タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

カテゴリ: 読書&音楽&映画

向日葵と書いてひまわり。
そのひまわりを戴きました。私に、ではなくかみさんに、ですが。


himawari

社会人になったばかりの頃、ソフィア・ローレン&マルチェロ・マストロヤンニの映画『ひまわり』を観ました。
学生時代に友人から良い映画だから観ろと薦められ、内容も聞いていて観たかったのですが、そのチャンスはなかなかありませんでした。それが池袋の文芸座だったかどこかの映画館でリバイバル上映され観る機会を得ました。しかし、その時は友人に聞いた話のイメージが私の脳の大半を占めていたようで、見終わった後、さほど感動も無かったのです。
ところがその数年後。今度はテレビで放映され再び観ることになったのです。その時、私は映画館で観たときには無かった感動を得ました。

自分の意志ではない、どうしようもない不条理な別離は、意識の中で納得する部分があるだけに悲しさが倍増するのだと知りました。

ちなみに私は、この映画に出てきたロシア女性の方がソフィア・ローレンより綺麗だし素敵だな、と思いました。
ソフィア・ローレンの様な猛烈な情熱をぶつけられても、それを受け止め、それ以上の愛情を返せる男ってどれほどいるのでしょう?
私には絶対に無理です。その情熱以前に体格で押しつぶされてしまうでしょう。







Nihonjinnohokoriこの方、本当に凄い人だと思う。本来は数学者だとういうのに歴史に関する造詣が物凄く深い。それに加え読者をグイグイ引っ張っていくその読ませる文章は、父・新田次郎の血を受け継いでいるのだと思う。
ここ最近の教育書がどのようなものか私は知らないけれど、少なくとも私が習った小・中学校時代の歴史教科書は最低のものだった。単純に年号の暗記だけ。それも奈良・平安時代から始まり鎌倉時代を“イイクニツクロウ”と走り抜け、安土桃山時代、江戸時代が授業の殆どだった。
藤原さんに言わせれば、この時代にも興味深い事は多々あったのだろうけど、現代に生きる私たちが一番興味深く知りたい時代は江戸から明治にかけてと、その後の昭和初期ではないだろうか。実際、この時代の出版物が一番多い。

戊辰戦争によって江戸から明治へと移り変わる時代。大正に第一次世界大戦が勃発し、戦争に明け暮れながら昭和へと移りゆく。
このたった100年ほどの間に日本は大きく揺れ動いた。この激動の時代はその変革の激しさ故に、知れば知るほどに驚愕し感嘆する。なんで学校の先生はこんな面白い時代を教えてくれなかったのか(その理由もこの本に書かれている)。

「過去の出来事を現在の価値観で判断してはいけない」という言葉に大いに感銘を受けた。
過去においての過ちはその時点で裁かれるものであって、もしも過去の過ちを現代で裁くとすれば、現代の私たちが行っている事(良いと思われること)も未来において過ちとされるかもしれない。
そんな過去のことを未だに誤った認識で引きずり、おとなから子供まで日本人は誇りを失い見い出せないでいる。そんな日本人に“喝!”を入れてくれる名書だと思う。
お薦めします。是非とも皆さんにも読んで戴きたいです。






ずっと前に「想い出の曲」と題し、記憶に深く残る歌の話しを書き、その時にはきっと第二弾も書くだろうと思って(その1)としたのだけど、結局それ以降は書くこともなく今日まできてしまった。
で、やっと(その2)です。…………、ネタ切れにつき

大学に入って私はがむしゃらにバイトをし、ホンダのシビックRSの中古車を購入しました。
この中古車は、中古だっちゅうに新車よりも高かった。それはこの車が2000台の限定生産であったことと、そしてちょっぴりだけど無限(ムゲンというチューン会社の名)のチューンアップが施してあったからです。

今どきの若者はあまり車に興味を抱かないようだけど、私たちの時代の男子学生にとって車はステータス・シンボルであり、ナンパの必需品でもありました。しかし、私はひたすら“走り”を求めていたので軟派目的なんていう不純な動機にこんな高額の買い物をする奴を笑い飛ばしていました(ウソ)。
第一、このRSは知る人ぞ知るマニアックな車だったので、「なんだぁ~、シビックじゃん」と女の子には不人気だったのです。でもいいのです。私はジムカーナやダート走行を楽しむのが目的だったのですから(半泣き)。
だから私は“ここぞ!”という時には友人の同じホンダのS800(スポーツカーです!)を借りていったものでした。それも1回しかなかったけど。当時の私は硬派だったのです(いやホント)。

そんな硬派の私だったけど、仲間に誘われ女の子たちと一緒にスキーには何度か行きました。
この八神純子の「さよならの言葉」がその頃にオーバーラップするのです。「硬派だったってのに、ずいぶん軟派な曲聴いてたんだなぁ」なんて言わんといてください。私や仲間の車に分乗しスキー場に向かう間、誰かが持ってきたこの曲が入ったアルバムのカセット・テープを何度も聴いていたのです。
硬派な私も聴き惚れ、結局アルバムを買い求めました。



私はこの曲の歌詞の、
 私の手には多すぎて、ずいぶん捨てたつもりでも…(中略)、私の指をこぼれてるという部分が特に好きです。

どこかのセンセイは「国民のことを一番に考えてる」なんて平気で嘘を言ってますが、一つでもこぼすことなくバケツ持ってでも国民の思いを、被災された方々の思いを全て受け止め対処して欲しいものです。
そういえば「辞任しろ!」とあれほどバッシング食らい、解散騒動劇まで演じられたのに未だにそのポストにしがみつくあの方は、何が欲しいのでしょうか? ひたすら権力の座にしがみついてるようだけど、その割りには権力使って何かをするでもなく、何も出来ず……。

「総理、ぜんぶ手の平からこぼれちゃってますヨ!」。

なんか不思議な人だなぁ。










itamu_hito私がこの人の作品を読んだのはこれが3作品目だ。
初めて読んだのが「永遠の仔」。この作品を読んだときは正直、強烈なインパクトを受けた。この作品の最後、確かこの本の読後にも書き残したと記憶するのだけど、鳥肌が立ったのを覚えている。
その時のイメージがいつまでも残っていて、その後に全5巻の長編「家族狩り」を読んだけど、あまりに暗い物語に心はドヨ~ン 確か今回読んだこの「悼む人」が直木賞を受賞したってんで買い求めに本屋へ行ったのだけど、「単行本は高いなぁ~」でヤメ。そろそろ文庫化されてないかと本屋に立ち寄った際に、「家族狩り」を買っちゃったんだった。

そしてようやく文庫「悼む人」を先週手に入れたわけなのだけど、「永遠の仔」のような感動はなかった。
しかし東日本大震災後であり、来週には私の親友の命日を迎えるというタイミングは、読み進む内に考えされられることが何度かあって、本を閉じてしばし黙考させられてしまった。

まだ読まれていない人もいると思うので、チョロっと内容を付記しておくと、要は人の死をどのように捉えるか…ということがテーマ(短かすぎるゾ!)。
これだけでも“ドヨ~ン”の雰囲気は伝わると思うけど、この世を去った人たちがどのように死んだのか、ではなく「誰を愛し、誰から愛され、誰からどのように感謝されていたか」を知ることで残された人の心にいつまでも留まるというのは素晴らしいことだなぁ、つくづく感じた。

では、私が死んだら? 私は誰から愛され、誰からどのように感謝されているんだ?
やめときましょう、まだ早い(笑)。実は誰からも愛されてないような気もして……(泣)。(喜怒哀楽が激しいなぁ)

少なくとも私の心には今も父と親友Mくんがしっかりと残っているのだから、それでいいのダ。








実はNHKドラマ『坂の上の雲』第1回目の放送を見て引き込まれたのだけど、昨年年末に放送された第2回は敢えて見ないでいました。
なんか出し惜しみされてるようだけど、自分としては出来れば一気に全編通して見たいし、きっとNHKはそれをするだろうと思うからです。
それともう一つ。
「映像は決して原作を超えられない」が私の持論でして、テレビであれだけ面白いのだから原作はもっと面白いに違いないと思ったのです。
で、昨年から読み始めました司馬遼太郎の『坂の上の雲』。年が明ける前に5巻を読破し、残り3巻は年末年始の休暇中に読み切ってしまおうと目論んでいたのですが、結局正月は1巻も読破できず、年が明けると今度は何やかやと忙しく、あれこれと時間を取られ遅々として読み進めず、先々週ようやっと全巻読み切りました。読了に3ヶ月もかかってしまった

読後、「これはどうもNHK(映像)の勝ちかもしれん」と思いました。
史実を重視するあまりか、くどい記述が何度かあって、これなら8巻にもせず全5巻くらいに収まったのではないかと感じました。
それでも読み応えありましたけど。

kumo

正岡子規にしても秋山好古・真之兄弟にしても、そしてこの原作に登場はしないけど、坂本龍馬も高杉晋作も、坂の上に雲を見い出していたわけですが、今の日本の舵を取る人達は何を見ているのでしょう?
雲を見上げるどころか、蹴つまずいて坂を転げ落ちないように足下だけを注視してるとしか思えません。平成の志士はいつ現れてくるのでしょうか?  
せめて私は雲でなくても坂の上を目指していこうと思います。俯いてばかり、足下を気にしてばかりいるような生き方だけはしたくないと思います。




適当な画像が無く、坂の上でなく海の上の雲で恐縮です @ポンペイ






昨夜はある社長さんのご招待を受けてサントリーホールへ。その存在は認知していたのだけど、実は中に入るのはこれが初めて。

suntoryhole

入るなり眼前のとてつもなくデカいパイプオルガン(だと思う)に圧倒され、そして指定の席に行くと、ナント最前列でまたまた仰天!
この写真がその位置です。まるで大相撲の砂かぶり席に座ってるようだった。その相撲の方は未だにいつから開催されるかわからん状態だけど……。

私は演奏者を見上げるようにして聞き入っていた。やっぱり生はいいもんだ。
先日クラシック好きの人に聞いたのだけど、指揮者がいなくとも楽団はちゃんと演奏できるそうな。そりゃそうだろうと心の中で思っていたら、「でも、甘えちゃうらしいですよ。指揮者がいないと。ついつい手を抜いちゃうんです」。
なるほど、と思った。サッカーだって監督がいなくてもゲームは出来る。でも、「ここぞ!」って時にモチベーションが上げられないんだよね。
だから同一の楽団が同じ曲目を演奏しても指揮者によって別の楽曲のように聴こえるのはそのためだ。

ところでこのような場所では必ず開演前に「携帯電話の電源をお切りください」のアナウンスがあるものなのだけど、このサントリーホールでは一切なかった。変だなぁ、と思いながら自分だけでも携帯電話の電源を切っておこうとしたら、圏外になってた。

このサントリーホールは携帯電話の電波が入らないように造られているのだそうだ。
なんで映画館や電車の中ではこれをやらんのだろう? いまだに映画館の中ではホタルしてる奴が必ずいるし、電車の中でもでっかい声で長々と話してるバカがいる。言ってもワカラン奴らがいるんだから、このような防御は出来んもんなのだろうか?

