タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2005年11月

日帰りで四万温泉へ行って来た。

実は数年前まで、私は四万温泉は“志摩温泉”で伊勢志摩の方にでもあるものだと思っていた。
知人が「シマ温泉はいいよ?」と言っていたので、何処にあるのか改めて探したら“四万”と書き、群馬県にあるのだと知った次第。
殆どテレビ、特にドラマは見ないので知らなかったけど、ココ四万温泉はNHKドラマ『ファイト』の舞台なんだってね。4e43bb47.jpg
温泉街では至る所に『ファイト』の文字があった。

私の会社が協賛加盟する商工協同組合の視察・親睦会での日帰り温泉ツアーで、それに参加したのだけれど、集合が上野公園。
四万温泉でも紅葉は少し残っていたけれど、待ち合わせた上野博物館前の紅葉の方が、ご覧通り見事だった。

今朝は通勤電車の窓からお茶の水駅の下を流れる神田川を見ていたら、これまた見事な紅葉が望めた。流石に11月も下旬となれば東京の方が紅葉は美しい。

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左の写真は途中で立ち寄ったフラワーパーク。何のために造ったのか疑問(*_*)?? どうせ県民&市民から集めた税金を地元の企業にばらまいたのだろうな。
入園料は500円だったように記憶するけど、金を払ってまで誰が入るのか? 快晴の土曜日だというのに、見かけたのは家族連れが2組ほどとご高齢のカップルを1組、おばあちゃんを一人…、あとは私達だけだった。

四万温泉はイメージと大違いで、とてもこぢんまりとした小さな温泉街だった。湯はマァマァかな。バスガイドさんはしきりに沢渡温泉を薦めていた。なんでも草津の湯にあたって皮膚に炎症が出来ても、ここの湯に浸かれば治るのだそうだ。
歴史なども色々話してくれたけれど、車中は眠くて意識半分で聞いていたから覚えていない(^_^ゞ

温泉の日帰りツアーなんて初めてだったけれど、なかなか良いものかもしれない。11cf3b87.jpg

料理もちゃんとしていたし、お酒を飲んで寝て帰れるのがなんとも宜しい。紅葉のハイシーズンを外せば空いているだろうし、たまには仲間とのんびり湯に浸かるのも一興かと思う。

銀座の8丁目、並木通りに面して「BRICK」というバーがある。9abc5a51.jpg

カウンターと細長いテーブル席とが用意されているカクテル・バーだ。

前職時代、職場の仲間と良く通った。「軽く一杯ね」なんて言って寄るのだが、“軽く”で済んだことは殆ど記憶にない。大抵、バカな話や議論紛糾して“重く”飲むことが恒例だった。

昨夜、その昔の先輩&後輩&仲間諸氏が私を誘ってくれて、食後に約20年ぶりに寄った。おぼろげながら記憶の残る店内は懐かしく、閉店まで飲んだ。
10年近く昔に利用し、20年ぶりに来たのだから、この店は少なくとも30年以上の歴史があるね…なんて話していたら、創業は1950年だそうな。半世紀以上も営業しているのだ!

移り変わる銀座の街で、このような趣のある店が残っていてくれることは嬉しい。

かれこれ20年近く、地元の小学校で週末になるとボールを蹴っている。
当初は子供達にサッカーを教えていたのだが、最近は自分の体力低下を防ぐために、指導部を離れて自由に参加させていただいている。おかげで年齢以上の体力を保っていると自負している。それでも最近は衰えが目立ってきているけれど…。
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指導者として現役の頃は高学年でも対等以上にサッカーを出来たが、今ではあっさり抜かれたり、ちょっと気を抜いたときにはボールを奪われてしまう。
最近の子供のサッカー技術が高くなった事も事実だけれど、私の体力&技術が衰えてきていることが最大の要因だ。

