タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2007年02月

ミクロネシア連邦のコスラエ島に行って来た。
これでチューク(2004年),ヤップ(2004年),ポンペイ(2003年),そしてコスラエとミクロネシアの州(島)全てを訪問した事になる。
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ミクロネシア連邦は各島がそれぞれ、昔ながらの文化・風習を未だにそのまま継承しているので“連邦”といっても、それぞれまるで異なる島々だ。

コスラエの第一印象は子供達の笑顔だった。どの子も屈託がなく、人なつっこい。
昨年訪れたヴァヌアツのタンナ島の子供達も素晴らしかったけれど、タンナ島とコスラエ島では根本的に異なることがあった。
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それはタンナ島は電気が無いので、テレビもラジオも一般家庭には無い。
けれどコスラエ島は全ての家には無いけれどテレビはある。デッキもあるからビデオも観ることが出来る。
物資もタンナに比べればコスラエは充分すぎるほどあった。

それでもコスラエの子供達はテレビ・ゲームをするわけでもなく、ましてやテレビばかりを観ている子供の姿もなかった。

川で水浴びしたり落ちてる棒きれで遊んだり。そして何より驚いたのは子供達が実に仲が良いのだ。喧嘩している光景を一度も見なかった。

島の人々はみんな親切で、行く先々で随分お世話になった。
そんな島民の優しさが、そのまま子供達に現れているような島だった。


海外で暮らすの人に日本からお土産を持っていくとしたら何が一番喜ばれるか? いつも悩んでしまう。

梅干しや納豆なんかは海外で入手出来ることは稀だけど、好き嫌いがあるからなぁ。
現地で暮らす人の嗜好が分かれば悩むことも無いのだけれど……。

今日の夜からミクロネシアへ向かう。
今回、この仕事の橋渡しをしてくれた御仁にお土産を…と考えていたら、先方から希望の品の指定がきたf(^_^;)
梅干しに納豆、そしてクリームシチューの素だった。クリームシチューは「ハウス」と銘柄も指定された。

実はこの御仁、大の酒好きなので焼酎でも買っていこうと思っていた。しかし、昨年のイギリスのテロ事件以来、アメリカへのセキュリティーは更に厳しくなって液状及びチューブ状の物は機内に持ち込みが出来なくなった。マニキュアやチューブに入った歯磨きもダメ!

機内持ち込みでなく預けるボストンバッグに入れれば良いのだけれど、途中でビンが割れたり紙パックが破れたりしようものなら、向こうで酒の匂いプンプンの衣類を着なくてはならない。(現に知人はバッグの中でビンが割れてしまっていたそうだ)

指定の品は買い求めてバッグに詰めたけれど、自分の気持ちが収まらないので危険覚悟で焼酎を同梱した。

無事に御仁の元に届くことを祈ろう。

魚たちの名前が変わるらしい。
メクラ、オシ、バカ、テナシ、アシナシ、セムシ、イザリ、セッパリ、ミツクチなどを含む魚たちの和名を変更するのだそうだ。

前々から私は、この差別用語というものが良く分からなくて何でかなぁ?と今でも解せない。
私の母方の実家は農家だけれど、決して自分たちを農民とは呼んでいない。

かなり昔の事だけれど「トラック野郎」という映画(菅原文太と愛川欣也のコンビ)がロードショー公開されているとき、大型運転免許証を提示すると割引された。
列に並んで「学生二枚!」「大人一枚、子供二枚」「運転手、一枚!」に続いて「百姓一枚!」と言ってチケット購入した人がいたと誰かに聞いた笑い話(実話)を覚えている。

それほど当人は気にしていないと思うのだが。
早くに亡くなった父方の祖母は全盲だったけれど、目の不自由な人…とは呼ばれなかったけど気にも留めていなかった。

むしろ差別用語でなくても心で(酷い人は態度で)差別している方が問題だろうに。差別とはその呼称ではなくて接する人の心と態度の問題だ。まさか目の不自由な人を前にして、メクラと呼ぶ人は居ないだろう。
そのような状況下で今回、改名する魚たちの名前を言わざるを得ない場合のための改名なんだろうな。

あのオオモンイザリウオも、これからはオオモンカエルアンコウと呼んであげないといけないそうだ。

ま、呼ばれる魚の方は名前で私たちが呼んだところで素知らぬ振りのどうでも良いことだが、今までコツコツと作ってきた私の「海中図鑑」の修正を思い出したら気が重くなってきた悲しい

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