と、ご大層な事を書いてるんだけど………。

kinsi

おいおい。携帯電話の電源切ったゾと偉そうなこと書いてるけど、撮影も禁止じゃないか! それも劇場&ホールでは当たり前の事ですね。

反省 m(_ _)m




P.S.実は昨日、ニュージーランドの地震に関して書いたのだけど、自分の旅行体験をベースに書いてしまいました。ちょっと不謹慎と感じましたので記事をいったん撤去しました。
一日も早い不明者の方々の発見と、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。




今日は結婚式で横浜まで出向いた。でも、そのことを書くのではない。
たまたま家を出る前に書いたこの前の記事を、電車の中で携帯電話で読み返していて、「なんか詰まらなかった本の事ばかり書いてる」ような気がしたのだ。人の作品をけなしてるばかりではイカンなぁとフト思い、最近読んだ本の中でお薦めはないか、と思い返していた。tami_no_miezarute

で、あった。1冊。
ちょっとムリムリの感がしなくもないが……
大前研一の『民の見えざる手』(小学館)。これは小説じゃないから、要約は書かない(いつも書いてないか)。
タイトルを見れば「神の見えざる手」から来てるな、とは思うだろうが(私はそう思った)、その言葉は誰が発したのか覚えてる人は凄いと思う(私は思い出せなかった)。経済学者アダム・スミスの国富論の中での言葉だそうな(そういやぁ高校で習ったな、確か)。
この本は大前流現代版「国富論」だ。

それで私がこの本をお薦めするのは、彼の数々のアイディアもあるのだけど、一番は彼が現在の日本政府に対して「クーデターを起こそう!」と提案していることだ。
クーデターなんて書くと血生臭いイメージを抱いてしまうけど、彼が唱えるそれは、当然ながら武器を持っての国民の隆起ではない。どこかのお国みたいに隣国に難癖つけてデモるのでもなければ、日本を見限って海外逃亡しよう…なんて話しでもない。
日本を良くするための無血クーデターだ。

私は賛同した。たとえ“ハチドリのひとしずく”であっても、一人でも多くの人が参画することが、この無血クーデターを成功させるのだ。








どうですか? ちょっと興味持たれましたか?
興味はあるけど経済書はなぁ……という方は、巻末146頁あたりから読まれたら宜しいかと。




通勤途上でいつもの見慣れた小学校を今朝見ていたら、なんとなくくすんだような暗い感じがした。なんかいつもと様子が違う。でも、すぐに気がついた。小学校はいま、夏休みだ。子どもたちがいないと学校も寂しそう。

昨夜は早々に寝るつもりだった。一昨日、しこたま飲んで帰宅し、身体が火照ってすこぶる浅い眠りだったのだ。それ故に昨日は一日中ボ~ッとしちゃって、駅の階段昇るときなんかめまいがしてちょっと怖かった。だから、昨夜は早々に寝るつもりだったし、夕食摂りながらウトウトする始末だった。
kage_natsu_imageそれなのに、この本読み出したら止まらなくなってしまって、結局今日も睡眠不足だ

大手新聞社に新卒として入社が決まった女子大生の父親は、20年前の誘拐犯だった……ってところから物語は始まるのだけど、話しのテンポがとても良く、文章も上手くて引きずり込まれた。
「んな事ないだろ~」的な結末には文句もあるけど、このジャンルの本で感動を求めるのは非常に難しいことなので、私は許しちゃう。
何より“読ませる”筆力に敬服だ。

作者の赤井三尋という方は、現在フジテレビの報道局に勤務されてるそうだ。なんか本にするネタがゴロゴロ手に入りそうな環境だけど、事実を小説のネタにするのはきっと難しいだろうな。
仕事を持ちながら(しかも報道関係というけっこうな激務セクション)執筆するのは大変なこととは思うけど、次回作を楽しみにしたい。この筆力は素晴らしい。

二日続けての睡眠不足で、きっと今夜は爆睡だろう。こっちの夏はまだ翳りそうもないけど、ちょっと気温も下がってきたし。
そういやぁ今朝は曇り空だった。だから小学校がくすんで見えたのか? それともやっぱり寝不足のせいか? 







わたしは二度寝して、さっきまで見ていた夢の続きを見ることが出来るという、とっても素晴らしい特技を持っていたのに、最近は目覚めた後で夢を覚えていることが少なくて、その特技を発揮することが無くなってしまった。
というか、時には続きを見たい夢も見るのだけど、二度寝する時間的余裕がない。それと、年を取ったせいか二度寝すること自体が難しくなった。一度目が覚めると寝付けないのだ。なんか悲しい。

夢ってやつは、さぁこれから! って時に限って目が覚めるもんだ。怖い夢でもそうだけど、嬉しい夢でも、とっても素敵な女性が登場してきて、さぁこれからムフフフだ~い!って時に目が覚める。
そんな時に続きを見られるなんて、素晴らしい特技だと思うでしょ? ところが残念至極で、その特技を発揮できても、その夢の続きが希望通りになることはまずないのです(泣)。
綺麗な女性は再び登場してくれるのだけど何処かに行ってしまうか、他のカッコいい男が登場してきてかっさらって行ったりするのだ これがわたしの潜在意識ってことも、なんか寂しい限りだ。inception

昨日、レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙の『インセプション』を観てきた。最高に面白かった!
人の夢の中に入り込んでアイディアを盗む…っていう物語の骨子は平凡だけど、夢の中で更に夢を見させて、その中の夢の中にまで入っていく…っていう、まるで深層心理のヒエラルキーを追いかけているようで、見応えがあった。
当然、夢だからしっちゃかめっちゃかなシーンもバンバン出てくるんだけど、だんだんどっちが夢の中で、どっちがリアルの世界なのか判らなくなってくる。

劇場を出てからエレベータの中で、「なんだかサッパリ判らなかったね」と話し合ってる初老のカップルがいたけど、映像だけ追っかけちゃうとこの物語にはついていけないです。あの「マトリックス」のように、リアル世界とバーチャル世界が明確じゃないから。
それと、“夢を共有する”ってところがバーチャルの世界に馴染んでいない世代には理解しづらいんだろうな。自分の夢の中に他人の夢が重なってくる…なんて、なかなか概念的に捉えづらいよなぁ。でも、私には最高に面白かったです。結末もコマの回転に含みをもたせていて、クリストファー・ノーランという監督(脚本も)は、なかなかですな。
このコマの部分はネタバレにもなっちゃうので、これ以上は書きません。

夢の世界に興味のある方は必見です。夢に興味がなくても面白いけど。





8月に入りましたが今年はまだ、台風が来ませんね。
先月14日ころに2号だか4号だったか台風が発生してましたが、日本に向かうことなく東の方へと行ってしまいました。その直後にわたしは石垣島で潜っていたのですが、水温はどのポイントも30度を超えていました。
「このままだと(サンゴが)ヤバイんだよなぁ。台風でも来てくれないと…」と、現地のダイビングショップのお兄さんが言ってました。台風に海水をかくはんしてもらいたいのです。
daikouzui今年は雨が多いから水不足の心配は今のところ無さそうだけど、南の島では時々台風が来てくれないと害虫も増えて困るのだ、って話しも聞いたことがあります。

むかし子供の頃に住んでいた練馬では、台風のたびに石神井川が氾濫してました。ときには床上浸水することもあって、押入の中に入れられた私は、部屋の中を泳ぐ大きな鯉やオタマジャクシを捕まえたくて、何度も水の中に入ろうとしてはお袋に怒られました。当時はまだ汲み取り式の便所だったから、鯉やオタマジャクシと一緒にウ×コも流れてくるんです。
今では治水もしっかりして、石神井川の氾濫をニュースで聞くことも少なくなりました。むしろ最近では神田川の方がゲリラ豪雨で氾濫することが多いように感じます。

『東京大洪水』。
低気圧の停滞で連日雨が続いていた関東地方。その東京に二つの台風が合体し、超巨大化して襲いかかります。
荒川や隅田川が氾濫すれば、江東区や墨田区はもとより、上野そして銀座も水に没します。東京は壊滅的な打撃を被ることになるのですが、果たして・・・・・。

二つの台風がマジンガーZのように合体しちゃって、超巨大台風に変身する・・・ってところがミソなんだけど、このちょっと漫画チックな設定が少しも笑えない緊迫感でもって話しは展開していきます。
ここ数年、猛烈なゲリラ豪雨があるし、先週だって雷雨に会って、道路が冠水するのを目撃&経験してるからなぁ。この異常気象下では台風が合体しちゃたって、なんも不思議はないように思います。でも、小説の中の話しで終わっていて欲しいですな。

都内では至る所で大雨用の地下貯水施設も建設されていますが、この小説のようになったら本当に大丈夫なのかと、ちょっと心配にもなったのでした。









岡田ジャパン、良くて引き分けかと思っていたらカメルーンに勝ちましたね! 後半は疲れからか守りに入ってしまって、もっと攻めて欲しかったけど、まずは勝利でバンザイ! バンザ~イ!   なのですが、本日書きたいのはサッカーの話ではありません。

