その昔、編集関係の仕事をしてたときのこと。
私がまだペーペーの駆け出し記者時代で、直属のデスクと組んでの仕事だった。街頭で、ある有名人物の行為に対する感想を聞き集めてくるのが私の仕事だった。詳しい取材内容をここで書くと、チット拙いのでそこは省略させて頂くが、20人ほどのコメント取材したらたった一人だけ、その人物の行為に対してNo!という回答があった。
デスクはそのたった一人のコメントを見出しに大きく利用した。
私が「それはちょっとマズくないですか?」とそのデスクに言うと、「君が取材してきた中のこのコメントは、嘘なのかい?」と聞き返された。
私が「嘘ではありません」と言うと、「じゃあ、良いじゃないか。嘘ではないのだから」と返された。
たった一人の意見でも、そこにスポットライトを当てたわけだ。一点を注視しクローズアップすることは、実際に多くのメディアが行っている。メディアが自己主張をしているのだ。
しかし今のネット時代においては絶対多数の意見が、その反対である少数意見をいっぺんに駆逐してしまう。時にはその少数派に対し、糾弾に近い記述も散見される。
たった一人の言葉をクローズアップした情報を、さも多数意見のように受け止めてしまうのも怖いけれど(実際、狙いはここにある)、集団で少数派を一方的に攻撃するネット世界はとても怖い。
今までの既存メディアが一方通行の情報発信だったから一点をクローズアップした主張が可能だった。しかし、ネットというメディアは誰でも参加でき、そして情報に対してフィードバックすることが容易に出来る。
日本が大戦に突入していったあの時代。少数意見者は国賊として葬り去られた。
人の意見に流されることなく自分の思考をまとめ、付和雷同せすに行動し発言することは実際とても難しいことであり、とても勇気の要ることだ。
でも、それをやらんとイカンのだろうと思う。私も!とは思うのだが、訪問者は少なくともココが炎上するのも怖いし、スカートの中を写真撮影したなどという事実無根の冤罪で逮捕されるのも勘弁だしなぁ。
お隣り大陸の大国さんほどでは無いとしても、日本においてすら言論の自由なんて実際の話無いのかもしれない、なんて今朝の電車の中で考えていたのだった。
写真はサイパン・スポットライト
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