タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

JR神田駅と地下鉄淡路町駅の中間あたり、路地を一本脇に入った所に『プチコック』という、その名の通りの小さな食堂がある。一階が厨房で席は二階。細い階段を上っていくと6人掛けテーブルが1つと、4人掛けテーブル1つしかない。都合10人しか入れないのだ。だから、何度か出向いたことがあるが、すんなり食せたことは2度しかない(食事で行列に並ぶのが大嫌いなのだ)。

aaa67389愛想のない女将さんが1階と2階を忙しそうに行き来している。顔を見たことはないが、きっと親父さんも不愛想な「べらんめぇ、神田の生まれよ!」ってな人の様な気がする。その根拠は……。
1.まるで商売ッ気がない。不愛想な女将さんもそうだし、客はまだ来るというのに2時前には店を閉めてしまう。

2.とにかく安い! 写真のエビフライ・ライスは、エビフライが7匹も付いて750円だ! エビフライだけでお腹が一杯になってしまう。それ以外のメニューもボリュームたっぷりで600円~750円。

まさに学生街の食堂のようなお店なのだ。神田の駅に近く、もう少し広い店舗で商売すれば、きっと大繁盛すると思うのだが、あの不愛想な女将さんや商売っ気のない営業をみていると、今のままが理想の営業のカタチなんだろうなぁ。金よりももっと大切なものがある! って言っているような小さな食堂なのだ。







このネタを書くと「知る人ぞ知る…」で私の住まいがバレバレになってしまうのだが、なんかとっても凄い発見をした気分なので書くことにした。

私が今の町に住むようになって、約40年の歳月が過ぎようとしている。40年近く住むこの町の駅前に『三浦』という居酒屋がある。5a0fc5aa.jpg

先日、初めてこの店に入った。40年近く暮らしていて初めて入ったのだ。未成年で入るわけには行かなかったけれど、駅前にあるのに今まで一度も入ったことがなかったのだ。

その理由は、帰宅途中でこの店の前を通るといつも常連さんらしき人達で一杯だったので入りづらかったのだ。

で、先日……。開店間際のまだ常連さんが居ない時に、初めて入って驚いた! 写真のごとく小さな店なのだが、店内は超レトロ。オヤジさんもひと昔前のオヤジそのまま! 気温30度を越えるのに冷房設備はナシ! 客ひとり一人用のうちわが用意されているだけ。
だから何時も入り口が開きっぱなしだったんだ(ナットク!)。
メニューなんか、いつ書かれたものかシミが付いちゃってるし、更に驚いたことにこんな住宅街の居酒屋なのにクサヤを置いている! (道理で入り口が開きっぱなしな訳だ、更にナットク!)
ビールを頼めばジョッキではなくビンで出てくる。コップはキリンビールのマーク付きサービスコップ! 

オヤジさんに聞けなかったけれど、開業して50年近くはたつのでなかろうか? きっと店内の様子は50年前と一緒なのだと思う。入れ変わったのは客だけだろう。
今時珍しい居酒屋だ。タイムスリップしたような感覚を味わった。

総選挙が近づき、新聞はもとより朝のワイドショーまで、この話題で大賑わい。
ホリエモンは出馬するのかしら? 自民党も民主党も彼にコンタクトを取ったらしいから、可能性は高いのかも。東ちずるは「馬鹿にするな!」と怒鳴った、なんて報道もあったけれど出馬辞退は本当らしい。

それにしても日本の選挙ってのは、なんだかなぁ…。プロレスラーや女優、競輪選手や歌手まで議員になれちゃうってんだから。そういや数年前は東北の方で覆面レスラーが確か県議かなにかに当選しちゃって、覆面したまま議会に出席し避難を浴びていたけど。

1億総アイドル時代…なんて言葉があったけれど、今じゃちょっと知名度さえあれば、誰だって政治家になれる時代なんだ。政策なんて関係なし、ましてや“セイジ”の事なんか知らなくても問題ナシ! だから政治学なんて学んでも意味はない。大事なのは知名度だけ。

小学生の頃、クラス委員を選出すると、決まって選ばれるのは人気者、かっこいい奴が選ばれたものだ。クラス委員の選出=人気投票だったんですね。統率力やリベラル性、行動力&実行力なんて小学生に判断できるわけがない。

日本の総選挙がそうならないことを切に願う。その国の政治は国民の顔でもあるのだから。

大阪でセミが異常発生しているそうだ。しかもアブラゼミやミンミンゼミではなくて、沖縄地方に多いクマゼミが大量発生しているのだそうだ。
ジワジワとなくクマゼミの鳴き声は、暑苦しい。感覚的に暑さを助長するようであまり好きな鳴き声ではない。頭の上で鳴かれるミンミンは、けたたましくて煩いけれど、夏っぽくて好きだ。もっと好きなのはカナカナカナ…と鳴くヒグラシの声だけど、都会ではすっかり聞かれなくなった。

私が住む世田谷は、昨年はセミの鳴き声も喧しかったけれど今年は少ない。
それにしても子供たちが昆虫採集アミを持ち、虫かごを肩から下げて走り回る姿を何年見ていないだろう?

私の子供時代は夏休み=虫捕り…みたいなほど虫捕りに明け暮れていた。
ギンヤンマ(トンボです)を追いかけ、気が付いたら見知らぬ土地まで来ていてとっても不安な思いをしたことがあった。
セミを探して上ばかり見て歩き回り、肥だめに落っこちたこともあった。1日でセミを200匹近く捕獲し、虫かごの中がギシギシだった事もあった。セミやトンボたちがまだ寝ている早朝は、クワガタやカブトを探して森を徘徊した。

確かにカブトムシやクワガタなんか、捕まえたくとも都会では不可能に近い。ときどき自宅の明かりに飛んでくるのもいるけど、あれは買われたカブトが逃げ出したのだろう。

生き物に接することは、無機質なテレビゲームなんかよりずっとワクワク・ドキドキすると思うのだが、今の子供にはそうではないのだろうか? それとも親が熱射病になるからと外出を禁じているのだろうか? 
そうか! 最近の小学生は虫よりボールかもしれない。サッカーや野球に夢中な子供たちは一杯いる。ウ?ン、確かにサッカーもワクワク&ドキドキするなぁ。仲間と一緒の夏休みは、それはそれなりに思い出深いものになるに違いない。


小泉首相がキレて、とうとう解散しちゃいました。
個人的にはそろそろ自民党に遠慮頂いて民主党あたりに日本の舵取りをお願いしたい気持ちです(多分、それでも日本は良くはならないだろうけど)。

それはそうと、郵政の民営化ってそんなに大事なんでしょうか? 正直言って私は郵政が民営化されて国民に与えるメリットが解りません(どなたか教えてください)。
郵政公社に集まったお金がどうでも良いことに使われているんだとしたら、別に民営化しなくともその無駄使いを改善すれば良いだけのことだし…。

今の日本には早急に何とかしなくてはならない事が、他に一杯あると思うのですが、郵政民営化が否決されたからといって、解散までしてしなくてはならない事なんですか?小泉さん。