海底に沈んだ船、沈船に潜るダイビングのことをレック・ダイビングといいます。
わたしは過去にチュークの平安丸に神国丸、ロタ島の松運丸、サイパンの松安丸、そしてヴァヌアツのプレジデント・クーリッジなど、いくつかの沈船に潜りました。下の写真はロタ島に眠る日本軍の運搬船だった松運丸です。
ダイビングでは潜る前に、これから潜るポイントの説明をしてもらいます(ブリーフィングと言います)。それらの沈船に潜る際にも当然ありました。
でもその説明は、通常は潜る上での注意事項やどんなもの(魚)が見られるかの説明がほとんどで、何で沈んだのかは概要だけしか教えてもらえません。そんな詳細を話してる時間も無いからでしょうけど、そこに潜る私もどうして沈んだのかと考えながら潜ることもありませんでした。突き詰めれば、結局は戦争という悲劇の産物なのですから。
しかし心の何処かに呵責が生まれるのか、はたまたそんなタワケ者がやって来ることを船の方が拒否してるのか、私はあまり楽しく潜ることが出来ないでいました。

rota_ship

浅田次郎の「シェエラザード」の中に、わたしが潜ったことのある船の名前が出てきました。このシェエラザードでは弥勒丸という豪華客船が主人公です(実際の船名は阿波丸というそうです)。
serazard当時、世界で一番の豪華客船として生まれながら戦争という悲しい時代の中で軍用として徴用され、一度も客船として就航することなく台湾海峡に沈められました。この弥勒丸引き上げ話しに端を発してこの物語は進んでいきます。

アメリカの豪華客船だったプレジデント・クーリッジも、そしてチュークに眠る平安丸も、みなこの弥勒丸と似たような運命で海の底に沈んだのでした。
悲惨な末路をたどったこの船たちが(松運丸とプレジデント・クーリッジは犠牲者を出していませんが)、今はダイバーの見せ物となってることがとても悲しかったのを覚えています。そして戦争によって沈められた、程度の知識しか持たずに潜っていた自分が恥ずかしい。

わたしは南の島に行くときは、大抵お線香を携行しています。供養のためです。
しかし巨視的に戦争をとらえてそんな場当たり的な行為をするのではなく、その島その地の、そして海中に今も眠るその船の、一つ一つにあった歴史にもっと目を向けるべきだと思います。
とは言っても彼女(船)たちの過去を知れば知るほど、きっと潜ることが躊躇われるようになるな、とも感じています。

物語に出てくる弥勒丸は水深50mほどの海底に沈んでいることになっています。テクニカル・ダイブなら潜れない深さではありません。でも、この物語を読んでしまった私は、仮に潜れたとしても潜る気には到底なれません。
物語はフィクションでもアメリカ海軍に沈められたのは事実です。そのあまりにも悲しい運命を知れば、それを物見遊山的に見物するようなことは出来ません。でも、そのような事実を知らないことはもっと罪なのだとも思います。

私が小さかった頃、宅地造成のためにか私たちが遊ぶ原っぱにトラックが土砂を置いていくことが度々ありました。原っぱに出来た土の山を陣地に見立て、戦争ごっこだと土のかたまりを投げ合って遊んでいました。
親に見つかりこっぴどく怒られたのを今でも覚えています。親は目に当たったら失明するだろうと私たちを叱責しました。
その理由もあったでしょうが、あれは戦争を遊びにしていたからだったのかもしれません。戦争体験者が終戦後に、自分の子が“ごっこ”と戦争を遊びにするのは耐えられなかっただろうと思うのです。

読後に作品のタイトルにもなっているリムスキー・コルサコフの「シェエラザード・第3楽章」を聞きながら、平安丸プレジデント・クーリッジに潜った時のログを見ていたら、図らずも涙が出てきてしまいました。
安らかに眠ってください、などと私が言えるものか判りませんが、せめてこれからもあなた達を訪ねるダイバーに「過去を忘れるな!」と言い続けていて欲しいと願います。日本の繁栄は、このような過去の上に成り立っているのだと。

だから今も眠る英霊たちに、

     宜しく候・・・・・・・・、

       よォそろォー!

          
                         よォそろォー!



       




いや~、驚いた! 

たまたま携帯電話で動画を撮ろうとしたら「マイクロSDカードがありません」とメッセージが出て撮れなかった。
microSDそこで、そのマイクロSDカードってのはナンボするのか調べてみたら1000円程度で買えるらしいってんで、たまたま新宿ハルク方面に出かけるついでもあったのでビッグカメラに立ち寄り購入した。1270円也。
この小指の爪ほどの大きさも無い1270円のチップが容量4ギガですと! 
まるで以前にご紹介したウミテングの赤ちゃんのようなサイズで4ギガですよ!
これを驚かずにいられますか?
わずか1cmほどのウミテングと思ってたら実は体長10mのザトウクジラだった! みたいなもんです。

私が初めて購入したパソコンはエプソンのPC286ってやつで、たしかハードディスク容量は20メガほどだった。友人からの払い下げだったけど、それでも25万円(定価は70万円以上!)だった。
それなのにたった1270円のこのチビ助は、そのPCの約200倍!
これはまさにかぐや姫は存在するか否かを語っている人々の前で月面着陸しちゃうくらいの隔世感がある。
わたしは今まで、
1.テレビを自分で購入した世代、
2.テレビが我が家に来た日を覚えてる世代
3.生まれたときにすでにテレビがあった世代、
で考え方や生き方が異なると思っていたけど、もはやそんな比較では成り立たない時代になってしまった。

先日読み終えた「不幸な国の幸福論」の中で、最近はキレるのは子どもより老人に多く、その原因は激変する社会の中で存在感が薄れてきたからではないかと書かれていたけど、本当にそう思う。

今にこんなマイクロチップを頭の中に埋め込んで、ガンガン記憶してしかも絶対に物忘れしないようになっちゃうのだろうな。
どんどん開発されて便利になっていく通信やネットワーク事情に置いて行かれないように頑張ってきたけど、わたしももうキレそうです。付いて行かれまへん。
わたしがキレるようになる前に、是非とも私の頭にマイクロチップ埋め込んで欲しい。なにせ1行読み進んだだけで忘れてしまう頭なのだ。








cove第82回アカデミー賞で和歌山県太地町のイルカ漁を隠し撮りした映画「ザ・コーヴ」が、長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

ダイバーである私としては、出来うることならイルカを殺すのは止めていただきたいのだけど、地元の漁師さんにしてみれば、「じゃあ、イルカは止めて他のものを捕りましょう」ってわけにはいかんのだろうなぁ。

いくつかの報道ではこの太地町のイルカ漁を“江戸時代から続く伝統”と紹介しているけど、これは伝統じゃなくて習慣だろう。
漁に伝統はあるけれど、それは漁法が伝統なんであって獲物が伝統ではないはず。勘違いしてる。
習慣であるなら止められるとは思うのだけど、きっとそうもいかんのだろうなぁ。

日本の捕鯨に反対テロをしかけるシーシェパードは、捕鯨反対が目的では無く営利目的でやってるとしか思えないが、この映画は何を言いたいのだろう? 観る気はサラサラ無いけどね。

むかし近所に飯場があって、そこで働く人が野良犬を殺しているのを何回か目撃したことがある。まだ幼稚園か入園前の事で、とてもショッキングな光景だったけど、あれは間違いなく犬を食すためだったと思う。
今では日本で犬を食べることは無いだろうけど、世界の何処かじゃ、お隣の国も多分、いまだに犬を食べているだろう。
アマゾンでは猿を食べるし、アラスカでは鯨(それと昔はシロクマも)が一番貴重な食料のはずだ。

なんで日本だけにいちゃもんをつけるのか? 人の国の文化にアーダ、コーダ言ってないで自分の国を振り返ってみろ!スカポンタン!
それともう一つ不愉快なのが、日本公開では映画に映る太地町の人達は顔にモザイクがかけられるそうだ。太地町の人達がそうしてくれと言ったのだろうか?
隠し撮り故の配慮のような気がするのだけど、だったら上映しなけりゃ良いのに。
太地町の漁師さん達も、イルカ漁が自分たちの文化だと自負するなら、堂々とすればいいと思う。もしもそれが出来ないと言うなら心の何処かに呵責があるということになってしまう。

それにしても相手の文化を知りもせずに自己の主張を強引に発信することの、なんと愚かなことか。









中学時代からの友だちで千◯(センマル、という名ではない。変わった名前なんで身元がバレる恐れがあり伏せ字にした)という奴がいた。彼は結構有名な日本画家の息子なんだけれど、中学時代は目立たなくておとなしい、そして勉強も運動もイマイチのパッとしない男だった。
それが高校生になるや仮面ライダーばりの変身をして、見事なヤンキーになった。
バリバリにいじくった彼のCB750や仲間のKH500、そして私のTX650などに相乗りし渋谷や原宿に夜な夜な遊びに行っていた。

少し記憶が薄らいでるけど、確かスーパーマーケットの半地下のような場所だったと思う。その少し大きなスーパーマーケットのゲームコーナーみたいなところで、私たちは数人でたむろしてた。きっと煙草を吸うためだったろう(デパートやスーパーは当時、ちょいワル未成年者にとってはもっとも安心出来る場所だった)。
そこに当時は当たり前のように置かれていたジュークボックスがあった。
彼がジュークボックスに近寄ると、「オッ! あるじゃん」とコインを入れてかけた曲が岩崎宏美の『ロマンス』だった。

私はその時始めて聴いたのだけど、いたく気に入ってしまった。良い曲だな、と私が言うと千◯は「じゃあ、もう一回な」と再びコインを入れた。
他の連中も「うん、うん。これはいいよ」ってな調子で、皆で持ち合わせのコインを入れて何度もこの曲をリクエストした。たぶん、15~20回分はコインを投下したはずだ。
当然っちゃあ当然だけど、私たちは5回ほども聴いたら飽きてしまった。他の所に行こうってことになり、私たちはゲラゲラ笑いながらその場を離れた。スーパーマーケットのゲームコーナーから、延々と岩崎宏美のロマンスが流れ続けていたからだ。