何度か書いたことだけれど、色んな趣味をもった中でサッカーだけが一番永く続いている。ちょっとしたスペースとボールさえあれば、直ぐに楽しめるのが素晴らしい。ルールもシンプルだから子供でも直ぐに参加できる。
だからこそ世界中でプレーされているのだ。

上の写真が私がお邪魔している小学校のグランドだ。紅葉が綺麗だったので思わず写真を撮ってみた。

年々、子供達の数が減ってきて今では一学年2クラスしかなく、しかも組ごとの生徒数も30数人だそうだ。だから、一つの小学校ではメンバーの集まりが足りないので他校にも声を掛けて募集しているそうだ。

20年近く通ったこの光景が無くならないことを切に願う。
嬉しいことにここ2?3年の間に、このサッカー・クラブの卒業生が指導者として戻ってくるようになった。私の受け持った少年もいる(決して私の指導が下手だから戻ってきた訳ではない…と思う(;^_^A )。
理想的な地域ボランティアの形になってきていると思う。あとは何時まで私を受け入れてくれるか……、いつまで私自身がボールを蹴ることが出来るか……。

指輪やネクタイピンなど、何かを身につけることがあまり好きでない。なのに、どういうワケか腕時計だけは好きだ。

父の形見のオメガ以外、特別に高級なものは持っていない。値段的に一番高かったのは、今年買い求めたダイブ・コンピュータのスキューバプロ。『Xtender V3』という仮面ライダーみたいな名前だが、10万円まではしなかった。
過去、いくつか気に入った腕時計があったが「安物買いの銭失い」とは良く言ったもので、結局壊れてしまって手元にはダイブ・コンピュータを除けば2個しか残っていない。

かれこれ30年ほど昔。父が大量の腕時計を抱えて帰ってきた。聞けば不渡りにあい取引先の商品を持ってきたのだと言う。100個以上はあったと思うのだが、1個しか貰えなかった。その時計も早々に壊れてしまった。
あの時計、父は売りさばけたのだろうか?

好みの問題もあるのだが、父の形見の時計はまだ使用していない。どうも自分の年齢では早すぎるような気がしているから。父がその時計を買い求めたのは晩年になってからだった。多分60を過ぎてからだったと思う。私は60歳の誕生日を迎えたらその父のオメガを着けようと思っている。きっとその時でも正確に時を刻んでくれるであろう私の唯一の腕時計だろう。


スポンサーのご子息の結婚式に招待された。披露宴会場は帝国ホテルの孔雀の間。このホテルの一番広い宴会場だ。
開宴10分前に到着すると、既にロビーはごった返していた。手渡された座席表を見ると、かなりの人数の招待客数だった。関係者に聞いてみたら、280名ほどらしいとのことだった。

私は過去にこのような豪勢な結婚式に列席したことがなかったので、圧倒された。9f5b94f2.jpg
大体、帝国ホテルの孔雀の間といえば、芸能人や名だたる著名人が式を挙げる場所だ。出版社のパーティーなどでは何度も利用しているけれど、結婚式というのは初めてだった。(列席者には議員や歌手なども来ていた)

私自身の結婚式を思い出していた。私の親族は殆どが新潟在住のため、雪の心配を押して新潟で開いた。
私も家内もマスコミ関係の仕事をしていた関係で、新潟での披露宴としては結構派手な式だったと思う。招待客も多い方だと思うのだが、それでも確か120名ほどだったのではないかと記憶する。
酒に酔った私の婆さまが踊り出し、私の名前を連呼して酒を飲めと暴れていたのが懐かしい。その祖母も昨年、他界してしまったが。

私自身としては、結婚式は女のためのセレモニーと思っている。女が一番輝きを放つ時だと思っている。その新郎など刺身のツマのようなものだ。無ければおかしいのであった方が良い…程度の存在だと思っている。
素晴らしい旦那様を得たことが一番幸せなことだろうが、昨日の新婦はあのひととき、まさに最高の輝きを放っていたに違いない。帝国ホテルの孔雀の間という最高の舞台の上で。