海外旅行をするようになった10年ほど前、私の調べ方もヘタだったのかもしれないが、なかなか有用な情報をネットで集めることが出来なかった。

それで、だったら自分で残してみようかと始めたウェッブ制作。始めてみると、有用な情報自体を集めることが如何に大変かを知った。わずかな時間の訪問で、有用な情報など集められるわけがないのだ。

それでも始めてしまうと止めるわけにもいかない。旅行をする度に数日間を部屋にこもって画像の整理やらなんやらで潰すことになる。
これはこれでそれなりに楽しんではいるのだけれど、今回制作したメナドのサイトは苦労した。画像素材は多いのだけれど、使用に耐えるカットが少ないのだ。陸上のカットが少ないからだ。

水中写真を初めて3年ほどになるけれど、本当に難しいと思う。写真は昔から好きで撮っていたから、それなりの知識も技量もあるつもりなのだけれど、水中のものは数百カットを撮っても使えるのは10カットに満たない。なので高砂淳二に嫉妬するのだ。どうしてあのように作ったような写真が撮れるのだろう?

話は戻ってメナドのサイト作り。海中の写真ばかりというのはサイトを作る上で難しい事がわかった。写真の羅列で終わってしまうからだ。撮影した際の状況を克明に記録しておかないと、フォトアルバムになってしまう。

それはそれで良いのだろうけど、当初の「有用な情報」には到底なり得ない。
メナドに行く前はタンココと呼ばれるところにも行きたいとは思ったのだけれど、丸1日かかるというので止めにしたのだ。タンココサルにも逢ってくれば、また一味違ったサイトになったんだろうけど、残念!


昨日、休暇を取って母をゴルフに連れて行った。
母は66歳頃からゴルフを始め、70歳を越えた昨今かなり夢中になっている。なので連れて行こうと思い立ったのだが、この猛暑の中のゴルフはかなり心配だった。「少しでも体調が変だと思ったら直ぐに止めなよ」とは言っていたが、当の本人がゴルフ大好きときてるから無理をしなければ良いのだけれど…と気にかかっていた。

正直、私自身がリタイアしたいくらいの猛暑だった。気象庁は気温35度と発表していたけれど、芝生の上は軽く40度を超していただろう。しかも無風。ほとんど低温サウナの中でゴルフをしているようなものだ。
ラウンド中にかなり水分補給(アルコールも(^_^;;; )したけれど、トイレに行くことはなかった。全部汗となってでてきてしまう。

流石にゴルフ場も人が少ない。キャディーさんに聞いたら8組しか入っていないと言っていた。こんな状況下でゴルフをする酔狂は少ないだろう。
それにしてもお袋はタフだった。8組×4人=32人。その中できっと最高齢だったのではあるまいか。

次回はもう少し気候の良いときに連れて行ってあげようと思う。出来ればカートに乗って好きに回れるハワイのゴルフ場みたいなコースがいいな。




「オープンウォーター」を観た。
詰まらない映画だった。第1にシチュエーションが現代のダイビングで「無い」とは断定出来ないけれど、まず有り得ない。
第2にサメは人を襲うことは滅多にない。娯楽映画『ジョーズ』なら許せるけれど、ダイビング映画であそこまでサメに対する恐怖心を煽ることに疑問を感じた。

映画自体の脚本と演出の稚拙さは、映画のオープニング当初は初々しく感じられたけれど、エンディングを迎えた途端に不愉快を通り越していた。

監督は一体何を伝えたかったのだろう? サメは怖いよって事か? ダイビングは危険だよって事か?

私が知るダイビング事故のトップは溺死だけれど、ロストによる漂流が一番記事になり得るのも事実だ。溺死よりも漂流の方が記事にし易いからだろう。でも、この映画の漂流は「無い」とは言い切れないけれど、限りなく有り得ない。
オーストラリア・グレートバリアリーフでもタオ島でも、大きな船に数十人が乗り込んでダイビングに出向いたけれど、あんな杜撰な人数カウントはしていなかった。
世界各国の海で多くのサメと出会ったけれど、サメの方が人を恐れて逃げていった。

ダイビングを軽んじるのもどうかとは思うけれど、あそこまで誇張してサメやダイビングを怖いものと演出されるのは正直言って不愉快だ。娯楽作品のつもりで作ったのかしら?
ダイバーが観れば腹が立つだろうし、ノンダイバーが観れば「ダイビングなんてしたくない」と思うだろうし、どちらにしても最低の映画だった。ロードショー公開でなかった事がせめても救いだ。いや、あの内容では全国公開は無理だろうなぁ。

海外でダイビングした際に困ること。
1.バディ・システムを徹底するショップに当たってしまって身体の大きな人や若葉マークさんと組まされたとき。
2.自分の知らない魚などに遭遇した際のガイドさんが外国人だった時。

オーストラリア・パースの西にあるロットネストという島へ行った時、身体の大きな外人とバディを組まされた。ここは船上でのブリーフィング後、バディ同士で勝手に潜らせるスタイルを取っていた。ガイド無しだ。
私は自分のナビ技術に自信がない。なので若葉さんも困るのだ。方向感覚ゼロ同士がバディを組んで潜るのは怖い(>_<)
ナビに自信が無いからこの時も「I'm After You. As you like.」。外人バディの行きたいところに従うことにしたのだ。ところがこの外人さん、やたらとエアーを消費するようで、最大でも水深15mもないのに30分ほどでイクジットのサインを送ってきた。
あんたに従うよ…とは言ったけれど、「もう上がっちゃうの!?」。私のゲージは残圧140近くを指してる。あと30分は軽く潜れたのに(T.T)

そして、もう一つ。ガイドが外人さんで、魚の名前を英語で教えてもらったとき。その時はスペルを聞いてメモしてくる。帰国後に和名を調べるためだ。
でも、最近はなるべく日本人スタッフのいるショップを選ぶようにしている。一緒に潜ってくれることが一番なんだけれど、一緒に潜ってもらえなくても後で和名を聞くことが出来るからだ。
お礼のメールと共に、帰国後に名前を教えてもらうことも度々ある。ただし外国では通信事情が悪い場合もあるので画像をメールに添付してはいけない。ウェッブ上にアップし、そこにアクセスしてもらって名前を教えてもらうのだ。

今回もメナドのタラサ・ダイブセンターのエリさんにお世話になった。現地でももちろん、帰国後も親切に魚の名前を教えてくれた。
今回のメナドでは400以上ものカット数を撮影した(何時も通り使用に耐えそうなのは数点しかないけど…(T.T)…)。当然のごとく名無しの権兵衛が写っていた。早速ウェッブにアップしてメールで教えを乞うたら、直ぐに返信してくれた。この親切さがとても嬉しい。そんなショップをなるべく利用したいと何時も思っている。

先回のダイビングで奥歯にスクィーズが生じた。スクィーズとは“Squeeze”で、直訳すれば“圧迫する”とか“脅す”とかの意だが、ダイビングでは水圧による不具合を指し、一般的なのは耳の鼓膜が圧迫されることで生じる痛みだ。飛行機に乗った際に耳がキーンとなるのと一緒。

