タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2006年10月

突然に、まさに唐突に懐かしい昔の光景がフッと脳裏に蘇り、胸の下あたりがキュンとなった経験は無いですか?

昨日、知人とのゴルフで早朝の都会を抜け出ようとしている時に、まさにこの感覚に襲われた。
頭の中に現れた記憶は、特別に忘れ得ないような想い出ではなく、何で今頃…と思えるような、取るに足らない昔の情景だった。それは小学校時代のものなのだけれど、何だかとても郷愁を誘った。
その小学生の頃の、すっかり忘れていたはずの記憶が、鮮明に脳裏に蘇ると同時に軽い胸苦しさのようなものが襲ってきたのだ。

とっても不思議な感覚だった。その胸苦しさは決して不快なものではなくて、懐かしさに溢れる感じ…と言ったら良いのか。何にせよ、料理の味を文字で表現するのと同じで、こればかりはこれ以上を私の文章力で表現するのは無理のようだ。

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この不思議な感覚は暫く続いたかと思うと、フッと無くなり、また暫くして別の忘れていた情景と共に蘇ってきた。それが何度か繰り返されるうちに車の運転に注意を払うようになったためか、いつの間にか無くなってしまった。

ゴルフ場からの帰途、あれはいったい何だったのだろうと渋滞の関越道路で考えていた。
多分にその前夜の事が影響しているとしか思えなかった。

その前夜は私が卒業した中学校の同窓会だった。会としては2回目、4年ぶり。卒業してからン十年振りの、懐かしい友との再会だ。
みなオジサンにおばさんであるのは当たり前としても、すっかり頭頂部が薄くなっている奴や、デップリと貫禄見事なお母さんもいる。01c8b93b.jpg


新宿の高層ビル53階でお昼の12時から開催された同窓会は、別の高層ビルの1階に場所を変えて2次会に突入。その後は赤坂や地元の居酒屋へと三々五々に分かれて深夜まで話は尽きることがなかった。

私は翌朝のゴルフに備えて早々に失礼させてもらったけれど、それでも12時間飲みっぱなしのしゃべりっぱなしだった。

車の運転中にフラッシュバックしたように唐突に沸き上がってきた昔の想い出は、中学時代を通り越して小学生時代のものだったけれど、きっと記憶を担当する神経は寝ていなかったのだ。
ゴルフ当日の朝、酒が残ってカスミがかかったような私の脳ミソは、まだ仲間との会話を続けていたのだ、きっと。

中学で3年間、高校3年間、そして大学で4年間。都合10年間(浪人時代入れればそれ以上)も英語の勉強をしていながら満足に英会話が出来ないというのはどういうワケか?

趣味と実益を兼ねて、いま南の国にプロモーションを仕掛けている。残念ながら今回の企画はどうやら通らなかったようだけれど、悔しいのは自分の語学力の低さだ。
何とか自分の意志や考えを伝える程度の会話力は備わっているけれど、流石に仕事となると私のレベルではおぼつかない。ちょっと早口で話されるとサッパリ聞き取れないし。

小学生の英語の授業を増やすとかどうとか言われているけれど、ほかの科目を削ってまで英語の授業を増やす必要など無い。
私のように10年以上も英語授業に付き合って(しかも私は成績優秀な方だった)、それでも英語で満足なコミュニケーションが取れないというのは、教え方が下手か間違っていたのだと、なぜ気がつかないのか?

笑い話じゃないけれど、英語圏なら2歳の子供だって英語でおねだりしてるじゃないか。しかし何も英語ドップリの生活をする必要も無いのだ。勿論その方が修得は早いだろうけど。
毎日ボールを蹴っている子供がメキメキとサッカー技術を上達させるけど、だからといって朝から晩までボールを蹴ってるわけじゃない。少しで良いから英語、しかも会話で接するようにすれば良いだけだと思うのだ。

深夜まで辞書に首っ丈にならざるを得ないような勉強をさせるより、1日30分でも英語で話す機会を与えてくれていたら、わたしの南の国へのプロモーションも上手くいって、今頃は短パン&Tシャツ姿で商談をしていられたに違いない。
それより企画そのものが悪かった、ってコトは今日のテーマでは不問ということにしておこう………(涙)。

きのうの日曜日。
前々からもう一度観たいと思っていたウォーレン・ビーティ&アネット・ベニングの『めぐり逢い』をようやっと発見。早速レンタルしてきて鑑賞した。

この映画、ケイリー・グラント&デボラ・カー、その前にはシャルル・ボワイエ&アイリーン・ダンが『邂逅』という邦題で(この作品が最初かな?)、そして新しいところではトム・ハンクス&メグ・ライアンの『めぐり逢えたら』と、何度もリメークされているけれど、私はこのウォーレン・ビーティ&アネット・ベニングのコンビ作品が一番好きだ。

