ここ数日、夜のお呼び出し回数が激減してる。
こんな時だから遠慮もあるのだろうけど、本来なら夜の経済にも貢献しなくちゃならんとは思う。
しかしなぁ……。
銀座はどうだかワカランけど、我が家の近所の商店街は節電で電飾が消されてうら寂しいことこのうえない。それでなくても季節外れの寒波到来でうすら寒いのに、薄暗い街中に繰り出して飲む気にはなれん。飲食店は(も)、さぞや経営大変だろうと思う。
そんなわけで、最近自宅での酒量が増えた。(入手困難な水のかわりか?)
先週、地元の馴染みの酒屋にフラッと立ち寄り「なんかお薦めのワイン入荷してない?」と聞いたら、間髪入れずに「タカラガイさん来るの待ってたんですよ! これ、絶対お薦めですから! タカラガイさんの好みの味です!」。
ここの店主は二代目で、私が学生時代にこのお店でバイトしてたときは小学生。その頃からの知り合いなんだけど、私の好みを覚えてくれてるってのは嬉しいことこのうえない。
確かに美味かった。かなり重厚などっしりとした味だけど舌に味が残らないサッパリ系。こんなフルボディでビター&スウィートなワインが好きなんだ。
シモン・ビュッセー“ポリチネル'09”。肉料理はもちろん、ムニエル系魚料理もこの喉ごしならオーケーでしょう。日本への入荷本数が少ないそうなので、お求めの際はお早めに。
ポリチネルとはイタリア喜劇の道化師だそうで、なんでも何かの選考会でこのワインが落とされたことを皮肉ってつけられたそうな。逆さの絵柄がまさにエスプリ。
日本政府も、こんな非常事態のときくらいもう少し機転(エスプリ)利かしてくれんものか。なんか全てが後手後手だ。
ワインのこと書くの、久しぶりだなぁ。
(まだお馬鹿なこと書ける雰囲気でもないので……)
2011年03月
包み隠さず
一昨日の昼頃にかみさんからメールが届いた。なんでも近所のお店でミネラルウォーターの安売りをしていて(88円!)、ひとり1本までだから帰りがけに買ってきて欲しいとのこと。
わたしと愚息1号宛にCC送信されてきた。
通常価格がいかほどか私は知らんが、2㍑ボトルが88円ってのは確かに安い。しかし、10円安いからとダイコン1本のために隣町の八百屋までわざわざ買いに行くあのオバハン特有の感性を、通常の男は持ち合わせてはいないゾ。
店には行かず「帰りに寄ったけど売り切れだったよ」でごまかすかと画策思案していたら、再びメールが着信した。
「水にも出た! もうダメだ」
その時点では東京の水道水から規定値以上の放射能物質が検出されたなんて知らない私にはチンプンカンプン。
きっと放射能関連の事だろうと想像はついたけど、
「水から何が出た? ゴキブリか?」と返してやったら、
「放射能に決まってる!」。
確かにその日の夕方、コンビニも自販機もミネラルウォーターは全て売り切れだった。
そして昨夜、その水道水は元の数値に戻ったから安全&安心ですよ、の報道。国が国民の安全を守ることは当然だけど、もう少し上手な報道の仕方はなかったもんだろか。
昨夕、高校時代の友人から、私の会社の近所で飲んでるから合流しないかと徴集命令が入った。店内の喧噪で会話も聴き取れないような安居酒屋で、久しぶりに会い互いに近況報告。先週まで台湾に仕事で行ってたそうな。その彼が吸うタバコのパッケージに目が留まった。
をいをい!
わたしは台湾語は理解できないけど、これはどう見ても肺ガン、肺気腫に注意しろって言ってる。
タバコ売っといてこのコピー。お見事です! まさに自分(売り手)のことは棚に上げといて……、ってやつですナ。
「裏側も面白いよ」の友人の言葉にパッケージをひっくり返すと、
「性功能障礙」とはオ◯ンチンの元気が無くなっちゃう…ってことですか? 漢字から何となく意味も分かるけど、なんでタバコが下に垂れる(笑)。そこまでやるか?
