本日、会社の年中行事である新年のご祈祷を受けに、神田明神へ行ってきました。
それはさておき…………
前回チョコットだけ昔の仕事の事を書いた際に、実は過去に経験したアルバイトのことも書いたのですが、途中で削除してしまいました。
なので今日は、削除してしまったアルバイト遍歴のことなどを書き残しておこうかと思います。
初めて自分でお金を稼いだのは中学3年の時です。それまでに家の手伝いをしてお小遣いをもらったことはありますが、初めて他人様からお金をもらったのがこの時です。
家から徒歩2分ほどのところにあったゴルフ練習場でのバイトでした。学校にバレればまずい事になるのですが、私の両親は自分で金を稼ぐことは大切なことだから学校なんか気にしなくていい、と私がバイトすると言ったら嬉しそうな顔をしたのを覚えています。
ゴルフ練習場のバイトは、あまりに時給が安くて(中学生を働かせてくれるだけマシ?)結局、1年ほどで止めてしまいました。確か時給180円だったと思います。
いまではそのゴルフ練習場はマンションになってしまいました。
その次にやったのが地元の肉屋さんです。このバイトは高校?大学と冬場を中心に長く続きました。
この肉屋のバイトの合間に酒屋の配達、店内装飾(深夜のマネキン移動)、ビルの解体、家庭教師、ボッカ(山小屋への荷揚げ)、変わったところでは映画やテレビのエキストラもやりました。
映画は斎藤耕一監督の『旅の重さ』です。高橋洋子主演で与那国島にロケが来て、その時船の乗客として駆り出されました。
DVDが発売されてますので、当時の私に会えます。高橋洋子が島を離れるシーンで私も一緒に船のデッキから手を振ってるはずです。
テレビのエキストラはいくつか出たけど記憶に残ってるのは『太陽に吠えろ!』だけです。走り去る暴走族役でした。
あとは旅先で資金が底をつき、北海道の牧場で働かせてもらいました。白馬のユースホステルでも2週間ほど働かせてもらいました。
あの頃は「済みません、お金が無くなったので働かせてください」というと、結構仕事にありつけたのです。今思えば、何とものどかな良い時代だったなぁと思います。
いまの時代にオートバイに乗ってやって来た若者に「働かせて」と言われて仕事を与えてくれるところが果たしてあるでしょうか?
でも、そんな事をお願いするような若者も、いまの時代ではいないのかもしれませんね。
我が愚息達もバイトはしますが、それ以上に遊びや勉強の方が忙しそうです。勉強も大事だけれど、このような経験はもっと大切だよ、と私は言っているのですけど。
学生時代に色んな仕事を経験出来て、本当に良かったと思っています。
その時の経験が今の仕事に役立っていると思います。それは仕事の技術的な事ではなくて、人との接し方です。
全ての仕事は人との関わり合いの中で生まれるわけですから、人とのコミュニケーションが上手くいかないと仕事になりません。どんなに素晴らしい技術や企画力を持っていても、コミュニケーションが上手く取れなければ、まさに豚に真珠、ネコに小判…ですよね?
まだ私は「タカラガイに宝石」とは言われていないと思うのです、多分………。
それはさておき…………
前回チョコットだけ昔の仕事の事を書いた際に、実は過去に経験したアルバイトのことも書いたのですが、途中で削除してしまいました。
なので今日は、削除してしまったアルバイト遍歴のことなどを書き残しておこうかと思います。
初めて自分でお金を稼いだのは中学3年の時です。それまでに家の手伝いをしてお小遣いをもらったことはありますが、初めて他人様からお金をもらったのがこの時です。
家から徒歩2分ほどのところにあったゴルフ練習場でのバイトでした。学校にバレればまずい事になるのですが、私の両親は自分で金を稼ぐことは大切なことだから学校なんか気にしなくていい、と私がバイトすると言ったら嬉しそうな顔をしたのを覚えています。
ゴルフ練習場のバイトは、あまりに時給が安くて(中学生を働かせてくれるだけマシ?)結局、1年ほどで止めてしまいました。確か時給180円だったと思います。
いまではそのゴルフ練習場はマンションになってしまいました。
その次にやったのが地元の肉屋さんです。このバイトは高校?大学と冬場を中心に長く続きました。
この肉屋のバイトの合間に酒屋の配達、店内装飾(深夜のマネキン移動)、ビルの解体、家庭教師、ボッカ(山小屋への荷揚げ)、変わったところでは映画やテレビのエキストラもやりました。
映画は斎藤耕一監督の『旅の重さ』です。高橋洋子主演で与那国島にロケが来て、その時船の乗客として駆り出されました。
DVDが発売されてますので、当時の私に会えます。高橋洋子が島を離れるシーンで私も一緒に船のデッキから手を振ってるはずです。
テレビのエキストラはいくつか出たけど記憶に残ってるのは『太陽に吠えろ!』だけです。走り去る暴走族役でした。
あとは旅先で資金が底をつき、北海道の牧場で働かせてもらいました。白馬のユースホステルでも2週間ほど働かせてもらいました。
あの頃は「済みません、お金が無くなったので働かせてください」というと、結構仕事にありつけたのです。今思えば、何とものどかな良い時代だったなぁと思います。
いまの時代にオートバイに乗ってやって来た若者に「働かせて」と言われて仕事を与えてくれるところが果たしてあるでしょうか?
でも、そんな事をお願いするような若者も、いまの時代ではいないのかもしれませんね。
我が愚息達もバイトはしますが、それ以上に遊びや勉強の方が忙しそうです。勉強も大事だけれど、このような経験はもっと大切だよ、と私は言っているのですけど。
学生時代に色んな仕事を経験出来て、本当に良かったと思っています。
その時の経験が今の仕事に役立っていると思います。それは仕事の技術的な事ではなくて、人との接し方です。
全ての仕事は人との関わり合いの中で生まれるわけですから、人とのコミュニケーションが上手くいかないと仕事になりません。どんなに素晴らしい技術や企画力を持っていても、コミュニケーションが上手く取れなければ、まさに豚に真珠、ネコに小判…ですよね?
まだ私は「タカラガイに宝石」とは言われていないと思うのです、多分………。
コメント
コメント一覧 (2)
この頃、喫茶店のウェイターが時給280円?330円だったから、確かに今だったら500円くらいかもね。
ちなみにこのゴルフ練習場はレストランも経営していて、バイト用のお昼は100円で食べられた。お客さんが残した残飯も入ってたけど^^; (犬じゃない!、って)
エキストラは登録制だったよ。仲間がまとめて登録していた。時代劇に出た奴もいて、帰宅時ちょんまげのままだったらしい(笑)。
映画の方は偶然です。たまたまスタッフに声を掛けられました。
今の価値だと500円くらい?ですか?
エキストラって役のオーディションみたいのもあったんですか?