ダイビングではバルサルバ法と呼ばれる“耳抜き”をすれば解消できるのだけれど、人によっては解消し辛い人がいたり、普段出来ても体調が悪いと出来なかったりすることもある。

今回、私は奥歯にこのスクィーズを感じた。何で歯に圧迫痛が起こるかというと、虫歯治療で詰め物を施してもらった際に小さな空洞域が出来るのが原因だそうだ。ほんの小さな空洞が水圧で神経までを圧迫するからだ。

今回生じた痛みは耐え難いほどではないのだけれど、少しであっても痛みは痛みであり、快適なはずのダイビングに水をさすことになる。

不思議だったなのはこの痛みが、潜行開始直後の水深が10?を超えた辺りから15?ほどの間でだけ生じたことだ。その水深域でいつも痛みが出るのではなく、潜行開始直後だけなのだ。一旦その水深を(痛みを)経過してしまうと、それ以上の水深に潜ろうが、深場からその水深域に戻ってきても痛みは出なかった。

なので、今回はさほど不快な思いで潜らなくて済んだけれど、次回のダイビングまでには治療しておかないと、折角のダイビング行を釣りかシュノーケリングに予定変更しなくてはならなくなる。それも嫌いではないけれど、やっぱり嫌なので早々に治しておこう。どなたか歯科の名医をご存じないか? ご存じでしたら是非、ご一報をm(_ _)m

今日、早朝6時30分に成田に着いた。
インドネシア・メナド空港からシンガポール・チャンギ国際空港を経由し、約16時間の移動だった。そのまま成田から会社へと向かい、ようやっと仕事が一息ついたところで書いている。

ただでさえ脂性のたちなのに、疲労から額には油汗が浮かんできている。今日はもう少しで仕事も完了できそうなので早く帰ってゆっくり休むとしよう。

私はこのような疲労が嫌いではない。むしろ仕事に集中できて、仕事が完了したときには清々しさを感じることもある。
しかし………。

やはり旅行が好きだった私の父は、旅行から帰り家に入るなり何時も「あ?、自分の家がやっぱり一番だ」と、必ずしみじみと言っていたものだ。
その度に私は「だったら行かなきゃいいじゃないか」と言っていた。それでも父は何処かに旅行するのだった。帰宅してまるで同じ台詞を言うために出かけているかのように。

私は未だかって、旅行から帰って自宅が一番だ、などと感じたことは一度もない。日本の食事が一番だとは何時も感じてはいるけれど。
“自宅”という日常があるからこそ旅が成り立つのは承知している。帰る場所が存在しなければ旅は移動という日常(自宅)になってしまう。
だから、本当は自宅が一番であることに間違いはない。

けれど私は家に帰るなり、今まで訪れていた土地が恋しくなる。写真や旅行道具の後片付けをするうちに「次は何処に行こうか」と夢想し始めるのだ。そして「明日からも頑張ろう!」と、仕事に対しても高揚した気持ちがフツフツと沸いてくるのだ。

私がCカードというダイビングのライセンスを取得した当時は、ダイブテーブルと呼ばれる体内残留窒素計算表を使用して、潜る度に最大深度と潜水時間から体内残留窒素量を計算し、地上での最低休息時間を割り出していた。
ところがダイブ・コンピュータと呼ばれるとても便利なものが登場して、その面倒な計算をせずにダイビングを楽しむことが出来るようになった。(今ではダイブテーブルの読み方を忘れた(~_~;) )

2年ほど前、私はそのダイブ・コンピュータ(ダイバーの間ではダイコン、と呼ばれる)を船上に忘れてエントリーしてしまった事がある。
とても不安なダイビングだった。バディがいるので彼に寄り添って潜っていればいいのだが、自分がいま何メートルの水深を潜っているのかが判らない。714b8083.jpg


今年の3月には、ハワイ島で今まで使用していたアポロ(写真右)のベルトが取れてしまった。ベルトが無ければ腕に巻き付けられず、手で持ってのダイビング。片手が使えず不便極まりない。まして私はカメラを持ってのダイビングなので、実質両手が不便なまま潜る羽目になる。

その先回のハワイ島からの帰途、機上で小型ダイコンらしきものを付けている人を見かけた。しかも退屈な機上で、そのダイコン(らしき時計)をのぞき込み、ダイビング・ログを記帳していたのだ。「あんなダイコン、欲しいな…」と思い、帰国後に調べたら、あった! スキューバプロというメーカーから売り出されていた。
調べてみると小型でしかもベルトをメタルは勿論、チタン、ゴム樹脂と付け替えることが出来てコンピュータに時間経過にともなう深度の記録を図表化することが出来るのだという。即断購入した。それが写真左のスキューバプロ『Xtender V3』。

本当だったら5月のG・Wデビューのはずだったのだが、生憎のトラブルで私と一緒に寝て過ごした。
明後日からメナドへ潜りに行く。こいつのデビューだ。古株のアポロも連れて行く。両方を装着して、集計ログデータの誤差を見るのも面白そうだ。

困ったときに相談できる信頼できる仲間はいったい何人いるだろうか? 
社会人になってから出会えた親友や信頼できる諸先輩もいるけれど、殆どが学生時代の出会いだ。
古くは中学時代から(何故か小学校時代の友人&親友はいない)大学まで、殆どの友人が学生時代の仲間だ。

先のブログにも書いたけれど、ガンで死んでしまったり、遠方に行ってしまったりと学生時代からの“親友”は激減している。

さて…、再度思い返してみよう。困ったときに相談できる、信じられる人間が何人いるだろうか? 10人もいない。確かにその10人に満たない友は、心から“親友”と言える友だ。けれど、その親友達とも何時かは別れがくるだろう。そうなるとつまるところ、最後の最後まで、自分が死ぬまで信じられるのは家族だけなのだろうと思う。

一昨々日、一昨日、昨日と3時間ほどしか寝ていない。先週のように涼しい日なら助かるのだが、今日のような真夏日は歩くとめまいがして、駅の階段などは危険極まりない。思わず手すりにしがみつき、周りから怪訝な眼差しを向けられたりする。

熱帯夜での寝苦しさは、氷枕を使ったり打ち水をしてしてから寝るなど工夫のしようもあるけれど、ときどき気温の問題ではなく不眠症になることがある。

心配事があるとか何か問題をかかえているとかではないのに、突然に取り留めのない思考が頭の中をグルグルと交差しはじめて寝付けなくなることがある。こうなると羊を数えようが酒をあおろうが、難解な本を読もうが睡魔はなかなかやって来てくれない。

そんな時は諦めて寝ようとしないことにしている。ところが「絶対に寝ないゾ!」とネットを覗いたり本を読んだりしていると、明け方近くに猛烈な睡魔が襲ってきて、結局、目覚ましが鳴り出す1?2時間前くらいに眠りに着く。
これが、辛い(*_*) このタイミングで起こされるのが最高に辛い…。