久しぶりに大笑いした。
売り物にここまで正直に注意書きするってのは素晴らしいなぁ。
しかし、契機は天災だったかもしれないけど、私は人災だと思ってる福島原発事故は、こんな事を言うわけにはいかんだろうとは思う。思うけれども、少なくとも本当のことは伝えて欲しいものだ。
本当に危険で避難が必要なのは30㌔圏内なんでしょうな。何か信じられん。どうにも心配なのだ。
香り
まだまだ思考は震災と原発と、いまだに続く余震のことでいっぱいなんだけど、早く普通の生活に戻ることが重要なのだと思う。そうとは重々承知なのだけど、平静だ…とはどうしても言えない。そんな気分になれないのだ。今朝も2度も少し大きな余震があったし。しかし最近では少々の揺れでは驚かなくもなってる。
我が家の庭の片隅に咲いてる沈丁花です。沈丁花の香りってかなり強いです。その強い香りが風に乗って、家の中にまで侵入して来る。
この香りがその年一番に私の鼻腔に届くと、どういう訳か亡き父を思い出すのだ。まさに香りを嗅いだ瞬間に思い出すのだけれど、それは今年一番の時だけで、その後は思い出すことはない。
父は沈丁花のこの香りがあまり好きではなかったと聞いていた。なんでも若かった頃に結核になり、その時の入院生活中、この沈丁花が咲いていたらしい。
それなのに我が家にこの花があるってのは、まことにもって不思議なのだけど……。
中学生のころ、サッカー部の仲間と先生の家に遊びに行った。その時その友人が「夏って臭いするよね!」と言った。それに対して先生が「君は詩的だね」みたいなことを言ったので、なんか私だけが感性未熟と思われたみたいな気がして、「そうだね。あの草いきれみたいな香りだろ」と言うと、友人は「そんなんじゃなくて、なんか冬とは違った香りだよ」みたいな事を言ったのだった。
以来わたしはいつもこの季節の香りを意識してきた。確かに春はいっせいに咲き始めた花たちのおかげで春の到来を知ることが出来るけど、夏はどうか。
梅雨の頃は雨に臭いがあることを知る。かなり晩年、最近になってだけど夏にも臭いを、やっと感じることが出来るようになってきた。朝、窓を開けた瞬間に夏を感じることが時々ある。それは新緑の山中で嗅ぐことが出来る、あの香りに似ている。
震災された東北地方の方々にも早く春が訪れることを願って止まない。
浅ましき人々
東京は昨日に引き続き今日も快晴だ。通勤途上、空を見上げたら雲ひとつ無い綺麗な青空が広がっていた。
昨夕、「大規模停電の恐れアリ」の海江田くんの言葉に、企業はこぞって終業を早めたようだ。我が社もそれに習えで通常の1時間前に帰宅と相成った(そのおかげもあって危惧は杞憂に終わったけれど)。
帰宅途上の私にかみさんからメールが届いた。「近所では牛乳が買えない(どこも在庫無し)から、途中で見つけたら買ってきて。それと、そろそろお米が無くなるんだけど、お米も買えないから見かけたら買ってきて」。
物流が停止してる東北地方なら理解も出来るが、なんで東京で物不足になるのだ? 東北地方の親戚に送ろうとしてるのか? 宅配便は全て、東北地方宛は荷受け停止してるようだから、それはありえない。
となると、東京在住の人間が買い溜めしてる、ってことだ。
海外のメディアはみな、東北地方の被災された方々が少ない物資を並んで買い求めてる姿に、日本人の道徳の高さ、民度の高さを絶賛しているらしいが、この浅ましき東京人の姿も報道してやってくれ。
NHKも連日被災関連の報道を流してくれていて助かるが、少しでも良いからこの東京人のバカさ加減も報道して欲しい(私は見てないけどもう放送したか?)。
東京で残ってる物資を少しでも困ってる人に送ってあげよう、っていう思考は働かんのだろうか?