数日前の事だけど、夜半に聴いていたラジオからこの曲が流れてきて、懐かしさと一緒に当時の悪友たちの顔が浮かんできた。
その内の一人は20数年前に癌で死んでしまった。もう一人は赤坂&六本木を拠点にしっかり稼いでいる。
そして肝心の千◯は高校時代を最後に会っていない。渋谷で水商売をやってるらしい…なんて噂を聞いたけど、わたしは疑わしいと思ってる。

つまらないだろうけど話しはここで終わらない。もう1曲。アン・ルイスの『リンダ』。



この曲も始めて聴いたのはラジオだった。でも、その時は特に記憶に残ることもなかった。

この曲がヒットした翌年の確か2月、福井県の東尋坊に行った時にこの曲が流れていたのだ。
東尋坊は吹雪だった。こんな時にやって来る奴は自殺志願か私のようなよほどの偏屈野郎か、テレビ朝日の2時間ドラマ制作陣だけだろう。
こっちの寒さなど知ったこっちゃない、とばかりに粗悪スピーカーはこれでもか! というほどの音量でガリガリと割れた音のこの曲を流していた。

あの時、周囲に観光客の姿を見た記憶はなく、人っ気無い吹雪の東尋坊にBGMなんて必要があるのか? 第一、なんでまたこの曲なのか? あの時のあの場面にあまりにも意味不明で場違いなBGMは、ものの見事に私の脳裏に焼き付いた。
以来この曲を聴くたび、私はビュービューと吹きすさぶ吹雪の東尋坊を思い出すのだ。












映像見てて気付いたけど、ジョン・レノンが殺されたのはこの年(1980年)だったか。忘れていた。











エッ? そんな事よりなんで真冬に東尋坊へ行ったのかって?



ムフフフフ





ヒ ・ ミ ・ ツ  ! 










若松孝二監督の「キャタピラー」主演女優の寺島しのぶがベルリン国際映画祭・最優秀女優賞を受賞した。
若松監督は大学時代の友人の叔父にあたる人で、わたしはかなり昔からこの監督の存在を知っていたけれど、当時はエロとバイオレンスに充ち満ちた作品が多かった。それが今回の受賞作品は反戦的な内容だそうだ。反権力を全面に打ち出していた初期の作品の流れを汲むのだろうか? 日本では今夏公開されるようだけど、是非とも観たいと思ってる。

「ペンは剣よりも強し」とは言うけれど、映像はどうか?
映画「ローマの休日」を初めて観たとき、オードリー・ヘプバーンの清楚な美しさにたいそう驚いた。



わたしに限らずほとんどの人がこの映画のエンディングに感動したと思うのだけれど、今の時代にグレゴリー・ペックのようにスクープ記事をボツにしてまで個人の立場と心を守る事が出来るジャーナリストが果たしているだろうか?

前職時代に私は何度かゴシップではあるけどスクープ・ネタを拾った。当時の芸能週刊誌に売ったら結構なフィーを貰えるようなネタであった。
私の知人からもたらされたのだけど、彼らは私がそのような行為に走らないと信じるからこそ話してくれたのだと、私は彼らの信頼を裏切ることなく、そのネタは時々の酒の肴として語るに留めた。

記者クラブという狭い世界でネタを拾い、色こそ異なれ中身はみな一緒の今の新聞というメディア。スクープを狙ってる記者はいるのか? それでなくとも整理記者がどこで切っても良いように散文的な表現しかできないのに、そんな記事を書いてて嫌にならないのだろうか?

ペンは剣よりも強いと思うけれど、新聞ジャーナリズムに限っては剣に立ち向かえる記者は見受けられない。
となれば、いまや映像の方が新聞の上を行っているのかもしれない。



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かあさん、かあさん。
それは 真実の口 じゃありませんよ。


でもどこに行けば真実と真のジャーナリズムに出会えるのか?












ちょくちょく映画化もされる某・作家の作品は、ほんとによくこれだけ書けるものだと感心するほど本屋に並んでる。

そんなに多産されているにもかかわらず、いつもグイグイと引き込まれて寝る間も惜しんで読み切ってしまうのだけれど、読み終わると物語性としては大したことない事に気付くのだ。
かなりの数の作品を上梓していて、本屋に行けば何作品も平積みされているほどの彼の人気は、物語性よりその筆力に負うところが大きい。

先日、話題の映画「アバター」を観た。

数週間で過去の観客動員数を塗り替えたというのも頷ける作品だったけれど、こちらもストーリー性はといえばありきたりだ。

人間の強欲さ。
自然の大切さに美しさ。
そして愛。
今まで何度も取り上げられているテーマだ。

それでも皆が賞賛するのは、ジェームズ・キャメロン監督の手腕によるわけだけれど、よくよく考えればそれはCGと3Dという手法である。別にお初の試みではない。
確かに“パンドラ”という想像世界の美しさは、作品を観る前のわたしの想像を超えるものだったけどね。


何年前だったか仕事でロスに行った際に、ちょっとフリータイムを頂いてユニバーサル・スタジオを訪ねた。
そこで、実演する役者と映像が合体する当時としては先駆的な映画を観た。で、更にその映画は3Dメガネで見るというエンターテインメント性たっぷりのものだった。

このユニバーサル・スタジオで観た3D作品は、映像が自分の方に飛び出してくる演出で、思わず何度ものけ反ったり、会場のあちこちから悲鳴が上がるような作品だったれど、アバターの3Dは映画のコピーどおり「まさにそこに居る」かのような奥行きを主体にした見せ方だった。


一昨年他界してしまった重鎮とも言える役者さんが、ずっと、ズ~ッとむかしにお会いしたとき、「私たちは演じるだけだ。本(台本)さえ良ければ絶対に素晴らしい作品に仕上げてみせる」と言っていた言葉を思い出した。

作家も監督も、そして役者もつまるところ力量があるか否かなのだ。


力量のある人たちの作品にもっともっと出会いたい。








NHKの放送受信料金ってやつは、支払い義務は存在するけど仮に支払を拒んでも罰則は無い。

昔はNHKなんて滅多に見なかったこともあって、「見てないよ。うちに勝手に電波を流さないでくれ」なんて受信料徴収に来た人を困らせていたけど、今はちゃんと支払ってます。
実際、最近じゃ見るに値するテレビ番組はNHKがほとんどなんだよね。今まで徴収のオジサン困らせちゃってゴメンね。

subaru今週末の土曜から『蒼穹の昴』が再放送されるらしい。

私は活字を超える映像は絶対に無い! と思ってる。
だからこそ、この前放送していた『坂の上の雲』は、とても面白かったのだと思う(はい、まだ読んでません)。

ドラマの『蒼穹の昴』も、見れば原作の勝ちになることは明白なのだけれど、壮大な中国文化の映像美を見てみようかな・・・・、なんて今、思ってる。
ちょうど今週末はサッカーの練習も、学校催事の関係でグランドが使用できず休みなのだ(だったら、溜まりに溜まった家の諸事を片づけろって?)。



近年、この年になってようやっと歴史の面白さに目覚め(今さら遅いか?)、特に幕末から明治維新の頃の物を読むことが多くなった。
浅田次郎の「蒼穹の昴」は先月読み終えていたのだけれど、ちょうど日本のその時代の頃のお隣の国のお話しってことで、それはそれでけっこう面白かった。

「難しく考えるな。知恵も力も何もいらない。やさしさだけがあればいいんだ。大地も空も時間も、すべてを覆いつくすほどのやさしさがあれば………」。
物語の終盤での、主人公に語りかける言葉だ。

まさか今の日本の総理大臣はこの物語を読んで、あの“友愛”って言葉を使い始めたわけでもないだろうけど、これは乱世、混沌の世にあってこその言葉だ。

友愛もとっても大切だけど、いまの日本に必要なのはやっぱり知恵と力、リーダーシップだと思う。

いまの日本も充分に“混沌”としてはいるけど・・・・。










P.S.2010.2/3 一部不適切表現あり改稿






うどんと蕎麦とどちらを選ぶか、といえば蕎麦。
かみさんはうどん派で好みが分かれるのだけど、この二つの食材に関してだけはお店が別々になることがあまりないので、今のところ家庭内争議にまで発展したことは無い。
それ以外の事では結構あるんだけどね。

蕎麦は結構好きで、美味しいと聞けば必ず一度は足を運んでいる。

けれど今日、近所の蕎麦屋に入りメニューを見ていてハタとあることに気が付いた。
まだ食したことの無い蕎麦があったのだ。

okame


これ↑ おかめ蕎麦 今まで食べたことが無かった。

本来“おかめ”といえばうどんが定番らしいけど、私は蕎麦派。
ゆえにおかめ蕎麦を頼んだ。

出てきた蕎麦を見て、はたまたハタッと気が付いた。


なんで おかめ なんだ?

まさか丼の中がおかめに似てるからか? と思い、家に戻って調べてみたらどうやらそうらしい。

具がたくさん入っていて、その配置がおかめに似ているからだそうだけど、だったらとろろ
蕎麦のとろろを渦状に載せて
 ひょっとこ蕎麦 があってもいいのにな…なんて、どうでも良いことを考えてしまった。




年賀状作成に追われたつまらない日曜日昼下がりの、どうしようもなくどうでも良い暇ネタ記事でした。









カレンダーが届く季節になった。

先日、「1年分の日付が載った大きな一枚カレンダーが欲しい」という御仁に会ったけど、人それぞれだなぁ、と実感した。
そのようなカレンダーを頂いても、悲しいかな我が家では張る場所が無い。

まぁ、もしも張る事が可能なスペースがあっても、それは我が家の趣味では無い。
扱いづらい事もあるけれど、1年間ものあいだ同じ絵(写真? イラスト?)を見ているのは味気ない。

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我が家でカレンダーを貼るのは、トイレ、リビング、そして私の部屋だけで、あとは小さな卓上カレンダーをパソコン・デスクやかみさんは鏡台の上に置いている。

卓上カレンダーは頂いたもので充分事足りるのだけれど、トイレに張るものだけはこだわりたいのだ。
出来れば上の写真のように綺麗な景色のものが欲しいのだけれど、趣味に合ったものはなかなか頂けない。
だったら希望の物を買えば良いのだけど、根がケチなんで今年も綺麗な好みのカレンダーをどこかで貰えないかと虎視眈々と狙っている。





愚息一号がまだ2歳か3歳だったころ、千葉の保養所の大浴場で893さんに遭遇。

洗い場に座り、浴槽に向けた背中には見事な彫り物が燦然と描かれていた。
「なんか嫌だなぁ~」と思いながら、愚息を湯船に入れ自分も目をつむり極楽気分に浸っていたら、

「と~しゃん! と~しゃん! このヒト背中に絵描いてるよ~!」
と風呂場に響き渡る大音響の声。

ハッと愚息が遊んでいたはずのエリアを見ても、一号はいない。
まさか、と893さんのいた洗い場の方に目をやると、愚息はあろう事か893さんの背中をなでなでしてるではないか!

