タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2010年10月

根が欲張りなので、もっと美しい景色に会えるのではないか、もっと楽しいところがあるんじゃないか、と私は一度訪れたところは再訪しない。毎年行けるならきっと行くだろうけど、また行きたいと思うようなところは遠くて、そうそう簡単に行けるような場所ではないのだ。

とは言っても、仕事を持つ身で休める日数は限られているから、行ける回数と範囲は限られてしまう。
そんなわけで昨年は27年振りという歳月を隔ててペリリュー島に渡った。
海の中はやっぱり凄かったけれど、27年の歳月は別の島に来ちゃったんじゃないかと思わせるほど、島の様相を変えていた。
それは当たり前のことだと頭じゃ理解してるけど、27年ぶりに逢った初恋の人が凄まじくお婆ちゃんになっていて「昔の面影はどこに行ってしまったのだぁ~!」というような気分なのだった。
それもあって私は、美しかったところには極力行かないようにしている。

kuala_lumpurところが来週とうとう、1年も空けずにリピーター訪問することになった。行き先はレンベだ。その理由は11月1日より羽田からシンガポールへ、すこぶる利便なフライトが就航するからだ。
羽田空港自体に地の利がある上に出発は深夜の1時近く。つまり空港に行くのも楽で就寝時間中に飛行機が目的地まで運んでくれるのだ。体力的にはきついけど、その日の内に現地に到着し、その日に潜れるってのは嬉しい限りだ。

だから私は羽田空港を東アジアのハブ空港にするってのには賛成だけど、残念ながら5年ほど遅かったね。
韓国のインチョン空港には行ったことないけど、シンガポールのチャンギ空港もマレーシアのクアラルンプール空港も、それはそれは立派だった。だいたいハブ空港を意識して建造されてるから建物それ自体が大きい。羽田がこれから同様の規模にしようとするなら、増・改築するより新たに造ってしまった方が早いし安上がりのような気がする。
羽田が国際空港化するからって慌てて成田も追随するみたいだけど、いままで何やってたんだか……。
成田空港関係者は日本から一度も海外に行ったこと、なかったんだろうか? よその国の空港見て何も感じなかったんだろうか? 今まで何考えてたんだか、実に不思議だ。きっと何も考えてなかったんだろう。ゲームでもして遊んでたに違いない。changi
ある人も言ってたけど、成田なんか今さら人を相手のハブ化を目指すんじゃなくて、アジア方面の物流専門ハブ空港でございます!なんてやったら面白いと思うんだが……。
まぁ、どっちでもあたしゃ良いのだ。時間的余裕を少しでも与えてくれるフライトが多くなってくれれば。

しかし………。
出発日当日は早朝から仕事の予定が入っていて、超ハード・スケジュール(休み貰うんだから文句言っては罰が当たるが…)。仕事して自宅に戻り、急いで羽田空港に向かってインドネシアまで飛び、その日のトワイライト・ダイブに間に合っても果たして潜れるんだろうか。
寝不足で到着するなりグーグー寝てしまうか、仮に潜れても足がつっちゃって泣きを見るような予感が……。しかも帰国も羽田早朝着なんでそのまま会社に直行……。仕事になるんだろうか……。なんかとっても心配……。

企業戦士バリバリ・サラリーマンや商社マンには羽田空港の国際化は間違いなく吉報だろうけど、ロートル・ヨレヨレおじさんにはなんか結局、成田発のデイタイム・フライトの方が良かった……なんてなりそうな予感もしてるのだった。









一昨日、結婚披露宴にお呼ばれした。場所は横浜の桜木町。
桜木町駅から徒歩数分と案内書にはあったけど、数年ぶりに下車した駅ゆえどっちへ歩けば良いのかも判らなくなってしまった(お登りさんだからとの声も聞こえるが…)。
「ハテ、どうしたものか」と思案してたら、そこら中にお巡りさんがいる。なんか異様な雰囲気だったけど、まずは目先の問題を解決すべくお巡りさんに聞けばいいや、と近づき「済みません……、」と言った瞬間、そのお巡りさんの背中に“青森県警”と書かれてるのに気付いた。

青森から招集されたんでは聞いても判らんだろうと思い、「済みません。道を尋ねようと思ったのですが青森からでは判らないですよね」とわたし。
すると「何処に行きたいのですか?」と聞かれたので、「×××という処なんですが」と言うと、指で差し示されて「そこです」。

