タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2009年06月

光文社新書・中川淳一郎著『ウェブはバカと暇人のもの?現場からのネット敗北宣言?』を読んだ。

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ウェッブでも仕事をしてる自分としては、特別目新しい事が書かれているとは思わなかったけど、ウェッブ世界のオバカな連中をあげつらい、そのお馬鹿ぶりを披露してくれていて思わずクックと笑いが漏れた。

確かにこの世界を彷徨する輩には、ヒマ人が多いのは事実だろう(私のように?)。

そして普段は何の主義主張も言えないようなおとなしい連中が、ひとたびキーボードを前にすると結構過激な事を書いていたりするのも知っている。私の知人にもいたから。


私のこんなつまらないサイトに、律儀にも毎週末の深夜に書き込みしてくれる御仁がいらっしゃる。
どこの誰だか知らないけど、内容はお決まりのように下半身ネタ。

書き込みされるのが決まって週末の深夜であること。
そして毎回IPアドレスを変えてることから考えるに、ここに下半身ネタを書き込んでるお方は少なくともこの本に書かれているような“バカで暇”な方ではなさそうだ。

昼間は何かしらの仕事をしていて、週末にアルバイト的に書き込みしてるのだろう。

あんな書き込みで商売になるとは思えないのだけど、それでもアルバイトが成り立っているとすれば、ちゃんとそれなりの収益があるということになる。
ということは、あんなくだらない書き込みに騙されるような“バカ”な輩が、やっぱり多いということだろう。

それにしたって私のこんなサイトじゃ商売にもならないだろうに、それでも深夜に一生懸命コピペで書き込みしてる姿を想像すると可哀想にさえなってきますな。

本に戻って、内容が推測されそうなものを少し目次からピックアップしよう。

・品行方正で怒りっぽいネット住人
・「怒りの代理人」がウヨウヨ、要はいじめたいだけ
・読解力がなく、ジョークも通じない人々
・クレームという名の粗探し
・1億2000万パケットを自慢する暇人
・暇人はせっせと情報をアップし、リア充(※リアルな世界で忙しく充実してる人)はその情報の換金化にはげむ
・e.t.c………。

目次だけ読んでも面白そうでしょ?


「ネットが無い時代にもともと優秀だった人は、今でもリアルとネットの世界に浮遊する多くの情報をうまく編集し、生活をより便利にしている。ネットがない時代に暇で立ち読みやテレビゲームばかりやっていた人は、ネットいう新たな、そして最強の暇つぶしツールを手に入れただけである。」(本文より)







港町が好きで、旅の途中で港があると思わず足を止めてしまいます。

港といってもヨットが浮かぶようなそれではなくて、漁船が係留されている港です。

ヨットが浮かぶ方は港というよりハーバーと言った方がイメージが近いですね。
私が好きなのは生活感を感じられる港です。魚臭い匂いが残る港です。
そうです、漁港が好きなのです。

戦場のような賑わいの早朝は、お邪魔にならぬよう注意しながらどんな魚が水揚げされてるか眺めるのも好きだし、その賑わいが嘘のようにひっそりとなる昼過ぎに釣り竿担いでお邪魔するのも好きです。


オーストラリア・パースのフィッシャーマンズワーフのように、食事が目的で人が集まるような所も嫌いではないですが、海産物を食すことが主たる目的ですから「美味しい魚介類が食べられれば別に海っぺたで無くたっていいじゃん」と思います。


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上の写真はマーシャル諸島でのワンカットです。

夕暮れ時の、自分ではなかなか味のある良いカットが撮れたと思ってるのですが、どんなもんでしょうか(欲を言えば後の車をどかしたかった)。

こんな場所は港と呼ぶのはふさわしくありませんね。波止場、というのが正解でしょう。

こんな場所、日本ではなかなか見つけられなくなってきてます。

本当はこんな所でビール飲みながら釣り糸を垂れ、夕陽を待つのが一番好きなのです。








昨晩、


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銀座のこのビル(↑)に入っているお店で食事しました。

八丈島からの直送された新鮮な魚を食べながら、八丈島名物の焼酎を飲みました。

私の好きなくさやもありましたが、こんなフライもありました(↓)。

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ころもで中身が判りませんよね。

トビウオです。

トビウオの刺身や塩焼きは食べたことありますが、フライは初めてです。

飛び魚なんだからフライ(Fly)にするのが一番かもしれません。(笑ってやってください)