メラトニンなども試しては見たけれど、私にはあまり効かなかった。
サッカーをした日などは、カンマ数秒で気絶したように眠りにつくのだから、運動をするのが一番だとは判っているのだが、なかなか……。
要は適度な運動をして規則正しい生活を送る事が大切なのだ。 ………(~_~;)  やはり今の私には無理だ。


一昨日、親友の墓参りに行って来た。
彼とは中学以来の大親友で、寝食を共にした仲だった。だが、直腸ガンにやられ30歳の若さでこの世を去った。
彼の命日は6月11日なのだが、彼がこの世を去ったとき、私も入院していて葬儀にかけつけられず、退院後も墓参せずにいた。私の身体は元に戻っていたが、正直あまりのショックに墓に行くことが出来なかった。

その翌年、家の中で何かを感じるようになった。何かが動いているような、何かの気配を頻繁に感じるようになったのだ。ふと気配を感じてそちらを向くと、家内も同じ方向を同時に向く。「何かいるよね?」。決して私だけの錯覚ではなかった。

この気配が数日続いたある日、私は知人にこのことを話した。きっと信じてはもらえないだろうと思っていたら、意外な言葉が返ってきた。「何か不義理はしていない? たとえば親族の墓参りに行っていないとか」。

驚いた。気配を感じ始めたのは彼の命日あたりからだったのだ。
さっそく墓参りをした。すると翌日から“気配”はピタリとなくなった。私が行かないものだから彼の方からやってきていたらしい。

以来、毎年彼の墓参りを欠かしていない。とはいえ今年はすっかり忘れていて、当時の仲間との酒席で彼の話題が出て、思い出した。それでも我が家にあの“気配”は出ていない。彼も一緒に飲んでいたのかもしれない。

例年の墓参りは、彼の命日が梅雨の時期とあって、雨に降られることが多かったのだが今年は32度を超す猛暑だった。線香に火をともす間に汗が滴り落ちてきた。額から流れ出た汗は目にも入ってきて、他人が見たら墓を前に涙を流しているように見えたかもしれない。が、そのような感慨は今は、無い。
でも、彼の分も頑張らねば…と思うことは事実だ。

仕事でメールを利用し始めた十数年前、ちょっとしたことでトラブルになったことがある。
大した内容ではなかったのだが、私が書いた文章に相手への気配りが少し欠落していたことで誤解を与えてしまったのだ。
返信されてきたメールの、話の矛先がずれた内容からは先方の怒りが感じ取れた。相手の誤解を解こうとメールを返信したら、それは更なる誤解を生み、感情がむき出しになった返信メールが再度届いた。更に説明メールを送ったら、誤解は曲解に変貌し、もはや収拾がつかなくなってしまった。

大したことでは無いのに面倒な事になった、はてさて困ったと思案するうちに、メールでは埒があかないと先方の元へと出向いた。会って説明したら、肩すかしを食らったようにあっけなく解決した。
私のメール文章も拙かったのだろうが、先方も感情剥き出しで文章を書く癖があったようだ。会ってみればむしろ気の弱い、どちらかといえばおとなしい人間だった。

メールを多用する私の知人がいる。多用している割にはメールの文章が私にはきつく感じられる。だから私は彼とのメールでのやり取りを極力避けている。こちらの気分が悪くなるから。
きっと同様の気持ちでメールを受け取っている人もいると思うのだが、彼には私のようなトラブルはまだ派生していないのだろうか? 現に私との関係が疎遠になっている事実をどのように感じているのだろう?

前者の彼も後者の彼も、会えば物腰静かなおとなしい人間だ。どちらもタイプ的には似ている。思うに言葉では自分の気持ちをストレートに伝えられないのかも知れない。だから文章がきつくなるのではないか。

会話は相手の表情を伺いながら出来るので、もしも気に障ったようなことを言えばその場で感じ取り、わびることも出来る。仮に電話で相手の顔が見えなくとも、声のトーンで気持ちをくみ取ることも出来る。だがメールは常に一歩通行だ。相手の表情も、ましてや感情などは読みとれない。

メールはとても便利だけれど、メールでコミュニケーションを取るなど、私には到底無理だ。かといって時候の挨拶を手紙にしたためることも無くなった。これが今の時代なのだろうか。

卓球、昆虫採集、切手収集、Uーコン、トランペット、サッカー、スキー、釣り、ギター、オートバイ・ツーリング、モトクロス、登山、ゴルフ、ダイビング……。私が夢中になった趣味の数々だ。古い順に列記してある。

小学生の頃、近所に卓球場があって週末はそこに入り浸っていた。小学校高学年になるとU?コン(ラジコンのワイヤー版)とトランペットに夢中になった。が、今では音すら出せない(^_^;;;

中学になり音楽にはまりギターを弾き出した。ビートルズの曲やブルースをコピーして部屋で歌っていた。いま考えると少々恥ずかしいが、最後の頃はかなりの腕前になっていた。そのギターと同時期にサッカー部でしごかれていた。
釣りはフナ釣りに始まってルアー(当時としてはかなり先駆的だった)、渓流、磯釣り……と殆どやったが、鮎釣りだけはやらなかった。何となく年寄りっぽくて(^_^;;;

オートバイは中学時代から無免で乗り始めていたが、放浪癖が出始めたのは大学に入ってから。ヤマハの650ccで日本をおよそ3周した。行く先々で金が無くなるとバイトを探しながら2?3ヶ月をかけて日本を走り回っていた。(まるでフーテンの虎さん、プー太郎だ)
モトクロスはその当時のバイク仲間と遊び半分で出場していたのだが、その相棒が大けがをしたのを期にプッツリと止めた。

社会人になってから登山にのめりこんだ。深田久弥の「日本百名山」を踏破するんだ! なんて意気込んでいた(結局、20山ほどしか登れなかった)。
ゴルフは現在の会社に移った際に、上司から命じられて始めた。初めは嫌々だったが、なかなか100を切れない下手くそな自分の腕前に発憤し、練習場に通い出した。ベスト・スコア82、ハーフでは35を出して満足し、練習はすっかりしなくなった。今では100前後をたたいている。

そして今はダイビングに凝っている。色々とやって来ているけど、未だに続いているのはサッカーとゴルフ、そしてダイビング。
きっと、残るのはゴルフとダイビングではないかと思っている。心情的にはゴルフよりサッカーの方が好きなのだが、流石に体力に自信が無くなってきている。サッカーとダイビングは仕事を忘れられるのがいい。釣りも登山もゴルフも、何かの拍子に仕事を思い出してしまうのが残念だ。
私には自然を満喫できるものが合っているようだ。ここ数年、登山も釣りもしばらくしていないけれど、もう少し時間(余暇)にゆとりが出来たら、きっと復活するだろうと思っている。


朝焼け・夕焼けが好きだ。
瞬く間に空を茜色に染めて、その色調はどんどん変化して、瞬く間に色褪せていく。その色合いと瞬時のことであることがいいのだ。

ポンペイで出会った夕焼けは、ビールを飲み干す間もなく空の入道雲を茜色に染め、眼前の湾がその茜色の入道雲を映していた。素晴らしかった。

チュークで遭遇した朝焼けは、鏡のようなベタナギの海面が真っ赤に染まり、恐ろしいほどの美しさだった。

ダイビングを終えて、何とも言えない倦怠感のような疲労を感じながら、ビールやカクテルを飲むのが好きなのだが、その時にこんな夕景に出会えるともうたまらない。ダイビングに限った事ではないのだけれど、心底「ア?、だいびんぐハタノシイナ!」と思うのだ。