ガ~ン! 目の前だった

東京都民が青森県民に横浜の道を訪ねてしまった。やっぱり私はお登りさんか 

minato

なんで駅にお巡りさんがたくさんいたのか。しかも青森県警からも。
歩きながら考えたら、近々APEC横浜が開催(11月7日から)されるんだった。その警備強化のためのよう。
駅前のみならずホテル周辺やあちこちに警備の姿が見えた。
ということは、APECが終わる11月14日までの地方は警官の数が少ないってことだ。地方での重大事件が起きないことを祈るばかりだ。


披露宴が無事に楽しく終わったことは言うまでもないことだが、まるでこの披露宴のためのような厳戒態勢警備だった。
そこら中にお巡りさんがいる風景ってのは実に異様に見えるのだけれど、少なくとも私が遅刻せずに行けたことには感謝しよう。

futari

話しが飛んでしまった。いつもの事ではあるけれど。

何はともあれ、お幸せに



今日は結婚式で横浜まで出向いた。でも、そのことを書くのではない。
たまたま家を出る前に書いたこの前の記事を、電車の中で携帯電話で読み返していて、「なんか詰まらなかった本の事ばかり書いてる」ような気がしたのだ。人の作品をけなしてるばかりではイカンなぁとフト思い、最近読んだ本の中でお薦めはないか、と思い返していた。tami_no_miezarute

で、あった。1冊。
ちょっとムリムリの感がしなくもないが……
大前研一の『民の見えざる手』(小学館)。これは小説じゃないから、要約は書かない(いつも書いてないか)。
タイトルを見れば「神の見えざる手」から来てるな、とは思うだろうが(私はそう思った)、その言葉は誰が発したのか覚えてる人は凄いと思う(私は思い出せなかった)。経済学者アダム・スミスの国富論の中での言葉だそうな(そういやぁ高校で習ったな、確か)。
この本は大前流現代版「国富論」だ。

それで私がこの本をお薦めするのは、彼の数々のアイディアもあるのだけど、一番は彼が現在の日本政府に対して「クーデターを起こそう!」と提案していることだ。
クーデターなんて書くと血生臭いイメージを抱いてしまうけど、彼が唱えるそれは、当然ながら武器を持っての国民の隆起ではない。どこかのお国みたいに隣国に難癖つけてデモるのでもなければ、日本を見限って海外逃亡しよう…なんて話しでもない。
日本を良くするための無血クーデターだ。

私は賛同した。たとえ“ハチドリのひとしずく”であっても、一人でも多くの人が参画することが、この無血クーデターを成功させるのだ。








どうですか? ちょっと興味持たれましたか?
興味はあるけど経済書はなぁ……という方は、巻末146頁あたりから読まれたら宜しいかと。




ちょこっと本屋に立ち寄り、本屋ご推薦のキャッチコピーに惹かれて手に取った本の冒頭を少し読んだら、「ダイビングをやったことはないけれど、海の底が暗くて閉鎖的な感じの場所でないことは知っている」という記述があって、思わず「そんな事はない! ダイビングやったことないからと嘘八百書くんじゃない!」と、いったいどんな奴がこんなこと書くのかと思わず買い求めてしまった。ayamachi
まんまと敵の術中にはまってしまった

海の中は、確かに元気な珊瑚礁に太陽光が輝いて、それはそれは息を飲むほど綺麗な場所もあるけれど、それはせいぜい太陽光が届く25m程度の水深までで、35mも潜れば届く光はわずかだし、45mも潜れば光はほとんど届かない。透明度が悪くて太陽も隠れていれば、20mだって真っ暗になることもある。

光の届かない海底は、閉鎖的を通り越して拒絶感すら漂っている。
スキューバでなくても、試しに夜の海を一度泳いでみたらいい。シュノーケルでも良いから水中用のライトを照らしながら、夜の海の中を覗いてみたらいい。
中学生の頃、海水浴場でキャンプをし、夜の海に泳ぎ出たことがあった。沖に向かって泳ぎ出し沖へ沖へと向かううちに、なんだか足首を掴まれて海中に引きずり込まれるような恐怖を覚え、慌てて引き返した。岸に灯る明かりに向かって泳ぎながら、「いまここで停電になったら……」なんて考えて、ますます恐怖しそこからがむしゃらに泳いだ記憶が今でも鮮明に残っている。

夜の海が暗いのは当然だが、昼間の海だって決して明るくて開放的なばかりではないのだ。

この本の中身に関しては、「独り暮らしの独身女性はこんなこと考えながら生活してるのか」という興味深い部分もあって、アッという間に読み終えてしまったけれど、結局それだけでストーリー的にも文章的にも私にはイマイチだった。女性が読むなら「出逢いはタイミング」という部分で共感出来るかもしれない。

