タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

カテゴリ: 読書&音楽&映画

昨日、東京都知事選投票行ってきました。想像していた通りの結果になって、正直とても残念です。
そもそもメディアは何で小池、蓮舫、石丸、田母神の4人しか取り上げなかったのでしょう? その4人だけが立候補者のようでした。確かにどうしようもない輩もたくさん出てきてはいましたが、まともな政策を実行してくれそうな人、他にいましたよ。私が支持した候補者なんか一度も取り上げられなかったんじゃないかしら? 

先週末の土曜日は、チケット頂いて新宿の末廣亭に行ってきました。故・桂歌丸師匠の七回忌追悼公演でした。桂歌丸の弟子たちや神田伯山、神田松鯉などなど、そうそうたる出演者でした。
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寄席は何度か観てますが、末廣亭は初めてでした。

たまには寄席も良いものです。
がしかし……。夕刻になって突然の雷雨。その雷の音が凄まじいのです。噺家さんが落ちの部分に差し掛かった時に、ガラガラ、ピシャ~ン! と雷鳴が鳴り響き、肝心の落ちが聞き取れない。それをまた笑いネタにしちゃう噺家さんの話術に聴き惚れました。




これまでゴールデンウィークを自宅で過ごすことは無かったのだが、コロナ以降、これで4度目(?)の自宅での連休だった。
それでもゴルフに行ったり、「いつかは行ってみよう」と言っていた大型店舗に出向いたり、何やかやと連休は忙しかった。
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そんな中の一日。映画『パーフェクトデイズ』を観てきた。賞を取るだけあってそれなりに面白かった。で、不思議だったのが木漏れ日を使った演出。日本人的にはとても分かりやすい比喩だと思うけど、監督さんはドイツ人。ドイツの人の感性って日本人に近いのかしら? むかし大学の教授がドイツ人を招いた時に秋の虫たちの〝ジー、ジー、ジー〟とか〝リンリン〟と鳴く声を「あのノイズは何のノイズだ?」と聞かれて驚いたと言っていたことを思い出した。虫の鳴き声はノイズと捉えても、木漏れ日に日々の営みを重ね合わせるって、ちょっと私には意外だったのだ。


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先週末、知り合いの社長さんから「今陽子のリサイタルがあるんだけど、いかが?」とのお誘いを受け行ってきました。この社長さん、今陽子さんとお知り合いだそうで、前回(コロナ前)も誘われたんだけど、その時は生憎別の用事が入っちゃっていて行けなかったのでした。

ピンキーとキラーズ結成55周年なんだそうです。で、今さんは御年71歳。いや~、お若い! 若干、高音域が出なくなっているように感じましたが、まだまだ声量もあって、およそ71歳とは思えない素晴らしい歌声でした。わたし的にはジャズやブルースなんかを期待していたのですが、CMソングのメドレーや懐かしのピンキラ時代の曲をアレンジして歌ってくれたり、とても楽しいひと時でした。

講演後はその社長さんの仲間ってことで一緒に記念撮影もしてくれました。次回も楽しみにしています。
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先日、ラジオを聴いていたらなんとも心地よい歌声が流れてきた。その声もきれいだし歌も上手だし、なんていう歌手かとMCが読み上げた名前も聞いていたのだが、3歩も歩かずに忘れてしまった(;^_^A ニワトリ以下だ( ノД`) いや、覚えられなかったのだが。

アイスランド出身ということと、女性シンガーであることだけはなんとか頭に残っていたので、仕事の合間にググって見つけ出した。Laufey というシンガーだった。アイスランド読みでは〝レイヴェイ〟と発音するらしい。
お母さんが中国人でバイオリニストであったため、子供の頃から色んな楽器を習得していたらしい。そしてジャズ好きのアイスランド人の父親の影響もあったそうな。マッ、そんなことよりアタシが驚いたのは彼女がと~っても可愛いかったのだった。
ひと目で大ファンになってしまった。来日コンサート、してくれないかなぁ。



ジャズのスタンダードナンバーもいろいろ歌っているので、興味抱いた方は是非ともYouTubeで検索して聴いて欲しいのだ。

かつて近所にちょっと立派な病院があったのだが、いつの間にかそれは区の福祉サービス施設になっていた。昨年、その施設に初めて入った。コロナ・ワクチンの集団接種会場となったからだ。
ワクチン接種を終えて施設を出たら、なんか読みづらい碑があった。

コレ↓
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読みづらいので転記。「茂吉われ院長となりいそしむ 世のもろびとよ知りてくだされよ」と書かれている。この地はかつての〝帝国脳病院〟、のちの〝青山脳病院〟分院(のちに本院になる)があった。この病院の2代目院長が斎藤茂吉(小説内では楡徹吉)で、この小説の作家・北杜夫はその徹吉の子息にあたる。
nireke2北杜夫といえば『どくとるマンボウ』シリーズが一番知られていると思うけど、私は彼の作品を読んだことがなかった。この『楡家の人びと』に我が家近所のことが頻繁に出てくるというので、初めて彼の作品を読んだ次第なのだ。
確かに我が家から徒歩数分の範囲内の事が、それも大正時代初期のころの事が書かれていて、ちょっと興味深く読んだ。疎開先として、かつて登ったことのある長野県の王ケ頭あたりのことが書かれていたのも、なんか嬉しかった。
しかし正直言って淡々と楡家とその親族たちの歴史が書かれているだけで、作品としてはどうだかなぁ~? 第二次世界大戦に突入したあたりからの描写は引き込まれるものがあったけど。
読後、ビビアン・リーの映画『風と共に去りぬ』を思い出しちゃった。
作品内にも出てくるけれど、77年前の今日、3月10日は東京大空襲が始まった日だ。この日からの数日間で東京は焼け野原になったのだった。

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他にも見ていたのかもしれないけどダイビングを始めて間もないころに、初めて教えてもらってじっくりと観察したウミウシがこのアカフチリュウグウウミウシだったような気がする。なんとも派手なこの色合いがしっかりと記憶に残ってる。(写真は2019年、リロアンにて)

それはそうと、神保町の岩波ホールが今年7月末で閉館になってしまうそうな。
学生時代、何度か足を運んだ。『木靴の樹』や『旅芸人の記録』、そして『ブリキの太鼓』もここで観たのではなかったかと思う。
斜に構えていた時期で、仲間と難解な作品を観、そして近くの喫茶店で互いの感想などを熱く語り合った。ところが今だから白状するが、アタシには観た作品の半分近くが理解出来なかったのだ。しかし「わかんな~い」なんて言おうものなら、なんか馬鹿にされるような、見下されるような気がして決して言わず、さも感動したような面持ちで皆の寸評に耳を傾けていたのだった。
何年か前にレオナルド・ディカプリオの『インセプション』を観たとき、帰りのエレベーターで一緒になった老夫婦が「なんか、よくわからんかったなぁ」と会話してた事があったけど、まさにアタシにとって『木靴の樹』や『旅芸人の記録』がそれだった。
そういやぁ、渋谷のNHKの近くにA to Zシアターってのがあったけど、あそこはまだ営業してるんだろうか? 最後尾の座席がちょっとしたテーブル席になっていて、お酒も飲めるので何度か行ったことがあった。鈴木清純監督の『ツィゴイネルワイゼン』観たのは確かそのシアターだったと記憶するのだが、お酒のせいではなく、この作品も私の頭脳では理解できなかったなぁ。

採算度外視で映画通好みの作品を上映してた岩波ホールが無くなることは、きっと悲しむファンも多いだろう。

映画館に足を踏み入れたのは、およそ2年ぶりかしら? いや、それ以上かもしれない。そもそもあまり映画館で鑑賞すること自体が少ないのに、コロナのせいでもっと足が遠のいてしまっていた。
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今回観に行ったのは石川梵監督の『くじらびと』。インドネシア南東の外れ、東ティモールにほど近い小さな村の鯨漁を永年撮り続けてきたドキュメンタリー。記録映画ではあるけれどストーリー性が高くて、人間のあるべき姿や自然との共生など、いろいろと考えさせられた。
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昨年の5月、コロナがなければこのロケ地に近いアンボンで潜る予定だった。アンボンには何度か行っていて現地の人々の生活なども垣間見ていたけど、ダイビングしていたちょっと先の村で、このような漁業だけに頼った村があるとは驚きだった。
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たまたま鑑賞したその回で、石川監督が舞台挨拶に来ていた。撮影秘話などを話してくれたあとでサインを頂き、記念にツーショット写真を撮らせてもらった。サインをもらうことはあっても一緒に写真に収まってもらうようなことは滅多にしないのだけど、感動して興奮していたのかいま思えばちょっと恥ずかしかったな。

