「スパイダー!」なんちゃって。
はい、面白くないですね。 スミマセンm(_ _)m
そもそも私のこのブログには、ハエやヤモリ、ヘビにゴキブリなんかが登場するのですが、蜘蛛にご登場願うのはこれが初めてです。なんかますます女性ファンが遠のきそうな予感がいたします(笑)。
ところでこのクモの巣ですが、彼らはこんな見事な芸術品とも言えるトラップを一晩で作り上げてしまいます。芸術品の巣を崩壊させても、夜通し働いて翌朝にはまた見事なそれを完成させています。
さて、人が信頼を壊してしまったとき。
その崩れた信頼を再び築き上げるには蜘蛛が巣を紡ぐように一朝一夕にはいきません。数年を要するでしょう。場合によっては数十年かかることもあるはずです。
今の日本の政府はまさにそれを崩壊させてしまいました。自らの手で。一度壊れた信頼を取り戻すのがどれほど大変なのかまるで分かっていない今の民主党政権です。残存放射能値の発表ひとつみても、国民が政府発表を信じていないことが分かります。国民に信じられていない国家なんて永続するはずがありません。
このたびの党首選で野田佳彦氏が選ばれたようですが、私にすれば海江田万里氏と決選投票になること自体が信じられませんでした。海江田氏が立候補するのは自由ですが、彼が経産省のトップってのですら私にとってはご勘弁なのに、日本の代表となるなんてまさに冗談はよしこさんです。どう贔屓目に見たって元首としての顔も態度も備わってはいないでしょうに。民主党党員の方々は、危うく更に信頼の崩壊を招くところでした。
話しを写真に戻しましょう。
この蜘蛛は多分、ジョロウグモの仲間ではないかと思うのですが、悲しいかな私には蜘蛛のうんちくありません。実はきれいなクモの巣を撮ってみたくてトライしたのですが、この種のクモは平面上に糸を紡がずに巣を立体構造で作ります。しかも中心部に円が集まっていくような巣ではないので、引いた写真も撮ったのですが、きれいではありませんでした。
で、せっかく撮ったのだしクモ君にアップで登場願った次第です。チャンスがあれば、朝露なんかが水滴で残った巣を撮ってみたいと思ってます。なので次回はジョロウグモ君ではなく、オオグモ君やヒメグモ君に登場願い、きれいな同心円状のクモの巣を撮らせて欲しいな、と思ってるのですが、最近はその蜘蛛の姿もめっきり減ってしまってます。都会の自然がどんどん壊されています。
そして重ねて野田氏にも、少しでも国民に信頼される国家を築いて欲しいと、せめて国民の心が一つに向かうような国家にして欲しいと願います。無理であろうことは重々、承知してるのですが……。菅氏よりは少しは良いかと、ちょっぴりだけど期待して……。せめて日本国をこれ以上、壊さないでください。
2011年08月
モヒート
嫌いな方もいるようですが、私はラム肉が好きです。「あの独特の臭みが苦手」とおっしゃる方がいますが、私はあの匂い(香り?)が嫌いではありません。ラムチャップをつまみに赤ワインを飲めれば最高の晩餐となります。
赤ワインにはラム、焼酎にはムロアジのくさや、です!