雑誌の売れ行きが激減していて、いま出版社は大変な状況だと聞き及ぶ。だけど、それは雑誌に限らずすべての出版物が、この本と同程度のレベルに落ちてきてるからだと私は思う。
期待を何度か裏切られれば、いずれ本そのものが手にされなくなり、財布の中身は活字以外の別の消費に流れて行くことに気付いてないのだろうか? 
何度裏切られても、それでも活字が好きな私は、私の期待を滅多に裏切ることのない作家の本を買い求めるか、本棚に仕舞い込んだかつて読んだ本を読み返すのだ。

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昨夜は「第31回・選抜新人舞踊公演」鑑賞のため、水天宮の日本橋劇場まで出向きました。その話は後述する(かも)として、その帰り道でのことです。

エスカレータに乗っても普段は右側(関西は左側ですね)をトコトコ歩いちゃうのですが、ちょっと酒も入って足下がおぼつかなかったので左側に乗って歩かずにいました。
その時、地下へと運ばれながら「イマ、ダイビングセンコウチュウトシタラ、コレハカンゼンニおーばーうぇいと、ダナ」とフト思いました。部下にお古のBCDあげた事を思い出していたら、そんな事を思ったのです。

ダイビングを知らない方のために少し説明が必要ですね。
BCDというのは、Buoyancy Control(またはCompensator) Device の略でして、すなわち浮力調整器のことです。重いタンクを背負うための装具でもありますが、ここに空気を入れて浮力を調節します。
ダイビングでは水深によって(=水圧によって)浮力が変化するので、それを調整するための道具が必要になります。魚の浮き袋、と思ってもらえれば間違いないです(まさか浮き輪装着した魚をイメージした人、いないでしょうね)。

ダイビングを始めてまだ間もない頃、フィリピンのバングラオ島というところで潜ったときに、ウェスという名のアメリカ人と一緒になりました。
そのアメリカ人ダイバーはメチャクチャ上手な人で、身体は大きいのに長いときには120分以上も潜っていました(フツーはこんなに潜れないし、潜水病予防を考えれば出来てもやらない方が無難です)。ナイトロックスでもありません、通常エアーです。結構な深度だったんですけどね。エアーの消費量がもの凄く少ないのです。何度目かのダイビングから戻ってきたとき、彼のBCDインフレータ・ホースの肩口が破けてホースが外れていました。これではBCDに空気を送り込むことは不可能です。
実は最近、私もインフレータ・ホースの肩口取り付け部が外れていて、いくら空気送り込んでも浮力が得られずに困ったことがあったのですが、もしもこの当時、まだ初心者の頃にそんな事になっちゃったら、きっとパニックに陥っただろうと思います。

欧米人は往々にしてオーバーウェイトで潜る傾向があります。
先日行ったアニラオで、お店の人との雑談中にパラオでオーバーウェイトのために潜行し始めたらそのままドロップオフの中に消えて行ってしまった外人ダイバーの話が出てきました。
BCDにエアーを送り込んでやれば浮力が得られるのに、何故その人はエアーを入れなかったのでしょうか? 故障でエアーが送り込めなかったかBCDが破けていたのでしょうか? フィンキックしても浮上できないほどのウェイト量だったのでしょうか? だったらなんでウェイトを捨てなかったのでしょう?

ウェイトが軽くて済めばダイビングが楽になるのは当然ですが、こんなトラブルの時にもオーバーウェイトは危険なんだな、と認識を新たにしたのでした。

かなり有名な動画なので、ご覧になったことのあるダイバーも多いかとは思いますが、先程のパラオで沈んでしまったダイバーのような映像をご紹介しましょう。お断りしておきますが、私はこの動画を紹介することでダイビングの危険性を煽るつもりは少しもありません。

なんでこのダイバーが水深90m以上も下降していったのかは判りません。窒素酔いを起こしたにしては、浅い深度の時から尋常ではありませんでした。撮影機材が重すぎた? それなら自分のウェイトを捨てるなり機材そのものを捨て去れば良いわけです。それにフィンキックしてる様子もうかがえませんでした。
事故であることは間違いないですが、その原因が想像つきません。インストラクターらしいですが、それでもパニックに陥ると何も出来なくなるってことでしょうか。

私は確かにダイビングは危険を伴うスポーツだと思います。けれど、それを認識した上で行えば決して事故率の高いものではないのです。
何にせよ、私たちダイバーは普段からオーバーウェイトも含めて、細心の注意を払ってダイビングを楽しむべきなのだと思います。








私の部下がダイビング・ライセンスを取得した。しかもアドバンスだ。
今夏、「Cカード、取りましたァ!」と嬉しそうに報告してきたと思ったら、先週アドバンスを取ったという。practice
「エッ!? もう?」。

