今週あたりから飲み会が入り始めました。
毎年恒例、師走にかけての避けては通れないセレモニーの始まりです。
この前に痛風の事を書いたばかりの私としては、何とか発病することなくこの時期を乗り越えたいところであります。
昨夜は四谷の荒木町に出向きました。
むかしこの近所に私が担当するお客さんがあって、この界隈はよく飲み歩きました。
ちょっと横道の路地に入ると、昔ながらの定食屋さんや居酒屋があって、往年の風情が未だに残っています。
右の写真は、そんな昔から続く割烹料亭の一室です。
調度品の数々が歴史を物語っています。
陸軍の駐屯地が近所にあったころ、軍部の人がここで作戦会議を開くことが度々あったそうです。
真珠湾攻撃の青写真もここで作成されたのかもしれません。
右の窓からは、昔は池が見下ろせた(この部屋2階です)そうですが、隣りにマンションが建てられた際に埋められてしまったそうです。
粋な女将の気っぷの良い話しと美味しい秋田料理に酒を堪能し、日本の料亭の良さを再認識した夜でした。
今のところ、痛風が出そうな気配はありません。年内、何とか乗り切りたいと思っています。
毎年恒例、師走にかけての避けては通れないセレモニーの始まりです。
この前に痛風の事を書いたばかりの私としては、何とか発病することなくこの時期を乗り越えたいところであります。
昨夜は四谷の荒木町に出向きました。
むかしこの近所に私が担当するお客さんがあって、この界隈はよく飲み歩きました。
ちょっと横道の路地に入ると、昔ながらの定食屋さんや居酒屋があって、往年の風情が未だに残っています。
右の写真は、そんな昔から続く割烹料亭の一室です。
調度品の数々が歴史を物語っています。
陸軍の駐屯地が近所にあったころ、軍部の人がここで作戦会議を開くことが度々あったそうです。
真珠湾攻撃の青写真もここで作成されたのかもしれません。
右の窓からは、昔は池が見下ろせた(この部屋2階です)そうですが、隣りにマンションが建てられた際に埋められてしまったそうです。
粋な女将の気っぷの良い話しと美味しい秋田料理に酒を堪能し、日本の料亭の良さを再認識した夜でした。
今のところ、痛風が出そうな気配はありません。年内、何とか乗り切りたいと思っています。