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またまた昔撮った写真で恐縮ですが、アイガー北壁です。で、これまた昔の映画なんですが、クリントイーストウッド監督・主演の『アイガー・サンクション』はこのアイガー北壁を舞台にした映画で、ストーリー的にはイマヒトツだったけど、クライミングシーンは観ごたえあったと記憶に残ってます。

さてさて話はいつものごとくピョ~ンと飛んじゃうんだけど、ネットフリックスの『イカゲーム』がなんでも空前の大ヒット中なんだと。新聞でも世界中でヒットしてるって記事を読んだし、先日はラジオでも取り上げられてた。世界80ヵ国で視聴1位なんだそうな。
で、そんなに人気があるならとアタシも観てみた。が………、ダメだった。
なんかどっかで観たような聞いたようなストーリーだし、グロな演出は許せるにしても、そもそも物語の展開が変。細部において辻褄が合わないのだ。結局、2話か3話目で脱落してしまった。

前にも書いたが、『鬼滅の刃』もその昔に大ヒットした『ワンピース』もアタシにはどこが良いのか理解できんかった。途中で飽きて最後まで観てないので、もしも最後まで観ていれば感動したのかもしれんけど。
アタシって、ヒョッとして感性ズレてる?

頭から尻まで、全て空想&創作によって書かれたものもあるけど、多くの文章が〝事実〟をもとに〝主張〟されたものが多い。これが筆のたつ人の手にかかると〝主張〟部分も〝事実〟と思わせるようになる。hitosinseiそれ故に文章を読むときには注意も必要となる。思考停止状態で読んでいると、主張も事実なんだと勘違いしてしまう恐れがある。特にネットの中のものは重々注意して読まないと、事実と思わせるガセがゴロゴロしてるから、それをもとにした主張などは超危険な存在だ。

さて久しぶりに読後感想などを。
なにやらこの本かなり人気らしく、何人かから「ひと新世の資本論、読んだ?」と言われた。
昨年コロナで外出自粛要請が出た時に、数冊まとめて購入した中にこの一冊も入っていて、で、読了したのは3か月ほど前。
いま流行りのSDGsに端を発して(筆者はこのSDGsをこき下ろしてる)、気候変動や格差問題を解決するにはマルクスが晩年に辿り着いた思想に解決策があると。
私はそもそも『資本論』を読んでいないので比較のしようもないのだけど、気候変動も格差社会もすべて現代の資本主義が招いたことだと書かれている。
結論として脱成長を掲げたコミュニティ単位での活動がそれらの問題を解決してくれるという。

読んでみれば確かにその通りであるとは思うけど、それを実現するのはかなり難しいだろう。それでも今の世界を見渡せば、やらないわけにはいかない。
読んでおいて損のない一冊です。


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昨夜、いつものことだけど見たいテレビ番組も無かったので録り貯めしていた録画映画を観た。暗殺のターゲットになったアメリカ大統領を勇敢な護衛SPが助けるというお話し。
単なるアクションもので、ストーリー的には特にどうってことの無い内容だったのだけど、見ていてフト思った。アメリカ映画では大統領を助けるとか、大統領自らが危機を抜け出すとか、国民が大統領を尊ぶとかそんな内容の作品が多いけど、日本の映画でそんなのあったかしら?と。
松山英樹が優勝したマスターズ観ていた時も感じたけど、最終ホールに歩いてきた松山英樹をスタンディングオベーションするアメリカ人の姿にその国民性が現れてるんだろう。団結力とか一体感とか、日本人にはない強い協調性を感じる。トランプさん以降、国民の分断が進んでいるようではあるけれど。
さて映画の話に戻るけど、日本の総理大臣を日本人が命を懸けて守り抜く…なんて映画、見た記憶がない。その人の軌跡とか歴史を物語にした映画はあったけど。

私の生きているうちに「日本国のために、この人は命に代えても守らねば!」という総理大臣は現れてくれないものかしら。無理だろうなぁ。かれこれ20人以上も歴代総理の姿を見てきたけど、悲しかな一人もいない。

写真は青森県の津軽富士見湖の夕景。

昨日の朝、出がけにかみさんが「シャンパン1本二人で空けられるかしら?」と。「ソウカ、くりすます・いぶダカラダナ」とすぐに合点がいったけど、今までそんなこと聞いたこともなかったし、やったこともない。クリスマスツリーだって飾ったのは愚息たちがまだヨチヨチの頃に1回か2回。我が家はクリスマスとは無縁の家だと思ってた。しかし、今年はほぼ連夜アタシがまっすぐ帰宅してるからだろう。
帰宅途中、地元のケーキ屋さんは長蛇の列だったし(ちょっと有名なケーキ屋さん)、その数軒先のハンバーガー店では赤い衣装をまとった店員さんが呼び込みしてた。

夕食となりシャンパンを開けて「カンパ~イ!」っていったい何に、誰に乾杯なんだろ? アタシャ仏教徒ではないけれどクリスチャンでもないぞ。マッ、いっか  余計なことは考えんでおこう。

ちょっと素敵なクリスマスソングを教えてもらったのでアップしとく。まさに今年のクリスマスだ。


行きたい都市がロンドンにミューヨーク、そして日本(東京じゃないのか?)ってのが、ちょっと嬉しい。

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ちょっと前にラジオでゲストが『バタフライエフェクト』という映画がとても面白いと絶賛してたので、なんかアタシも観てみたくなってアマゾンでDVDを買い求めた。購入の際にお届けに2週間ほどかかると表記されていて、その時点で「なんか変だなぁ」とは思ったのだけどポチッとした。
で、2週間後DVDはちゃんと届いたのだけど我が家のレコーダーで観ることが出来ない。ひょっとしてDVDではなくブルーレイ購入しちゃったかも…と思ったのだがそうではなかった。要は海外のDVDだったのだ。
どうやらパソコンでなら観ることが出来るらしい。しかし………。きっと日本語吹き替えはおろか、日本語字幕も無いんだろうなぁ。英語のセリフ聴きながらで、果たしてストーリー理解できるだろうか? 語学力の乏しさが恨めしい。

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鯉のぼり状態で潜降。@ロタ島松運丸
吐き出す空気の泡が真横に流れてる。

『鬼滅の刃』が大ヒット中らしい。
先日、テレビ放映されていたので観てみた。………が、最後まで観ていられず寝てしまった。途中で飽きてしまったのだ。最後まで観ていればそれなりに面白さを知れたかもしれんのだが、最後までもたなかった。
そういえば、何年か前にやはりヒットしたアニメ『ワンピース』もちょっと読んでみたけど面白さが解らなかった。
アタシの感性、どっか壊れてるんかしら?

