タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

2005年10月

スポンサーのゴルフコンペで、主催側の社長、前年の優勝者、そしてタレントの岡本夏生とラウンドした。なんとも賑やかなゴルフになった。

e035d0e9.jpg彼女はスタート時点からしゃべりまくりで、会の表彰式でもプレゼンターを自らかって出た。
ゲストは他にも元ジャイアンツの柴田勲、土井正三、青い三角定規の西口久美子なども来ていたけれど、まさに彼女の独壇場…って感じだった。

聞くところによると2組後ろの組でも彼女の声が聞こえたと言うから、その賑やかさたるや凄い! 話している内容はゴルフの話し。次のショットはどう打つか、とかコース・マネジメントをどうするか、とか。
同行プレイヤーのショットに関しては殆ど話さなかったけど、まるでテレビ中継を意識しているようなノリなのだ(勿論、この時にテレビ中継など無い)。

ずっとしゃべりながらのラウンドなのにスコアも50・48とご立派! ドライバーの飛距離は推定180ヤードほどだが、アプローチが抜群に巧いのだ。だから、グリーンまで60ヤードほどになれば必ず乗せてくる。惜しむらくはパットが少々雑なところか。彼女の性格かもしれない(ゴルフと車の運転は性格が出る)。

とにかく賑やかなゴルフでラウンド中も、ラウンド終了後のパーティーも、アッという間だった。
私自身はコンペはあまり好きでは無いのだが、こんな賑やかで楽しいゴルフならコンペも良いものだ。

faee90d2.jpgちなみに優勝は元・巨人軍の土井正三氏。37・36の1オーバー。お見事です。

エッ? わたし? まぁまぁ…でした。総勢60名中14位。賞品は……、ゲストさん達の直筆サイン色紙(^_^;;;


今年7月インドネシア・メナドで潜った際、潜水中に突然、左手の小指と薬指にヒリヒリした痛みを感じた。
船上に戻った際に見てみると、ぷっくりと水ぶくれのようになっていた。聞けばソフトコーラルにやられたらしい。かなり多くの種類のサンゴが刺胞毒と呼ばれれる毒を持つというけれど、今まで刺されたことは無かった。触るようなことはしないから。
しかしこの時はいつの間にか触れてしまったようだった。完治するのに3週間ほどかかった。水ぶくれは当然のように破れ、その後が化膿したようになってなかなか治らなかった。

水中で危ないと直ぐに判断できる奴はいいけれど、岩と同化しているオニオコゼなど、うっかり岩のつもりでつかまれば大変な事になる。だから、ダイビングでは極力手を使わないようにする。自然保護の意味も含めて、サンゴなどの生物(サンゴは植物ではありません)に触るなどはもってのほかのなのだ。

しかし、自分が周囲のものに触れないようにしていても、ナイトダイビングのライトに突進してくるダツ(とがった槍のようなサカナ)や、一部のサメ(ホホジロザメ、イタチザメなど)に遭遇するのは如何ともしがたい。でも、彼らに襲われることは滅多にないから、結局は自分自身が細心の注意を怠らないようにするしかないのだろう。

昨年、ヤップ島でゴマモンガラの襲撃をうけた。60?ほどの大きさで、海底から一気に私達(私とガイド)目がけてアタックしてきた。抱卵期の彼らは巣に寄るものはサメですら攻撃をしかけるそうだ。
こいつはもともとの顔からして、ギャングのような悪そうな顔をしているサカナで、その顔で猛スピードの攻撃を受けた際は本当に恐かった。

海の中は、もちろんそんな危険な奴らばかりでは無いけれど、注意しておくに越したことはない。彼らにとっては人間が一番恐いのだろうけど、極力ケンカは避けたいものだ。




私のいとこが急逝した。死因は聞いたけれど忘れた。心不全のようなものだったと記憶している。
朝、叔父(いとこの父親)が、なかなか起きてこないので起こしにいったら既に冷たくなっていたそうだ。享年44歳。若すぎる………。

親よりも先に他界するとは何という親不孝者かと思う。

小さな頃からそのいとことは、同じいとこ同士の中でも気の合う方でよく遊んだ。

新潟へは今年5月に母方の叔父の逝去で行き、今度はいとこの葬儀だ。昨年、祖母の死で数年ぶりに新潟へ赴いたと思っていたのに立て続けだ。出来ることなら葬儀などではなく、親族との会話や美味しいものを楽しみたいのだが、現実はなかなか思うにまかせない。

お棺の中の死に顔を見るうちに涙が止まらなくなった。5月に叔父の葬儀の際に会ったときは、本当に元気そうだったいとこが、薄紫色の顔でお棺の中に横たわっていることが信じられなかった。葬儀場で気丈に明るく振る舞う叔父(いとこの父)の姿が、痛々しくて見るに忍びなかった。葬儀場で叔父と話した際、思わず「順序が逆だ! 親より先に死ぬなんて、なんて親不孝な奴だ」と言ってしまい、言ってしまってから後悔した。