「ダイビングは一番静かなスポーツだ」と言ったインストラクターがいた。確かに静かな呼吸を保つよう心掛けることが大切だ。いかに余計な動作をせずに移動するかが大切で、運動量を多く、激しくすればそれだけエアーの消費も多くなる。

なので私はドリフト・ダイブが好きだ。水深の調節だけであとは中性浮力を保っていれば、目の前のスペクタクルな光景を流れに身を任せたまま堪能できるし、魚たちにも逢える。
強いて欠点を言うなら、ここぞ! の被写体を見つけたり最高にフォトジェニックなシーンに遭遇しても、シャッターチャンスが限られることだ。
ランギロアでは時速30?ものスピード・ドリフトだったのでハンマーヘッド・シャークやマダラトビエイの編隊に遭遇したのにシャッターは1回ほどしか切れなかった。彼らと私の進行方向が正反対だったので、彼らとすれ違う速度はおよそ50?70?。これでは連写機能が付いたダイビング用のカメラでも無い限り、私の技量でグッド・ショットは望めない。

エアーの消費に関しては、ダイビング本数50本を超えたあたりから気にしだした。数人のグループで潜り、1番先に私のエアーが枯渇して全員をイクジットさせるのは忍びないし、私にもメンツがある。そんなことを気にかけながら潜っている内に、ダイビング本数を重ねる内にエアー消費量は減ってきているようだ。過去の記録、ログを見直すと如実に進歩していることが判る。しかし……。

水中写真を撮るようになると、シャッターを切る際に自分の体が上下しないようにと呼吸を止める。しばらく止め続けると開始した際に呼吸は荒くなる。
昨年、ヤップ島ではそれを避けようと軽く呼吸しながらシャッターを切っていたら、同行のインストラクターに「呼吸が大きすぎる。だから身体が上下して写真が撮り辛くなる」と指摘された。ちょっとショックだった。自分ではかなり軽く呼吸しているつもりだったのに、それでもまだ大きすぎるというのだ。
進歩しているつもりだけれど、私のダイビング技量はまだまだのようだ。道は永いなぁ。

営団地下鉄線・日本橋駅のA1出口に向かうと、構内に『札幌や』というラーメン屋f96eebe3.jpg
がある。昼は12時前から行列が出来る時もあるようだ。

日本橋は仕事で時々行くのだが、並んでまで食す気にはなれず、かといって一度は賞味したいのだが、なかなかタイミングが合わない。
かつて14時30分頃に打合せが終わりそうだったので、これはチャンスとばかりに空腹を我慢して打合せをし、いそいそと出向いったら暖簾が下ろされていた。昼は午後2時あたりで閉めてしまうらしい。

今日も11時に日本橋に出向いた。写真はその際に撮ったものだが、この時間ならご覧のように空いている。しかしこの時間にラーメンを食す気にはなれない。
帰りに前を通れば、やはり行列だった。いつになったら賞味できるのだろう。

昨日、約50日ぶりにボールを蹴りに行った。
まだ微熱が残り、目眩と一部視野の欠落があるので、髄膜炎は完治してはいないと思うのだが、ジッとしていても治らないなら少し運動してみようと思ったからだ。前夜のバーレーン戦で日本の勝利を観て、ボールを蹴りたくなったこともある。

視野の中心から右側の一部分が欠けてしまうので、先々週のコンペではゴルフボールが半月状にしか見えず苦労したが、それより大きなサッカーボールでは気にはならなかった。
しかし、やはりダメだった(~_~;) 足元が安定しないからボールが足につかないのだ。ドリブルをしたらボールを踏みそうで怖かった。しばらく運動していなかったせいか、腰も弱っているようで反転も上手く出来ない。

途中から雷雨になりグランド使用が出来なくなったので、わずか40分ほどしかボールには触れていないけれど、私には丁度良かったのかもしれない。少しずつ体調を取り戻していきたい。


「近頃の若い連中ときたら……」という科白を聞かなくなった。十数年前には爺様たちのこの言葉を良く耳にしたものだ。

私もバカな若者を見る度に「近頃の若い連中ときたら……」と、出来うることなら当の本人に小言の一つも言ってやりたいのだが、怖いのでグッと堪えている。
それでも我が愚息達は「いつか父さんはバカな奴に刺されるか大怪我するか、下手をすると殺される」と物騒なことを言う。どうも昔の血の気の多かった頃の私の印象が強いようだ。確かに昔はよく喧嘩もしたし、悪ガキを見つけると知らぬ他人の子供だろうが叱ることもあった。
が、現代では何を考えているのかサッパリ想像もつかない輩が多いので静かにしている。まだ死にたくはないので。

それにしても、やはり礼儀のなっていない若者がやたらと目に付く。電車の座席に浅く座り大股開き、混雑していようがお構いなしに足を組みヘッドフォンからは音符ズンチャカ音符ズンチャカと騒音を撒き散らかし、見るに女子高生のような子供が水商売の女性のようなファッションで平然と公衆の中で化粧をする。
いったいどんな躾をしてきたのか親の顔が見たいと思う。その様な姿、行為を見て平気なのだろうか?

とは言うものの我が愚息達は私の目の届かない所では何をしていることか……。少々心配ではあるけれど信じるしかない、我が子だから。信じているから、万が一“何か”をしでかしても「ウチの息子に限って…」などとは絶対に言わない。子供達の言い分を私は信じるだろう。

そんな心配な愚息達も、何とか大学に入ってくれた。先に出てきた愚息NO.1は、来年には社会人だ(予定では(^_^;;;  )。愚息No.2も多分あと2年で卒業できるだろう。

学生時代の私は家にいた記憶が無いのだが、我が息子達は出ていってくれ、と言っても家にいる。お陰で夫婦水入らずの旅行が出来るのは嬉しい限りなのだが、父親としての私は、もっと見聞を広めて欲しいと願っている。家を出ていって欲しいのだ。出来ることなら若いうちに日本を飛び出して欲しいのだ。













私の親友が上梓した。「華僑 大資産家の成功法則  お金がなくても夢をかなえられる8つの教え」(小方功著・実業之日本社刊)
彼が中国留学中に出会った大資産家の華僑達から学んだことが書き連ねてある。これを読んで大富豪になれるか否かは本人の努力次第かと思うけれど、私たち日本人が忘れかけている、とても大切なことが書かれていて、それなりに興味深かった。