で、右はラム酒です。ラム肉とは何の関係もありません。ラム肉の話しは単なる枕です。
このバカルディがラム酒では有名ですが、キューバで発祥したこの銘柄も、いまでは外国企業に買収され、キューバ国内で生産されてるものは別銘柄だったと記憶します。
先週、「じゃあ最後にもう一軒!」と向かったバーで、キューバを唐突に思い出し、モヒートを頼んでみました。すると出てきたのがこのバカルディでした。
モヒートといえば、キューバを愛したヘミングウェイが好んで飲んでいたカクテルです。
実際にキューバではこのモヒートが、まるでコーラのようにどこのお店でも飲めました。あれ? そういえばコーラはあったかしら? アメリカとの国交が一方的に断絶させられてるから多分無いとは思うのだけど記憶に無いってことはやっぱりキューバにコーラは輸入されてなかったのかも。
話しが脱線しました。
そのモヒートはキューバ人も好んで飲むようで、街で「一杯おごってよ」なんて声をかけられた時は大抵モヒートで「乾杯!」となるのでした。
現地では一杯100円程度だったと思います。銀座では0がひとつ多くなりますね。
爽やかな飲み口が好きです。
今日のような真夏日の昼下がり、木陰でこのモヒート飲みながらのんびりできたら最高です。しかし、我が家にはその木陰が無いので叶いません(泣)。
このバーで作ってもらったモヒートは、最後の締めの一杯には少々強すぎてすっかり酔っぱらってしまったのでした(それ以前に結構飲んでましたが)。
ちなみに日本ではこのモヒートにミントの葉を使いますが、現地キューバではミントではありません。ミント自体がありません。ミントに似た葉っぱでした。名前教えてもらったけど忘れました ミントより香りが少なくてもう少しアッサリとした味です。下の写真のミントの倍以上が入ってきます。それをザクザクとストローで潰して飲むのが本場キューバ流でした。
にらめっこ
先週末、季節外れの涼しさに喜び、いつものように窓全開で寝ていたのが悪かったのか風邪をひいてしまいました。一昨日から妙に身体がダルくて「夏バテかぁ~?」なんて思ってたんですが、どうやら風邪のようです。
電車で座ってるときなど、ときどきズ~ッとこっちを見てる人っていません?
いつまでもジ~っとこちらに視線がきてるから、アントニオ猪木ばりに「ナンダ!コノヤロウ!」と睨み返してやるのだけど、意に介さずジ~っと見つめ返してくる。何かを考えてるのか、単にその顔が示すようにボ~ッとしてるだけなのか、まさか車中でケンカ売ってるとも思えず、ただただジ~っと人の顔を見つめてくる。
相手が異性ならまだしも、同姓からそんなにジ~ッと見つめられても嬉しくはない。嬉しくないどころか、気分よろしくないこと甚だしい。「な~にガン飛ばしてんだよぅ!」と啖呵も切りたくなってしまう。ヒョッとしてホモか? そりゃもっとご勘弁だ。
写真は昨年行ったレンベで会ったヒラメくん。
ジワリジワリとほふく前進し、こんなに近寄ったのに逃げなかった。逃げないどころかしっかり見つめ返され、これじゃあ「笑うと負けよ、アップップ~」です。
顔そのものが面白いってのにその目玉はどーしちゃったの? ケンカ売ってる目つきでないことだけは確かだ。
小さな画伯たち
先週末、子供たちの絵画入賞式典に出席しました。あいにくの雨模様のなか、会場となるホテルに向かう途中で私の前を真っ白なシャツに吊り半ズボン、そしてこれまた真っ白なソックスに革の靴というお洒落した子供と、これまた一張羅と思わしき(失礼 m(_ _)m !)洋服姿のお母さんが歩いていました。「きっと入選した子供とそのお母さんだな」と、ピンッと来ました。
この絵の選考会はかれこれ39回目だそうです。ずいぶんと昔からやってるんですね。後援は国土交通省なんですが、国交省とすれば港やそこに浮かぶ漁船なんかを題材に描いて欲しいのでしょうが、残念ながらカメやイルカ、ペンギンやカラフルな魚たちの作品がほとんどです。
しかし今回は、東日本大震災の津波や、震災で破壊された港や家の様子が描かれた作品もありました。
私はこの展覧会に何度か出席させて頂いているのですが毎回感じることは、とにかく皆、絵がとても上手なのです。上手な作品が選ばれているのですから当然といえばそうなのですが、それにしても巧い。子供の描いた絵とは思えない作品ばかりです。
絵の巧拙だけならば、それは日頃の努力の賜と言えるでしょうけど、絵の構図ですら「ホントにこの子がこの構図を思いついたの!?」と驚くものすらあります。
子供の発想は、時として大人の常識を覆す事がありますが、「イヤハヤなんとも……。参った!」と、いつも感じるのです。
まるっきし子供の独創とも思えず、多かれ少なかれ周囲の大人の助言はあったのだろうと想像に難くないですが、この中から未来の画伯が生まれることを願います。
入選、おめでとう!