私がダイビング・ライセンスを取ったのが12年前。そしてアドバンスを取得したのは更にその2年後。15本ほど潜った後だった。
それもナンチャッテ・イントラくんにナンチャッテ(内緒)して取得した、ナンチャッテ・アドバンスだ(こんな事、自慢してど~する)。
そんな不真面目なナンチャッテ・ダイバーのせいか、はたまた気分も宜しくマッタリしていたためか、2年前のダイビングで私はちょっと恥をかいたのだった。


その2年前のモアルボアル
いつものようにファンダイブを終えた私は、プールサイドでビール飲みながら海を眺めていた。すると目の前に、突然かみさんが浮上してきたではないか! 
目の前は確かにハウスリーフには違いないが、体験ダイブするにはちょっとショボイ。私はいつものごとくかみさんは体験ダイブしてるもんだと思い込んでるから、「どうせ潜らせてもらうなら、もうちっとましなポイントに連れてって貰えば良いのに」なんて思いながら手を振ってた。

しかし、体験ダイビングにしては何かおかしい。かみさんが先行して海面移動してるように見えるのだ。それにだいたい、なんで体験ダイビングで海面移動なんかするんだ?

これがその時の写真。

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フツーだったらこれを見れば直ぐに、疲労ダイバー曳航講習だと思い出すだろうが、私は体験ダイビングとしっかり思い込んでるから思いもよらなかった。
カメラに向かってVサインしてるのは、かみさんではない。モアルボアルのイントラ・ゴンちゃんことショップの奥さん。その奥さんを引っ張ってるピンクのシュノーケルが私のかみさんだ。これはどう見たって体験ダイビングの構図じゃない。それなのに私は「ナ~ニやってんだかなぁ」なんて調子で眺めていたのだった。

その夜。
ショップのオーナー夫妻主催でゲストのみんなと近所のお店で酒を飲んでると、「ジャジャジャ、ジャ~ン!」とかみさんのライセンス・カード(仮)がお披露目になった。私が目の前で疲労ダイバー曳航見てても海洋実習中だったことに気付かなかった事も、当然お披露目になった。………。敢えて書くまでも無いだろうが、かなり盛り上がったことを付記しておく………





さて、私の部下のライセンス取得祝いに、私が利用していたマレスのBCDをあげた。私のお古で恐縮なのだが、マレスは丈夫で入門には良いのだよ(と、言われて購入したのだった。重いってことは後で知った)。

よもやかみさんに抜かれることは無いと思うが、後輩君には私のように口だけイントラ級ではない、本当の上級ダイバーになって欲しいと思う。そして私を実地訓練に連れてってチョ~ダイ(泣)。











max

2階建て新幹線、Maxとき号です。まるでヘラヤガラみたいです。
なんか先週来、撮り鉄(トリテツ)になっちゃったみたいだなぁ。私は撮り魚(トリギョ)なんですが………、本来なら………。

何年振りか、思い出せないほど久しぶりの新潟でした。
叔母の葬儀だったのです。その葬儀場が新潟空港のそばだったので飛行機で行きたかったのですが、今では羽田-新潟間は飛行機、飛んでないんですね。知らんかった。JALが撤退したのかと思ったら、もうずっとずっと前からその路線は飛んでないそうです。

ということで新幹線利用です。新潟駅からタクシーで葬儀場に向かいました。途中、街の景色が激変していて驚きました。ものの見事に寂れてしまってました。
タクシーの運転手さんに「ずいぶんと寂しくなっちゃっいましたねぇ」と話しかけたら、「街の中、年寄りしか歩いてませんからね。駅前はまだ少しは若者いますけど」と返ってきました。

地方都市が疲弊しだしてます。
数年前に富山行った時にも感じました。
ニッポン、どうなっちゃうのでしょう?

夜、駅に近いビジネス・ホテルに泊まりました。
親戚の家も、両親が既に他界していたり子供が社会人になって東京に出ていってしまっていたりで、大きな家なのに住人は独りか二人程度です。
だから私が「泊めてください」と言えば「はい、どうぞ」なんだけど、なんか気を遣うのも嫌でホテルに泊まりました。独りでプラプラ夜の街を散策もしたかった…ってのがホンネなんですけどネ

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上の写真のお店は、新潟駅万代口から数分のところにある居酒屋です。
ちょっと偵察してきました。なんで偵察かと言うと、このお店、私の従姉妹の旦那さんがやってるお店なんです。
黙って行って驚かしてやろうと画策していたのですが、残念ながら会えませんでした。
佐渡産サザエの壺焼きと村上産の牡蠣を肴に〆張鶴、八海山と杯を重ねて良い気分になってきた頃、隣りに座ったお客さんがノドグロ(アカムツ)の刺身を注文。
「ありゃ、ノドグロの刺身があったの? 私も食べたい!」と店長さんに言ったら、「スマンネェ。これが最後なんだてぇ(最後なんです)」。

