ちょくちょく映画化もされる某・作家の作品は、ほんとによくこれだけ書けるものだと感心するほど本屋に並んでる。

そんなに多産されているにもかかわらず、いつもグイグイと引き込まれて寝る間も惜しんで読み切ってしまうのだけれど、読み終わると物語性としては大したことない事に気付くのだ。
かなりの数の作品を上梓していて、本屋に行けば何作品も平積みされているほどの彼の人気は、物語性よりその筆力に負うところが大きい。

先日、話題の映画「アバター」を観た。

数週間で過去の観客動員数を塗り替えたというのも頷ける作品だったけれど、こちらもストーリー性はといえばありきたりだ。

人間の強欲さ。
自然の大切さに美しさ。
そして愛。
今まで何度も取り上げられているテーマだ。

それでも皆が賞賛するのは、ジェームズ・キャメロン監督の手腕によるわけだけれど、よくよく考えればそれはCGと3Dという手法である。別にお初の試みではない。
確かに“パンドラ”という想像世界の美しさは、作品を観る前のわたしの想像を超えるものだったけどね。


何年前だったか仕事でロスに行った際に、ちょっとフリータイムを頂いてユニバーサル・スタジオを訪ねた。
そこで、実演する役者と映像が合体する当時としては先駆的な映画を観た。で、更にその映画は3Dメガネで見るというエンターテインメント性たっぷりのものだった。

このユニバーサル・スタジオで観た3D作品は、映像が自分の方に飛び出してくる演出で、思わず何度ものけ反ったり、会場のあちこちから悲鳴が上がるような作品だったれど、アバターの3Dは映画のコピーどおり「まさにそこに居る」かのような奥行きを主体にした見せ方だった。


一昨年他界してしまった重鎮とも言える役者さんが、ずっと、ズ~ッとむかしにお会いしたとき、「私たちは演じるだけだ。本(台本)さえ良ければ絶対に素晴らしい作品に仕上げてみせる」と言っていた言葉を思い出した。

作家も監督も、そして役者もつまるところ力量があるか否かなのだ。


力量のある人たちの作品にもっともっと出会いたい。