先週末は朝から雨。しかも寒くてなんか鬱を感じ入る日だった。そんなもんで、たまにはレコードでも聴いてみるかと(最近はラジオばかり)、久しぶりにレコード・ライブラリーを覗いてみた。学生時代に集めたレコードが200枚ほどコレクトされてるのだ。懐かしいアルバムなぞを聴きながら、コレクションを見ていたら、こんなのがあった。
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「中島みゆきのアルバムなんて買った記憶ないから、かみさんのものかな?」と思いつつ針を落としてみる。するとなんか音が変。このアルバム、LP版サイズなのに45回転再生だった。しかも表面と裏面に1曲ずつしか入っていない。
さらに驚いたのがスティービーワンダーとの共演だった。
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で、よくよく見ると〝見本品〟とある。記憶にはまったく無いのだけれど、これは前職時代、一時期音楽担当をしていたことがあったので、その頃にレコード会社からもらったものだろう。試聴版としてレコード会社からテープやレコードをよく貰っていた時期があったのだ。

「コレハたかくウレルカモシレナイゾ!」と思い検索してみたら、すでにヤフオクやメルカリに出品されてた。
残念ながら、そんなにレア物ではなかったみたい。

イタリアの作曲家、エンニオ・モリコーネ氏が亡くなったとの記事を見つけました。91才だったそうです。大腿骨を骨折し、その術後に容体が悪化して亡くなったそうです。
彼の作品が使われた映画は数多いけれど、一番有名なのが『ニューシネマパラダイス』なのかなぁ。私はアネット・ベニングとウォーレン・ビーティの『めぐり逢い』も好きだけど(←この話、過去に書いた)。
何にしても残念です。ご冥福をお祈りしつつ。





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ケショウフグ幼魚@アンボン

ケショウフグの幼魚です。小学3年生くらいでしょうか? 大人になってもこんな感じの模様が残りますが、体が大きくなっても目のサイズはほとんど変わらないので、成魚の方がひょうきんな顔つきになります。

子供の頃は先のことも考えず、ましてや自分という存在がナゼにあるのか?なんて哲学的なことなど想像だに出来ません。小さな子に「明日の予定は?」と聞けば、十中八九「?????」な顔になるでしょう。



子供たちがこんな内容(歌詞ですよ)を理解できるようになるまでには、かなりの年月を要します。アタシはこの年になってようやっとわかったような気がします。

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ホワイトダムゼル@リロアン・マヌリヴァ前

子どものころ、確か日曜日の19時だったと記憶するのだけれど、ディズニーの作品だけを放映する番組があって、毎週とても楽しみにしていた。特に動物の実写ものが好きだった。『三匹荒野を行く』とか『かわうそ物語』とか記憶に残ってるのだけど、もしかしたらディズニー作品ではなかったのかもしれない。
その後ディズニーは数多くのアニメ作品を作っているけれど、近年の作品は好みではなくて、とんとディズニー映画から遠ざかっていた。
それが先週末、実写合成の『ジャングルブック』をテレビ放映していて、ほかに見たい番組がなかったから何とはなしに観ていた。そしたらこれが面白かった! 子供には是非とも観てほしい作品だね。

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ジャングルブックを観る前に雨戸を閉めようとしたら空に綺麗なお月様が。あんまり綺麗に真ん丸だったので一眼レフ持ち出してきてパチリ。
この日、アメリカでは(?)この満月をStrawberry Moonとか呼んでるらしい。なんでイチゴなんだ?

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ミヤケテグリ@石垣島・ハナゴイリーフ

ミヤケテグリの生まれたばかりと思われる赤ちゃんです。体長1㎝ほど。100㎜マクロレンズで撮ってたんですが、あまり動かない子だったのでクローズアップレンズ(SMC-1)噛ませて撮ってみたらこんなカット撮れました。
クローズアップレンズ、被写界深度メッチャ浅くなるんでとっても難いです。
1.ウネリが無くて身体が揺れないこと
2.被写体があまり動かないこと
3.着底できてカメラをしっかり固定できること
が、アタシがクローズアップレンズ使うときの絶対条件です。
この条件が揃わないと、いくら〝下手な鉄砲数打ちゃ当たる〟方式でバシバシ撮りまくってカット数稼いでも、まともに写ってることは、まずありません。

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ニジエビス@奄美大島・赤崎

トガリエビスには何度か会ってるけど、このニジエビスには初めて会いました。

加計呂麻島でのダイビングは、前にも書いたけれど本島でもある奄美大島周辺で潜ることが多いようです。加計呂麻島周辺にもポイントはあるけれど、やはり至近であることとポイント数の多さから本島周辺まで出向くことが多いのでしょう。

私は本屋に立ち寄る機会があったら購入しようと、書評などで気になった本は携帯電話のメモ帳に記録を残しています。そのリストの中の一冊に島尾敏雄の『死の棘』がありました。sinotoge
その島尾敏雄が住んでいたのが加計呂麻島だったそうです。
本屋でブラブラといろんな本を手にとってみては、少しでも興味が向いた本をまとめて購入してます。しかし、この島尾敏雄の死の棘がなかなか見つからず、今までメモから消えることなく残ったままだったのですが、加計呂麻島に居たってのがとても興味深く、とうとうAmazonで注文してしまったのでした。
しかし、読破するのは辛かったぁ~。
自分の浮気がバレ、その浮気が原因で奥さんがノイローゼになるんだけど、その奥さんに責め立てられるたびに自殺しようとしたり、あげくには自分も発狂(のふり)したり、そんな描写がこれでもかこれでもか、と延々と続くのです。
正直、途中で捨てちゃおうかと思ったくらいなんだけど、加計呂麻島の人々に悪いような気がして読了しました。途中、何カ所か吹っ飛ばしたけど。
なんでも連載ものだったらしいけど、この作品が出来るのに十六年ほどかかったそうな。
Wikipediaによれば、この物語は自叙伝的なものらしいけど、十六年もの間(もしかしたらもっとかもしれないし、数年だったかもしれない)、こんな暮らしを続けていたのかしら? 私だったら間違いなく心中してるだろうと思う。

まぁ、何にしても暗い作品でした。こんなかたちの夫婦愛ってのもあるのかもしれんけど、私はこの作品、お薦めはしません。
加計呂麻島のあのノンビリとした島の雰囲気と人々を思うと、この作品とのギャップはどうにも噛み合わんです。

私は活字に対して敬意を表しているので、どんな作品であってもぞんざいな扱いは滅多にしない。けれど、この本だけは別。

読破出来なかった本は多々あれど、それはほとんどがストーリー展開が遅い、もしくはアタシの頭脳では理解できないかで、途中挫折した本だった(多かったのが村上春樹)。
jisanretuこの本は挫折ではなく、文章の稚拙さに耐えきれずに半分ほど読み進んだけど駅のゴミ箱に投げ捨てた。
そもそも物語自体が荒唐無稽なのだけど、それは良しとして、それならそれでどうしてもっとハラハラドキドキさせるか抱腹絶倒させるか出来なかったのだろう? ハラハラもドキドキも、ましてクスリともしなかった。半分しか読んどらんから偉そうには言えんけど。

本をゴミ箱に捨てたのはこれが2回目のような気がする。1回目は何だったか忘れたけど、捨てたことにえらく罪悪感を感じたことだけをしっかり覚えてる。
今回もちょっとだけ罪悪感感じながら捨てた。お金の無駄とは言わん。時間の無駄だ。同じ無駄を誰かにして欲しくないので捨てた。
これまでどんな本でも、仮に読破出来なかった本でも捨てることはせず、誰かにあげるか売るかしてた。

ここには基本的に良かった本、感動した本だけを書き留めたいのだけど、あまりにくだらない作品だったので備忘録として残すことにした。

何度か勧められ何冊か手にしたことはあるものの、結局どれも読破できなかったのが宮部みゆき作品だった。ダラダラと無意味な文章が続くことが多く、途中で飽きてしまうのだった。
gamouそしてまたも勧められ、躊躇したけども読み進み、なんとか読破出来たのがこれ、「蒲生邸事件」。この作品も、書かなくても良いだろう描写が多くて途中で何度か嫌になったのだけど、今回は頑張って読了した。
タイムスリップというありきたりなストーリーだけど、2.26事件にまつわる話しに興味があって、その部分に関しては苦無く読み進むことが出来たのだった。しかし、やっぱり無駄な描写があまりに多い。あとあとの伏線なのかと思いながら読んだのに、結局無駄な文章が長々と書かれていただけだった。
現代に戻ってから、過去で交わした約束の部分だけを書き膨らませていれば、とても素晴らしい作品になっただろうと思うのだけど、彼女にはそれだけの筆力が無いんだろう。それでも数多くの作品を発表しているってことは、宮部みゆきという作家は文章家ではなく、ストーリーテラーなだろうと想像する(ほとんど読んでいないから)。