しかし、一番嬉しかったのは当の子供たちよりその親御さんたちだったのでしょう(笑)。
昇起没寝
昨夜は雨も降ったけど気温がグッと下がって久々に爆睡できた。今夜もまた、よく眠れそうだ。なんか寝る前から嬉しくなってしまう。
年を取るとどうして朝早くに目が覚めてしまうのだろう? 老い先短くなってくるから「少しでも動け! 楽しめ!」と、深層心理がそのような行動パターンにしてしまうのだろうか? 実際ここ数年、どんなに深酒して帰宅しても、目覚める時間は変わらない。それは決して先週来の熱帯夜のせいではない。真冬でも目覚める時間はほぼ変わらないのだ(寒い時期はトイレが近くなるからか?)。
先週は水曜日から3連チャンで飲みが続いた。しかも先に書いたように、猛烈な熱帯夜がそれに重なったものだから、週末は本当に倒れそうだった。まるで軟体動物になっちゃったみたいにヘロヘロ状態。それなのに今日は休日だってのにいつものように目が覚めた。だから朝食後、「今日はお昼寝でもしたいな…」と思っていたのだけど、出来なかった。貧乏性なのだ。
そんなわけで、今日はのんびりテレビでも観ながらプ~タラ、ブ~タラしていたかったのだけど、テレビは相も変わらず観たい番組が放送されてない(そんな事もあってこれを書いてる)。
確かつい最近、フジテレビが「27時間テレビ」なんてのをやってたと思ったら、今日は日テレが24時間テレビだ。
不思議でならないのだけど企業には「電力15%削減」を強制してながら、なんでテレビは24時間営業が認められるのか? それもどうでもよい、くだらん番組の垂れ流しだ。
まるで生産性の無いテレビには規制がかからず、日本の一番の稼ぎ頭である製造業に無理を強いる。テレビというマスコミと政界が蜜月状態であることを暴露してるようなもんだ。
政治家全てがバカだと言う気はないけど、民主の頭を筆頭に、政治家の頭ん中はテレビ番組と同レベルだ。夜な夜な料亭で政策論議ぶちかまし合ってるのも結構だけど、もう少し人間らしくなってくれんかなぁ。身のない話しばっかしてないで、少しは行動してくれんかなぁ。日没になれば寝て朝日と共に起き、口先だけでなくもっと実の成る働きをしてみたら良いのに。
“昇起没寝”なんて言葉はないのだけど、私の造語です。日の出共に起き、そして働き、日没となれば眠る。少しは爽やかな心も生じると思うんだが。
政治家センセー! 唾ばかり飛ばしてないで汗を流してごらんなさい。 エッ? 票を集めるのに汗をかいてるって? 日の出前から?
写真は石垣島・川平湾の日の出。
三人寄れば……
私の料理感覚では、カボチャとサツマイモは絶対に野菜ではなく果物の分類に入るのだが、どうか?
中華料理などでパイナップルを使った料理があるけど、そんな料理が出れば私は必ずそのパイナップルを残す。もちろんパイナップルは好きなフルーツだが、それをおかずに食事をする気にはなれん。食後にデザートとして出してもらいたい。
まぁ、それはともかく……。
一昨日、帰宅したら寝室に御札があった。
コレ ↓
この御札は大分県国東半島にある文殊仙寺の有り難い御札なのだ。なにせご本尊を拝めるのは12年に一度。ちょうど今年がその12年に一度のご開帳の年だった。
今年4月。母を連れて大分へ行った。その際に立ち寄ったのだけど、なんで今ごろ、しかも寝室なんかに出てきたのか。犯人はかみさんであろうと思う。先週、実家の墓参りに行った際にボストン・バッグが必要になり、そこに荷造りしていて出てきたのだろうと推理した。
と言うことは、4月の大分旅行から帰り、それ以来ずっとこの御札はボストン・バッグの中に入っていたってことだ。
この罰当たりめ!
