私が初めて海外を訪れたのは中学生のとき、「香港&マカオの旅×日間」というヤツだった。海外旅行好きの父に同行しての正月旅行だった。中学生だというのにへべれけに酔っぱらっていた記憶が残っている。それが父との旅行の最後だった。私は一人旅をするようになっていた。

その後、自分の意志で初めて訪れた海外がパラオだった。それまで日本全国をくまなくオートバイで走り回っていた自分は、日本が一番美しい国だと信じていた。しかし、初めて訪れた南海の島国は強烈な美しさだった。自然が自分の手の届くところにあることに驚いた。
以来、訪れるのは南国ばかりになった。d6c050eb.jpg

パラオの次に訪問した海外はニューカレドニアだった。イル・デ・パンという島に滞在し、手つかずの自然を満喫し、ウベアという島(写真)ではまさに“天国に一番近い島”を実感した。写真の中に写っているのは私の妻と次男だ。人影無く何処までも続く海岸線には、おびただしい数の美しい貝殻やサンゴが打ち上げられたままで残っていた。エメラルドグリーンの海も表現のしようが無い乳青色で、空はどこまでも蒼かった。

それ以来私は、世界中の美しい自然や見知らぬ生活を見たくなった。休暇をまとめて取れる様なチャンスがあると、さて何処に行こうかと思案し始める。幸せだと思う。とても恵まれていると実感する。そして見知らぬ海外を訪れる度に、生活レベルのあまりの異なりに愕然とする。そして再び自分の恵まれた環境に気づき、感謝の念を強くする。
2年ほど前、チュークという島を訪れた際に、デュブロン島の製氷工場を見学した。工場の中は氷を造るどころか、島民の洗濯物が干されていた。森喜朗前総理大臣がODA予算を数億円注ぎ込んで造った製氷工場だそうだが、電気もまともに配給されない島では冷蔵庫も無い。氷を作っても意味が無いのだ。

自分自身でその地を歩き見ることで、初めてその地の人々が求めている物が判る。私は少しでも、自分が訪れた気に入った国の手助けをしたいと思っているのだが、一体わたしに何が出来るのだろう? 今思えば、せめてもっと父に同行してあげるべきだったと思う。少なくともそれぐらいのことは出来たのだから。