宮部みゆきで何となく消化不良感が残ったので、久しぶりに藤沢周平の作品が読みたくなり「龍を見た男」を買ってきた。
これも藤沢作品に多い短編集なのだけど、さすが!と思わず何度も唸っちゃった。最後まで読み終え、そこに結末が書かれていなかったり(その後の成り行きを読者に想像させる)、男と女の所作を書き連ねているだけなのに、何故かその二人の会話が見えて(想像できて)きたりする。まさに全てを書かずして行間で読ませる藤沢氏の作風は、誰にでも真似の出来る文章ではないだろう。私もそんな文章が書けていたら、夢のような印税生活が送れるんだがなぁ……。

ryuここ数年、残念ながら色んな文学賞受賞作品をトンと読んでいない。いつの頃からかは忘れたけれど、たびたび期待を裏切られているからだ。本屋(古本屋ばかりだけど)に行っても、結局昔からのファンの作品しか手に取らなくなっている自分がいる。なんか寂しいなぁ。ガツン!と心に響く作品に巡り会いたい。

雑誌が売れなくなっているのも、記事を推敲すること無くただ単にページを埋める作業をしているからのように感じる。自分の作った本をお金を出して買って貰っていることを忘れて記事を書くからだと思う。

小説も雑誌も、書き手や編集者は「良い物しか出さない! 良くない物はメモ用紙にしてもらう!」くらいの気構えで上梓・出版して欲しいと思う。そんな気合いの籠もった作品が増えれば若者の活字離れも解消されるだろうに……と思う今日この頃。

人が集まって何かを成そうとするとき、こそには明確な目的が必要になる。しかし、その組織が歴史を刻むに連れ、その目的が形骸化してくることは良くあることだろう。
途中で抜けた時期もあったが、私も少年サッカークラブお手伝いを初めてかれこれ25年になる。

PTAさて。
本書は自分の息子が通う小学校からPTA役員を依頼されたパパの、そのPTA改革奮戦記である。
形にばかりとらわれてしまって本来の目的が希薄になり、依頼されることを懸命に避けようとするPTA=Parent-Teacher Associationを、もっと父兄父母が自主的に参画できるように機構改革し、PTO=Parent-Teacher Organizationに変革した、悪戦苦闘の記録だ。

ベルマーク集めを頼まれた主婦の、「お金を払うから辞めさせて欲しい」という言葉などは、そのPTAの硬直ぶりを端的に表している。拘束時間を計算すれば、ベルマーク集めるよりバイトした方がはるかにお金になる。
PTA役員になることから逃げるために、子供に居留守を使わせているうちにノイローゼになってしまったなどという話しは、思わず「そこまで思い詰めるなら受けてしまえば良いのに」と思うけれど、それほどまでにPTAという組織が嫌われているのは何故か? 子供のために必要なのが判っているなら何故、改革しようとしないのか?
そんな疑問から筆者は地元小学校のPTAを、皆がボランティアの精神で率先して参加出来るPTOに変革した。
誰もが役員をやりたがらないようなPTAがもしもまだ存在しているなら、その組織を変えるために本書は素晴らしい手本、ハウツー本となるだろう。

私の所属するサッカークラブも、かつてまとまりが悪くなった時期が少しあった。子供たちにサッカーの素晴らしさを教え、そのサッカーを楽しく安全に出来る場所を与えることが目的だったはずが、参画する人々の動機に少しずつ差異が生まれ始めたためだ。
しかし、そんな過去があったからこそ、運営方法を少しずつ変えることが出来たからこそ今に至り、ついには教えていた子供たちが社会人となり、コーチとして戻ってくるようになった。すったもんだもあったけれど、そんなクラブももうすぐ創立30周年を迎える。

正月休みに久しぶりに映画館へ行きました。まぁ、無料のチケット戴いたってのが一番の理由ではあるのですが…。観た映画はコレ↓

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映画作品としては私の好きな主演の内野聖陽が独り気を吐いていたくらいで特に絶賛するほどでもなく、テレビ放映される機会があったら観れば良いかな、程度の作品でした。

この映画で一番残念なことは、パンフレットに“今初めて明かされる真実の物語”なんて書かれてるのに実際には真実を伝えていないことです。haruka
たまたまこの映画を観る前に門田隆将の『日本、遥かなり』を読んでいました。海外に居る日本人が現地で戦争や動乱が勃発した際に日本政府は法律の縛りがあって助けようが無い、という事が書かれています。
昨年、やっと安全保障関連法の一部が改正されましたが、それでも日本国は海外に居る日本人を直ぐには助け出せません。

映画『海難1890』は、1890年に起きた和歌山県串本町沖でのトルコ軍艦「エルトゥールル号」海難事故で、地元住民が必死に救助に当たった事を発端にしています。その時の献身的な日本人の救助が永年トルコで語り継がれ、結果1985年に勃発したイラン・イラク戦争の際に、トルコが日本人救出のために旅客機を飛ばしたのです。
映画は、その際にイランの日本大使館が動いたことになっていました。まったくの嘘デタラメです。イランに各国救援機が飛んでくる中で、日本の外務省は何も出来なかったのです。実際には永年トルコと親密にしていた一人の一般日本人が、当時のトルコ首相に直接掛け合って救援機を飛ばしてもらったのです。

まぁ本当のことを描いていたら、きっと政治的圧力がかかって公開も出来なかったでしょうが、日本とトルコの合作映画なのに真実を知っているトルコ制作側は何も言わなかったのかしら? トルコでも公開されるそうだけど、せめてトルコでの上演は真実に基づくものであって欲しいと切に願うところです。

himitsu先日書いたけど、若い女の子に薦められた東野圭吾の作品が私にはイマヒトツだったので、改めて彼の人気作品を読んでみた。いや~やっぱり凄い筆力だし、見事なストーリーテラーだと思う。彼女が薦めてくれた作品は、物語的に私には合わなかっただけなのだ。

この『秘密』は広末涼子主演で映画化もされてるらしいけど、アタシは知らなかった。
巻末に広末も感想書いてるのだが、それを読んでいてハタと気付いた。東野圭吾の凄さは筆力や物語性よりも、女心をしっかりと捉えられるところにあるんじゃなかろうか、と。表現する方法はまるで異なるけど、歌手の徳永英明に似た感性が備わってるんだろうと。

男と女の会話で噛み合わない事が多々あるのは、男が会話に結論を求めるに対して、女は協調を求める傾向が強いからだそうな。
そう言われて過去を振り返ると、納得する場面はまことに多い。今朝ですらかみさんが「××に行くには戻ればいいの?」と唐突に聞くので、「戻る? 何処を起点にして? サッパリ言ってることワカラン!」と返したら、プイッと席を離れて行った。私は新聞読んでいたんでうるさいのが居なくなってホッとしたのだが、しばらくするとiPhone持ってきて、「ホラ、この出口からだと戻ることになるじゃない!」と語気荒く言うのだった。
この時、どうせ私は新聞に没頭してたんだから、「そうだね」とでも返事をしておけばよかったのだ。思考を新聞から中断し、まともに答えて怒鳴られてたんじゃ割に合わんゾ。

男と女の会話は所詮このようなものと、もっと若いうちから理解していればアタシはきっとモテてモテてドンファンのような生活が送れていた事だろう。

さて作品に戻って……。
途中から「結末が見えてきちゃったなぁ」と思いつつ読み続け、それを見事に裏切られた。いやはや驚きの結末だった。女心が理解できなければこんな結末を考えつくはずが無い! というのがアタシの読後感想なのだが、映画の方はまた違った結末らしい。今度チャンスがあったらDVD借りてこようと思うのだった。

newginia5年ほど前からチャンスがあったらパプアニューギニアに行こうと虎視眈々と狙っているのだが、フライトスケジュールが私のカレンダーと合わず、行けないでいる。
そんなニューギニアの戦争手記を読んだ。この地に1万数千人が送り込まれ、生きて日本に戻れたのはわずか2百数十名。戦闘で傷つき亡くなった兵士もいたが、病気や飢えで亡くなっていく兵士の方が多かった。それらが淡々と綴られた生存兵の手記である。

戦争とはその目的が何だったのかを問われ責められることを許しても、その中で行われた行為に対して何かを問うことは何の意味も持たない。なぜなら戦争という行為の中に、道徳や人間性を求めること自体が愚かだからだ。戦争はただ単に大量殺戮を目的にした行為にすぎない。大虐殺があったかなかったか、従軍が強制であったか自己の意思だったかなど、そこにどれだけの意味があるのか。
戦勝国も敗戦国も、どちらにしても戦争に巻き込まれた当事者に残るのは、悲しく辛く、忘れたくても絶対に消えない苦悩だけだろう。

本書に書かれていたように、この地球上から戦争というものが根絶されたとき、人類はやっと文化の高さを誇れるのだと思う。その日は来るだろうか。
今年は終戦70年。私の母も父も戦争体験者だ。語ることは少ないけれど、死の淵を覗いたという話しは聞いた。その時、父か母が死んでいればこの私も存在していない。

もしもパプアニューギニアに行けるチャンスが訪れたら、線香と共にこの本を携行しようと思う。

とあるシミュレーション・ゲームにハマってて、雨でボールを蹴りに行けない土曜日などは一日中遊んでることもある。ゲームだから途中でミスに気付けば、ちょっと前に戻ってやり直すことも出来るから、負けることはまず無い。(そんなゲームやっててオモロイのか?と思うでしょ? それがオモロイの!)