夜な夜な夢に仁王像が現れそうな気がしてならない。
しかし、しっかりご本尊お参りしてきたけど正直賢くなったような気はしない。いい知恵絞り出すにはやはりあと二人、頭を貸してもらわないと私には無理のようだ。
心に龍をちりばめて
物語中盤では小気味よいテンポの、壮快な啖呵が主人公・美帆の口から飛び出したりして、ちょっとは暑さを忘れさせてくれた。
しかしエピローグは「なぁ~んだぁ」で終わってしまった。
登場人物が性格的にどうなのかは置いておくとしても、背格好とルックスが皆がみな最高に“イイ男にイイ女”ってのがナンダかなぁ~。しかもそんなイケメン登場人物たちは、主人公の継母を除きみな心に龍ならぬ“傷”を持つ人物ばかりなのだ。
心に傷を持つ者同士が集まったってことで、すでにもう充分物語なんだから、何も登場人物全員をイケメンにしちゃう必然性は無いと思うんだが。
まぁ、なんにせよ数時間は暑さを忘れさせて戴きました。
ところで、こう暑いとシャワー浴びる回数も増えちゃうのだけど、最近は風呂に水を溜め、水が溜まる時間でエクササイズするのがマイブームになってる。
フル◯ンで筋トレしてるってのも、もしも誰かに見られればその場で「逮捕!」「病院!」…なんてなってもおかしくはないのだが、密室故に堂々とやってる。なんでそんなアブナイことやってるかというと、汗をかき火照った身体をドブンと水風呂に沈めるその一瞬が爽快でたまらんのだ。
しかし、その爽快感はドブン!とやった直後の1分ほどで、肌をまとう水はすぐにぬるま湯のようになってしまう。こんな時、水道水が恨めしい。地下水だったらきっと爽快感もずっと続くと思うのだ。
キンキンに冷えた身体で、キャンキャンに冷やしたビールを飲む………。このひとときがたまらない 夏季限定の贅沢だ。
燃える
なんでも最近は部屋を涼しくする目的で、窓辺にゴーヤを植えるのが流行ってるらしい。
夏と言えばアサガオじゃないのかと思うのだが、どうやらあまり手間も掛からずその後に食すこともできるとあって人気のようだ。
私の通勤路途中にブドウが日影を作ってるお宅がある。ゴーヤをそのまま食すにはちょっとキビシイものがあるけど、ブドウならそのまま食べられて良い。しかし、いつもこのお宅の前を通るたびに「誰か取ってくふとどきものはいないのかしら?」と思ってしまう。
この裏路地は近くの学校の通学路でもあるので、朝は物凄い人の波に逆らって駅に向かうのだが、今日はいつもと雰囲気が違った。その学生さん達の姿が一人も無いのだ。
お盆だし夏休みなんだと気付いた。きっと先々週からいなかったと思うのだけど、なんで今まで気付かなかったのか……。よほどボーッと歩いてる、ってことだな。
昨日は母と愚息2号を伴い父の墓参りに行ってきた。いつもは閑散としてる墓所だけど、さすがに昨日はたくさん人が来ていた。滅多に走ってるところを見たことがない送迎バスが、ピストン輸送していた。
お墓を洗い清めてる間にジリジリと焼かれるのが分かるほどの猛暑だった。こんな天気での墓参は辛い。ほんのちょっとの間で焼けてしまった。去年もこんなに暑かっただろうかと思いながら、早々に事務所へと逃避してしまった。
………… 閑話休題 ………
自宅に戻り高校野球を観戦。
