での放屁も大変なマナー違反ではあります。反省


なんか怖いなぁと思うんですよ。
こんな些細なことでも、恥と感じないニンゲンが増えると、座席は浅く座って足を組むか大股開きしない方がおかしい……なんてことになっちゃうんじゃないかと。車中で平然と放屁する輩が増えたら大変なことになります!

恥の文化って大切だと思うのです。
人に笑われるのが恥ずかしいと思うから笑われないよう頑張るんだし(除く芸人)、人に後ろ指さされたく無いから人として恥ずかしくないように行動しようと思うわけで。
日本にはいっぱいこの“恥じる”という文化が根付いていたはずなのに、今や風前の灯火となってきた感があります。その最たるものが生活保護の不正受給でしょう。

写真はモルジブのトラギリ。
モルジブはイスラム圏なのでトップレスなんてもってのほか。水着姿だってリゾートのみOKというお国です。恥という概念ではないですが、これも宗教というひとつの文化です。人の文化レベルをみればその人の国家レベルが見えてきます。