ノドグロは新潟の名物で、東京じゃ高級魚の仲間に入るんだけど、それ以上に刺身で食べるなんて東京じゃまず無理。仮に食べられたとしても非常にお高い。nodoguro
「いや~、失敗したなぁ。しっかりメニュー見ればよかった」と後悔してたら、サービスで鰺の刺身を出してくれました。これまた、絶品の鰺で、シマアジのような身のしまりと脂のノリでした。
店長さんには私が親戚であること、内緒にしてました。それなのに…、やっぱり新潟だなぁ。これが新潟の県民気質なんです。
(このお店、魚はホントに新鮮です。そして安い! 新潟に行かれた際は是非ともご利用ください。贔屓無しでお薦めです)
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良い気分になってホテルに戻る途中、新潟名物だけあって、ノドグロを看板に掲げたお店もありました。
思わず「もう1軒!」となりそうだった心を「明日もあるんだよ……」と自制し、おとなしくベッドの人となったのでした。




私も成長したモンだ。



こんな事を書くと年がバレバレになるのだが(もうバレてるか!?)、私が小学生低学年の頃、生まれ故郷である新潟に行くには上野から10時間ほどかかった。
まだ、蒸気機関車の頃だ。トンネル通過の際に窓を閉めないと、窓から入り込んできたススで顔が真っ黒になるという、まさに笑い話のような移動だった。しかし窓を自由に開閉できるってことで、今では廃業になってしまった弁当売りのおじさん&おばさんとの時間との勝負! のような弁当買いも、子供心に「お金だけ取られて弁当もらえなかったどうするんだ?」と、スリルがあって楽しかった。
その鈍行列車は数年後には電気機関車となり、名前は佐渡といった。急行・佐渡は上野-新潟間を6時間で走った。そしてすぐに特急電車が誕生した。白を基調にした綺麗な電車だった。当時は純血の日本産トキが佐渡にまだいた頃で、とき号という名称がつけられた。新潟までは4時間に短縮された。それが今や同じ名称だけど新幹線に取って代わり、新潟までは2時間ちょっとだ。私が体験した移動時間が1/5に短縮されたのだ。これは驚異だとつくづく思う。きっと当時の経済はいまの1/5くらいだったのではあるまいか。移動時間の短縮が経済世界に与える効果は絶大なものだ。その結果、弁当売りのように無くなってしまった業種や、列車が止まらなくなったことで廃れていった町もあるのだけど。

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上の写真は先日、かみさん&愚息1号、2号が乗ってきた小田急ロマンスカー。新型車両だけど、あのピンポンパンポ~ン、ピンポンピンポン~という小田急ロマンスカー特有の警笛(?)もいまだ健在のようで、新宿駅や住宅地周辺では鳴らさないけど、小田原や箱根に近づくと、ここで自己主張しなけりゃどこでする!とばかりに鳴らしまくってる。

そして先月のアニラオ行き(あっ!そうそう。ウェッブ、アップしました!)。私はようやっと京成電鉄の新型スカイライナーに乗ることが出来た。(実は数ヶ月前に赤面ものの勘違いをして大恥かいたのだった。そのお話はコチラ)。

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せっかく初めて乗るんだからと、記念に写真を撮ろうとしたら、ちょうど黄色い点字誘導ブロックのL字の場所に、「ここから先は立ち入り禁止です」の立て札があって、どうしても前部を撮れない。そしたら、私のその姿を見ていた清掃員のおじいちゃんが「撮りたいなら入ってもいいよ」と、その看板を動かしてくれた。
私がお礼を言って携帯カメラを構えた時、「事故が起きるからその看板置いてるんだろ! あんた親切心でやってるんだろうけど事故が起きたら責任取れるのかね!」と若い運転手(写真の右端に背中だけ写ってる奴)が怒鳴った。
かりにも年齢的には親のような大先輩のおじいちゃんと、ちょっとは先輩である私に向かってのその言い方にカチンッ!と来たので、
「停車してる電車を写真撮ろうとして、どんな事故が起きるのですか?」と私が聞くと、
「線路に落ちるんだよ! 撮影に夢中になっちゃって!」。 ハァ~?

chiket撮影に夢中になって線路に落ちてケガする奴なんか、単なるアホだろう。そんな奴が落ちて怪我したなら笑ってやればいいんだ。
そんなアホよりより、入線して来る電車をホームの端で撮影してる撮り鉄の方がずっと危険だろう。線路に立ち入ってまで撮影してるバカもいると聞いたゾ!
事故が起きて困るのはそっちの方だろうが。線路に勝手に落ちて怪我しても誰も困らんけど、撮り鉄に電車止められれば乗客みんなが困るんだぞ! アホなんかほっといて、そういうバカをなんとかしろ!
それともうひとつ注意しておいてやるが、目の不自由な人のために設置されてる点字誘導ブロックのそばに立て看板置く方がよっぽど危険だと思わんのか、このスカポンタン!