東京というモノが溢れかえった地で生活していると、モノが無くなることに異常に恐怖感を抱くのかもしれない。誰かが買い溜めする姿に「我も」となる気持ちも解らんでもないが、そこには自己の思考のかけらも見いだせない。
昨夜、私の古い記事にコメントを戴いた。
>知性を兼ね備えて且つ闘争本能を持ち合わせる人、それをサムライと呼ぶ……と。
確かに。
私はそこに正義と情けを付けくわえさせていただきます。
日本教育に武士道を加えて欲しいものだ。“武士は喰わねど高楊枝”しろ、などという意味ではない。サムライのように他者を思んばかる優しい心を持ちながらも危機におよんでは率先して立ち向かうようになるべきだと思うのだ。いま私たちに必要なのは、このサムライの心と振る舞いだろう。
今日の澄み切った青空のような心を持ち続けたいものだ。
写真
菅首相の会見に腹が立ったのは私だけではないだろうと思う。
話してる中身が空虚なのに加え、あの寝ぼけ眼(まなこ)はなんとかならんものか(実際に寝とらん? そうとは思えん。いつもの顔だ)。
緊迫感がまるで伝わってこない。彼はこの未曾有の危機をどの程度危機として認識してるのだろうか。
国民に何かを訴えかけるのなら、せめて眼力くらい示してくれなきゃ、どんなに中身の濃いことしゃべっても説得力ゼロだ。説得力無いところに中身も無いのだから手に負えん。福島原発半径20㌔以内の住人に避難勧告するなら避難場所を確保した上で迎えに行くのがスジだろう。
しかしそんな自分も先週末やっとの思いで帰宅し、驚愕のテレビ報道を見ていても「大変だ!何かしなくちゃ」と思っても思考がまとまらなかった。
菅さん、私と同程度だ。ってことは私も総理大臣になれるか? 現状の日本では難しいが、平時だったら誰でもなれそうではある……。彼の姿見てるとそう思えてしまうのが悲しい。
実は昨日の日記にこの写真を入れようとして思いとどまったのだった。
3月11日14時46分、私が路上で地震に遭遇した直後の写真。道路向こうの右側のビル屋上の給水塔が傾き、路上に大量の水が降ってきたのを目撃して慌てて携帯で写したけど、距離が遠すぎたし、タイミングも遅くて写り込んでいなかった。
路上で女性たちが抱き合ってるので、なんとか地震の際の写真と分かる程度になってしまった。
前職時代。新米記者だった頃の私は、よく編集部を抜け出して写真部の暗室に潜り込んでいた。
あの酢酸のツーンと鼻を突く臭いが充満する部屋の中で、帯同したカメラマン氏の撮影した写真が、徐々に画像となって現れてくるのが面白くて、記事も書かずに暗室にこもっていた。
古株カメラマン氏は私に「邪魔だから出ていけ!」と言いつつも、フィルムの取り出し方から停止液に浸し、定着液にくぐらせ、フィルムを乾燥させて印画紙に焼き付けるという一連の作業を教えてくれた。一枚の紙焼き写真が出来上がるまでに1時間ちかくかかった。
その写真も今では全てデジタルになった。
連日届けられる東日本大震災の新聞報道写真も、現地から記事と共にメールで飛ばされてくるのだろう。
あの凶暴な津波が迫り来るシーンだけは動画に敵わないとは思うけど、現地の悲惨さや被災されてる方々の辛さは、テレビより写真の方が説得力があると私は思う。
昨日は某紙が、お婆ちゃんとその孫と思わしき二人が笑顔で写る写真が瓦礫の上で汚れて残ってる作品を掲載していた。モノトーンで無機質感漂う瓦礫の上でただ一点、色を放っている二人が写る写真は私の心を痛打した。
その瞬間を切り取ることが出来る写真の力は、私は動画の説得力の比ではないと思ってる。その瞬間を切り取ることでカメラマンは自分の意志を、強く表現できるからだ。
食料も水も、そして暖を取ることもままならない被災地では、報道カメラマンも記者もお手伝いをしていると聞いた。
新潟中越地震の時にはボランティアとして行った若者が、結局何も出来ず逆にお荷物になってしまったこともあった。さて、今の私たちに出来ることはいったい何だ? 募金寄付以外に何が出来るのだろう? 被災された方々は私たちに何をして欲しいのだろう?
