タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

先週の木曜日、11月30日の飲み会を皮切りに連日の酒宴が続く。
再来週22日の金曜日まで空いている日はたった1日しかない。まさにシーズンに突入…って感じだ。7236866a.jpg


今年お世話になった方々への御礼が一番多いけれど、クリマスパーティーか新年会かと思われるようなノリの会もある。
今年を振り返り反省をし(忘年)、来年に夢をつなげる(望年)のが本筋かと思うけれど要は酒が飲めればそれでいいジャン…ってな感じが多いなぁ。だからどうせ花より団子の酒が主体の忘年会なら、写真のように無礼講のハチャメチャ忘年会の方が楽しくていい。

昔は朝まで飲んでも大丈夫だったけれど、近年頓に弱くなって午前様になると翌日はほぼ半死状態。それでも仕事はしっかりあるのだから、コレはかなりきつい。実際、そうなると仕事にならない。

だから、最近は2次会も途中で失礼することが多くなった。
「付き合い悪いなぁ?」「年末なんだからいいじゃない」の声に、「明日も仕事がありますから…」とは言いづらいので「スミマセン、体調不調でして…」と失礼する。しかし実際はこの時点ではちっとも体調不良ではなく、むしろ二日酔いだった昼間よりも酒が入って絶好調!なのだけど、ここで突っ走ると翌日は確実に絶不調間違いナシ!なのだ。

まだソルマックの出番にはなっていない。身体をいたわりつつ楽しく今年を終えたいものだ。
そんなわけで、お誘いいただいたのに予定が一杯でお断りさせていただいた皆様。申し訳ありませんが何卒ご理解いただき、来年もご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げますm(_ _)m

先週の金曜日、某・出版社のゴルフコンペで東京ゴルフ倶楽部に行って来ました。
このコース、昔は世田谷の砧にありました。環状8号線がこのゴルフ場を分断することになってしまい、今の川越に引っ越したそうです。ちなみに環状8号線脇にある広大な緑地公園・砧ファミリーパークはこのゴルフ場の跡地です。だから、よ?く見渡すと今でもゴルフ場のコースの面影が芝生の公園内に残っています。

前にも書きましたが私はティーグランドに立ったときに「サテ、ドウヤッテセメヨウカ…」と思案するようなコースが好きです。セカンド地点でもグリーン周りでもちょっと考えさせられるコースが好きです。
なので、この東京ゴルフ倶楽部は好きなコースの一つです。でも、おいそれとプレー出来ないんですよね。

伝え聞いた話では、ここのメンバーさんはとってもマナーにうるさくて、グリーン上のボールマークを直したり、切り取ったターフを元に戻すなんてあたりませで、入浴後に桶をちゃんと洗って椅子の上に戻さないと怒られるそうです。
それはとっても良いことだとは思うけれど、なんかすごくタカビーに言われそうで嫌だなぁ。
「君キミ、桶は洗ってちゃんと椅子の上に戻しておこうネ(^_-)-☆」なんて可愛く言ってくれれば良いけれど、「コラ! なんで桶を洗って椅子の上に戻さんのかぁ!!!」なんて一喝されそうな雰囲気です(>_<);

ここに隣接する霞ヶ関カンツリー倶楽部も名門です。まだプレーしたことはありませんが。かの元・巨人軍監督の長島さんも報知新聞論客時代にメンバーになろうとして「定職に就いていない方はお断り」されたらしいですね。

話を戻して……。
その日、家を出るときに防寒具を忘れてしまってシャツ1枚しか持っていかなかったけれど、天気も良くて風も無く最高のゴルフ日和でした。紅葉も数日前が最高だったとキャディーさんは言っていたけれど、私には充分綺麗で堪能出来ました。
しかしながら流石に難コースです。予定スコアを10打もオーバーしてしまいました。
紅葉に目を奪われボールをよく見なかった…なんて言い訳は通用しませんね。