せっかく上野・日暮里から成田空港まで36分で行けるようになり、しかも昔の“いかにも田舎、走ってますぅ~”みたいなダッさいデザインから脱皮も出来たというのに、運転士がこの程度じゃ悲しくなりますナ。

さて、スカポン野郎にいつまでもカッカとしてるわけにはいかんのだった。
今夕、新潟へと向かいます。新幹線に乗って。

蒸気機関車で行っていた頃、ススけた顔の私を我が子のように迎え、可愛がってくれた叔母が他界してしまったのだ。
わずか2時間に短縮してくれた文明の利器を、私はなんで叔母が生きてるときに活用しなかったのか。移動時間の短縮は、決して経済効果を上げるためだけに開発されたわけじゃないのに。











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母が喜寿の誕生日を迎えた。
実はこれまで、母の誕生日を忘れることは無かったのだけど還暦も古希も、いわゆる長寿のお祝いをすっかり失念していた。
長寿の祝いを忘れていたことを数ヶ月前に知って愕然とし、喜寿の祝いくらいはちゃんとやってあげなくちゃと身構えていたのだった。

喜寿の祝いは母が好きなゴルフに温泉のセットが宜しかろうと、ゴルフ場も宿泊地も、私なりにそこそこのところを押さえた。………つもりだった。

ところが、母の誕生日である10月10日、すなわち体育の日は全国的に晴天率がもっとも高い日であるはずなのに、ナント!今年に限っては全国的な雨模様。注意報が出てる地域もあるほどの全国的な荒天だった。
朝は7時に自宅を出発。外はどしゃ降り。
「どうする? こんな雨でも(ゴルフを)やるかい?」と、わたし。
「やらない」と母。
(そりゃそうだ。私もやりたくはないが…)
わたし、ガックリ……。

数ヶ月前から段取り組んでた私としては、ここでゴルフがお流れになるとその後の台本がムチャクチャになるのだった(要はそんな状況は想定外で何も考えてなかった)。
さて、困った。
気分は母以上にメッチャ最悪なんだけど、取り敢えずゴルフ場までは行ってみようと高速道路に乗れば、ワイパーが効かないほどの大雨。私の心は大洪水。

しかし、ゴルフ場に近づくにつれて雨は小降りになってきた。そしてゴルフ場に到着すると……。

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ドンヨリと雲は低く垂れ込めてはいるけど、ガスったり小雨が降ったりで何とかラウンド出来そうな雰囲気。

内心ホッとした。せっかく良いコースを押さえたんだし、ここで止めちゃうのは忍びない。母の顔もちょっと明るくなってきた。
そしてラウンド開始して3ホールも進むと、空はすっかり秋晴れになっきた。スタート前に「今日は一日降りそうですね」なんて言ってたキャディさんも、「アレマ! 晴れてきちゃった。良かったですね~!」と、気が付けばこの空!      

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これこそ、母の日頃の行いの賜物だろう。

爽やかな秋の風に吹かれながら、18ホールを廻ることが出来た。
そしてラウンド終了後、近場の温泉宿を押さえてあるからと、ゴルフ場の風呂には入らずこの日の宿に直行した。
某・旅行ネットで人気No.1だという宿を予約しておいたのだ。

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天気は回復したけれど、お宿の方は曇り空のようなメリハリの無いサービスで………。

まぁ確かに部屋もお風呂も良かったけれど、残念ながら我が家が求めるスタイルの宿では無かったなぁ。
食事も食後のラウンジも、なんともシステマチック。従業員の方々は素敵な人ばかりだったけど、お客がお宿のシステムに合わせるような宿だった。けっして大人が喜ぶサービスぶりではなかったなぁ。
ゴルフ場は良かったけど、宿はちょっとチョイスを失敗した。それでも母は喜んでくれたけど。

この日ばかりは滅多に私達との旅行に同行しない愚息たちも、強制的招集命令を発動した。愚息どもはまだゴルフをしないので、宿での集合と相成った。

さて先にも書いたのだが、この行事を行った日が記憶の片隅に残っておられるだろうか?  そう、体育の日が母の誕生日なのだ。
その日に箱根に向かってきた、かみさん&愚息たちのチケットを見ればナント! 1号車。小田急ロマンスカーの1号車といえば展望車両だ。
予約開始日に朝早く新宿駅に出向いて、この展望車両を押さえたらしい。残念ながらシートは2列目だったようだが。
ところがそのチケットを私に見せて、「でも凄いでしょ!」。