ダイビングの楽しみの一つに、ダイビング後のログ(記録)付けがある。私は最大水深、平均水深、エントリー・タイムにイクジット・タイム、水温と透明度、そして使用した機材(特にウェットとウェイト)を記録するぐらいだが、見つけられたサカナたちの名前をしっかりと記録している人も結構多い。

しかし、この時に自分の知らないサカナに逢ったなら、名前を同伴者やガイドさんに聞いておかないと、帰ってから面倒なことになる。図鑑で知らないサカナを見つけるのは非常に骨の折れる作業なのだ。
それともう一つ、このログ付けを皆でするときに「あ?だ、こ?だ」「あそこに××がいたけれど見なかったの?」などとワイワイやるのもダイビングの楽しみでもあるのだ。a812c6ed.jpg

どこの海の何て言うポイントが良かっただの、あそこのショップは良かっただのと情報交換する貴重な時間でもある。

ここ数年、私は海外でのダイビングが殆どになり、スケジュール調整も巧く合致しないため、ダイビング仲間と一緒にしばらく潜っていない。いつも一人だ。出来れば気の合うダイビング仲間と一緒に潜りたいものだ。

先のブログにも書いたけれど、私がゴルフのコンペが好きでないのは、知らない人とラウンドすることが多いからだ。決してゴルフ自体が嫌いなのではない。ゴルフ・コンペで、仮に知人と一緒の組になっても、親しい人とは限らないからだ。

ゴルフにしてもダイビングにしても、バカなことを話し合える仲間とするのが一番だ。そのスポーツ自体は一人で行うものだけど、だからこそ気の置けない仲間と行うのが一番楽しい。一人で楽しむ趣味では、釣りと登山は若干趣が違ってくるけど、一人で行うゴルフやダイビングはやはり少し寂しい。

一人ダイビングの楽しみといえば、帰ってから写真の整理と名前調べをしながら酒を飲むことぐらいだ。ウェッブに記録を残すのも、独りぼっちのダイビングを少しでも楽しみとして自分の中で増幅し昇華させるという意味合いが濃い。

ゴキブリがどうしようもなく嫌いだ。
子供の頃はクワガタと間違えて、手で捕まえても平気だったが、ある時を境に大嫌いになった。

学生時代に西表島を縦断した。その際、道に迷って山中で一晩を過ごすことになった。地べたでウトウトしていたら、何かが私の頬にとまり口に入ろうとする。慌てて手で払ったヤツが5?はあろうかという大きなゴキブリだった。手も口元も油でギトギトになった。
以来、姿を見かけるだけで背筋に寒気が走るようになった。やっと涼しくなってきて、奴らの姿を見かけなくなる季節になったことはとても喜ばしい。

子供の頃は苦手な生き物など存在しなかった。それがゴキブリ口進入事件を境に、ヌルヌル&ベタベタする生き物が苦手になった。カタツムリなどは小学生の頃には自宅で飼育してた事もあるのに、今では大嫌いだ。当然、ナメクジも。

爬虫類は嫌いではない。むしろ好きな部類かもしれない。「チッ、チッ、チッ、チッ」と夜になると鳴き出す南方の住人・ヤモリは、愛らしくてとても好きだ。b36ac279.jpg

数年前まで我が家にも二匹のヤモリが住み着いていた。何時も二匹一緒にいて、夜に帰宅すると外灯のそばで何度か見かけた。

ある日のこと、トイレに入って腰掛けたら目の前にそのヤモリ君がいた。何故か一匹だけだった。私の目の前50?ほどの壁にピッタリとへばり付いている。用足しの暇つぶしにと、つい「フ?」と息を吹きかけたら、相当ビックリしたようで彼(彼女?)はピョンと跳んだと思ったら私の股間にしがみついた。今度は私がビックリして慌てて手で払ってしまった。

それを契機に彼(彼女?)の姿を見ることは無くなった。私は彼らの姿が見えなくなったのは、私の所為ではなく、連れ合いがいなくなったからだと思っているのだが。

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