海面を飛ぶといってもサカナに変わりは無いので、フライにしたって違和感無いですが、これが糸コンニャクだったりショートケーキだったりすると エッ! と驚くわけです。

食材だってそれなりに適応性ってもんがあるわけでして、とうぜん人間だって相応しい顔ってもんがあると思うのです。

日本の総理大臣、麻生さんでも私はちょっと  なんですが、東国原知事が各国の首脳陣と並んだ場面を想像したらゾッとしました。

素晴らしい知事であるとは思うのですが、総理大臣ってのはちょっと無理があるような気がするんですけどね。

総理としてのリーダーシップがあるってことが大前提ですが、その立場に合った風格やら人相ってものが必要だと思うのです。

なったらなったで、滲み出てくるのかもしれませんけど。

滲み出るかなぁ?







最近、電車の中で本を読む人が増えてきているような気がする。
喜ばしいことだと思う。

通勤電車の中で立派なサラリーマンが漫画を読んでいたり、はたまた周囲の視線も気付かずに夢中でゲームに興じている姿を見ると、悲しくなる。

かくいう私もさすがにゲームはしなかったものの、電車の中でマンガを読んでいた時期があった。
今でもマンガは好きで読みはするけど、電車の中で読みふけるほどでの存在では無くなった。



先日、送られてきた会報誌のコラムを読んでいて驚いた。
日本ではかなりの数の地方でイルカが食用として捕獲されていたのだそうだ。

その筆者も子どもの頃は良く食べていて、“あの味が懐かしい”ような記述までされていた。

正直、ショックだった。
イルカを食べる、という行為にではない。私の無知さがショックだったのだ。

考えてみれば私が子どもの頃に、野良犬を殺して食べている人がいたのだから、海辺で生活する人々がイルカを食べても何の不思議もないのに、あんなに可愛いのだから、ほ乳類だから、とイルカを食べることは有り得ないと思っていた自分が浅はかだった。

2年ほど前に日経新聞のコラムに反論を書いたけど、今読み返せば無知で浅はかブロガーの、馬鹿な戯言だ。

読み返すに恥ずかしさがあふれかえる。
日経新聞社さん、お許しのほどを。バカな自分への戒めとしてその記事は削除せず残しておきます。

今ではイルカを食用にすることは無いと思いたいけど、今だに捕鯨が公然と行われているのはどういうことか。
前々から変だな…と思っていたが、どうやら研究のためというのは建前だけらしい。

「研究のため」と称して私たちの税金が捕鯨に8億円も投下されているらしいが、無益な殺生は止めて貰いたい。

目を覆いたくなるような映像だけれど、以下に映像を埋め込みます。
残虐シーンが苦手な方はご覧になられないよう。

でも、こういう事が行われていた(過去形であって欲しい)事実は知っておかなくてはならないと思うのだ。

だから、本はたくさん読んだ方が良いのだ、という今日の結論。













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世にあまたある宗教の、どれひとつとして経典を読んだことも無いけれど、どの宗教も基本的には人としての道を説き、生きる指針となることが目的ではないのだろうか。

人は誰しも悩み苦しむものだから、その時に指針を与えてくれて心の支えとなってくれれば素晴らしいと思う。

しかし、宗教というものは往々にして心の支えを通り越し、心そのものを奪ってしまっているように無宗教の私には映ってしまうのだ。それ故に争いごとも無くならないのだと。



最近、ガツン!と読み応えのある本に巡り会えないので、某サイトで“感動した本”のランキング上位のこの本を読んでみた。

(ここから先は、もしもこの本をこれから読もうとする方はお読みにならない方が良いかもしれません。ちょっとネタバレします。)

厳格な祖母に幼少期を育てられた少年のもとに死んだと言われていた母が帰ってくる。

母はクリスチャンで、厳格な祖母はクリスチャンであることを止めるか家を出ていくかどちらかにしろと迫り、母は自分の子を置いて家を出たのだ。

このあたりからして私は、自分の子どもより宗教の方が大事なのかと違和感を覚えた。
確かに家を出ても子どもには会うことは出来るだろうけれど、この母は祖母が死ぬまで一度も子に会いに来ていない。