さて。
ゲームでなく、もしも自分の人生で、過去に戻ってやり直せるとしたら……。modoru
ひさびさの読後感想でございます。

この『戻る男』(山本甲士著・中公文庫)はタイムスリップのお話し。とある人物から過去に戻ってやり直したいことは無いかと持ちかけられ、主人公はお金を払って過去に戻り、その時の忌まわしい過去をすげ替える。

読み進む内に「モシモ、オレガカコニモドレルトシタラ、イツノ、ドノバメンダ?」と考えた。
ところが無いのだ。一応あるにはあるのだが、この小説の中では、過去を変えることで現在に影響が出るような事は出来ないという。
例えば、気に入らない上司に酒の席でくだをまいて喧嘩になったあの時とか(=結果、昇進が遅れた)、○○○○に××××しようと思わず言っちゃった時(=結果、△△△が出来ちゃった)とか。(物語では中盤以降、現在に影響するような過去を変える場面も出てくる)

例えば、女の子から「好きです」と告白され、思わず「お前なんか大嫌いだぃ!」と言っちゃって泣かしちゃったような過去は、その時に戻って「ごめんね。もう付き合ってる人がいるの」と嘘言って断ることは可能だそうな。(タカラガイ注=私には女の子泣かしちゃった過去なんてありません!)

さて戻って……。
考えるに現在に影響しないような変えたい過去が、私には思いつかない。それだけ幸せな人生を歩んできた…ってことなんだろうな。(単に鈍感なだけ…という声も聞こえるような気がする)
私には、もう一回人生をやり直せるとしたら戻りたい年代はあるけれど、過去の言動の一部(瞬間)をお金払ってでもやり直したいという場面がない。そんな場面のある人がいたら、それはある意味しあわせな事なんだと思う。ネタバレになっちゃうからこの辺でやめとこ。最後は思わず「ホ~ッ!」な見事な結末でありました。

しかし、“今の私”は“過去の自分”の積み重ねであることも忘れてはいかんよね。




今回は(  )=注釈多く申し訳ない。文章、推敲する時間が無く………。(言い訳)



今年。鹿児島県に属するある島で、海が好きで好きでたまらない!という気持ちがこちらにもビンビンと伝わってくる熱いガイドさんに会った。
私も海は大好きだけれど、それは自然が好き!のひとつであって、今は海にのめり込んでいるけれど昔は山だったし、今後はまた少年時代に夢中になった釣りに戻るかもしれない。要は自然の中にこの身を晒していることが好きなのだ。
izakayaだから私にとってその彼との出逢いはとても新鮮だった。

この本、酒をこよなく愛する私としてはとても新鮮な一冊だった。
日本全国の都市を、居酒屋求めて放浪記を書けるという立場も羨ましい。
居酒屋がメインだから、最近わたしがはまってるワインは登場してこないのはちょっと残念だけど、訪ねた先の観光ガイドには載らないようなうんちくも素晴らしいし、何より活字にするに一番難しい味や風味をわたし好みの言葉で表現してくれていて、自分も知っている店が登場してくるのも嬉しかった。

さて今夕から東北へと向かう。残念ながらかの地を居酒屋捜しながら徘徊するような時間は無いけれど、一軒くらいは現地の居酒屋の暖簾をくぐってみようと思う。

このシリーズは何冊かあるので、自分の故郷が紹介されている一冊を購入されることをお薦めします。まずはシリーズ集大成のこの『自薦 ニッポン居酒屋放浪記』の後書きを一読されたし。きっとそのままレジへと持っていくことになるはず。

いっつもオバカな事しか書いてませんが、今回は少々真面目なことを書きますので堅っ苦しい話しが好きでない方は本日はパスしてくださいマシ。

owarazarunatsu私は父の過去をほとんど知りません。
若い頃に家(新潟)を飛び出し、東京で独り暮らしを始めたこと。満鉄に入った途端に第二次世界大戦が勃発、何度も死を覚悟しながらも命からがら帰国できたこと。帰国後、なんとか会社勤めが出来るようになったら結核になり長期療養を強いられ、会社を辞めざるを得なくなったこと。
私が知っている父の過去はこんなものしかありません。

浅田次郎の『終わらざる夏』を読みました。
まさに父が必死に生きていた頃のお話しです。話しの内容に父の生き様が、父の若かかりし頃の姿がイメージされ、胸にズシンと響きました。
浅田作品としては『シェエラザード』や『日輪の遺産』系統になるけれど、前2作に比べると登場人物が多く、そのために一人一人の描写が薄くなった感は拭えなかったです。しかし先に書いたように、父が20代で過ごしていた時代が克明に書かれていて、登場人物の一人に父の姿をダブらせながら読みました。

父があの戦時下をどのようにして生き延びてきたのかが、何となくだけれどわかったような気がします。そして、生き延びられた奇蹟と喜びを、今もう一度、あらためて感謝します。
でなければ今ここに、この私という存在すら無いのですから。

「この戦争の真の悲劇は敗戦ではない。国民の意思にかかわらず戦が始まり、それを国民の意思と断定して継続したあげくに、敗けたのだ。すべての民主的な手続きを無視し、勝手に戦い、勝手に敗けた」(本文より)。
どこの国でだって国民総意のもとに始める戦争などあり得ないでしょう。いかにも国民すべてが賛同していると思わせるプロパガンダによるところが大きいと思います。
それは似たようなカタチで今でもまだ、この日本でも隣国でも行われています。

8月15日まであと2日です。
同じ過ちを犯さないように、8月はいくつもの忘れ得ぬ日、いえ忘れてはならない日がやって来ます。その熱く苦しかった8月のお話しです。私たちや私たちの後進達が、二度と同じ過ちを起こさないためにも、ご一読をお薦めします。

P7280146

先日、暇つぶしに本屋を徘徊していて、タイトルに惹かれペラペラと数ページ読むと東日本大震災の話しが書かれていて思わず買い求めてしまった。
タイトルからして太平洋戦争の沖縄戦の事とは容易に想像できたが、それをどうやって東日本大震災の話しと結びつけるのかと興味を抱いたのだ。
churaumiしかし、読み進むうちに途中で結末はすぐに想像できた。そしてちょっと飽きてしまったのも事実だ。馳星周にしては筆に力がこもっていないし記述が被るのだ。(記述がカブるのは、この小説がウェッブ連載されたものだと後で知り納得した)。
しかし、最終章まで読み進んだら見事に心を鷲づかみされてしまった。

2011年7月。
私は宮城から岩手まで、緊急物資を運ぶトラックに便乗させてもらい被災地を北上した。閖上(ゆりあげ)では辺り一面家屋の基礎部分が残るばかりで、他にあるのはグチャグチャに潰れた車と船ばかりだった。気仙沼では地盤沈下した箇所に汚水が溜まり猛烈な腐敗臭を放っていた(上の写真)。大川小学校にも雄勝にも女川にも陸前高田にも行った。どこもかしこも建造物はことごとく破壊されていた。まるで原爆でも落ちたのではないかと思えるほどだった。
そして18000人を超える人が亡くなった。
現地に何度か足を運んでることもあって冒頭の箇所だけ読んで購入したのだけれど、あの戦争と先の大震災が、68年という時空を超えて語られる。
確かに人災である戦争とあの天災を同列で捉えることはいかがなものかとは思う。けれど、そこに両方の被災経験者を主人公にすることでこの物語は許される。