華僑の人々は仲間をとても大切にするそうだ。
数年前の事だが私の会社に突然、華僑の人が私を訪ねて来たことがある。突然の訪問に驚いたが、片言の英語と日本語で話を聞くと、彼らはシンガポールの上場企業役員で、日本での提携先を探しに来たという。
この状況、普通だったら「ナニカアヤシイ…」と断る場面だ。
「何で我が社を選んだのですか? しかもアポ無しで突然の来社とはお急ぎの案件なのでしょうか?」という私の問いに彼らは、
「御社を選んだというよりはあなたにお願いしたいのだ」と言った。ますます「???」の私に、「あなたが小方の親友だと聞いたからだ」と彼は言った。

彼ら華僑の世界では、自分が信頼する人間が信用しているなら自分たちも信用できる人間である……ということらしい。

残念ながら提携の件は、話が進む内に当の役員が他の会社に引き抜かれてしまってお流れとなった。
で、華僑の教えを受けた私の親友・小方くんは現在、資本金37000万円、従業員80人以上の会社の社長である。
ご興味のある方はご一読ください。上記、本のタイトルよりアマゾンへリンクしています。

今日、バスに乗った。
乗車の際、たまたま小銭が切れていたので5000円札を両替機に入れようとしたら「1000円以外は両替出来ないんです!」と、運転手が札入れのような物を取り出して1000円札5枚を手渡しながら「気を付けてください!」と語気強く言われた。
「はい、済みません」と1000円札を両替機に入れ、残りの札を財布に仕舞おうとしたら発車され、よろめいた。
「済みません」とは言ったものの、何かしっくりこない。そうだ! お客は私なのだ!

5000円や1万円札を出されて両替が出来なかったら乗るな…ということか?
「気を付けてください」と君らが言えるのは運航中の席の移動と、停車中のバスの前後を横切る行為くらいのものだ。
旧札の両替が出来ないというなら、まだ少しは許せるけれど対応するべきは小田急バス、あんたの方だろう。お客に小銭を用意しとけとは何という言いぐさか、バカ者め!
まともな運転手さんもいるだろうに、たった一人のバカ者運転手が小田急バス全体の印象を最悪にした。気を付けた方がいいよ、尾淵社長。

新潟に住む叔父が死んだ。能梗塞で倒れ、以来半身不随生活を18年間送り、晩年は寝たきりだった。さぞや辛かったことだろうと思う。

昨年はその叔父の母、私の祖母が他界し新潟へ行ったので約1年ぶりの新潟だ。
私の両親共に新潟生まれなので、こんな時にしか親戚に会えない。そういえば一昨年は中学校の同級生が他界した。葬儀場で30年以上会っていなかった仲間と会い、不謹慎にも故人を偲ぶより、懐かしい話しに談笑した。
段々、このような時にしか会えない人々が増えてきた。しかも出会いよりも別離の回数の方が多くなってきている。



4月27日から5月13日まで、髄膜炎で入院生活を送っていた。G・Wをまるまる病院のベッドで過ごしたのだ。

入院する数日前から喉が痛み37?8度の熱があった。いつもの扁桃腺炎症による発熱だろうと、常備薬を飲み、うがいをしていれば直ぐに治るだろうとタカをくくっていた。だが熱は下がるどころか数日後には40度を超えた。
慌ててかかりつけの医者に赴き点滴を打って貰ったが、熱は下がるどころか翌日には41度を超え、激しい頭痛も出てきた。ちょっとした衝撃でも頭をハンマーで殴られたような激痛が走る。歩くこともままならない。そのまま緊急入院となった。

予定通りだったらマーレ環礁のホワイトサンズという小さな島でG・Wを過ごす予定だったのだが、まさか病院のベッドで過ごすことになるとは…。まさに最悪のG・Wだった。

けれど、もしも発病があと4?5日遅れていたら、きっと死んでいただろうと思う。扁桃腺からの熱だからと、常備薬を持参して行っていたはずだから。まともな医療施設も無い熱帯の小さな島で発病していたらアウトだった。

それでなくとももう少し入院が遅れていたら大変なことになっていたそうだ。まだ後遺症なのか微熱と軽い頭痛が残り、視力が元に戻っていない。
もしも島に渡っていたらと考えるとゾッとする。


「私は日本国をこよなく愛します。それ故に、憂うべき騒音と公害を撒き散らすトラックに石を投げつけ、走行を妨害します……。でも私は無罪です」
こんな論理が通るわけ無いことは中国の皆さん、ご承知のはずですよね。

この度の反日デモ参加者は、殆どが私の息子と同等の若者達のようだ。日本の中国侵略時代とは縁の無い世代だが、彼らが日本の戦争責任に言及するのは中国の教育がそうしたからだという。本当だろうか? 

本当だとしたらイラクの自爆テロと変わらない。
抑止力を持った国家のもとでの思想統一教育ではないか。ほとんど恐怖政治下の教育に等しい。かつて日本もその様な教育をされていた時代があったと聞く。60?70年昔の事だ。

近代国家の仲間入りをした(してると思われる)中国で、その様な事が起こりえるのだろうか? 信じ難い事だが、もしも本当なら日本より60年以上も教育で遅れている中国が、日本の教科書に指図していることになる。なんか腑に落ちない。

教育とはマインドコントロールではない。色んな思想やものの見方、答えの導き方や知識を教え、自らが思考し答えを得られるように鍛えることだ。

デモの群衆はインターネットの掲示板で集まったと聞く。ネットを活用しているのに、世界における自分たちの立場や行動がどの様にあるのか分からないというのだろうか? 
規制を受けない唯一の情報網なのに(中には一方的な情報もあるが)、世界を見ないでそんな使用方法しか知らないというのか。
言語の問題なのだろう。いくら世界中をつなぐインターネットだって北京語や日本語だけの情報ばかり追っていてもダメなのだ。それではインターナショナルなこの世界で、所詮、井の中の蛙…で終わってしまう。

ちゃんとした教育がなされないことは、人にとって一番の不幸だと思う。知識や頭脳が鍛えられないこともそうだが知性を得ることが出来ない。知性は教育を修得した後からついてくるものだ。

自らが考えて自らの答えを持った上で生きることが出来ない事は、今の世の貧富の格差以上の問題だと思う。
貧しいが故にちゃんとした教育を受けられない。だから、なかなか貧困から抜け出せないという悪循環が生まれている。頑張っても頑張っても、その努力の結果を加速させるための知識がない。だからゆとりも生まれない。ゆとりが無いから新たな知識を得る時間も無い。どうしようもない悪循環だ。

「愛国」という主義の元での教育は、かつての日本のように行き過ぎさえしなければ非常に大切なことだと思うが、それ故に何をやっても“愛国無罪”ですまされる教育など存在するわけはない。

なんだか小難しいことを考えすぎて、熱が出てきた(~_~;) (先週から風邪で高熱が続き、そのせいで小賢しいことを書いたようですが、熱に魘されていた所為とご容赦m(_ _)m )



アスファルトの隙間から生えてくる花を見つけて、その小さな生命力に感動することは良くあることだけれど、昨日、買い物の途中で見つけた小さな花は、本当に可憐で美しかった。2307d3c6.jpg


花びらの大きさはおよそ1センチほど。アスファルトと下水道のフタの間からリンと太陽に顔を向けていた。

しかし、年をとるにつれて雨に濡れた新緑の葉っぱや小鳥のさえずり、この様な可憐な花などに感動するようになった。
私も枯れてきているってことなのだろうか(~_~;)