青年となったこの息子は、自らの命と引き替えに多くの人の命を救うのだが、その時にこの母は、
「息子の死は悲しいけれど、これほど多くの人に感謝され祝福された死はないのだから嬉しい」と語る。

逆だと思うのだ。
「多くの人に感謝され祝福されたことは嬉しいけれど、こんなに悲しいことはない」というのが親というものだろう。

人は何のために生きるのか。
人のために生きるというのは立派なことだ。けれどわたしはこの本からは、そのようなメッセージを受け取ることは出来なかった。
まるで宗教のために生きているような印象を受けた。

物語の主人公は実在の人物だそうだ。
それを思えば、ここまで他人のために尽くすことが出来るのかとある種の感動もあったけれど、宗教に対する嫌悪感もしっかりと残ったのも事実だ。








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一昨日、入会しているダイビング協会から会報が送られてきた。
その中に、昨年のダイビング事故報告が載っていた。
報告件数は1年間で44件。実際のダイビング事故はもっと多いだろう。

それらを読むに、事故に至る原因はパニックや技術不足がほとんどだ。
中にはボートクルーの操作ミスや、深読みすれば同行インストラクターの注意不足とも思われる内容のものもあったけれど、基本的に技術未熟による事故の発生、技術未熟によるパニックが多い。

中には体調不良を無視して潜ったり、持病による事故もあった。

これらの記事を読み、自らの戒めとして常に忘れないようにしておこう。



そうそう、忘れない…といえばあの人。

更迭された鳩山前総務相がアッソーさんから貰ったという手紙。
送り手本人に問い質せば「コメントはありません」。

忘れちゃった…って事でしょうか?

日本郵政の次期社長候補はいたのか、と聞いても「コメントはありません」。

これじゃぁ「はい、送りました。候補もいました」と言ってるのと同じ。

何考えてるんだか………。











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パッティング練習グリーンのわきに咲いていた花です。

ネギ坊主にスプレーで色付けしたのか、はたまた造花かなと触ってみたら、ちゃんと花でした。
アリウム・ギガンチュウムというのだそうです。


ここ数年来、私は年間6?8ラウンドしかゴルフをしていなかったのですが、昨年の年末あたりから回数が増えだして、今年は既に10ラウンド目を数えました。
自分の仕事テリトリーが変わったことで、ゴルフのお付き合いも増えています。

先週末、肘が痛み出しました。
整形外科に行ったところ、上腕骨外上顆炎だと言われました。
テニス肘は有名ですが、それに似たゴルフによる肘痛だそうです。

私が「どうすれば良いのでしょうか?」と聞くと、
「もっと鍛えてください」。

毎日では無いですが、腹筋と一緒に腕立て伏せもしてるので、
「年齢の割には鍛えてる方だとおもうのですけど……」と言うと、
「握力の方は?」

はい、やってません。

年ですね(-_-;)

よし! 握力の方も鍛えてみるか…と、その時は気合いも入ったのですが、結構これってシンドイんですよね。

鍛えることが辛いのではなくて、日々継続する事が難しいのです。
ひと皆、それが出来ずに苦渋するんですよね。


そうそう!

この日、ゴルフ場からの帰路、高速道路に自転車で乗り込んできた人の姿を見かけました。

過去何度か高速道路の降り口から自転車で入っていっちゃった人のニュースを見聞きしましたが、この目で実際に目撃したのは初めてです。

しかし、道路って事で即座には違和感を感じないんですね。
しばらくして「アレ? ここ高速道路だから自転車で走っちゃダメじゃん」と気付きました。

反応も鈍くなってきてますf(^_^;)











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所用で銀座に出て、地下通路を歩いていたら子供たちの絵画が展示されていました。
幼稚園前の幼児から小学校高学年まで、受賞作品が展示されていました。

実は私も幼稚園の頃に絵を習っていた記憶があります。

習い始めた経緯も、止めてしまった理由も時期も、まるで思い出せないのですが、絵画教室に通っていた頃の作品は、スケッチブックのまま今でも私の手元に保管されています。
私の下手さは歴然としていますが、展示されていた作品を見ながら、もしも習い続けていたら今ごろはどうなっていただろうと考えていました。

上の絵は弓立紗子さんの小学校1年生の時の作品です。

そしてこれが16歳の時の作品。

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私もこれぐらい上手に描けるようになっていたでしょうか。

山登りをしていた頃、写真をアルバムに整理する際、色鉛筆でちょっとした絵や、行程を描いて一緒にファイリングしていましたが、絵を描いたのはそれが最後のような気がします。