途中で出てくるタヒチ・モーレア島の景色も良いし、それ以上に何と言ってもアネットの笑顔が最高! 
そしてラスト・シーン。エンパイアステートビルの屋上で待ちぼうけをくった主人公・ウォーレンが、途中で事故に遭い会うことが叶わなかったアネットに「待たせてしまって悪かった。だからお詫びを言いに来た」という、あのセリフ。格好いいなぁ。まさにこれぞ男の優しさ…ってヤツですな。アネットはこのセリフに参ってウォーレンと結婚したんじゃあるまいか、と思えるほどの名セリフだ。

あまり評判にはならなかったようだけど、この作品は秀作だと思います。この作品の後にトム・ハンクス&メグ・ライアンのリメーク版が出たというのは非常に残念。リメークしたなら前作を超えなくちゃ、ネ。

その昔、学生時代にオートバイで日本全国を走り回っていたころ、何度も人の親切を受けた。

東北地方、確か秋田県だったと記憶するけれど、道順を教えてもらおうと道行く人に声を掛けた。それはそれは親切に一杯教えてくれたのだけれど、残念なことに一寸見ご高齢なそのご婦人の話す内容がまるで理解できなかった。英語の方がまだ理解できたかもしれない。結局分からずじまいで若い人に教えてもらった。ちょっと訛りはあったけれど標準語だった。
私の顔には、きっと「コトバガ、リカイデキマセン」というメッセージが現れていただろうに、そのご婦人は一生懸命説明してくれた。そして別れ際にリンゴ(だったと記憶する)をくれた。

鹿児島の海辺でテントを張り、さてボチボチ食事でも作ろうかと支度を始めたら「うちに泊まりなさい」と声を掛けられた。何度も固辞していたのだけれど、「明日から天気が荒れるよ」の言葉に結局お世話になることにした。お風呂に夕飯までご馳走になり、泊まった場所は納屋だったけれど、干し草の臭いに包まれ暖かくてシュラフ不要で眠れた。そして翌日。あるじの言葉通り荒天となりもう一泊お世話になった。テントで寝ていたら、きっと夜半に起こされ雨中の撤収に泣いていたことだろう。

長崎の港で寝ていたときは、酔っぱらいに声を掛けられた。こちらもこれから俺の家に来いという。酔っぱらいについていく訳にはいかないから、こちらも頑なに断ってたら、ナント!200?近い重量の私のオートバイを小さな渡し舟に勝手に乗せてしまったのだ。舟は見事に傾いた。転覆してオートバイが海中に沈んでは困るので舟の反対端に座り込んだ。そのまま島に連れていかれた。高島という炭坑の島だった。そこの寮に着くなり、その酔っぱらいのおっさんと酒盛りになってしまった。意気投合した。結局、2泊3日間その寮にご厄介になった。その炭坑も今は閉鎖されている。

時には「親のスネをかじって遊び惚けている奴に売るガソリンなぞ無い!」と罵倒されガソリンを売ってもらえなかった嫌な人間もいたけれど、まだまだ数え切れないくらい色んな人に親切にしてもらった。

以来、今度は私の番だと思っているのだけれど、なかなかチャンスが巡ってこない。

海外旅行をするようになって、日本の素晴らしさやスゴさを再認識するようになった。
日本を知らずして何が海外だ!と学生時代はひたすら日本国内をオートバイで走り回っていたけれど、外国から日本を見ることも大切だと最近は感じる。

欧州には行ったことが無いけれど、サンフランシスコやロサンゼルス、シドニーを見ても日本の東京ほど大きな都市はないと実感する。こんな大都市、世界中で他に無いのではないか。

南方の島で家族23人を持つ家主に会ったことがある。その時、彼は私に椰子の葉で編んだコースターを売りに寄ってきた。5つで確か$2だった。それが彼らのひと月の収入だそうだ。それなのに悲壮感など微塵もない。食するには困ることのない場所だからだろうと思う。サカナも果物もふんだんにある。

サンタモニカの海ではイルカの姿も見たけれど、船が1艘も浮かんでいなかった。釣りだの漁だのする人が少ないということだ。

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「原爆実験をするぞ!」と息巻く国にも行ったことは無いけれど、彼らの生活振りが想像できる。きっとひと月2$以上は収入があるだろうけれど、あの裸の王様のもとでは彼らの生活振りが窺えて、気の毒でならない。