いや~、一気に湯冷めしそうでしたね。

運良く心の広い893さんで、
「おう、坊主。背中洗ってくれるのか?」なんて話してる。

そそくさと駆け寄り、
「スミマセン、失礼しました」愚息を抱えて風呂場を後にした。

PrisonHotel自分は背中に彫り物のある方と風呂が一緒になっても、それほど気にする方ではないのだけれど、フツーの人は嫌だろう。

まさか風呂場でいちゃもんつけられることは無いと思っていても、気分よろしく湯に浸ることは難しい。

でも、こんなホテルだったら物は試しにと行ってみたいなぁ。

「プリズンホテル」浅田次郎
大物総会屋の親分さんが経営するホテルで繰り広げられる人間模様。
偏屈な作家を中心にして、同宿した人々の悲喜こもごもが、笑いと涙を誘う。
夏から始まって全4巻。全編を通しての起承転結はきっちりあるけど、一話一話が短いのでアッという間に読破してしまった。

笑い溢れる内容だけど、最後はホロリと涙させられた。

奥湯元あじさいホテル=別称・プリズンホテルはどうやら群馬県の渋川あたりにあるらしい。

日に日に寒さもきつくなってきた事だし、温泉が恋しくなってきた。
訪ねて行ってみようか。あそこにでも。







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 だいぶ長い間、書店ではこの本が平積みされていたので、人気作品なんだろうとは思っていたけど、帯に書かれた「映画化」の大きな文字が私の手が伸びることを拒んでいた。

先日、知人が回してくれて「ならば」と読み始めたけれど、辛かった。
言葉遊びと知識のひけらかし。

何度、挫折しかかったか。

途中で結末が見えてしまったし、他に読まなきゃならない本もあったので止めても良かったのだけれど、「つまらなかった」とココに書きたくなったので最後まで頑張って読んだ。

知識ばかりをひけらかした、このような言葉遊びのような作品は好みじゃない。

わたしは知識よりも、「ほぉ!」と唸るような巧みな文章を優先する。
たとえば藤沢周平のような。

でも作者に敬意を表して良かった所も記しておこう。
最後には私は救われた。
屋根にいる弟と下から弟を見上げる兄との二人やりとりは、それまでの(読破する)苦痛を少しは和らげてくれて助かった。

「映像よりも絶対に活字!」な私だけれど、この作品だけは映像の方が面白いんじゃないかと感じた希有な作品だった。






ちょっと隠れ家的なジャズを聴かせるお店を紹介されたので、フラリと行ってみた。

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オーナーは某・広告代理店を辞めてこのお店を開いたのだそうだが、音響機器から数千枚に及ぶアルバムすべて、コツコツと集めたコレクションなのだそうな。

スピーカーもアンプもメーカーの名前は有名なので知ってはいたけど、コーン紙をナントヤラに変えたとか、アンプのインピーダンスは○以下だとか説明されたけど、サッパリ判らんかった。

学生時代、友達に誘われて授業をサボり、学校近くのジャズ喫茶にたびたび逃げ込んでいた。


02de2ca6.jpg当時はジャズ喫茶も結構あって、「どこどこの店のスピーカーは良い音だ」とか、「あの店のコレクションには××もあって、センスがいい」とか、いっぱしの会話をしてたけど、私自身はそれほどジャズが好きでは無かった。

自宅で一番聞いていたのはビートルズだったし、ジャズのレコードも20枚程度しかその頃は持ってなかった。

ジャズを聴いてるってのが大人っぽく感じていて、斜に構えていただけ。
それが社会人になってからはジャズしか聴かない時期がしばらくあった。
懐も学生時代とは比べ物にならないほど暖かかったから、ジャズのレコードはアッという間に100枚を超えた。

今じゃ休みの日にたまに聴くだけだけど、仕事帰りにフラリとこんなお店に寄って、バーボン一杯だけ飲んで帰るってのも良いモンだ、と改めて気付いた一夜だった。




民主党が高速道路料金を無料にすると息巻いてるけど、それは国民のためというより「自民党の息のかかったところに金は落としてやらない!」と言ってるように思えるのは私だけでしょうか?

すでにたった一律1000円にしただけで大渋滞だし、アクアラインに至ってはひどいものだと伝え聞いてる。

一所懸命CO2減らそうとしてるのに、やってること反対でしょ。
首都高なんかは年中渋滞してるんだから無料にしたって良いと思うけど、主要幹線高速道路はしっかり金取ってくれていいのダ。
少なくとも車を維持し、遠出できる程度の経済力を持つ家庭が利用してるんだから。

その代わりに商業車の高速利用料を無料にして、一般車両から徴収した財源を充当すれば良いと思うのだ。
一般車両の高速通行料は主要都市部を除いて、その通行料を徴収した市区町村に落としてあげればいい。そうすりゃ地方も県外車を呼び込もうと努力するだろう。
国民に数万円のバラ撒きするより、ずっと日本経済は活性化すると思うぞ。
なんか熟考を感じられないんだな。鳩山さん、やっぱり青いよ!




276691ae.jpgなんで“青いよ”なんて単語を使ったかというと、この本の話しに引っ張りたかっただけで、民主党のマニフェストはむしろ赤色が多用されてましたな。

さてこの本、映画にもなったそうでご存じの方も多いだろうけど、私は読んで青いレモンの味がしました。
別に幼なじみの想い出が蘇ったワケじゃなく、初恋の頃の想い出がフツフツと蘇って来ましてね、ウフフフ。

をいをい気色悪い! ウフフじゃないだろ!
(独り突っ込み)


とある高校のお話しで、この高校では毎年、80?を一昼夜かけて歩行するというイベントがある。
胸に秘めた思いを高校生活最後のこのイベントで、なんとか成し遂げようとする女の子。そしてやはりこのイベントで親友と一緒に最後は走ろうとする男の子。
多感な高校生たちの思いがヒシヒシと伝わる。

わたしは男子校だったので、中学時代を想い出しましてね。
どんなきっかけだったか忘れたけど、男女勇士10数人だけで確か狭山湖だったと思うのだけど、ハイキング出かけたのです。その中に私の初恋の人もいましてねラブ

この物語の女の子は、親友の“おまじない”で思いを遂げるのだけれど、残念ながら私はダメでした(T.T)
今では記憶もおぼろげになっちゃったけど、それでも懐かしい想い出のワンシーンとして残っているのです。青いレモンの味のように。

懐かしい青春時代を想い出したいという、そこのオジサン&オバサン。
もしもまだ読まれていなければ是非とも御一読あれ。ほろ酸っぱい読後感が残りますよ。









ここ(ドリコム)のシステム・ダウンのため更新が出来なかった。毎度のことなんで当初は「またかいな」と諦めていたのに、途中から腹が立った。
自社システムの問題なのに“ただいまアクセスが混み合っていて記事のアップが出来ません”だと! 
素直に“ただいまシステム復旧作業中です”と言えばいいものを。情けない会社ですな。ここの会社の経営スタンスは、世間を騒がせた偽装食品会社と大差ない。社会的影響が小さいだけ救われてるけど、思考は一緒だな。

腹の立つこと、もう一つ。

夏休みに入るなり、地元小学校で工事が始まっていた。
何の工事か気にも留めてなかったのだけど、なんと教室のエアコン設置工事なんだと!



 8fe0689d.jpg『風が強く吹いている』
この本は、ほとんど素人に近い大学生たちが箱根駅伝出場を目指す…というお話し。

漫画のような展開の青春ストーリーだけど、爽快感は充分に味わえた。
自分も走ること(中距離だったけど)が好きだったから、共感できる部分が多々あった。

箱根を目指すのは補欠もいないたった10人の選手。しかも陸上経験者は3人。監督はボロアパートの大家さん。
シューズも練習着もまともな物は何も無い陸上部だ。

そんなチームが強豪ひしめく箱根駅伝出場を目指す。
だから、感動するのだ。
これが設備も整い選手もいっぱいいる陸上部の話だったら、物語にもならないだろう。



…………。


ということで主題に戻って。


小学校の教室にエアコンとは何を考えてるのだ!

PTA会議室ってんならまだしも、こんな話し10人に意見を聞けば、ほぼ10人が「無駄だ!」と言うだろうに、裏で金が動き誰かがほくそ笑んでる姿が想像できる。
そのほくそ笑んでる奴は、この工事にGOサインを出した奴か、その裏で動いてる奴だ。
あとは、その教室で教鞭をとる漁夫の利教師だな。

当然、エアコン設置完了したなら夏休みも廃止するんだろうな! (`Д´)

………。

どういう脈略で箱根駅伝の小説と小学校のエアコン工事が結び付くのか?

実は私もワカリマセン(^_^ゞ
(システム障害中にネタが溜まっただけか?)