実は、この素晴らしい作品を書いた弓立さんは、不慮の事故で亡くなられたそうです。
16歳だったそうです。上の絵が最後の作品だったのではないでしょうか。

彼女が成長するにつれ完成度が上がっていくかずかすの作品を見ながら、展示場の終盤にさしかかったら、彼女の直筆と思われる句が並んでいました。

そのひとつを読んだ時、はからずも涙が出てしまいました。



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いや?、忙しかったぁ!7ebe2e2a.jpg

火曜日から出張続きで、今日は朝から溜まった伝票整理にメールへの返信、来客に出張精算やらで昼食摂る時間もままならず、ようやっとコーヒーブレイクです。

ということで、コーヒー飲みながらキーボードを叩いているワケですが、実は私、ことゴルフ・コンペに関しては運の良い方で、滅多に手ぶらで帰ることはありません。
毎回必ずと言って良いほど、何かしら賞品を戴いて帰ります。
ゴルフ・コンペ特有の飛び賞(10位、20位など切りの良い順位に賞品が出る)に大抵絡むのです。

なので私を良く知る人から、私が飛び賞貰う度に「ホントに手ぶらじゃ帰らないなぁ」とたびたび言われます。

賞品を戴けることは確かに嬉しいのですが、時にはとても複雑な気分の時もあります。

写真のトロフィーは数年前に優勝して頂いたものです。
この時、私は109回も叩いてしまい、気分は最低でした。(通常は93程度です)

お風呂に入っても気分はモンモン。出来うることならこのまま帰りたい気分でしたが、礼儀として表彰会場に戻ると、
「タカラガイさん、おめでとう! 優勝です!」。

自分としては最低のゴルフ内容で、それを「おめでとうございます」と言われても、何だかしっくりきません。

釣りに行って一匹も釣れなかった帰り道で、「それは可哀想に」と漁師さんからタイを貰ったような気分です。

それでも優勝だぞ!スゴイだろう!と帰宅するとかみさんは、「賞品は貰っておくけど、それ(優勝トロフィー)は邪魔だから会社に持ってってね」と私の心にグサッと追い打ちをかけてくれました。

実は昨日もコンペでした。セミナー受講者の親睦ゴルフ会だったのです。
トーナメントも行われる難コースを91で上がり、自分としては満足のゴルフだったのですが、今回は運悪く賞品は戴けませんでした。

賞品は貰えなかったのですが、参加賞を戴きました。

帰宅してそれをかみさんに渡すと、










「エッ!? これだけ?」。






私の職業をプロゴルファーと思い込んでるのかもしれません。

いつの日か真実を語らねばならないようです。









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南の島の散髪風景です。

お兄ちゃんが弟の頭をバリカンで刈ってあげてます。
なんとも微笑ましい光景に思わずシャッターを切ったのですが、思えば私も昔は愚息どもの頭を刈ってました。(この頃

自分でなかなかの腕前と自認し、これなら隣近所に声を掛けてちょっとした週末のアルバイトに出来るかな、と本気で考えていたほどでした。

ところが、そんな私でも困ったのが愚息2号です。
思うように刈らせてくれないのです。

襟から入り込む髪がチクチクするのを嫌がって、散髪道具一式を出すのを見ると逃げまくりました。

結局、2号が寝てる隙にチョキチョキとやるのですが、ある時、途中で目覚めてしまい、続きを刈る事が出来なくなってしまいました。

左だったか右だったか忘れましたが、頭の半分だけバリカンで刈り上げられ、反対側は長髪のままというパンク・ファッションさながらのヘアスタイルの完成です。(アッ! 未完成か!)

私たちは大爆笑してましたが、本人はそんな頭だとも知らず、寝起き悪くぐずっていました。
いま思うと、あの時の写真を撮らなかったのが本当に残念です。

そんな愚息たちも、今では床屋ではなく美容院に行っているようです。

わざわざ買い揃えたハサミに櫛、バリカンの、我が家の散髪セットが日の目を見るのは、私が寝たきりになった時のような気がしています。

その時、私の頭を刈るのはかみさんでも愚息でも無く、1号でも2号でも良いので、その嫁さんであることを願っているのですが、それは無理な望みというものなんでしょうね。







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