昨年の暮れ(だったと思う)、私のホームページ上の画像を借りたいというメールが届いた。
出版物に利用したいとのことだった。私自身、編集経験もあるので快諾し、印刷に耐えうるよう高解像度ものを送ってあげた。

先週、その掲載本が送られてきた。忘れていたので、封を開いた時には何で送られてきたのか分からなかった。何故、お菓子作りの趣味はない私の元に?……と。

ペラペラとめくる内に思い出し、今度は何処に掲載されているかと目を皿のようにして捜したら、タヒチのページで大きく使われていた。巻末には“写真協力”として、私の名前も記載されていた。
実際の色調よりちょっと画像が暗かったけれど、かなり大きく2点も掲載されていたので、正直嬉しくなってしまった。

「どんな国?どんな味?世界のお菓子・アジア編」(岩崎書店) という本。お母さんが子どもと一緒にお菓子を作ることを目的にした本です。興味のある方は是非、ご購入をm(_ _)m 

かつては編集の仕事をしていたので、自分の記事も手前カメラマンとして自分で撮影した写真も印刷物になっていたので、特別の感慨はないのだけれど、つくづく「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」「下手の横好き」などという言葉が浮かんでくる。

ダイビングの虜になって、地上では絶対にあり得ない世界を記録に残したく、水中写真を始めた。水中では身体がユラユラするし、サカナはポーズを取ってくれないし、で数百カットを撮っても使用に耐えうるのは数カット程度しかない。
そんな中から私の写真を見つけだしていただき、ハードカバーの本に掲載して頂いた事が驚きだ。
とは言っても、使用して頂いた写真は陸上のもので水中写真ではないから、実は心はビミョーなのである(^_^;;;

中国での反日感情が高まっている。
日本大使館への投石に始まり、日本製品の不買運動、果ては同胞・中国人が経営する日本食レストランまでもが襲撃されているという。
尖閣諸島問題や、過去の日本の侵略問題など色々あるようだけれど、その根底には日本の国連安全保障理事会への常任理事国入り反対があるらしい。

私は正直言ってその様な事に詳しくない。そんな人間がこの様な形で批判めいたことを書いてはいけないとは思うのだが、私のような低レベルの人間が感じ、考えることも必要では無いかと、無理矢理正当性を掲げて書くことにする。

【日本の常任理事国入りを反対する中国に対しての感想】
過去に侵略的戦争を行った国=日本が常任理事国となることが許せないらしい。
侵略戦争をするような国(した、という過去形ではない。現状においてだ)が理事国入りをすることには私も反対だ。しかし、いつまで過去のことを引きずって生きているのだ、中国は。
世界で唯一の被爆国である日本は、その敵国=アメリカと仲良く(異常なほどだけど(~_~;))することで、今のように発展してきたのだ。もしも、中国(や韓国)のように過去の事を謝罪しろなどと言っていたら、今の日本は無かったはずだ。過去を振り返ること(過ちを糧にすることは別だが)や、自分以外に対する怒りからは何も生み出さない。

日本が常任理事国入りすること自体に、私自身が意義を見いだせないので、なぜ中国がそんなに騒ぐのか理解できない。
アメリカの「テロ国家の廃絶」という大義名分の元の殺戮行為すら止めることが出来なかった国連安全保障理事会という存在は、今や各国が自国の国益のために利用するための存在ではないのか? そこに日本が理事国入りしてどうなるというのだ。日本は自国のメンツだけで常任理事国入りしようとしているとしか私には思えない。金満大国ニッポンが、さらなる国益を得んとすることが気に入らない…というのなら理解できるが。しかしそれは、むしろ中国…ではないのか? だからこそ急速な貧富格差が生まれているのではないのか?

【日本製品不買運動&“日本”という文字に異常反応する事について】
日本における対中貿易高はすでにアメリカを抜いたらしい。その様な経済状況下において、日本製品の不買運動は、日本経済を考えれば芳しいことでは無いのだろうとは思う。けれど、そんなこと言ったって所詮、需要と供給の問題なのだから、日本製品がどうのとか中国製品がどうのというレベルの問題ではない。
その商品が必要な人間は、誰がどうこう言おうが買うものだ。私はあまり物欲が無い方なので、値段で買うことは無い。欲しいもの、必要なものは高かろうが安かろうが買う、ただそれだけだ。
北朝鮮の拉致問題で北朝鮮輸入品の不買運動も見かけたけれど、安いからとどうしても北朝鮮商品しか買えない人は買うはずだ。(ただ、私が知る限り北朝鮮の輸入品は違法の麻薬以外ではアサリ、カニ、松茸……、無くなっても困らないものばかりだ)

中国に工場を構えた日本企業には申し訳ないが、そんなに日本が嫌いならデモ何でもして(投石は止めろ!)本当に日本を排除すればいい。それで一番困るのは日本の企業よりも中国人、あなた達の方だと私は思う。
日本企業は別の国、たとえばベトナムとかインド、ブラジルに工場を移せば良いだけの事だ。後は販路をどうするか、だ。

それにしても個人主義の国にして、あの中国人の団結力は凄いと思う。
日韓共催ワールドカップ・サッカーの時の韓国もそうだった。開催の数ヶ月前に韓国人数人と話す機会があった。その時に彼らは皆一様に「サッカーなんて韓国人は誰も気にもとめていないよ」てな事を言っていた。それなのにどうだ? 蓋を開けてみれば韓国の道路は真っ赤に染まっていたではないか。日本イレブンが敗退したとき歓声を上げて喜んでいたではないか。

インターネットの書き込みと、携帯電話のチェーン・メールであれだけの民衆を集められる国は、ある意味で凄いと思う。
果たして日本で、その様な“心を一つ”にする事が出来るような事柄ってあるだろうか? 人心をまとめることの出来る人物が日本にはいるのだろうか? せいぜい宗教というの名のもとにマインドコントロールをして少女に悪戯をするのが関の山だ。日本が憂うべき問題は、ここにあると思う。
みんなの心が一つにまとまったときの、あの感動を知る人はどのくらいいるのだろう? 日本人が中国のように一致団結したら、世界を楽々動かせると私は思うのだが…。

かれこれ10年ほど前、サッカーの試合で頸椎を痛めてしまった。
ゴールを背にした状態で胸元にパスが来たので、胸でトラップしてそのままオーバーヘッドでシュートをした際に後頭部から落下して痛めてしまった。
落下直後、全身に電気が走ったようになり、しばらく立つことが出来なかった。その瞬間は「アッ! 背骨を骨折したか!?」と思った。

以来、左手上腕部から肘を抜けて小指と薬指にかけて何時も痺れている。頭部に衝撃を受ければ全身に痺れが走る。だからヘディングは極力しない。

ヘディングさえ避けていれば何とかなっていたのだけれど、昨日はミニゲームの際に少し激しいショルダー・チャージをしたら“ピシッ!”という首元の音と共に電気が走った(~_~;)