「そして被災地以外の人々は、津波と地震が奪った夥しい数の命を実感することもなく忘れていくのだ。
 沖縄がそうだった。日本の盾とされ、二十万人を超える人々が死んだのに内地の人間は沖縄戦の真相を知らなかったし、知ろうともしなかった。そのくせ、観光に訪れては、南の島の楽園だと脳天気に笑いながら、海で泳ぐのだ。1945年に血で赤く染まっていたあの海で」。
 (本文より)

私は戦争のことは知らない。けれど、ダイバーとして南の島に潜るたびに戦争の傷跡を目の当たりにしてる。だから知らなくとも肌で感じ取っている。東日本大震災のことも絶対に忘れない。なぜなら、何度もかの地に足を運びかの地の友人も出来たからだ。
一人でも多くの人が、沖縄の、日本が軍国主義国家となっていった時のことを、そして戦争を知り、東日本大震災の被災地にも訪れて欲しい。被災地の人から、被災したときの話しを是非とも聞いてあげて欲しいと願う。
過去の悲しみはたとえそれが他人のものであっても忘れた、知らないでは済まされないと思うのだ。私たちは同胞なのだから。

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何度か使用したカットで恐縮だが、上の写真はミクロネシア・チュークの朝焼けとそれに染まる海面。
ここも戦時中はこの朝焼けよりも赤く染まったに違いない。海底にはまだ多くの戦没者がいまも眠っているのだ。


anataheどうしても肌に合わない人っているもんだけど、私にとっては高倉健という役者がそれ。
確かに素晴らしい役者さんだとは感じるのだけれど、その演技が私の好みではない。性格俳優ってそれなりに作品の中で良い味を出してくれて、とっても光っているのだけれど、その性格丸出しのような演技ゆえに人によって好きずき分かれるのは致し方ないことだと思うのだ。
私が好きな個性剥き出しな役者さんは、今は亡き松田優作や下川辰平、そして佐藤允などなど。

そんなわけでいま公開中の映画『あなたへ』も観には行かない。田中裕子は好みなんだけど。
たまたまヒョコッと立ち寄った本屋でこの本が目に止まり買ってしまった。

先日の日曜日。この前のブログにも書いたけれど東京は朝から雨で、私はゴロゴロと何もせずFM聞きながら雑誌を読み、パソコン覗いたりしながら一日をダラダラと過ごした。その前の週もそうだったけれど、なんか夏バテが今ごろきたのか身体がだるいのだ……、と自分に言い訳して。
しかし、生きるって事は時間を消費してることでもあって、無為な時間を過ごすってことは自分の生を無為なものにしちゃってる、って事でもあるのだ。………とこの本で改めて教えられた。
特に感動するでもなく、ストーリーもまさに映像向きな内容ではあるけれど、自分に“喝!”を入れてくれたことに感謝。だから最近ほとんど読後感などを書いてないので書き残すことにしたのだった。本稿のタイトルはその意味です。けっして本を読んだ時間が無駄だった…という意味ではございません。

高倉健が嫌いだのと、読後感どころか本のあらすじさえ書いてないのだけれど、そこはまぁ、つまりそのぉ、行間を読んで欲しいっちゅうか、ネ? ご理解くださいマセ。m(_ _)m
ストーリーに興味のあるかたはググってくださいマセ。今なら公開中につき、いっぱい出てくると思います。

どうやら関東地方もとうとう梅雨入りしたようです。

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もう先々週のことなのだけど、かみさんに拉致されて国立新美術館までエルミタージュ展を観に行った(前日にサッカーやって足が痛いというのに)。
決して絵画が嫌いなわけではないけれど、あんまり興味の無い私は(いや、無いのは興味じゃなくて教養だな)電車の中で、「ところでエルミタージュって何人さ?」とかみさんに問い、「恥ずかしいわね! 大きな声でバカなこと聞かないでよ。あっち行って!」と怒られたのだった。(タカラガイ注:知ってる人がほとんどだと思うけど、エルミタージュってのはロシアの国立美術館の名前ね)

しかし日曜日の、しかも午前中も早い時間だというのに、国立新美術館の入り口はすでに入場者でごった返していた。
イヤハヤ驚いた! もうずっと、ズ~っと昔のことだけど、バーンズコレクションってのが上野の国立西洋美術館で開催されたとき、「一生観ることが出来ないよ」と言われて出向いたけど、これまた物凄い長蛇の列に恐れをなして退散したのだった。
昨年の暮れ。知人に誘われて六本木にあるホールへクラシック・コンサートを聴きに行ったのだけれど、その時もホールは聴衆者で溢れんばかりだった。今年2月に行ったミュージカルだって、けっこうなお値段するのに満席だったし。

フィリピンやインドネシアの片田舎でダイビングをすることが多い私は、それらの地域に暮らすとても貧しい人たちの生活を垣間見てるから、コンサートや美術展に長蛇の列が出来るというこんな光景を目の当たりにすると、「日本って国は本当に豊かで平和な国なんだ」と感じないわけにいかない。(わけのワカラン殺人事件は多いけど)

芸術にこれだけの人々が集まってくるってのは、間違いなくその国の豊かさの証左だろうと思う。電車の中で一心不乱にゲームに興じる若者や大人たちも、この国の豊かさの恩恵を享受してるのだろうとも思う。人種的には別格のように感じるけど。

さて、エルミタージュ展に戻って。
ロシア国立美術館が所蔵する名画は、時代の流れと共に変遷する技巧なども解説されていて、それなりに楽しめた。(人が多すぎることを除いて)
それにしても1400年代から1500年代初頭にかけて描かれた裸婦たちは、なんであんなにもブクブクなのか不思議だった。みんな揃ってヒップやウェストはブクブクなのに、どういうわけかオッパイは小さいのだ。
日本でもかつては腰まで届く長い黒髪とオカメのような下ぶくれ顔が美人必須条件だったというから、当時のロシアではペチャパイのデ◯が美しい女性の絶対条件だったのかもしれない。
生活が豊かになれば、人の腹周りも豊かになるものだ。その頃の王朝ロシアは、とても豊かだったのだろう。

豊かさの弊害でメタボも増えている。豊かな日本、これからは美人の条件がふくよかさに変わっていくのかしら?
おかげさまで私の胴回りは今のところまだ85㎝にはなっていないので、へルシア緑茶のお世話になることもないのだけれど、体型よりも心が豊かでありたいものだ。

今日はひっさびさに読後感想などを。
なのでちょっとお堅い内容となりますのでご了承をば。
gunsi
『軍師の挑戦』上田秀人著。
この人の作品読んだのは初めてかもしれない。読んだ記憶が無いのだ(本屋にはいっぱい並んでるのに)。
本屋でちょこっと立ち読みして惹き込まれて買ったら、とても楽しめた。

短編集なのだけど、千利休や勝海舟、福沢諭吉などの私の知らない側面から書かれていて一気に読んでしまった。

先日、歴史は面白いってことを記したけれど、これだけ歴史に造詣深ければ、京都や奈良なんか旅したら楽しくてたまらないだろうなぁ、と思う。
しばらくこの人の作品、読み続けてみようと思います。
中学校の歴史の勉強も、こんな人に習っていたら世の子どもたちは歴史大好き少年になるに違いない。

ちなみにこの本の最後に納められている作品の中にこんなくだりがあった。
「国を背負うだけの器量がない奴に、政(まつりごと)を任せるほどの悲劇はない」。勝海舟の言葉。彼が本当にこんな言葉を残したかどうかは分からないけれど、まさに今の日本を見るようだと思った。
知識レベルがトップクラス(人間性は?)の集団=(霞ヶ関)を動かすには、国を背負っているという器量や度量が絶対条件だとあらためて感じ入った。

昔の人々に倣うことは本当に多いものだと痛感。お薦めの一冊となりました。






Nolimit先月、クライマー・栗城史多氏の講演会を聴くチャンスがあった。
その時のお土産に、彼の著書「一歩を越える勇気」か「NO LIMIT」のどちらか一冊を貰えるというので「NO LIMIT」をお願いしていた。
昨日、それが届いた。すっかり忘れていたのだった。