思考がまとまらない……。思考回路が壊れたみたいだ……。
ご報告
海外からのこのサイトにアクセスしていただいてる方もいらっしゃるので、私の安否報告かねてアップします。
私とかみさん、そして愚息1号&2号は無事です。
群馬にいた母も無事で、本日(14日)こちらに戻ってきます。
まだまだこれから大変なことが起きそうです。
私が危惧してることが起きなくても、これからが大変です。
悲惨な映像ばかりが流れてきて、欲しい情報が入ってきません。
「考えなきゃ」と気ばかりが焦ってしまって思考がまとまりません。
なので思考停止したままでも、目先のことから片づけていこうと思います。
東北地方への支援も行いたいのですが、まずは自分の足下を固めようと思います。
亡くなられた多くの方々に哀悼の意を表します。
ステージ
昨夜久々に家族と食卓を囲んでいたら、テレビでは女性タレントや(元?)歌手が歌唱力を競い合う番組をやっていた。まぁ、内容はたわいもない今どきのバラエティなんだけど、その番組内で音程がずれる女性タレントがいた。それを見ていた愚息1号、「やっぱりヘタだなぁ」。
6~7年前だったと思うのだけど、私は300人ほどが集まった会場のステージに上らされ、狩人とデュエットしたことがあるのだ。狩人を知らん人もいるかもしれないけど、むかし『あずさ2号』という曲でブレイクしたこともある兄弟歌手。
人前で歌うことに恥ずかしいとかアガるなんてことは無いわたしなのだけど、実はその時、音が取れなくて困ったのだった。
耳元で演奏されるので音量が物凄くてキーが合わせられないのだった。自分の声すら聞こえないのだからキーを合わせられるわけがないのだけど、それを思うとプロってのはやはりプロなのだと実感したのだった。
だから、歌手でもないその辺の女性タレントが音程ズラしても不思議ないことなのだ。
あの時、音程外して慌てたわたしはとっさに右耳を手で押さえてキーを拾っていた。何とか音程も取れてキーも合い、すぐに狩人との見事なデュエットを披露できたのだが、会場の奥から変な掛け声も聞こえたような………。
「ヨッ! 高倉健~!」。
( ↑ 意味ワカラン人、いっぱいいるだろうなぁ )
今朝、通勤電車を待っていたら目の前にAZUSAが入線してきて、思わず昨夜のことと、そんな昔の事が頭の中でリンクしたのだった。
ベトナム
先週木曜日からベトナムに行ってました。で、今朝6時30分に無事成田到着。
今日はお昼過ぎから子供たちのサッカー招待試合が入っていて、時間的にはじゅうぶん間に合うのでベトナムに向かう前にはコーチ陣に、「戻ったら試合会場に出向きます」なんて言っていたのだけれど、身体も頭もボーっとしちゃってゴメンナサイしてしまった。
荷物を整理してヨッコラショと立ち上がろうとしたら足もつっちゃうし、こんな状態ではガッツ出してグランドに向かったとしても、何も出来ないどころか審判やって足をつり、大恥かくのが関の山だったと思う。流石にこの年で睡眠時間2時間ほどってのは堪えるなぁ
ハノイには現地に工場を構える日本企業の視察で行ったのだけれど、私にとっては初めての地なので、視察を抜きにしても出発前から興味津々だった。で、到着して一番に感じたことが、車も街並みも汚い(土埃で)ことだった。道路の上も舗装されているのに土が溜まってる。まるで火山灰でも降り積もってるかのよう。
