イギリスに行ったことはないのだけれど、伝聞によれば食事がそうとう不味いらしい。
“不味い”なんて書くと、イギリスの方から「美味しい物だってある!」と怒られそうだが、確かにわたしも食事が旨いか不味いかなんてのは、いかに調理するかの問題であって地域や国籍の問題ではないと思うのだ。

とは言うものの、どういうわけか確かに何を食べても旨くない国はあった。

一昨年、フロリダに行った。
長期滞在用のモーテルみたいなホテルに泊まったので、食事にはほとんどホテルを出ていた。

しかし、どこで食べても旨くない。
現地の人にお勧めを聞いて出向いた日本人経営のその店は、それなりに美味しかったけれど、居酒屋のレベルを脱しきれなかった。

最終日くらいはちょっと贅沢しても美味しい物を食べようと、日本名が付いたレストランに出向いた。




正直言って手さばきでは負けるけど、同じ食材で上の彼と鉄人勝負したら勝てるのではないかと思える程度のお味だった。

食はまさに文化だと思う。
これまた行った事がないのだけれど、4000年もの歴史を持つという中国料理より、わたしはやっぱり日本が一番だと思うのだ。
歴史より文化の方が影響力は大きい。歴史を慮れば味の文化は進歩しないだろう。

そりゃあ、日本人なんだから日本の味覚が合うに決まってるっちゃあ、その通りなのだけれど、現に外国人が日本料理を美味しいと絶賛してるではないか。

外国から帰って、とにかく食べたくなるのが日本蕎麦やラーメン、そして寿司。
出来れば自宅近所で美味しいものを戴きたいのだけれど、悲しいかな私の舌を満足させてくれるお店は少ない。

つまるところ、やっぱり地域やお国の問題ではないのだ。
調理人が、どれだけ自分が供する物にプライドを持てるかの差なのだと思う。


それはそうと、年に数回も海外に行く割にはわたしは英語が得意でない。
中学、高校、そして大学。浪人時代も入れれば11年も英語の勉強してるのに、これはどうしたことか。

私は日本の学校教育が間違っているからだ! と常々言い続けていたけれど、今朝通勤電車の中でフト思った。
「結局は自分が怠慢だったからではないのか?」と。

これでも中学・高校時代のわたしは、こと英語に関しては上位の成績だった。
しかしそれは読み書きのレベルであって、ヒアリングやスピーキングではない。

10年以上もチャンス(勉強する)があったのにそれをモノにしないで、なんという徒労を続けていたのかと、無駄にした時間がもったい・・・とも思ったが、よくよく考えれば英語に限ったことではなかった。


サイン、コサイン、タンジェント。オームの法則にウェーバーの法則、剰余定理に2次関数・・・・。

いったい何処に行ってしまったのだ?