昨夜から首の付け根に強烈なハリと痛みが残って、首を傾けることが出来ない。就寝の際やベッドから起きる際に首元に激痛が走るので、片手で頭を押さえて反対の手で身体を倒したり起こしたりしなくてはならなくなった。

ヘディングなどをしないことで首まわりの筋肉が衰え、ショルダー・チャージをした際の、急激な衝撃に一瞬首の力が入ったためだと思う。

なんだか情けないやら悲しいやら……。この歳でサッカーをやること自体が無謀なことなのか、はたまた自分の体力が極度に落ちてきてしまっているのか……。

無理さえしなければサッカーは素晴らしいスポーツだと思うけれど、ついつい熱くなってしまって、若い頃のような激しいプレーをしてしまう。自制しようにもそれがサッカーの面白さでもあるのだから困った。サッカーに変わる私に合った良いスポーツはないものか……。

最近よく夢を見る。
今朝もいくつか夢を見た。夢を見て目が覚め、またウトウトすると夢を見ている。

今朝の最後の夢はカミさんと何かを話している夢だった。何を話していたのか起きたときには忘れていて、便所で必死に思い出そうとしていたら、フト別のことに気が付いた。

夢の中で話していた相手は確かにカミさんだったけど、彼女が話していたことは、私の頭の中の事なのだから私の言葉なのだ。(それなのに思い出せない(~_~;) )

と言うことは、もしも数人が私の夢の中に登場してきて色々と話したとしても、それは全て私自身の言葉だってことだ。
これは、ある意味で凄いことじゃないか? もしも、夢の中で誰かと議論していたとしたら、本当の私はどっちなのだ?

そんな事を考えていたらちょっとドキドキしてきちゃって、明日の夢が楽しみになってきたのだけれど、もしも夢の中でケンケンガクガクの議論なんかしちゃってたら、それは分裂症って事なのかしら?

分裂症にはまだなりたくないけど、自分の深層心理を知って見たいような気もして、今夜はディベートの本でも読みながら寝てみようか……。もしも夢の中で議論が始まったとしたら、果たして収集はつくのかしら? ちゃんと議決するのかな? ウ?ム、やっぱり面白そうだ。


今日は自宅で仕事をしている。
ネット関連の仕事は、これが出来るから便利だ。サーバにデータさえアップしておけば、自宅に限らず何処でも作業が出来る。

数年前、ある外注先とプロジェクトを組んだ。ところが仕事が進む途中で彼女らはアメリカへ移住してしまった。「データはサーバに置いて、仕事はメールで連絡を取り合いましょう。大丈夫ですよ!」の言葉を残して。

確かにそうなのだが、彼女たちが通常のデイタイムで仕事をするとなると日本時間では深夜0時から朝の8時くらいだ。
だから彼女たちの作業が進み、途中経過の報告メールが届くのが日本ではお昼くらい。そこで私が中途半端な指示メールを返信すると彼女たちからの質問メールが日本時間では深夜に届く。

もしもここで私が就寝でもしてしまえば、彼女たちの作業はほぼ丸一日停滞することになる。だから私も頑張って深夜に返信メールを書く。
翌朝、出社して直ぐに報告メールが届く。早速、次の指示をメールで送る。その日の深夜には、再び質問メールが届いている。私はまたまた深夜まで頑張って、指示の返信作業をする……。数日の作業で私はヘロヘロになる(~_~;)

2カ所の時差がある国で作業をするから大変なのだけれど、これを日本を中心に考えるなら、日本で作業して残りを中東辺りの国に引き渡す。その国で続きを作業してニューヨークへ残りを送る。N.Y.で完成して日本へ納品する。すると、どうだ! 日本で3日かかる作業も1日で完了するのだ。

自分のクローンが二人いたら……。
サウジとN.Yに送り込み、それぞれが週2日働けばOK! ってな訳にはいかないな(^_^;;;

天童荒太の「家族狩り」を読んだ。
全5巻の長編だが、重いテーマに暗い内容で途中で気が滅入ってきた。滅入ったといっても読むのが嫌になったというのでは無く、人間の嫌な面ばかりが描写されていることで気が滅入ったのだ。通勤途上で読んでいたのだけれど、仕事するのが嫌になったくらいだ(~_~;)

現代社会の歪みを取り上げていて、私自身も意識しているテーマだったので読むことにしたのだけれど、2?3巻あたりは正直、読み進むことが辛く躊躇した。それでも、先を読ませたくさせるあたりは、流石に上手いなぁ。彼の作品は他に「永遠の仔」しか読んでいないけれど、あの時は内容もさることながら構成に驚いた。

今回も似たようなテーマを扱ってはいるけれど、登場人物も多く、それぞれの問題を扱っているのでテーマはもう少し広く、多岐にわたっていた。児童虐待、夫婦問題、教育問題、政治の腐敗や貧富の格差、戦争などを取り上げつつ家庭崩壊を主軸に親子(人間)の絆を描いている。

「永遠の仔」のようなエンディングを期待して最後まで読み切ったけれど、残念ながら期待とは異なった。
「永遠の仔」のエンディングが、ちばてつやの「あしたのジョー」の最終場面だとすれば、「家族狩り」の最終章は、ちばあきおの「キャプテン」といった感じか。
長い物語を読み切った後の充足感は残らなかったけれど、現代社会の問題を見つめ直すには素晴らしい作品だと思う。


インドネシア・スマトラ島沖でまた、地震が発生した。昨年の年末に起きた地震では30万人近い死傷者が出たが、今回は死者700名未満のようだ。津波被害が無かったことが幸いしたのだろう。それでも600人以上もの死者が出たというのは、何という悲劇か。

阪神淡路大震災では、死者は6000人以上、負傷者も4万人を超えていたと記憶するが、今回のスマトラ島沖の地震は、まるで「これでもか!」と痛めつけられているようで心が痛い。未だ前回の死者が埋葬されずにいると聞いた。そんな地域に再びこの様な天災が襲うとは、なんとしたことか。

私は神の存在などを信じる方ではないけれど、それでもこの様な仕打ちが続くと、流石に「神はいないのか!」と考えてしまう。

厳しい自然の元で生き抜く人々が多くいる。それでも、その自然はある時には優しさを与えてくれているのだろうと思う。だからこそ、その地で生き抜く人々は他の地へ移動しないのだろうと思いたい。確かに、今の地を出ていきたくとも経済的要因などで出るに出れない人々も多いだろうと思う。
人は生まれたその瞬間・場所で生涯が決まってしまうのだろうか? 

色んな国を訪れるたびに、自分はなんと恵まれていることかと実感する。私の叔母は出生地の新潟から他県へ出たのが、なんと60歳を過ぎてからだったと聞いた。私のように日本のみならず、色んな外国を見て回れる人はほんの一握りなのだろうと思う。

インドネシアで外国へ行ける人は何パーセントくらいいるのだろう? きっと少ないだろうと想像する。そんな国民が、どうしてこの様に往復ビンタのような仕打ちを受けなくてはならないのか? あまりに悲しく、そして不条理だ。

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