私が持っていたベトナムのイメージって、湿地ジャングルにシトシトと雨がよく降ってる…ってものだったのだけど(何でこんなイメージを抱いたのだろう?)、滞在中は午前中は連日雨だった。気候的には雨期に入る前の一番良い季節のはずだったんだけど……。
なんか視界もスッキリしないのは、このドンヨリとした天気のせいかと初めは思っていたのだけど、どうやらワラワラと走るオートバイや車の排気ガスのせいだったみたい。私だけじゃなく同行した人達もコンコン咳をしていたから。
まさにカオス(混沌)というひと言がピッタリの国だと思うけど、そのカオスの中にフツフツとエネルギーを感じたのも事実。インドネシアのそれとはちょっと違った雰囲気だった。
交通ルールは皆無に等しかった(笑)。信号無視なんて当たり前。ベトナムは右側通行なんだけど、逆走する(左を走る)のも日常茶飯事。水牛の馬車が高速道路にも入ってくるらしい
当然ながら交通事故はとっても多く、毎年1万を超えてるそうな。8600万人ほどの人口に対してこの数字だから、こりゃ凄まじい。実際にたった3日の滞在期間中に3度も交通事故を目撃した。
人々も暖かくて親近感をとても感じたけれど、残念なことに路地裏のおばちゃんなんかに話しかけても言葉(英語)が通じなかった。女性も綺麗だし、子供たちもとっても可愛かったし、もうちょっとコミュニケーション取りたかったなぁ。
とても魅力ある国で人々も素敵だったけど、あのニゴニゴの大気と道路渡るのも命がけってほどの交通道徳の無さだけは御勘弁、でした。
坂の上にあるもの
実はNHKドラマ『坂の上の雲』第1回目の放送を見て引き込まれたのだけど、昨年年末に放送された第2回は敢えて見ないでいました。
なんか出し惜しみされてるようだけど、自分としては出来れば一気に全編通して見たいし、きっとNHKはそれをするだろうと思うからです。
それともう一つ。
「映像は決して原作を超えられない」が私の持論でして、テレビであれだけ面白いのだから原作はもっと面白いに違いないと思ったのです。
で、昨年から読み始めました司馬遼太郎の『坂の上の雲』。年が明ける前に5巻を読破し、残り3巻は年末年始の休暇中に読み切ってしまおうと目論んでいたのですが、結局正月は1巻も読破できず、年が明けると今度は何やかやと忙しく、あれこれと時間を取られ遅々として読み進めず、先々週ようやっと全巻読み切りました。読了に3ヶ月もかかってしまった
読後、「これはどうもNHK(映像)の勝ちかもしれん」と思いました。
史実を重視するあまりか、くどい記述が何度かあって、これなら8巻にもせず全5巻くらいに収まったのではないかと感じました。
それでも読み応えありましたけど。
正岡子規にしても秋山好古・真之兄弟にしても、そしてこの原作に登場はしないけど、坂本龍馬も高杉晋作も、坂の上に雲を見い出していたわけですが、今の日本の舵を取る人達は何を見ているのでしょう?
雲を見上げるどころか、蹴つまずいて坂を転げ落ちないように足下だけを注視してるとしか思えません。平成の志士はいつ現れてくるのでしょうか?
せめて私は雲でなくても坂の上を目指していこうと思います。俯いてばかり、足下を気にしてばかりいるような生き方だけはしたくないと思います。
適当な画像が無く、坂の上でなく海の上の雲で恐縮です @ポンペイ