どこのバカがこんな事やってるのかと、なんか腹立っちゃって、そのせいでせっかくの読後の爽快感が吹き飛んじゃったのもムカつくなぁ。

この物語の学生たちのように、少しはまともな会社や人間はいないのか! という締めでお許し願いたい m(_ _)m















P.S.このお話し(小学校にエアコンの話しではありません)、今秋、映画公開されるそうです。

わたしは観たいとは思いませんが………(^_^;;;









走ることが好きで、学生時代は特に中距離が好きでした。

高校の時に8000mを走った時のことです。
だいたい5000から6000mあたりが一番苦しいのですが、その時はどうしたことか全然苦しくならないのです。

苦しくないどころか、なんだかとても気分が良くて、ペースもどんどん早くなって20人近くゴボウ抜きして8位でゴールしました。7cc0cd0c.jpg


後日、ランナーズハイなのだと知りました。

今回、サイパン行きに横山秀夫の「クライマーズハイ」を持っていきました。

物語が1985年の御巣鷹山日航機墜落事故の事だというので敬遠していたのですが知人から戴き、読み出したら止まらなくなりサイパンまで同行願った次第です。
わたしは題名からてっきり御巣鷹山に登る話しかと誤解してまして、実際は新聞報道に関わる記者の葛藤のお話しです。その背景として御巣鷹山墜落事故が関わってきます。
この作品はドラマ化もされているので知ってる人は多いでしょうね。わたしはドラマは殆ど見ないので、この作品の内容も知らなかったワケですが。

題名でもあるクライマーズハイの説明がちょっと出てきます。疲れや恐怖を感じなくなってホイホイ登ってしまう状態を指すのだそうです。

自分も山登りは随分したのですが、このクライマーズハイに近い経験は一度もありません。
ランナーズハイの経験は数回あるんですけどね。

クライマーズハイの方は、この症状が現れるとそれなりに問題もあるようですが、ランナーズハイの弊害ってあるんでしょうか?

気分良くなってどんどん走り続け、終いには心臓がパンクしちゃったりするんでしょうか?

ダイビングでも窒素酔いという、これに似たハイになる状況があります。

ジャック・イヴ・クストーの「沈黙の世界」というドキュメンタリー映画の中に、何メートルだったか忘れたけれど、かなり深く(50m以上?)潜ったダイバーが突然、陽気に笑い出し水中メガネやレギュレータ(空気を吸う管)を外してしまうシーンがあります。
これはバディ(同伴者)が助けてくれなければ確実に死にます。

クライマーもダイバーもハイになると危険なのに、ランナーだけは大丈夫なんでしょうか?


そうそう!
今回、サイパンで久々にデコ出しちゃいました(汗)。
(※デコとはDecompression(減圧)の略で、減圧停止の指示が出ること。無視するとちょっと危険です。)

2本連続で深場に潜っていたためです。
突然笑い出し、海パン脱いで踊り出すことは少ないと思いますが、減圧症の危険が増します。

水深40mあたりでコイツ(↓)、狙ってたんです。

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ヘルフリッチ。シコンハタタテハゼです。

水深が深いので光量が少なく、撮影するのはなかなか大変なんです。すぐに穴の中に隠れちゃうんで、ソ?ット寄っていかないとならないし。

エ?ット。

なんか話しがだいぶ脱線しましたf(^_^;)

脱線ついでに可愛い奴もご紹介!

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モンツキカエルウオくんです!
眉毛(睫毛?)がいいっしょ?

コイツの顔見ると、こちらも笑顔になっちゃいます。窒素酔いしなくてもね。




















私の事務所の近所には行列の出来るラーメン屋が何店舗かあるのですが、正直言ってそのどのお店も自分の好みの味ではありません。みな太麺のコッテリ・スープ。

私の好みは細麺のアッサリ・スープなのですが、事務所の近所には1店しかありません。
しかも、いつも空いてます。私の味覚がおかしいのでしょうか?

行列の出来る方のラーメン屋のもう一つの不思議が値段。02fa2a1b.jpg

チャーシュー麺を注文すればほとんどの店で1000円以上します。たかがラーメンですよ!

今日入った焼きそば専門店。(このお店も先月までは行列が出来てました。オープン半額セールしてたのです)

メニュー見てびっくり。
一番安いもやしソース焼きそばで650円。お祭りの夜店だったら300円程度でしょう。

そして、右写真の海鮮醤油焼きそばにいたっては1200円です! カウンターで食す値段とは思えません。

そりゃ確かにエビもホタテもイカもツブ貝(多分)も入っているけど、1200円の味ではなかったなぁ。
シマダヤの焼きそばをスーパーで買ってきて、自分で作った方が美味しいゾ!

食す前、一見、旨そうだったので写真に残したけど(テブレ落ち込み)、ものの見事に裏切られました。

高級店でもないのに1000円以上もするラーメンに焼きそばって、どうにも腑に落ち無いんだよなぁ。






















値段も高いのにあまりに期待はずれの味で、しかも写真まで撮っちゃったもんだから書いちゃったけど、しばし書くか書かざるか悩んでた。

先日読んだ『ウェブはバカと暇人のもの』の中に、SNSでの書き込みを取り上げて、
「今日のランチはカルボナーラ! 量が多かったけど、デザートは別腹(笑)」──だからどうした?
という記述があって、「これ書くと、アレと大同小異だなぁ…」と思い出していたから。
あたしゃ腹八分目でも食後のデザートは食べないけど。(言い訳落ち込み







光文社新書・中川淳一郎著『ウェブはバカと暇人のもの?現場からのネット敗北宣言?』を読んだ。

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ウェッブでも仕事をしてる自分としては、特別目新しい事が書かれているとは思わなかったけど、ウェッブ世界のオバカな連中をあげつらい、そのお馬鹿ぶりを披露してくれていて思わずクックと笑いが漏れた。

確かにこの世界を彷徨する輩には、ヒマ人が多いのは事実だろう(私のように?)。

そして普段は何の主義主張も言えないようなおとなしい連中が、ひとたびキーボードを前にすると結構過激な事を書いていたりするのも知っている。私の知人にもいたから。


私のこんなつまらないサイトに、律儀にも毎週末の深夜に書き込みしてくれる御仁がいらっしゃる。
どこの誰だか知らないけど、内容はお決まりのように下半身ネタ。

書き込みされるのが決まって週末の深夜であること。
そして毎回IPアドレスを変えてることから考えるに、ここに下半身ネタを書き込んでるお方は少なくともこの本に書かれているような“バカで暇”な方ではなさそうだ。

昼間は何かしらの仕事をしていて、週末にアルバイト的に書き込みしてるのだろう。

あんな書き込みで商売になるとは思えないのだけど、それでもアルバイトが成り立っているとすれば、ちゃんとそれなりの収益があるということになる。
ということは、あんなくだらない書き込みに騙されるような“バカ”な輩が、やっぱり多いということだろう。

それにしたって私のこんなサイトじゃ商売にもならないだろうに、それでも深夜に一生懸命コピペで書き込みしてる姿を想像すると可哀想にさえなってきますな。

本に戻って、内容が推測されそうなものを少し目次からピックアップしよう。

・品行方正で怒りっぽいネット住人
・「怒りの代理人」がウヨウヨ、要はいじめたいだけ
・読解力がなく、ジョークも通じない人々
・クレームという名の粗探し
・1億2000万パケットを自慢する暇人
・暇人はせっせと情報をアップし、リア充(※リアルな世界で忙しく充実してる人)はその情報の換金化にはげむ
・e.t.c………。

目次だけ読んでも面白そうでしょ?


「ネットが無い時代にもともと優秀だった人は、今でもリアルとネットの世界に浮遊する多くの情報をうまく編集し、生活をより便利にしている。ネットがない時代に暇で立ち読みやテレビゲームばかりやっていた人は、ネットいう新たな、そして最強の暇つぶしツールを手に入れただけである。」(本文より)







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世にあまたある宗教の、どれひとつとして経典を読んだことも無いけれど、どの宗教も基本的には人としての道を説き、生きる指針となることが目的ではないのだろうか。

人は誰しも悩み苦しむものだから、その時に指針を与えてくれて心の支えとなってくれれば素晴らしいと思う。

しかし、宗教というものは往々にして心の支えを通り越し、心そのものを奪ってしまっているように無宗教の私には映ってしまうのだ。それ故に争いごとも無くならないのだと。



最近、ガツン!と読み応えのある本に巡り会えないので、某サイトで“感動した本”のランキング上位のこの本を読んでみた。

(ここから先は、もしもこの本をこれから読もうとする方はお読みにならない方が良いかもしれません。ちょっとネタバレします。)

厳格な祖母に幼少期を育てられた少年のもとに死んだと言われていた母が帰ってくる。

母はクリスチャンで、厳格な祖母はクリスチャンであることを止めるか家を出ていくかどちらかにしろと迫り、母は自分の子を置いて家を出たのだ。

このあたりからして私は、自分の子どもより宗教の方が大事なのかと違和感を覚えた。
確かに家を出ても子どもには会うことは出来るだろうけれど、この母は祖母が死ぬまで一度も子に会いに来ていない。

青年となったこの息子は、自らの命と引き替えに多くの人の命を救うのだが、その時にこの母は、
「息子の死は悲しいけれど、これほど多くの人に感謝され祝福された死はないのだから嬉しい」と語る。

逆だと思うのだ。
「多くの人に感謝され祝福されたことは嬉しいけれど、こんなに悲しいことはない」というのが親というものだろう。

人は何のために生きるのか。
人のために生きるというのは立派なことだ。けれどわたしはこの本からは、そのようなメッセージを受け取ることは出来なかった。
まるで宗教のために生きているような印象を受けた。

物語の主人公は実在の人物だそうだ。
それを思えば、ここまで他人のために尽くすことが出来るのかとある種の感動もあったけれど、宗教に対する嫌悪感もしっかりと残ったのも事実だ。








とある小さな会社に飛び込み営業をした時のこと。

もうずっと昔のことだけれど、その時、担当者と名刺交換して懸命に営業トークをしていたら、衝立の向こうからサンダル突っ掛けたお爺さんが出てきて、
「アンタ、○○さんかい?」と私の名前を言った。

この会社を訪問したのも初めてだし、当然そのお爺さんとも面識はなかったから、わたしが「はい、そうですけど…」と戸惑っていると、

「○○さんの若い頃そのままだ!」 と、そのお爺さんも驚いていた。

声や話し方が似てると感じ出てきたら、顔までもが私の父の若い頃にそっくりだという。

そのご老人はその会社の社長さんで、かつて父と一緒の職場で働いていた事があったのだそうだ。
しばし二人して驚嘆しあっていた。39e62977.jpg


そんな事を、この本を読みながら思い出した。


物語は血の繋がらない兄と弟のはなし。

血の繋がらない兄の方が今は亡き父親似で、血の繋がる弟は少しも父に似ていない(母は昔のお父さんそっくりだ、と言うのだが)。

ひょんな事から弟が、父のものらしき遺言を見つける。
しかもそれは、どうも自分が知る父とは別人のもののようだ。
弟は自分の本当の親が他にいるのではないかと探索し始める。