今年の高校野球は例年になく好ゲームが展開されてる。昨日も西東京代表の日大三校と、島根の開星高校が逆転&猛打で緊迫の試合を魅せてくれたし、滋賀の八幡商業が東東京代表の帝京高校を最終回での逆転サヨナラで破った。
こんなに多くの好ゲームが観られるのは喜ばしいことだけど、残念ながら青森と秋田を除き東北勢は敗退してしまった。岩手、宮城、福島からの学校が敗れるたびにテレビは負けた東北のチームをクローズアップしていたけれど、あれじゃまるで勝ったチームがヒールのようで可哀相だ。
まぁ勝ったにせよ負けたにせよ、彼らはこの夏のことをずっと忘れないだろう。猛烈な太陽の下で、まさに身も心も燃えたことだろうと思う。
お盆
今朝、テレビ各局で東日本大震災の映像が流れてた。今日は11日。震災から5ヶ月が過ぎたから、ってことだろう。
何度見てもあの津波で町や家屋が破壊されていくさまは、恐ろしくて寒気を感じる。その場にいた人はいかばかりか。
学生時代に岩手県宮古市を走り抜けたとき、私は時間が止まったような漁港の景色に見とれた。思わずオートバイを止め、しばらく堤防に座ってその景色に魅入っていた。あの漁港はどこだったのだろう? 田老町あたりかと思うのだけど、当時はあの巨大な堤防などなかった。あんな大きな堤防すら越えてきたんだから、本当に凄まじいものだ。
今週末、かみさんは墓参りに実家に戻るという。
ならば…ってわけでもないのだけど、私も父の墓参りに行ってこようと思う。
しかし…………。
被災された方々は墓参りもままならない。
ご先祖さまは心のよりどころでもあるのに、それすらも津波は奪っていってしまったのだ。
(写真は宮城県女川町。2011年7月27日撮影)
ケータイ
私の携帯電話ストラップです。
なんか、大のおとなが、いいオッサンが身につけるには少々恥ずかしくなっちゃうくらいに可愛いお猿さんですが、友人から戴いたので携行してます。
実はこれをくれたお方と一緒に日光東照宮を散策してたのです。その時に私もこれに目を留め、しばらく買おうか買うまいか逡巡してたのですが、ちょっと乙女チックすぎると購入せずに社務所を後にしたのでした。そしたら、その方が「記念に」と私を含む他の二人にこれをプレゼントしてくれたのです。仲間3人、しかも大のおとながこれをお揃いで身につけてるわけですな(笑)。
今朝、いや今朝に限らずちょくちょく目撃しますが。電車の中で携帯電話、もしくはそれに準ずるモバイル機器でゲームしてる大人の感覚が私には理解できません。
今朝も私の背中を押し返してくる背中がありました。電車の中は結構な混みようなのです。あまりにグイグイと背中を押されるので、少し空いてるスペースに身体をよじり、私の背中を押す御仁を観察すれば携帯で麻雀ゲームに夢中。携帯を目から離そうとするからどうしても背中が後ろに反り返ってしまう。
周りに人がいなければ「どうぞご自由に」なんだけど、こんな混み合った通勤電車の中、しかもタダでさえ暑くて皆、汗でベタベタしてるってのに、人にグリグリ背中押しつけてまで麻雀ゲームしたいという、その頭の構造が私には理解不能。こっちだって読みたい本があるのに、ここで読むには他さまの迷惑になるからと手に持ったままなのだ。
額や首筋から流れる汗を拭いもしないで満員電車の中でやるほどのものなんだろうか?
