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スペシャル
ホシカイワリSP@パプアニューギニア・ミルンベイ
この魚、いろいろ調べてみたけれど分からずじまい。で、お魚に詳しい人に聞いてみたら、「何処で撮ったの?」の質問が。海域から判断するのか? で、「パプアニューギニアで撮りました」とアタシ。すると、「じゃあホシカイワリスペシャルだな」とのこと。
アタシもホシカイワリに近いとは思ったけれど、ホシカイワリならこんな黄色のブツブツではなく、縦にラインが数本あるはず。似てるんだから〝スペシャル〟って付けとけば良いのか? そんなアバウトでホントに良いのか? とも思ったけど、まぁイッカ(^^ゞ
昨日も今朝も、テレビでは貴乃花の話題やってたけど、彼も相撲協会も何だかようワカランね。
貴乃花は、本当に相撲協会のことを良くしたい、改革したいってんなら辞めちゃっちゃあダメでしょ。協会から圧力受けたってんなら証拠見せなきゃ。このご時世、こそっと録音するなり写真残すなり、なんかしら出来ただろうに。それもしないで辞表出して「はい、お終い」じゃあ、貴乃花の方が嘘ついてるようにしか思えないよなぁ。
光の中で
ムチヤギ@ミルンベイ・ディケンズリーフ
パプアニューギニア、ミルンベイ・ディケンズリーフ。ミルンベイの大人気なダイビングポイントのひとつです。
壁沿いのダイビングポイントで海中にも切り立った壁が入り組んで広がり、その合間を太陽光が光の帯となって降り注ぎます。
魚影も濃く、この時にはジュゴンも現れました。私は目視できなかったけど(T-T)。しかし実際のところ、あまりに光の帯が綺麗なので、ジュゴンが横を通過しても気付かなかったのです。
ホントはもっと綺麗なんだけど、光の帯を写真に残すのは難しい。わたしの技量の問題ではあるんだけど。
昨夜は仕事関係の方との会食でした。仕事関係ではあるけどプライベートでもお付き合いがあって、もうかれこれ27年以上。それゆえに深刻な話題もあったけど、ゲラゲラ笑いながらの会食は、あっという間に終電時間。食事(酒)はこうでなくっちゃね。
粘土質砂地を這いつくばるベタベタのマクロ・ダイブも楽しいけど、時にはこんなキラッキラの光の中を何も考えずに潜るのも楽しい。ダイビングもこうでなくっちゃね。
殺気
人食い人種
Wikipediaによれば、パプアニューギニアには数千もの独立した部族があって、それらはどれも100人以下の部族らしい。
そんな部族間の対立も多々あったようで、それ故にマッドマンのような見るからに恐ろしげなマスクも多く、土産物屋には種々多様なマスクが何処のお店でも置いてあった。他の部族に対抗するためだろうと思うけど、その真意ほどを私は知らない。
ダイビング最終日。翌日のフライトに合わせてその日は午前中2本のみ。ならば、ってことで午後は近くのスカルケイブ(頭骸骨洞窟)へ散策に行ってきた。
ガイドさんの英語説明が半分ほどしか理解できなかったんだけど、これらは人食い部族のいわば戦利品らしい。頭蓋骨の多くが頭頂部に穴が空いていたので、鈍器で殴り殺していたんだと思う。
反対側の洞窟にもたくさん骸骨があって、それらは年代別に分けられていた。
パプアニューギニアへの渡航前に、この地でかつてあった戦争の手記を読んでいたので、心の中でその戦没者と重なってしまって辛かった。
数万人もの日本人兵士がここに送り込まれ、生還出来たのはわずか200人ほどだったらしい。戦没者のほとんどが餓死かマラリアにやられての死で、戦闘での死者は数えるほどしかいなかったという。
そんな過去を知った上で、この洞窟に入るのはキツい。山深いジャングルの中には、まだ発見されていない戦没者の亡骸が多数あるのだ。
そんなかつては人をも食べていたこの界隈の部族だけれど、子供たちは純真でとても人懐っこかった。暮らしぶりを覗かせてもらったけど、何も無い家でおばあちゃんと楽しそうに話してる姿も見かけた。とっても貧しい生活なのに、あの明るさはどこから生まれてくるんだろう。
トイレ事情
