タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2006年06月

サッカー日本代表を応援しようと早朝3時過ぎにベッドを抜け出した。
でも、前半20分を過ぎたあたりから心は日本を応援せず、目は華麗なブラジル・サッカーを追っていた。

前半30分過ぎに玉田が見事なシュートを決めてくれて、再び心も目も日本を応援し始めたけれど、ロナウドの同点弾以降は完全に黄色のユニフォームを追っていた。

中田も中村も小笠原も、どうしちゃったの? と思ったけれど、決して調子が悪かったワケじゃなくて、ブラジルの方が数段レベルが上だったってことだろう。まるで小学生と中学生の試合を観ているようだった。

試合が終わって、中田がピッチに倒れたまま泣いている姿や中村の、あの本当に悔しそうなコメントを聞くうちに、彼らも試合に負けた事より、自分たちのサッカーがブラジル相手に殆ど通じなかったという悔しさの方が強かったのだろうと思った。

20年ほど昔、フットサルの大会で日系3世のブラジル・チームと当たったとき、私たちのチームは12対1で完敗した。大差で負けたことより自分の技術レベルの低さが悲しかったのを思い出した。

今日の日本代表たちも同じ気持ちだったのではなかろうか。

ミクロネシアのコスラエ島で農業支援のボランティアをしている老人と知り合った。
1200万円を注ぎ込んで、中古のトラクターやら耕耘機を購入したそうだ。

日本政府もかなりの額のODA予算をこの周辺諸国に投じているけれど、所詮、政治家や役人がやることで、それがどれほど役に立っているか甚だ疑問。だって一昨年訪れたチュークで、日本が2億円も捻出して造った製氷工場が、氷なんか作られずに島民たちの洗濯物干場になっていたもん。
電気もまともに使用していないような島で、氷を造ってどうするつもりなのか?

で、話を元に戻すとしよう。先のご老人は1200万円という資金だけでなく、自ら島に渡って島民たちに農業支援を行っているのだそうだ。70才という年齢で、しかも交通事故の後遺症で足がまだ痛むらしい。

確かに取り敢えずはお金が一番必要だけれど、現地が最も必要としているのは知識と労働力だ。

……閑話休題……

私がマーシャル&チュークを訪問した3ヶ月後、タイで大きな地震が起こり津波で各地に大きな被害が出た。
その中のひとつの島・ピピ島も津波にさらわれ、大きな被害を被った。あの時の悲惨な報道映像は、今でも脳裏に焼き付いている人も多いだろう。7b223a7b.jpg


私を知る現地のダイバーから、この地震で孤児になった子供たちのために、日本向けの絵本を出して支援活動しているのだが手助けしてくれないかと要請があった。

ピピ島はその2年前、2002年に潜りに行った島だ。とても美しく、そして豪快なダイビングが楽しめた。
二つ返事でOKして、いくつかの出版社にパブリシティを依頼した。

本当だったら私自身もコスラエ島やピピ島に行って、彼らの支援活動に参画したいところなんだけど、仕事を持つ身では無理だ。物見遊山で終わってしまうのがオチだ。
私は子供が好きなので、ピピ島での支援は本当に協力したい。でも、出来るのはせいぜい絵本を数冊購入するだけだ。

コスラエ島の方は、ご老人が告知のためにカラー・コピーを何枚も取って配っていると言うので、そんな無駄なことは止めた方が良いと、ホームページを作ってあげることにした。これなら私でも協力できる。
デザインは恥ずかしい限りだけれど、中のコピーはそのご老人の思いがギッシリ詰まっているので、興味のある方、お時間がある方は是非一度見てやってください

こんな程度しかお手伝い出来ないことに地団駄を踏む思いなのだけれど、よくよく思い返してみれば私もかれこれ20年近く子供にサッカーを教えている。自分がプレーするのが好きでサッカーを続けているから、少しもボランティアって感じではないのだけれど、これも無償でやっているのだからボランティアだ。
好きなことから始めるのが一番大切なのかもしれない。でないと続かないから。続かない行為は、自分自身にとっては勿論、受け手側も苦痛になると思うのだ。

子供たちにサッカーを教えていることは以前にも書いたけれど、試合の結果によって子供たちに言う台詞を変えていた。

子供たちが勝ったときは「君たちの力、頑張りの結果だ」と語り、負けたときは「コーチ(私)が悪かった。相手チームをもっと研究するべきだった。君たちはよく頑張った」と励ますことにしている。

で、昨夜のワールドカップ、日本vsオーストラリア戦。
私はジーコの采配ミスだと思っている。
運良く1点取れたあと(あれだって反則だと言われ得点にならなくても文句は言えない)、柳沢はじめ宮本らディフェンダーも運動量が極端に落ちていた。
それなのに何故、ジーコは小野しか投入しなかったのか? 怪我の坪井に変えて茂庭を入れた際、何でシフトを変えたのか? なんでもっと早く大黒を投入しなかったのか?

初戦惨敗した日本代表に、私が教える子供たちのごとく「君らは良く頑張った」とは決して言いたくは無いけれど、ジーコの采配ミスが最大の原因だと私は思っている。監督としてヒディングの方が勝っていたのだ。

名選手必ずしも名監督にはなり得ない…って事か? ライカールト始め名選手であり名将もいるんだけれどなぁ………。

某出版社の取締役が任期満了にて退職され、その送別会が昨夜あった。

勤続年数を伺って驚いた。
入社は昭和31年。ということは勤続50年だ。
50年。実に半世紀のも間、働き続けてきたことになる。

私は仕事の愚痴を言う奴が嫌いだ。単発的な仕事(作業)の愚痴ならば、まだ許せるけれど、仕事全体や自分の上司などの愚痴を言う輩が嫌いだ。

ガード下の居酒屋などで、よく愚痴を言い合いながら安酒をあおっているサラリーマンを見かける。
愚痴を言ってどうなるというのだろう? 翌朝、二日酔いのガンガンする頭で再び愚痴の根元である会社に出向くのか。

愚痴を言っても何も変わらない。むしろ自分の心の中の嫌悪感を増幅させるだけだ。
そんなに嫌なら、それを自分が好きになるように改善するか、もしくは辞表を出すしか無いことに、何故気が付かないのか? 

先の定年を迎えられた方は、今は亡き私の父の友人でもあって、父の昔話にしばし花が咲いた。
きっと辛かった事もあっただろうに、会話の中には楽しい思い出話しか出てこなかった。
きっと仕事が好きで好きでたまらなかったに違いない。私の父もそうだったように。

仕事なんてものは、ちょっと視点を変えてみるだけで面白く感じたり辛く感じたりするものだ。
他人からはうらやむほどにきらびやかに見える仕事だって、辞めていく人間もいるのだ(私がそうだった)。

生きていくために、生活のために、どうせ働かなくてはならないのだ。嫌々やっても楽しくやっても仕事は仕事。どちらが良いかは問うまでもない。

仕事を辞めるとき、昨夜の方のように楽しい思い出話をし胸を張って第二の人生に向かうべきと、つくづく思った。



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