何が凄いかというと………。





そこに並んだ数字は………。

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1010101010分発という、見事な数字並び。

なんという奇遇! 母の誕生日が並んでる。


これからも傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、紀寿(100歳)と長生きしてもらいたい。そして、エイジシュートなんて奇跡も見せてもらいたいものだ。





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昨夜、軽く一杯ひっかけて行こうと神田駅周辺の居酒屋を巡って徘徊。
帯に短し襷に長しで、良さそうなお店はどこも満員で、席が空いてる店は好みではなかった。
歩き回るうちに駅北口のガード下までやって来てしまった。昔はこのガード下のカウンターのお店で何度も飲んでいたのだけど、ここ数年は立ち寄る事はなかった。

数年ぶりに中に入ってビックリした。私がガラガラと引き戸を開けて中に入るなり、あの独特のイントネーションの「イラッシャイマセ~」。
いつからお隣の国の娘が客引きするようなお店が入ったのか? このガード下には、ほとんどが昔から続くお店ばかりが軒を連ねていたはずなのに。
サービスがなんたるかも知らない接客で酒は飲みたくなかったので、1,2度暖簾をくぐった事のあるおばあちゃんの店に入ることにした。

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おばあちゃんに杯を求められ酌してあげた。その杯がすすむにつれて、おばあちゃんの口も軽くなってきた。そしていまいましげに話してくれた。奥に新しく入った隣の国の若い娘が働く店に、常連さんが引っ張られて行ってしまうのだと。「あたしみたいな婆さんより若い娘の方が良いよね」。
確かにそんな奴は多いのかもしれんけど、少なくとも私は、色気以外には言葉もサービスもなってない給仕で酒を飲む気はさらさら無い。折角の酒を不味くするような店は御免被る。
「まぁそう腐らずにお母さん。ちゃんと常連さん、来てくれてるじゃない。ネ?」と、臨席の方に目配せした。隣の御仁もそのクチなんだろうと思った。

ところが話しはこれでお終いにはならなかった。
このガード下に入ってるお店は全部、近々工事のために立ち退きさせられるのだそうな。
ここのテナント料は区が徴収してるのだそうだけど、「きっと次回は徴収料のお知らせじゃなくて立ち退きのお知らせが届くんだろう」と、おばあちゃん。おばあちゃんが酒を飲みたくなったのは、そっちの理由だったのだろう。

このおばあちゃんの母親が昭和39年に、この店を開いたのだそうだ。母娘二代のお店だ。46年の歴史に幕が下りる。そういえば昔はギターの流しがやって来ていたのに、昨夜は来なかった。

また、ひとつの文化が終わろうとしている。






ネタが無いので2週間も昔の話題で恐縮なんですが………。

アニラオです。 …………

初日のダイビングで真っ黄色のウツボを発見しました。

黄色といえば日本じゃ映画「幸せの黄色いハンカチ」や歌では「幸せの黄色いリボン」、そして玄関に黄色い物を置くと幸福が訪れるとか、雑誌にはお金がいっぱい貯まる黄色い財布の広告などと、とかく黄色は良い色として扱われてます。
まさかとは思いつつ、ダイビングから戻ってスタッフの方に聞いたら、
「エッ! 黄色のウツボを見ましたか! そうですかぁ。フィリピンじゃあのウツボを見ると幸せになると言われてますよ」。

あら、やっぱり! まぁ、なんと嬉しいことでしょう!  

ゴールデンイールモレイというそうです。

コイツです ↓

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ちょっと手ブレしちゃってますがご容赦ください。

しかし、ちょこっと調べてみたらヒメウツボって和名がありまして、しかも日本でもやはり幸せになれるという言い伝えがあるようです。
ひょっとして黄色が幸福色ってのは世界共通なんでしょうか?