「ラスト100ページは涙無しでは読めない」という書評につられて買ってしまったけれど、“涙無し”というよりは、爽やかな余韻が残った。


子どもの頃、いつも「お母さんにそっくりね」と言われていた私は、大人になるにつれ親父にそっくりになってきたようだ。

私には、両親二人の血が混じっている事は間違いないな、きっと。










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肩に朝日を浴びる剱岳(つるぎだけ)です。

我が家の愚息2号が幼稚園年長組に入った頃から、家族で山登りを始めました。
「始めた」と言うと如何にも家族全員同意のうえのようですが、当初は私が強制的に山へ連行するような登山でした。

愚息たちに自然の素晴らしさを知って欲しかったのですが、幼稚園、小学生には結構な強行軍もあったので、果たして父の意図することを感じ取ってくれたかは甚だ疑問符が残ります。

目的地目前にして小川の橋が壊れていて、細引き(細い縄)を身体に結んで万が一に備えた2号をジャンプさせたら、ものの見事に川にダイビング! 
桃太郎の桃のごとくになる前に引きずり上げましたが、その後2号は、精密機械が水に浸かり壊れてしまったように動かなくなってしまいました。
ぎゃー、ギャー文句を言う2号をなだめすかして歩いていたその時にも、この剱岳が顔を見せていました。

この剱岳がある山域は殆どの山を走破したのですが、この剱にだけは登っていません。
2号が小学校に進学しても山登りは続けていましたが、登るには早すぎる山だったのです。

時にはウンともスンとも動かなくなってしまった2号を、ザックの上に乗せて下山してきた時もありました。

いつかはこの剱岳も制覇したいと思っていたのですが、1号も2号も私を連れて行ってくれるような気配はとんとありません。
悲しいかな、わたし自身の気力も体力もこの山を登り切れる自信が無くなってきています。



来月6月20日から、新田次郎原作の『劔岳 点の記』がロードショー公開されます。

せめて映画でも観て溜飲を下げようかと思っています。


上の写真を撮ったとき、ちょうどこの映画のロケ隊が下山した直後だっただけに、去年から楽しみにしていた作品なのです。
原作とはまた違った感動を与えて貰えたら嬉しいのですが。








一昨日、NHKホールへ。

『天皇・皇后両陛下 ご成婚50周年ご即位20周年 記念コンサート』のチケットを戴いたので、有り難く馳せ参じた次第。

NHK交響楽団は、一度生で聴いてみたかった。4e263380.jpg

それに加えて、指揮者に外山雄三氏、ピアノに中村紘子、ソプラノの佐藤しのぶ、テノールの佐野成宏、ハープ奏者の吉野直子、フルート・高木綾子、ヴァイオリンの神尾真由子とそうそうたる面々。

その豪華ゲストたちの持ち味を存分に出してくれた選曲にも大満足の、素晴らしい2時間だった。

かれこれ10年以上も『紅白歌合戦』を観ていない私は、このNHKホールに入るのも初めて。
意外と小さいんだな、と感じた。

しかし実際には結構大きいようだ。
ちょっと見辛いけど、写真の右側に写るパイプオルガンの大きさを鑑みれば、そうとう大きいのかもしれない。
狭く感じたのは、座った席が3階だったからかも。

この写真撮影中に「撮影は禁止です!」と案内嬢に怒られた。
わたしゃ、ちゃんと「公演中は撮影禁止です」って聞いていたから、公演前に撮影していたのダ!
NHKでアルバイトすると、アルバイターにもNHK気質が伝播するらしい。豚インフルエンザには、くれぐれもお気を付けください。


ここまで読んでいただき、タイトルの意味が判らないでしょ?
昨日、少年サッカーのお手伝いに出向いたグランドで、
「タカラガイさん、昨日NHKホールの前を歩いてましたね」と言われたのだ。

誰にどこから見られているか分からない。
誰も見てないだろうからと、酔った勢いで裸になってはいけません。常日頃から自分の行動に責任を、というオチでした。








『告白』なんてタイトル付けると、なんかドキドキしちゃうのですが小説のタイトルですので悪しからず。

今年、本屋大賞を受賞した湊かなえの書き下ろしです。

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「事実は小説より奇なり」なんて言葉があるけれど、この小説に関しては、やっぱり“小説は事実より奇なり”でした。

中学1年生の3学期も終わる最終日、担任がクラス全員を前にして自分の子供が殺されたと明かします。
しかもその殺人犯はこのクラスの中にいる、と。
物語はここから始まります。
刑事コロンボの展開を思い出させます。

ストーリーとしては、これほど読者を惹きつける展開はないので、私も読み進む内にのめり込んでいました。

しかし読後感はこの本の多々ある評価にあるように、確かに賛否両論別れるだろうなぁ、と感じました。

女性ならではの文章使いは、ワインに例えるなら、当たり年のボージョレーヌーボーのよう。
これから作品を発表するごとに熟成してきそうな予感はします。

でも、これだけ“奇”なストーリーでデビューしちゃうと次回作は苦労するだろうなぁ、なんて素人が「余計なお世話」な想像もしちゃいました。

さて、賛否両論別れる作品。私は敢えてどちらか決めろと言われれば“否”でした。
あなたはどちら?






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最近は(海に)潜ってばかりですが、その昔は(山に)登ってばかりいました。
「○カと煙は登りたがるものだ」なんて、自分たちで笑ってました。
山の頂上から下界を見下ろす、あの快感がたまりませんでした。

最近はひたすら潜ってます。
冬はコタツに潜り込みますが、あの温もりがダイビングにはあるのですね。
(時には寒さにガタガタ震えることもありますが)

で、この人。

高野秀行氏は“潜り込む”を通り越して、まさに地の割れ目(シワ)に身体を滑り込ませます。時には火山灰を布団代わりにしてパンツ一丁で野宿したりもします。
初デートの場所も地底だったというから、筋金入りです。
というか、それしか自信の持てる場所が無かったわけですね。

そういえば私も、初だったか二度目だったか定かではありませんが、デートの際に野っ原のヤブ漕ぎを、彼女に強いた記憶があります。

高野氏の初デートも私のヤブ漕ぎデートも、結果は想像の通りでありまして…(泣)。
男とはなんと、不器用な動物なのでしょうか。

かつて読んだ高野氏の『アヘン王国潜入記』は、かなりシリアスな内容で、ワクワクしながら読みましたが、こちらは爆笑裏話満載です。
『アヘン王国潜入記』の、その後の爆笑エピソードも出てきます。

そんな死の淵(ちょっとオーバーですが)を覗いた後の、バカ話に大笑いしす。
彼の度量の大きさゆえに過去の話し、随想録とはいえ、シリアスな状況をも笑い飛ばせるのだと、まさに感服の作品です。









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ちょっと暇つぶしに書店に入って目に止まったので購入したのだけど、残念ながら半分ほど読み進むうちに嫌になってきて読破出来ませんでした。

お話しの内容はとても面白い(未知の世界だし)のだけど、生理的にどうしても私には受け入れられないのです。

南極観測隊に帯同したコックさんのお話なんですが、その料理の具材があまりにも立派で、なんでこんなものまで(苦労して)持っていくのか? と疑問に感じてしまったからです。

確かに平均気温がマイナス57℃、最低気温マイナス80℃にも達する、ウィルスさえも生存できないような過酷な地に1年数ヶ月間も勤務するのだから、食事くらいは贅沢しても……、とは思うのだけれど、その資金ってどっから出てるの?

しかも雑誌社の同行カメラマン以外は、基本的に本人の意思でこの仕事に就いたわけで。(こんな仕事を今どき強制的にやらせたら訴えられますね)

私も学生時代、冬山に登ってカキンコキンに凍ったおにぎりを頬ばった(ガリガリと削り喰った…の方が近い)経験があるけれど、それはそれなりに(あの時は)美味しかった。
過酷さで言ったら比べものにはならないけれど、自分の意志でやってることだから文句の出ようがないのです。

西村氏がアッケラカンと書いているので、読み流してしまうとグルメ旅行記なんじゃないかと思われるのだけど、状況をイメージすればその過酷さは想像を絶していることも事実です。
でも、それを体験したくて彼らは(再び)自分の意志で彼の地に赴いたワケで……。

粗食に甘んじろ! とまで言う気は無いですが、ちょっとなぁ、な内容でした(半分しか読んでないけど・汗)。

手抜き料理をいかに美味しく食べさせるか、を知りたい方には参考になるレシピが随所に書かれていますので、この一冊が重宝することは間違いないでしょう。







昨夜『オーストラリア』、観てきました。チケット戴いたもんだから(汗)。
実際、観たい映画だったのでチケット戴いたときは、とっても嬉しかったのですが、残念ながら作品はいまひとつ。
チケット贈ってくれた方には申し訳ないですが、その人が創った映画ではないので、感想を正直に書きましょう。

まずテーマが曖昧。ラブロマンスなのか人類愛なのか、人種差別や反戦など盛り沢山で、結局何を言いたいのか判然としない。
素晴らしい俳優を起用してるのに演出も物足りない。せっかくのオーストラリアという広大な舞台を使い切っていない。e.t.c…。

と、これではボロクソですねf(^_^;)  でも、いい男(ヒュー・ジャックマン)といい女(ニコール・キッドマン)見てるだけで充分と言えば充分ですけど。子役も可愛くて上手だったし。

………閑…話…休…題………


私の好きな映画のひとつに『ニューシネマパラダイス』があるのですが、昨年、スカパーで放映された際に、トトことサルヴァトーレが30年ぶりに故郷に戻り、そこで初恋のエレナと出逢うシーンがカットされていました。

あの場面をカットしちゃったら、ラストシーンでサルヴァトーレがアルフレッドの形見の継ぎ接ぎフィルム観て、なんで微笑むのか意味が判らんだろうに。
楽しみにして観ていたのに、超ガッカリでした!