講演では彼が引き籠もりだったことや、なんで山に登り始めたのかを交えながらエベレスト無酸素単独登頂にまつわる話しなどが聴けた。
少しも悲壮感無くむしろ笑いを招く話しぶりは、極限を極めたゆえのものだと感じた。
自分も一時、登山にのめり込んだことがあるから、彼のやってきた、そしてこれからやろうとしていることの凄まじさは肌感覚でわかる。

山を登る楽しみには頂上を目指す、一番上に立つ、初ルートを切り開くなどなどあるけれど、私はすでに一般ハイカーと一緒で山自体を、頂上までの道程を楽しむことしか出来ない。

この本は彼のエッセーと写真をまとめたものだ。写真好きの私には、どの写真も素晴らしい。写真を撮るという行為は、タイミングや技量の問題もあるけれど、私は「そこに行かなきゃ撮れない」写真が好きだ。だからこの本に載る写真は、私にはまず撮ることが出来ないものばかりなのだ。B6版の小さな本だけど、載ってる写真は迫力満点! こんな写真が撮れるところに一度は行ってみたいなぁ。

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「夢は、折れなければ実現する。
 僕は身をもって証明したい。
  見えない山を登っている
    すべての人のために。」

                                    (本より抜粋)


酸素濃度は地上の3分の1。氷点下40度近くにもなる、生き物を寄せ付けないデスゾーンを単独で登り詰めた者の言葉は重みがある。






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タヒチ・モーレア島。この島に行ったのは、もう7年も前のことだ。

何度かアネット・ベニングの映画『めぐり逢い』の事を過去に書いたけど、あの映画でもタヒチの島が出てくる。私の想像では映画の中に出てくる、あのタヒチの島は、このモーレアではないかと思っているのだけど自信はない(汗)。

映画の中でウォーレン・ビーティとアネットがその島に行き、ビーティの叔母(キャサリン・ヘップバーン)のピアノに合わせてアネットがハミングするシーンが圧巻だった。
その後、「あの曲は誰による何て言う曲名なのか」何度か調べたのだけど、結局わからずに諦めてしまっていたのだった。
それが先日、ひょんな事からYouTubeで見つけたのだった。なんかとっても嬉しかったので、ここにアップしちゃう。いつの日か削除されて見られなくなっちゃうとは思うけど。

 

作曲はエンニオ・モリコーネだった。どうりで良い曲であるわけだ。彼はマカロニウエスタンで名をはせたけど、「海の上のピアニスト」や「オペラ座の怪人」、そして私が一番好きな映画「ニュー・シネマ・パラダイス」も彼の作曲による。

「めぐり逢いの」作曲者が解明されたことで、この曲が入った彼のアルバムを買い求めようとアマゾンも捜したけど、見つからなかった。
彼の最新盤ベスト・アルバム(古い作品のものはある)が出てくるの待つことにしよう。

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どうやら自動車重量税が下げられるようだ。なんのためか、よ~ワカラン。消費税増税前に「減税してますよ~!」とアピールしたいのと、円高で打撃を被ってる自動車業界支援策としか思えない。
日本の経済を自動車産業が牽引してきたことは認めるけど、どうせ一業種に肩入れするなら今は内需系企業だと思うのだが……。もう自動車産業優先の時代ではないだろう。
自動車なんか、業務用車を除き150万円以上するようなものはむしろ増税すべきと思う。車なんてものは、屋根があってタイヤが4つ着いていてちゃんと走ればそれで事足りる。高級車なんかガンガン増税すべきと思う。もっと国内に目を向けて欲しい。

という事で、世界のお話。(をいをい! 書いてることが支離滅裂!)
wakeariこの本のあとがきに、「若い頃は海外旅行なんて軽薄だ、と思っていた…」と筆者・武田和弘氏が書いていた。
私も学生時代、「日本を知らない奴が海外に行ってド~スル!」と、ずっと国内を走り回っていた。しかし本当のところは、言葉や風習や、自分が無知であるゆえに海外に独りで行くのが怖かった、ってのも多分にあったと思う。

さてこの本。
本屋をブラブラ散策していて見つけた。ペラペラめくって、「確かになんでアメリカとカナダの国境線は一直線なんだ?」と思った。
日本も未だに択捉、色丹、国後、歯舞を返してもらってないし、最近じゃ尖閣諸島も中国が領海侵犯してくるなどきな臭い。
世界各国の国境問題を読むにつけ、日本の隣国との領海問題も見えてくる。

かつて日本は台湾、朝鮮半島、ミクロネシアなどの南洋諸島、さらにはインドシナ半島に香港、フィリピンなどを支配していた。この頃は、日本は確かに超大国であったろう。しかし、今や小さな、小さな島国だ………、と認識していた。たぶん皆さんもそうだと思う。
ところがこの本を読んで認識新たにした。
日本は周囲を海に囲まれている。そして西は尖閣諸島、南は沖ノ鳥島まで持っている。ここに排他的経済水域(沿岸から200海里=約370㎞)を加えると、ナント!日本は世界で6番目に広い領土を持っていることになるそうな。
どうりでお隣さんがちょっかい出してくるワケだと思った。

アフリカの国境線も一直線の所が多いし、恥を承知で書くけどジブラルタルが国だったなんて知らんかった。ずっと海峡の名前だと思ってた。
やっぱり世界は広い。知らないことがいっぱい書かれてた。たまにはこんな雑学本も必要だと思ったのだった。





senko


何度かレック(沈船)ダイブも経験したし、ケーブ(洞穴)ダイブも経験した。そして当然ナイト(夜間)ダイブも。どのダイビングでも予備の水中ライトを携行している。しかし、かつて私は予備ライトを持たなかった。ある経験を境に持つようになった。
始めてテクニカル・ダイブ(減圧潜水)をやったヴァヌアツでのことだ。名物ポイントのプレジデント・クーリッジに潜った際に、同行したダイバーのライトが水中で「ボンッ!」という音と共に点灯しなくなった。同行ダイバー氏は予備のライトを持っていたけれど、もしも予備ライトが無かったら暗い船内でパニックものだったろう。それを見て以来、私のBCDポケットには予備の小さな水中ライトが入ってる。

昨日、ジェームズ・キャメロン監督作品の『サンクタム』を観てきた。
作品内容からして、どうしてもロードショーで観たい映画だったので、前夜のうちにネット予約をしたのだけれど、座席予約ページを覗くと埋まっていたのはたったの4席。その時点で「きっと面白くないんだろうな」とは予感がしたけど、やっぱりワイドスクリーンで観たかったから予約して出向くことにした。

日曜日だというのに六本木ヒルズの映画館は半分も入っていなかった。結果として、やっぱりその客の入りがうなずけるような作品ではあった……
実話の映画化だそうで、それを思えば映画ストーリーは背筋がゾクゾクする内容ではあった。3年前、メキシコの地底水路・セノーテを潜ったけれど、この映画を観た後だったらきっと、相当ビビリながら潜ったに違いない。それほど、闇と洞窟でのダイビングは恐ろしいと認識新たにした。

沈船ダイビングでは「船が傾くんじゃないか」とか、ケーブでのダイビングでは「岩が崩れてくるんじゃないか」とか常に頭の片隅にあったけど、そこにエアー切れの思考は働いていなかった。しかしよくよく考えれば、何が一番怖いかといやぁ、やっぱりエアー切れだ。その次が闇だ。自分の指先も見えないような、真の闇の中で減っていくエアー。想像しただけで恐ろしい。
ちょっと沈船や洞窟に潜る気持ちが萎えた。しばらくは遠慮しておこう。





我が社の片隅にあるロッカーには、読書好き社員が読み終わった本を寄贈し、皆で読み廻すための『みんなの仲良し図書館』(この名前はウソ)がある。
先日、帰りがけに何か読み物が欲しくて、その中から一冊を持ち出した。カバーが掛かっていてタイトルすらも判らず、適当に選んだ一冊だった。

rupinところが半分ほど読み進む内にグイグイと引き込まれ、「いったい誰の作品?」と改めて中表紙をめくったら横山秀夫だった。「なるほどなぁ。さもありなん」と思った。
かつて私は彼の『クライマーズハイ』を非常に面白く読んだ。そして今回、偶然にも手に取った本は彼の『ルパンの消息』だった。
文章テンポも彼特有の素晴らしいさがそのまま生きていたし、構成がなにより素晴らしかった。
私はこんな事でもないと推理小説は滅多に手にしない。けれどこの作品は推理小説の枠を超えていた。物語の最後、グッとくるものがあった。推理小説だから結末書いちゃうのは御法度だろうけど、どうやら映画化、ドラマ化されてるようだから知ってる人も多いだろう。
でも、書かない。ルールだから。