そしてダイビング最終日には、もっと大きな黄色いウツボと遭遇しました。

コイツです ↓


goldenearl2

しかし、いくら黄色がベースといってもこんなバッチくてはねぇ。
これじゃ幸せは訪れてくれそうにありませんな。だいいちコイツは頭の直径15cmはあろうかという、ちっとも可愛くないゴッツイ奴なんです(ヘリゴイシウツボ、かな?)。

そうそう、そういえば……。
アニラオに旅立つ1週間ほど前の事なんですけどね。生まれて初めてウツボを食べました。
居酒屋さんのメニューに“ウツボ”と書かれていたので、「刺身で食べるの?」と板さんに聞いたら、「焼くか煮付けだね」という事でしたので焼いて貰いました。
蒲焼き風でした。まぁ美味しかったですが、どうやら1匹丸々私たちだけ(3人)のためにさばいてくれたらしく、ものすごい量で食べ切れませんでした。
上のヒメウツボ・サイズだったら完食も出来たでしょうが、もしもほんとにヒメウツボなんか食べちゃったら罰が当たっちゃうだろうなぁ。

ちなみに私が食したウツボはトラウツボでした。

BlogPaint
















「みんなでゴルフやって、その後にバーベキューでもどう?」。
ある会社の社長さんに、別荘にお招き戴いた。

前職時代、中軽井沢に社員用保養施設とした会社の別荘があって、当時は職場の仲間同士や仲の良い家族同士で何度か利用した。
自分のものでは無いのだけれど、「ちょっと軽井沢の別荘に行っててね」なんてセリフを学生時代の友だちに言うのは、ちょっと嬉しかったりしたものだ。
その前職時代の会社の別荘は、もともと社長個人の持ち物だったのを会社社員に開放したのだと聞いていたけど、社長が利用する際には社員がずっと前から予約していても強制的に社長利用が優先されて、「なんだ結局は社長の持ち物じゃないか」なんて不満を言ってた。
いま思うに、あの社長はあまり利用しないと家屋が傷むから社員に開放してたんじゃないかと思う。それで、たまに自分が使うときには社長権限を発動してたんだろう。

tanakatei1

ところがこの度お招き頂いた社長さんはとにかくアクティブな方で、その行動力にも驚くのだが、そのマメさに更に驚かされた。
確かにお客さんを招くから、ってのもあるとは思うけど別荘の中は見事に清掃されていて、そして整理されていた。外には薪用だという廃材が積まれていて、ここに来るたびに薪にしてるのだそうな。tanakatei2聞いたら月に何度か来ているという。
頻繁に来ているらしいことは、別荘の中に入ってすぐに理解出来た。そこには私が持っていた別荘の概念を見事に崩してくれるほど、いろんな物があった。
映画DVDや音楽CD、その他モロモロ家財道具は、我が家にあるそれより遥かに多かった。

別荘を持つ…なんて、普通の人にはなかなか出来ないことだけれど、それは決して財力だけの問題ではないと改めて知った。
金のある無しじゃなくて、その人の資質の方が大切なのだ。金があって別荘買っても、年に数度しか来ないようじゃ別荘はすぐに傷んでしまう。滅多に来ない、ほとんど使わない、だから掃除しないじゃ別荘は持てないのだ。

それは経営者という“職業”にもきっと当てはまることなのだろな、と思った。ズボラじゃダメなんだ。




高校3年の時だった。ちばてつやの『あしたのジョー』を読んで猛烈に感動した。ホセ・メンドーサとの死闘を終え、グローブを白石葉子に渡したあとのあの最終場面、片止めの最終ページを開いたときには鳥肌が立った。

ということで、あしたのジョーの話しはここまでで、海の中へと高飛び込みのように話しは飛ぶのだった。

さて、ゲンゲという魚の話しを以前書いたけど、今回アニラオでまさにそのゲンゲではなかろうかと見まがうばかりのサカナに出会った。

こいつ↓

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なんともグロテスクな、奇怪なお姿。しかし、ゲンゲは深海魚なんで私たちが潜れるような場所で遭遇することは有り得ないのだ。
ということはコイツは誰だ? ってことで、船に戻った時にガイドさんに聞いたら、驚くなかれ、ジョーフィッシュなんだそうな。

未だかつてジョーフィッシュの全身を見たことなかったけど、こんなお姿だったのね。
わたしはジョー君をハゼの仲間だと思っていたのだけど、この姿見てハゼってことはないな、と思い調べてみたらアゴアマダイ科だった。アマダイの親戚だと言われれば確かにそんな姿形ではある。
しかし、いつもだったら穴の中からだらしなくクチを半開きにしてこっちを睨んでるジョー君が、穴から抜け出て全身を晒してるなんてビックリした。
自分の巣穴が分からなくなったんだろうか? 「泳げジョー! 巣穴はどっちだ!」なんて丹下段平ならぬゴマモンガラあたりに言われてたかもしれん。(と、言うことで前振りの意味、お解りですね?)

しかし全身見せてもらっても、ちっとも色っぽくも可愛くもないぞ、ジョー君。
キミはやっぱり穴の中からクチを半開きにしてギョロリとダイバー睨んでる方がオバカっぽくてキュートだ。

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