実はかみさんに、自分の臨終の時にはこの『ニューシネマパラダイス』の曲を流してくれと頼んでいます。

死に際にして家族や友人との想い出、訪れた色んな国や島や山を思い出しながら死ねれば最高だと思うのです。
この曲で想い出せるかは甚だ疑問ではありますが…f(^_^;)

残念な事は、少なくとも継ぎ接ぎのフィルムのようなラブシーンやロマンスは、悲しいかな思い出すことは無いでしょう。
経験の無い事は思い出しようがありません落ち込み



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作者自身のまえがきに、
「(前略)長くはなってしまったが、どうか、このおもしろさに免じて許していただきたい。(中略)
いいなあ。まっさらな状態でこれが読めるなんて。
あなたのことが、ぼくは本当にうらやましい。
作者が本気で読者に嫉妬しているのであります。
」とあって、なんとも凄い自画自賛ぶりだf(^_^;)

この作品を完成するに10年もかかったのだそうだ。
確かに膨大な資料を紐解きながらこれを4巻にまとめるというのは、大変な作業だと思う。
昔のマラソン・ランナーじゃないけど、まさに脱稿後は「自分で自分を誉めてあげたい」心境だったであろうと思う。

私が読んだ過去の書籍の中からベスト10をあげろ、と言われたら、この作家・夢枕獏の『神々の山嶺』が絶対に入るので、この作品もちょと期待して読んだ。

確かに面白かった。作者自身も後書きで書いているように、作者の筆がどんどん走っていくのが手に取るようにわかる作品だった。

それ故に格闘場面はもの凄い迫力で伝わってくるのだけれど、走る筆に任せっきりにしたようなところもあって、構成的にはちょっとなぁ、な箇所もあった。それでも面白くて一気に4巻読了してしまったのだけど。

格闘技の世界、特に日本の伝統的な武術(この作品では柔道)を歴史的に紐解いて小説にしたら、全20巻くらいの大作になってしまうのだろう。

この4巻は“天の巻”となっていて、いつの日かこれに続く“地の巻”を執筆したいと筆者は書いていたけど、是非とも次作に期待したい。

高校時代に同級の柔道部員から、柔道部に入部しないかと誘われたことがあった。

たまたま、体育の授業で柔道を選択したのだけれど、その理由は中学時代に柔道着を買って持っていたので、それを使わないのはもったいない…という単純な理由だった。
中学時代に基礎を習っていたのだから、当然と言えば当然なんだけれど、他の未経験者よりチッとは上手く受け身も投げ技も出来たわけで、それを見た柔道部員が私を勧誘したのだった。

しかしこの小説を読んで、あの時柔道部に入部しなくて本当に良かったと思った。
腕ひしぎ十字固めで肘のじん帯がブチブチと切れる場面など、読んでるこっちの方が気絶しそうなくらい痛そうな描写がてんこ盛りなのだ。









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私が小学生2年か3年の頃。
確かクリスマスだったと記憶するのだけど、何かの音楽に合わせて私が踊り、それにつられて父も踊り出しました。

私の父は水泳はおろかキャッチボールも出来ない超運動神経オンチだったから、それは踊りというよりは操り人形が飛び跳ねているような図で、母も私も笑い転げました。
肝臓に病気を持っていて、コップ半分ほどのビールでも酔っぱらうほどの父でしたが、もしかしたらこの時は、特別な日だからと少したしなんでいたのかもしれません。

ところが父はウケを狙ったのか踊りながら、「キンタ○がブランブランする」と言ったのです。

今だったら大爆笑したであろうそのセリフは、当時の私には不快な言葉でしかなく、一気にシラけてしまって突然ダンマリを決め込みました。
父は何が何だか判らず、さぞや困った事でしょう。

それ以来なのか、年を重ねるに連れて誰もが通る反抗期に突入したのか、私にとっての父はそれ以降、反面教師となって存在するようになりました。


この森浩美の『家族の言い訳』は短編集(全8作品)なのですが、その一編に以下のようなくだりが出てきます。

貧しい家に育った主人公は苦学し若くして税理士になります。金もそれなりの社会的地位も得ました。
学生時代から母との接触を拒んできた彼は、入院した母の病室の前で、母と妻の会話を立ち聞きします。
子供の頃に空きビン拾いをして酒屋に売ったお金で、彼は母の日に口紅をプレゼントしたのですが、その母は一度使ったきりで「もったいない」と使用せず、以後ずっとお守りとして大切に持っていたのです。

その言葉に彼は、親不孝していた自分に気が付きます。
━━━━少年だった私の方が、何倍も母を喜ばせていたと思うと、
急に今の自分がちっぽけな人間に感じられた。━━━━



私も父に何かプレゼントをしたことはあったとは思うのですが、何をあげたかすら思い出せません。

結局その肝臓の病で少々早く他界してしまった後に、私は初めて反面教師どころか父のとてつもない大きさを知りましたた。そして、何も孝行らしい事をしてあげてなかった事にも気付きました。

父は少しでも私との、出来ることなら楽しい想い出をもって旅立ってくれたのだろうか、とこの作品を読んで悲しくなってしましました。

この世に居なくなってしまってから言い訳しても遅すぎますね。





来月、父の13回目の命日がやって来ます。














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 ロレッタ・ナポレオーニ著、田村源二訳『ならず者の経済学』(徳間書店刊)。

表題にあるように今の世界経済状態にしたのは誰か……という話しなんですが、結論から言えば先進諸国消費者の無知さが招いた結果……という事でしょうか。

21世紀に入ってから奴隷の数は増え続けているそうです。そして彼らの労働力によって得られた物資が、いま世界中のスーパーマーケットに並んでいるそうです。

また東欧諸国の共産主義崩壊によって、東欧では売春が激増しているとも記されています。一部の特権階級だけにお金が集まるシステムになったからです。

何にしてもこの経済危機は「100年に一度」らしいですが、100年前と言えば日本は明治時代。
その後、日本は戦争に突入したわけですけど、終戦直後の日本経済より今の方が酷い、ってことでしょうか? そんなワケ、無いでしょう。
戦争を知らない私にとっては、確かに“みぞゆう”の経済状態ではあると思いますけどね。

かつて私に「金を得る方法は3つある」と教えてくれた人がいました。


それは、
1.汗を出す(汗をかく=労働力を提供し金を得る)
2.知恵を出す(アイディアを提供して金を得る)
そして、
3.金を出す(資本家となって金を得る)  の3つでした。

またNHKの各界著名人が自分が卒業した学校で授業をするという番組で、ある人が小学生相手にこんな事を話してました。
「お金を増やすにはどうすれば良いと思う?」。
その答えは、

1.支出を減らす
2.収入を増やす
そして最後、3つ目が、
3.資産化する(資産にして金を生ませる)

今では「よくそんなこと小学生相手に話したな」とは思いますが、当時、その番組を見た私は、まさにその通りだと感じていました。

でも結局その発想の行き過ぎた部分、多くの人が夢よりも欲、自由よりも金を求め、それを一部の特権階級(ならず者)が利用した結果なのだろうと思うのです。









私は子供の頃から、どちらかといえば犬派です。
中学生の時に友人に誘われて伝書鳩を飼った際に、野良猫に大切なハトを何羽か殺され、以来、完全に犬派になりました。4fd2ad87.jpg


ところがここ最近、「ネコも良いかも…」と感じるようになってます。
あの、勝手気ままさが犬の従順さよりも気軽で良いな、と思うのです。
従順なのは嬉しい限りですが、それが重荷に感じられる時もあるのです。

この岩合光昭氏の『旅行けばネコ』(新潮文庫)を見てると、つくずくネコの気ままさが伝わってきて、ネコには旅人の原点があるかもしれない、などど思えてきます。

実際、日本を出ると犬よりネコに会う方が多いように感じます。
フィリピンやインドネシアあたりでは犬の方が多いように思えますが、彼らの殆どは皮膚病を患っていたり、下手をすると狂犬病だったりと、やたらと近づけません。
ひどいのになると吠えて威嚇してくる犬もいます。

そんな時、外国のネコは日本のネコと同様に機嫌が良ければゴロニャンしてくるから可愛いものです。

色んな島に行きました。
モルジブ、エルニド、テニアン&サイパン、そしてモアルボアルにコスメル。
思い返すに全ての地でネコに会った記憶はありますが、犬にあった記憶はモアルボアルとテニアンだけです。

この著書(写真集です)を読んでると、何処に行っても順応出来るのがネコなのだと思えてきます。



ちなみに友人が飼っているネコです。↓

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↑モデル=カイくん(出演料ナシ!)




この態度、まさにネコの本領発揮です!






かつて編集の仕事に就いていたときに、一般の声を表罫(一番細い線)のカギカッコでくくり、タイトルにしたことがあります。

ちょっと見にはカギカッコが見えないので、いかにも編集部の統一見解といった感じの見出しになりました。5e136fb7.jpg

けれどそのタイトルは、編集部の言葉とするには少々過激すぎたのです。
そこでカギカッコをつけて、何かの時には「アンケート調査による街の声だ」と逃げるためでした。

まさに作為的編集です。(編集担当は技巧的編集と言うでしょう)

この著書で上杉氏は日本のジャーナリズムの大きな矛盾と、そのあり方に疑問を投げかけています。

客観的事実を謳う報道の欺瞞性も取り上げています。

確かに100人に意見を聞き、その一部の反対意見だけを表に出せば、それを読んだ(聞いた)人々は、メディアに信頼を寄せていれば一般的な意見なのだと勘違いすることでしょう。

閉鎖的な記者クラブの姿も書かれていますが、その既得権益を守りたいならば全ての記事を署名原稿にするべきと私も思います。

記者自らが文責を担うべきだと思います。
そして記者自らが意見を堂々と述べるべきでしょう。

そして私たち一般人は、マスコミや大多数の意見を鵜呑みにすることなく、記者同様に自分の考えをきちんと持つべきだと思うのです。

納豆がダイエットに良いとテレビで報じられれば納豆の買い占めをし、その大豆が○国産で危ないと聞けば、納豆全てを口にすることも無くなり、バナナがもっとダイエットに良いと噂されればスーパーに走る………。

ホラ、そこのお母さん。次はキュウリですよ、きっと。








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