およそ世界中の航空会社のポスターやら何やらに登場してくるキャビンアテンダントさんは、その会社にとって自慢のキャビンアテンダントさんであり、当然、社を代表して登場しているんだろうと思う。
今回のダイビングの行き先はパプアニューギニア。で、当然ながら利用した航空会社はニューギニア航空(Air Niugini)。そのエアニューギニを代表する(と思われる)キャビンアテンダントさんがこの人↓。
さてパプアニューギニア。渡航前にさんざん治安の悪さを耳にしていたのだけど、それと一緒に入手した情報がトイレ事情。国の玄関口であるはずの国際空港でもトイレは、汚い!紙が無い!のは当たり前なので極力飛行機内で事を済ませるようにと知らされていた。
にも関わらず、飛行機降りてから急にもよおしてしまったのだった。コレばかりは我慢するしか無いのだが、その後の移動を考えると我慢するのは無理と悟り、致し方なくトイレに向かった。
まずは紙の存在を確かめた。案の定ひと部屋は無い。隣は?と覗くとあるではないか! ヨシッ、と部屋に入ると鍵が壊れてる。ならば紙だけ拝借して隣へ移動。しかし、そちらの小部屋も………
これではどうやっても施錠は不可能。ドアを押さえながら事をいたすかとも考えたが、便座とドアとの距離がありすぎてそれも出来ない(手が届かない)。
思案すること数秒…………。
そういえばトイレの入り口に使えそうなモノがあった、と思い出した。
ホッとひと息、、、、、、じゃなかった、間に合って良かった。。。。。。。
表紙を飾る人
出立前は治安の悪さをやたら耳にして、ビビリーでのパプア入国でしたが、そんな危険な気配は微塵も感じられず、むしろ素朴な現地の人やフレンドリーで明るい子供たちと楽しい毎日を過ごせました。むしろステイ先でマナー最低な日本人に何人も遭遇しました。彼らの行為が現地の人に、同じ日本人と思われるのかと思うととても悔しかったです。
カノコウロコウミウシ@ミルンベイ・ラワディービーチ
何でもこのウミウシ、あるウミウシ図鑑の表紙を飾っている有名な御方だそうです。
日本で言えばナンバーやプレジデント、世界レベルならフォーブスなんかの表紙を飾る人は確かにみなチョー有名なかたがたばかりです。
てぇことは、このウミウシ殿はウミウシ界のスーパースターってことになりますな。確かに元は貝の仲間だったウミウシにウロコがあること自体が奇っ怪ではあります。しかもそのウロコをピロピロ動かしながら移動します。
かなりピンも甘く手ぶれブレブレですが、動画も撮影しましたのでご覧ください。マクロモードでの動画撮影ゆえ、と~っても難しく、これでもかなり頑張って撮った動画なのです(言い訳が多いのはいつものこととご容赦)。
私も一度くらいは表紙に登場してみたいものですが、まぁ無理ですね。せめてマイナスな事柄で新聞の一面を賑わせないよう心がけていこうと思っとります。
3.11に70年前を思う

そんなニューギニアの戦争手記を読んだ。この地に1万数千人が送り込まれ、生きて日本に戻れたのはわずか2百数十名。戦闘で傷つき亡くなった兵士もいたが、病気や飢えで亡くなっていく兵士の方が多かった。それらが淡々と綴られた生存兵の手記である。
戦争とはその目的が何だったのかを問われ責められることを許しても、その中で行われた行為に対して何かを問うことは何の意味も持たない。なぜなら戦争という行為の中に、道徳や人間性を求めること自体が愚かだからだ。戦争はただ単に大量殺戮を目的にした行為にすぎない。大虐殺があったかなかったか、従軍が強制であったか自己の意思だったかなど、そこにどれだけの意味があるのか。
戦勝国も敗戦国も、どちらにしても戦争に巻き込まれた当事者に残るのは、悲しく辛く、忘れたくても絶対に消えない苦悩だけだろう。
本書に書かれていたように、この地球上から戦争というものが根絶されたとき、人類はやっと文化の高さを誇れるのだと思う。その日は来るだろうか。
今年は終戦70年。私の母も父も戦争体験者だ。語ることは少ないけれど、死の淵を覗いたという話しは聞いた。その時、父か母が死んでいればこの私も存在していない。
もしもパプアニューギニアに行けるチャンスが訪れたら、線香と共にこの本を携行しようと思う。