グローバリズムの時代だそうだが、そんなことは私にはどうでも良いこと。でも、いま世界がどのようになっているのかは知っておくべきだと思う。日本しか知らない井の中の蛙にはなりたくないから。

そんな意味でこの本は読んで損は無いでしょう。『塗り変わる世界地図の読み方 21世紀の大再編が始まる!』(藤井厳喜・著)
内容的に賛同するか否かは、それぞれが自分で判断すべきだと思うけれど、世界の見方が少し変わる。ちょっと視点を変えて物事を見るのも大切だろう。

そうそう! 八丈でこの話を聞いたときには絶対に書こう!と思っていたのに忘れていた(^_^ゞ
八丈島で宿泊した際、一人で来ていた女性ダイバーと一緒になった。八丈島は近くてダイバーには有り難いですね…なんて話していたら、ナント!その女性ダイバーが「日帰りダイビングをしたこともありますよ~」。
私が「????」状態でいると、朝一番の飛行機で来てダイビングをし、最終便で帰るのだそうな。cd2b08d7.jpg


ダイビング後は1ダイブなら12時間、2ダイブなら24時間は飛行機に乗れないと記憶していたのだけれど、彼女および宿の店主(彼もバリバリのダイバー)そろって言うには「八丈の飛行機は高度が低いから大丈夫なんだよ。むしろ伊豆の箱根越えの方が危ない」。

確かに機密性の高い飛行機が高度を低く飛べば箱根の峠を車で越えるより気圧変動は少ないだろう。けれど、そういう問題だろうか?
「八丈島のショップではそれを許しているの?」と聞いたら、ほとんどのショップがOKなんだそうだ。

いくらショップが過当競争状態だからといっても、果たして良いのだろうか? 最終的には自己責任なんだろうけど、事が起こってからでは遅いと思うんだけどなぁ。

金曜日の夕方、全日空の最終便で八丈島に渡った。
“八丈ブルー”と呼ばれる海の蒼さを体感してみたかった。

土曜日と日曜日に潜り、月曜の朝一便で羽田に戻り出社。定時に1時間ほど遅れてしまうけれど、私にとって手軽なダイビング候補地になった。
ダイビングの話は後述するとして、初めて訪れた八丈島の感想などを。
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街の中を車で移動すると、やけに綺麗な新築の家と、主人無き廃屋が目に付いた。聞いたところでは新築の家は、街の道路拡張に伴う移転費用で建てられたものだそうな。

一方、廃屋の方は離島によるものかと思ったら、高齢者の住まいで家主の死去によって朽ち果てた家がほとんどではないか、との事だった。

拡張され綺麗に整備されている海岸線を走っていたら、とても立派な建物が目に入った。八丈島で一番立派なホテルだったそうだ。“だった…”というのは、数年前に倒産しそのまま閉鎖されているのだという。

確かに観光するにしても八丈島は見所が少なすぎる。だから観光では成り立たない。温泉はとても素晴らしいお湯が豊富に出ていて、眺望も良くて最高なのだけれど、温泉に入るためだけにこの島を訪れる人は少ないだろうと思う。772b6a61.jpg


食べ物に関しては、島寿司とあしたばソバ&うどんはマァマァ…といったところだったけれど、焼酎とくさやは絶品だった。飲み比べで7種類の焼酎を試飲したけれど、個人的には「磯むすめ」と「黄八丈」「島流し」が好みの味だった。これも年によって味が変わるらしい。

小さな子供連れで磯遊びやキャンプも楽しそうだけれど、結局はダイビング客が一番のお客様なのだろう。

この小さな島に28ものダイビングショップがあると知って驚いた。まさに過当競争だ。リピート客を確保するために、各ショップはサービスを充実させているのだと想像できる。

確かに海の中は素晴らしかった。魚影の濃さも魚種の豊富さもさることながら地形の面白さも楽しめる。

私自身の日本でのダイビング経験が少ないので、あまり偉そうな事は書けないけれど、伊豆の雲見や神子元へ行くよりお手軽だと感じた。問題は台風の影響を受けやすいことか。8c2d456e.jpg

実際、計画して一度は台風の進路が気になり日延べにしたのだ。郵送してしまったダイビング機材を追いかけるようにして2週間後にやっと渡れた。
渡ってから海況が悪くて潜れないのは運が悪かった…で済むけれど、仕事を持つ身では台風で戻れません…が一番恐い。これさえ無ければダイバーにとって八丈はとっても素晴らしい島であることは間違いない。

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