昨日はサッカー日本代表戦(vsセルビア)を観たくて、早々に帰宅した。
その帰宅途上、乗換駅で降りようとしたら私の横から女がグイグイ押してきた。「我先に!」って雰囲気だった。わたし一人を抜いて先に出たところでホーム上は人で溢れかえってるから、先を急いだところでそれは無駄な行為だ。
ちょっと可愛い娘だったし、もう少し可愛げのある押し方だったら、もしくは「すみません」とでも言ってくれれば避けてあげても良かったのだけど、あまりに強引だったし私の前には高齢者もいたもんだから、ちょっと肩をずらしてブロックしてやった。サッカーで競り合う際にするショルダーチャージの要領。
するとナント!     

        「チッ!」

いや~、たまげたね。若い女が舌打ちするかぁ? しかもその女、その後の電車も一緒になった(^^;) 我先に出ようとしたって、この程度だっての。
車両が違ったので下車駅まではわからないけど顔はしっかり私の脳裏に焼き付いた。都会ゆえの「どうせ他人サ」的行為なんだろうけど、地元で会ったらどうすんのかね? 

この女のおかげで、数日来モヤモヤしてた疑問がひとつ晴れた。
それはある本の事なんだけど、『涙が出るほどいい話』という本を戴いたのだ。サブタイトルに“あのときは、ありがとう”とあって、「小さな親切運動」本部に届いた話しがまとめられたものだ。
わたしは本のタイトルからして引いてしまった。それでもせっかく贈っていただいので「サブタイトルの方をメイン・タイトルにすれば良いのに・・・」なんて思いながら数ページ読んだところで先に進めなくなった。

確かに「いい話」ではあるけれど、なんとも解せない不快感がつのる。なんでだろう? と思いつつ読み進むのだが続かない。結局、半分ほどで読むのを止めた。
いや、本当に良い話しなのだ。でも、読んでて「ナンデカナ~?」と違和感がつのってくるのだ。
で、先の女のお陰で気が付いたのだ。
本に載ってるいい話は、すべて当たり前の事が書かれているからだ。心が温まるのは確かだけど、全て人として当たり前の行為なのだ。
この本はシリーズ化し何冊も出版されている。このような本が涙をもって読まれるようじゃ世も末だなぁ。贈ってくれた方には申し訳ないけど、これが私の読後感です。
アッ!読破してないや(^^;) ゴメンナサイm(_ _)m

このような本が売れるってのは、あの女のようなのが多くなったからなんだろうな、と気が付いたのだった。
きっと地方じゃあまり売れてないんじゃなかろうか?