寒風吹きすさぶ昨日のこと。
打ち合わせ先に向かおうと横断歩道を渡るときに、一陣の突風が吹いた。ビルの谷間を抜ける風は、本来の風の何倍もの風力となってぶつかってきた。思わずコートの襟に顔を埋めた。風が収まってコートから顔を上げると、風船の束が風に乗って舞い、街路樹の枝に引っかかることろだった。
いかにも冬らしい雲一つ無い青空と梢の緑とフーセンの橙色が、なんかとても綺麗だった。気温は真冬並みの寒さだったけど、光景だけ見ると真夏に果実が実っているようだ。
冬の突風はいただけないけど、時にはこんなハプニングも運んでくれるのだ。スカートひらりばかりを期待してはいけない。
風と言えば………。
風の噂もそのウワサという情報の発信源が、信頼できる人であるか否かによって、ウワサの信憑性が格段に違ってくる。
信用できない人の噂は限りなく嘘に近づくし、自分にとって信頼に足る人だとその“ウワサ”は限りなく真実に近くなっちゃったりする。同じ情報だったとしても。
「風の噂」というのは、往々にして悪い事の方が多いものだけど、時には良い内容のものもある。しかしこれが同じ風が届けてくれるものであっても風評となると、その中身はまず良いものは無い。
この風評、出所の問題もあるが受け手の知識レベルにも問題がある。知識の欠如が風評を限りなく“真実”に近いものとして捕らえてしまう。もちろん風評で広まったものが真実だったことも確かにある。
福島原子力発電所の事故による農作物や海産物への風評被害が酷いらしい。他人事のように書いてるけど、私だってもしも同一の食材が福島県産と他県産と並んでいたら、他県産のものを買ってしまう。福島の農業従事者や漁業従事者のことを思えば、むしろ率先して福島県産を買ってあげるべきなのは心情として理解していても行動に移すのは難しい。
私のこの考え、行為は知識欠如ゆえなのだろうか?
政府が声を大にして「安全です!」「心配ありません!」「Under control です!」と言って、果たしてどれだけの人がその言葉を信じているのだろう?
風の噂と一緒だと思う。風が届けた情報をニセ情報だと信頼出来る人が言えば、“風の評判”となって流れたものは、間違った情報だったと信じられるようになるはずだ。福島県産食材の風評被害は、行政、政府の言葉に「信憑性が無い」と国民が感じるゆえではないのか。それだけ信用されていない政府も情けないが、その背景には過去何度も国民を欺いたという事実があるからだ。それらの行いが、いまだに国民から払拭されていないからだろう。
私は東電よりも国に怒りを覚える。
ビルの谷間の突風が、ちょっと私の思考を刺激した。これも風の便りか。
さて。難しいことは忘れてボールでも蹴りに行ってこよう。今日もグランドには突風が吹きそうだ。
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