終末に近づくにつれて、物語のテンポは一気に早くなる。そして最後に「まさか!」という女性が登場してくるのだが、この人がこれまた泣かせてくれるのだ

この作品が処女作だそうだ。筆者自らの“改稿後記”を読んで、再び驚いた。
この作品はサントリーミステリー大賞(今はもうない)の佳作に選ばれたらしい。サントリーミステリー大賞は、前職時代、私が担当していたのだった。前の会社を退職した後にこの作品が出てきたってわけだ。前職退職後数年間、活字と映像から完全に逃げていた時期があったので、この作品は知らなかった。

しかし、偶然でこんな面白い作品読めるなんて、なんだかダイビングしていて海底で宝物を見つけたような気分だ。




先週末、子供たちの絵画入賞式典に出席しました。あいにくの雨模様のなか、会場となるホテルに向かう途中で私の前を真っ白なシャツに吊り半ズボン、そしてこれまた真っ白なソックスに革の靴というお洒落した子供と、これまた一張羅と思わしき(失礼 m(_ _)m !)洋服姿のお母さんが歩いていました。「きっと入選した子供とそのお母さんだな」と、ピンッと来ました。

この絵の選考会はかれこれ39回目だそうです。ずいぶんと昔からやってるんですね。後援は国土交通省なんですが、国交省とすれば港やそこに浮かぶ漁船なんかを題材に描いて欲しいのでしょうが、残念ながらカメやイルカ、ペンギンやカラフルな魚たちの作品がほとんどです。

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しかし今回は、東日本大震災の津波や、震災で破壊された港や家の様子が描かれた作品もありました。

私はこの展覧会に何度か出席させて頂いているのですが毎回感じることは、とにかく皆、絵がとても上手なのです。上手な作品が選ばれているのですから当然といえばそうなのですが、それにしても巧い。子供の描いた絵とは思えない作品ばかりです。

絵の巧拙だけならば、それは日頃の努力の賜と言えるでしょうけど、絵の構図ですら「ホントにこの子がこの構図を思いついたの!?」と驚くものすらあります。
子供の発想は、時として大人の常識を覆す事がありますが、「イヤハヤなんとも……。参った!」と、いつも感じるのです。
まるっきし子供の独創とも思えず、多かれ少なかれ周囲の大人の助言はあったのだろうと想像に難くないですが、この中から未来の画伯が生まれることを願います。

入選、おめでとう!


しかし、一番嬉しかったのは当の子供たちよりその親御さんたちだったのでしょう(笑)。

BlogPaint








kokorniryu少しでも暑さを忘れさせてくれと、2冊本を買い求めた。まずはそのうちの1冊「心に龍をちりばめて」。

物語中盤では小気味よいテンポの、壮快な啖呵が主人公・美帆の口から飛び出したりして、ちょっとは暑さを忘れさせてくれた。
しかしエピローグは「なぁ~んだぁ」で終わってしまった。
登場人物が性格的にどうなのかは置いておくとしても、背格好とルックスが皆がみな最高に“イイ男にイイ女”ってのがナンダかなぁ~。しかもそんなイケメン登場人物たちは、主人公の継母を除きみな心に龍ならぬ“傷”を持つ人物ばかりなのだ。

心に傷を持つ者同士が集まったってことで、すでにもう充分物語なんだから、何も登場人物全員をイケメンにしちゃう必然性は無いと思うんだが。
まぁ、なんにせよ数時間は暑さを忘れさせて戴きました。

ところで、こう暑いとシャワー浴びる回数も増えちゃうのだけど、最近は風呂に水を溜め、水が溜まる時間でエクササイズするのがマイブームになってる。
フル◯ンで筋トレしてるってのも、もしも誰かに見られればその場で「逮捕!」「病院!」…なんてなってもおかしくはないのだが、密室故に堂々とやってる。なんでそんなアブナイことやってるかというと、汗をかき火照った身体をドブンと水風呂に沈めるその一瞬が爽快でたまらんのだ。
しかし、その爽快感はドブン!とやった直後の1分ほどで、肌をまとう水はすぐにぬるま湯のようになってしまう。こんな時、水道水が恨めしい。地下水だったらきっと爽快感もずっと続くと思うのだ。
キンキンに冷えた身体で、キャンキャンに冷やしたビールを飲む………。このひとときがたまらない 夏季限定の贅沢だ。








wikireeks正直言ってこの本を読むまで、私はウィキリークスの行っていることは暴力だと思っていた。(ウィキリークスを知らない人はコチラを参照ください)。
本の中でも序盤、上杉氏はこのウィキリークスを賛辞するような書き方をしていて(実際はそこまで絶対的な賞賛をしてるわけでもない)、ちょっと不愉快だった。

国家レベルの機密文書をネット上で一般に公開してしまうという行為は、私は容認出来なかった。
しかし上杉氏の言うように、それがネットという世界だから人からは(特に日本人)暴露サイトと言われる。ところがもしもそれを大手のメディアがやったら大スクープとなる。

昔から私は日本に真のジャーナリズムは存在しないと思っていたのだけれど、それは私が接している情報源にジャーナリズムという意識(もしくは認識)が欠落していたのであって、決して日本にジャーナリズムが存在しないわけではなかった。
真のジャーナリストがエセ・ジャーナリズムに封じ込まれていたのだ。
確かにネット上を探索してると「オッ!」と思わせる記述にぶち当たることがある。今や私も含め、誰でもがネットを介して情報を発信し、誰でもがそれを受け止める事が出来る。
新聞やテレビが衰退していくのは、ネットという新しいメディアが出てきたからだと一般的には言われているけれど、それは新しいメディアが台頭してきたからではなくて、既存のメディアが本来あるべきジャーナリズムの姿を忘れてしまっているからだ。所詮、ネットなどは情報伝達の道具にすぎないのに(新聞やテレビもそうだけど)、テレビや新聞がどうして“道具”に駆逐されるのだ。んなことあるか。ネットの方に求めるものが、真のジャーナリズムがある…ってことじゃないのか? テレビや新聞にネット以上の中身が無い、ってことだろう。
中にはそれに気付いている人もいるのだろうけど、大きな組織の、巨大なメディア間談合のようなシステムの中にあっては、それも抹殺されてきたのだろう。

本の中で氏は「ジャーナリズムの最低限の仕事は、政府などの公権力が隠そうとする事実を暴くことにある」と記しているけど、私はそれだけでは暴露と変わらんと思う。その裏に何らかの意志があり、何らかの意見なり意図が加わって初めてジャーナリズムだと言えると思う。
ウィキリークスに持っていた私の嫌悪感はそこにあった。機密文書を入手したと国家に脅しをかけるような行為はジャーナリズムでも何でもなく、単なる恐喝に近い。(金品を要求してるわけじゃなさそうだからこの言葉は不適切だけど)。
しかし、最近ではウィキリークスも情報を公開する前には充分な検証をしてるようだが…。

どちらにしてもTwitterやFacebookを介してチェニジアで始まったジャスミン革命が、中東全域に飛び火したように、これからはネットを介した情報が優勢になることは間違いない。中国政府は一所懸命ネット制限を行っているようだけど、無駄な努力だろう。

これからの私たちにとっての問題はネット上に氾濫する情報をどのように捉えるか、だ。単純に鵜呑みにしてしまう人が多いのも事実。それが怖い。
情報に対する真贋を見抜く知識と、その情報を元に自分で考える知恵が必要だ。「ペンは剣よりも強し」という言葉があるが、まさにその言葉通りの時代に突入している。ペンにも善と悪が現れてくるだろう(すでに現れてる)。邪悪なペンに刺されない知識と知恵という盾と鎧を持たねばならない。











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