もうそろそろ上梓するだろうから書いちゃっても大丈夫と思うのだが、私の友人が3冊目の本を出版する。
その内容は「少しは思考しようよ」という内容だと聞いた。
ゲームは論外だが、携帯で情報収集も結構だけど収集した情報を自慢げに話してばかりいないで、少しは自分でその情報を咀嚼してみることが大切だと思う。
いま、日本中で思考停止状態に陥ってる人のなんと多いことか。自分のことを主張することはしっかり出来るけど、そこには思考した形跡を感じられないものが多い。みんなが皆そうではないけれど。
思考停止してる人ってのは、とても目立つ。もしもその人に子供がいたらと思うと、やるせなくなるのは私だけじゃあるまい。
釜飯と先物
釜飯と言えば峠の釜飯を思い出す。今は無き横川の釜飯弁当だ。いや、これは誤解を招く書き方だった。無くなったのは駅の方で釜飯弁当はまだちゃんと販売されてるんだった。
昨日、ちょっと買い物に出たついでにカニ料理を食べた。私はカニは大好きなのだが、あの身をほぐすのがどうにも面倒でイカン。だから、このように身をほぐして出してくれると非常に有り難い。しかも、カニを食べ出すと、見事に会話が途絶えてしまうのだが、この様な状態で出してもらえれば沈黙しながらカニをホジホジすることも無いのだ。まぁその分、お値段も良いのだけど……。
とは言うものの、我が家ではもともと会話が多い方ではないから、こんな立派な料理じゃなくてもいいんだが、ホジホジ面倒さについ、高いと知りつつも頼んでしまう。だってホジホジしながらワイン飲むのって本当に面倒なのだ。いちいち指先きれいにしてグラスつままなくてはならんから。
カニをおつまみにワインを戴き、ほろ酔い加減でカニの釜飯いただき満足して帰路に着いたのだった。
ところで今日から米の先物取引が始まったそうな。なんでも72年振りの復活とか。
私の知人に先物取引してる方がいらっしゃるので、書くのを少々躊躇ったのだけど、やっぱりようワカランので書くことにした。
この先物取引というのは、仕事してく上で先々に仕入れが高騰した際の保険として始まったのがそもそもだと思ってるのだが、どうか? そもそもがその食材を安定的に仕入れたい人々のためにあったのだと思うのだが間違ってるかしら。
そうであるという思い込みのまま、以降を書きつらねるのだが今の先物取引ってのは、そういう人たちのためと言うより投資家のため金融商品になってしまってると思うのだ。仮にそうだとすれば米なんかは、特に日本の米穀環境を思うに先物取引対象にするべきではないんじゃないかと思うのだ。
有名ブランド米なんかはどんどん高騰しちゃって、無名ブランドはその逆に値が下がる。それでなくとも放射能で23年度米はかなりの打撃を被ることは想像に難くないわけで、そんな状況下で米を先物取引対象にするってのが私の理解を超えてしまってる。
だいたい72年前に無くなったのはどういう理由からなのだ? 何か不都合があったから米を先物取引の対象から外したのではないのか?
