富山の義母が他界した。
享年85歳。この年齢ならば天寿を全うしたと言っても良いと思うのだけれど、私にとっては心残りが一つ。
昨年の夏にラベンダーが見たいという義母と北海道に行き、とても喜んでくれたので今年は安曇野あたりに連れて行ってあげたいと考えていたのだけれど、実現できなかったことだ。

富山へは10数年ぶりではなかろうか。2c37e65b.jpg

空港から義母の家に向かうわずかな距離をタクシーで走りながら、その変わり様に驚いた。
家の裏に広がっていた田圃は、すっかり造成されてマンションになっていた。
変わっていなかったのは義母の家と間近に見渡せる立山連邦の山々だけだった。

右の写真は火葬場の煙突。肉眼では煙突の向こうに雪化粧した山並みが見渡せたけど、流石に携帯電話のカメラではそこまで写せなかった(カメラマンの腕が悪い?)。
空はご覧のごとく雲一つない秋晴れだったけれど、その割には山の稜線がさほどクッキリしていなかったこともある。

火葬場の煙突を見上げながら、ふと気づいたことがあった。
煙が出ていないのだ。煙突を見上げるうちに、今の火葬場は煙を出さないハイテク火葬だと何かで読んだ記憶が蘇ってきた。
では、あの煙突は何のためにあるのだ?

ところで、葬儀の際にお坊さんがやって来てお経を読んでくれるけれど、あの意味が判る人はどの位いるのだろうか?

今回、通夜の席上にお経が書かれた冊子が配られていて、そこには経典の漢文にルビがふられ、下段に意味も記されていた。参列者にとっては親切なはからいだと思う。
しかし………。
死者の冥福を祈り、浄土に往生することを祈願してくれる読経だけれど、わたしには意味がサッパリ判らない。
わたしが死んで仏になったら突然理解できるようなって、有り難く成仏できるのだろうか?


こんな事を書いてるわたしは成仏出来ないかもなぁ。