明日の事なんて誰も判らないのだと、帰京の新幹線の中で再認識していた。もしかしたら、このブログを記した後、私も眠りのさなかに死へと旅立つかもしれないのだ。ならばこそ、毎日を充実した日々にしていこうと思う。悔いの残るような死に方だけはしたくないから。


私が初めて海外を訪れたのは中学生のとき、「香港&マカオの旅×日間」というヤツだった。海外旅行好きの父に同行しての正月旅行だった。中学生だというのにへべれけに酔っぱらっていた記憶が残っている。それが父との旅行の最後だった。私は一人旅をするようになっていた。

その後、自分の意志で初めて訪れた海外がパラオだった。それまで日本全国をくまなくオートバイで走り回っていた自分は、日本が一番美しい国だと信じていた。しかし、初めて訪れた南海の島国は強烈な美しさだった。自然が自分の手の届くところにあることに驚いた。
以来、訪れるのは南国ばかりになった。d6c050eb.jpg

パラオの次に訪問した海外はニューカレドニアだった。イル・デ・パンという島に滞在し、手つかずの自然を満喫し、ウベアという島(写真)ではまさに“天国に一番近い島”を実感した。写真の中に写っているのは私の妻と次男だ。人影無く何処までも続く海岸線には、おびただしい数の美しい貝殻やサンゴが打ち上げられたままで残っていた。エメラルドグリーンの海も表現のしようが無い乳青色で、空はどこまでも蒼かった。

それ以来私は、世界中の美しい自然や見知らぬ生活を見たくなった。休暇をまとめて取れる様なチャンスがあると、さて何処に行こうかと思案し始める。幸せだと思う。とても恵まれていると実感する。そして見知らぬ海外を訪れる度に、生活レベルのあまりの異なりに愕然とする。そして再び自分の恵まれた環境に気づき、感謝の念を強くする。
2年ほど前、チュークという島を訪れた際に、デュブロン島の製氷工場を見学した。工場の中は氷を造るどころか、島民の洗濯物が干されていた。森喜朗前総理大臣がODA予算を数億円注ぎ込んで造った製氷工場だそうだが、電気もまともに配給されない島では冷蔵庫も無い。氷を作っても意味が無いのだ。

自分自身でその地を歩き見ることで、初めてその地の人々が求めている物が判る。私は少しでも、自分が訪れた気に入った国の手助けをしたいと思っているのだが、一体わたしに何が出来るのだろう? 今思えば、せめてもっと父に同行してあげるべきだったと思う。少なくともそれぐらいのことは出来たのだから。

パソコン歴を数えてみたら12年以上になる。悲しいかな、その割にはレベルの低いところで右往左往している。
初めてのパソコンはウィンドウズ3.1搭載のエプソン製PCを友人から譲り受けた。確か25万円ほど支払った記憶がある。今にしてみれば、物凄く高い買い物だ。なにせCPUはファミコン以下、メモリだって8メガほどだったのではないか? フロッピーが5インチで2枚入れて作業する面倒くささだ。

それでもインターネットの走りであるモザイクなんかをやってワクワクしたものだ。1枚の画像を表示するのに10分以上かかる。通信速度は確か9600bpsだった。そして翌々月のネット接続通信料金の高さに飛び上がったものだった。

今のネット世界をあの当時と比較すると、クロマニヨン人が10年そこそこでロケットに乗って宇宙旅行するようになるほどの進歩スピードだと思うが、果たしてオーバーだろうか。

かつては残虐な画像サイトや児童虐待の紹介サイトなどが氾濫していたようだが、最近では自然浄化されあまり無いとのことだ。しかし、昨日の新聞には闇サイトが摘発された記事が出ていた。殺人請負サイトだとか。もっと馬鹿げた話だ。

今のネット世界はウソと真実が渾然一体としている。どれが真実で、何が嘘なのか自己責任のもとで判断しなくてはならない。人は善の中で生きていると信じれば、いずれそのような悪質なサイトも駆逐されるのだろうけど、それでも人を騙し自分だけのことしか考えない輩はいなくならないだろうから、完全に消え去ることは無いだろう。

コミュニケーションを取ったり、情報を得たり発信したりと、時代を大きく変革させていることは事実で、私も時代に乗り遅れないよう必死に知識を蓄えていきたいのだが、最近は追いついていけない(T.T)
歳なのか努力が足りないのか………。

※ウェッブとのリンクを外しました。それに伴ってコチラの書き込み解禁しました。ヨロシク!m(_ _)m


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