日本人の主食でもある米が、福島原発のせいで入手困難になり尚かつ先物取引で高騰するってのはご勘弁願いたいのだ。
なんか考えるほどにカッカして来ちゃってるので、頭を沈めるためにも話しを戻そう。
カニや骨付きチキンなんかの料理をワイン飲みながら食すにはフィンガーボウルが必要になるんだけど、これも私は好きじゃない。ボールに指先だけチョコチョコって洗ってナプキンで拭くのが嫌なのだ(我が儘な奴なんです)。
あんなちっちゃなボールに入れられたお茶で指先だけ洗っても、なんか綺麗になった気がしなくて嫌なのだ。
スープと間違えて飲むようなオバカは流石にしないけど。
スクープと暴露
正直言ってこの本を読むまで、私はウィキリークスの行っていることは暴力だと思っていた。(ウィキリークスを知らない人はコチラを参照ください)。
本の中でも序盤、上杉氏はこのウィキリークスを賛辞するような書き方をしていて(実際はそこまで絶対的な賞賛をしてるわけでもない)、ちょっと不愉快だった。
国家レベルの機密文書をネット上で一般に公開してしまうという行為は、私は容認出来なかった。
しかし上杉氏の言うように、それがネットという世界だから人からは(特に日本人)暴露サイトと言われる。ところがもしもそれを大手のメディアがやったら大スクープとなる。
昔から私は日本に真のジャーナリズムは存在しないと思っていたのだけれど、それは私が接している情報源にジャーナリズムという意識(もしくは認識)が欠落していたのであって、決して日本にジャーナリズムが存在しないわけではなかった。
真のジャーナリストがエセ・ジャーナリズムに封じ込まれていたのだ。
確かにネット上を探索してると「オッ!」と思わせる記述にぶち当たることがある。今や私も含め、誰でもがネットを介して情報を発信し、誰でもがそれを受け止める事が出来る。
新聞やテレビが衰退していくのは、ネットという新しいメディアが出てきたからだと一般的には言われているけれど、それは新しいメディアが台頭してきたからではなくて、既存のメディアが本来あるべきジャーナリズムの姿を忘れてしまっているからだ。所詮、ネットなどは情報伝達の道具にすぎないのに(新聞やテレビもそうだけど)、テレビや新聞がどうして“道具”に駆逐されるのだ。んなことあるか。ネットの方に求めるものが、真のジャーナリズムがある…ってことじゃないのか? テレビや新聞にネット以上の中身が無い、ってことだろう。
中にはそれに気付いている人もいるのだろうけど、大きな組織の、巨大なメディア間談合のようなシステムの中にあっては、それも抹殺されてきたのだろう。
本の中で氏は「ジャーナリズムの最低限の仕事は、政府などの公権力が隠そうとする事実を暴くことにある」と記しているけど、私はそれだけでは暴露と変わらんと思う。その裏に何らかの意志があり、何らかの意見なり意図が加わって初めてジャーナリズムだと言えると思う。
ウィキリークスに持っていた私の嫌悪感はそこにあった。機密文書を入手したと国家に脅しをかけるような行為はジャーナリズムでも何でもなく、単なる恐喝に近い。(金品を要求してるわけじゃなさそうだからこの言葉は不適切だけど)。
しかし、最近ではウィキリークスも情報を公開する前には充分な検証をしてるようだが…。
どちらにしてもTwitterやFacebookを介してチェニジアで始まったジャスミン革命が、中東全域に飛び火したように、これからはネットを介した情報が優勢になることは間違いない。中国政府は一所懸命ネット制限を行っているようだけど、無駄な努力だろう。
これからの私たちにとっての問題はネット上に氾濫する情報をどのように捉えるか、だ。単純に鵜呑みにしてしまう人が多いのも事実。それが怖い。
情報に対する真贋を見抜く知識と、その情報を元に自分で考える知恵が必要だ。「ペンは剣よりも強し」という言葉があるが、まさにその言葉通りの時代に突入している。ペンにも善と悪が現れてくるだろう(すでに現れてる)。邪悪なペンに刺されない知識と知恵という盾と鎧を持たねばならない。
伝え残さねばならぬ事
気がつけばもう8月だ。もう今週の土曜日には8月6日がやってくる。
8月6日と聞いてピンと来る人は少なくなっただろうと思う。実はわたしもピンと来なかった世代のひとりだったが、ある事をきっかけに忘れ得ぬ日となった。そのある事はいつの日か、忘れていなかったら書こう。
そう、この日は広島に原爆が投下された日だ。その二日後、9日には長崎にも落とされた。アメリカによるこの無差別殺人で22万人以上の人が殺され、15万人以上の人が負傷し、そしていまだに原爆後遺症に苦しむ人がいる。
先週宮城県の被災地を周り、まるで爆弾でも落とされたような光景に釘付けになった。今までテレビ報道などで何度も見ていた景色だったけど、自分の目で見るとテレビで見るとでは印象がまるで違った。そこはものの見事に“破壊”されていた。至る所が壊滅状態になっていた。
9.11はこの目で、しかもライブ映像をテレビで見て脳裏に焼き付いた。そして3.11はそれ以上に何度も津波が押し寄せる場面や崩壊した建物を見、そして今回その地に立って自分の目で見たことで終生忘れることはないだろう。
同じように8月6日を忘れていない人は今でもいるだろうし、かつてはもっとたくさんいたのだと思う。しかし、時の流れと共に、それを知る人が減ると共に、私たちはあの悲惨な無差別殺人を忘れていくのかもしれない。8月15日になり、高校球児たちと共に黙祷することで思い出すのだ。
被災地各所で花を添える人や黙祷してる人の姿を見かけた。
すでにあの日から6ヶ月近く経っていても、人の死は、親族の死は悲しみと共に忘れることはない。
私の父が他界してもう13年が過ぎたけど、母はいまだ毎月、月命日に墓参を欠かしていない。悲しみは去っていったかもしれないが、その人の在りし日を忘れることはないのだ。
3.11は自然による破壊だったけれど、8.6もそれに続く8.9も、そして9.11も人が意図的に大量殺戮を目的に行われた。自然による破壊はどうしようもないけれど、人による殺戮・破壊は防ぐことが出来る。
しかしこの3.11も、この経験を生かし忘れず、後世に残すことで再び同じ悲劇を少しでも少なくすることは出来るのだ。
岩手県宮古市。重茂半島東端の姉吉地区は、1933年にあった大津波の際に海抜約60m場所に建てられた石碑の「此処より下に家を建てるな」という警告を守り、全世帯の人々が助かったそうな。わたしはこの話しを美談として聞いたけど、なんで他の地域にこの話しが伝播してなかったのか不思議でならない。情報化時代ではなかったにせよ、口伝えで広まっても不思議ではないのだけど…。
この石碑を私たちは心にしっかりと残すべきだろう。
小雨降る中、廃墟となった地を一人歩くお婆ちゃんの姿が痛々しかった。
俯瞰
モルジブはご存じのように小さな島が集まった国です。
その島々がことごとく小さいので、“国”というにはかなりの違和感があります。
その首都がマーレ(マレ、と表記する場合もあります)です。
上の写真がそのマーレです。
ネ、小さいでしょう。空港は別の島で、島全体が空港です。関西空港みたいなもんですな。その対岸にこのマーレがあります。
サッカーが難しいのは、足でボールをコントロールしなきゃならん、ってのが一番難しい事だと思うのですが、実はその技術が向上し、足でオットセイのようにボールをさばけるようになっても、ほかの球技と異なった難しさがあります。
それはボールをさばくために常に下を向いてる…ってことです。ゴールに向かって進むには前を向かねばならず、前だけ見てればボールは足下から離れてしまう。シュート打つにはボール(=足下)見るわけで、打つ瞬間はゴールは見えてない。
だからシュートが入る確率はボールとゴールの両方が視界に入るヘディングの方が高くなります。
ちなみにゴルフも、初めてクラブを握った人がボールにクラブヘッドをうまく当てられないのは、ヘッドがボールに当たる前に結果を見たくなって顔が上がってしまうからです。
さて話しをサッカーに戻します。
ボールさばきが上手なサッカー・プレイヤーが全て良い選手かというとそうでもないのですね。
それは前述のボールを見ながら(=下を向いてる)、フィールド全体を俯瞰(ふかん)できてるか否かが大きく作用するからです。
ドリブルしながら頭の中ではゴールの位置は当然ながら、敵や味方がいまどの辺をどのように動いているか、まるで上空から俯瞰してるように察知できる選手が名プレイヤーなのです。
今の日本の政治家にこれが出来る人を私は知りません。
目先のボールすら上手く裁けずにいます。
早く選手交代させるべきですよ、監督!
アッ! 監督は私たちでした