『父親たちの星条旗』観てきました。
最初の方で何人かがストーリーに絡んでくるのだけれど、若かりし頃の登場人物と晩年の登場人物が、誰が誰やら判らなくなっちゃって困りました。

ドンパチ主体の戦争映画……ってな思い込みで観に行っちゃったものだから、軽く構えすぎて映画冒頭の話の流れをつかめなかったのですf(^_^;)

硫黄島での激戦をもとに、星条旗を掲げた5人の若者をヒーローに仕立て上げてアメリカ国債を国民に買わせようとするのだけれど、戦争でヒーローは成り得ない…という当たり前の内容です。
当たり前の内容といっても、観ればドスンと重いものが残ります。

私は日本が玉砕覚悟で36日間も硫黄島を守っていたという事実。その頃アメリカでは国民に国債を買わせて戦争に勝とうとする国家的規模の大きさと、そのアメリカ本土では戦時中に国民がベースボールなどを観戦出来るほどのどかだったという事実に愕然としました。

続編の『硫黄島からの手紙』は、今の私には少々重過ぎて観に行く気持ちになれません。

今では音信不通になってしまったけれど、極真空手師範代の先輩がいた。何かと気が合って一緒にツーリングや釣り、キャンプに連れて行ってくれた。その人は極真空手某支部の支部長を務めたほどの猛者だ。

北海道で一緒にキャンプをした時のこと。
炊事も終わり満腹になってぼちぼち寝ようかとウィスキーなどを二人でチビチビやっていたら遠くで女性の悲鳴が聞こえた。数秒ほどの間があって再び「キャ?!」と闇夜を切り裂く悲鳴が。

こりゃ大変だとテントを飛び出し悲鳴がした方へと向かった。山の中の湖畔なので街灯もなく真っ暗だ。
懐中電灯を持ち、当然わたしは先輩の後ろから自分の身を隠すように付いて行ったのだけれど、驚いたことにその師範代がナイフを手にしているのだ。

拳闘家やボクサーなど有段者やプロは、その資格を持った時点で凶器を持っているものとみなされ、一般人に怪我を負わせれば逮捕&拘留される。
そんな立場の人がナイフを手にしているのだ。

熊も倒せそうな人がなんでナイフなんか手にしてるのかと聞いたら「強い奴は一杯いる。上には上がいるものだ。だから万が一に備えてさ。俺だって怖いよ」。

本当に強い人というのはイキがらず謙虚なのだとその時に知った。
肩怒らせて歩くチンピラや、やたら自分の強さを吹聴する輩は、自分の弱さを悟られまいとその様に振る舞うのだとその先輩に教わった。
こんな話を思い出し、そういえばどこかの3兄弟ボクサーの兄は本当に強いのだろうか? とふと思ってしまった。

そうそう、肝心の結末! その女性を助けられたかって?

しばらく湖畔沿いに歩いていたらテントが見えてきて、そのテントからキャッキャと騒ぐ声が聞こえ始めたのです。そろりそろりと近づいて行くと再びキャー???!と悲鳴がし笑い声も聞こえて来ました。
ナント!若いカップルがテントの中でふざけ合っていたのです。
「女性が襲われてると思ったじゃないか! こんな真夜中に騒いで周りに迷惑だろう!」とその先輩の怒り爆発! まさに有段者の迫力でした。
テントを張っていたのは自分たちだけと思い込んでいたのかもしれません。けれどあのカップル、きっと熊に襲われた以上に怖かったに違いありません。何せ熊のような迫力の男に怒鳴られ、その男の手にはナイフが光っていたのですから。

みなさんは外国での食事をどうされていますか?
大抵の人はホテル内やホテル近所のレストランなどで済まされていると思うのですが、私はとにかく物珍しいものが好きなので屋台でも何でも美味しそうなものは食すことにしています。f31bd9af.jpg


ホテルは基本的に寝てシャワーを浴びるところであって、食事は出来うることなら現地の人たちが食す美味しいもの…を探すようにしています。

パラオではフルーツバット(コウモリ)のスープやウミガメのステーキにチャレンジしました。ウミガメは肉も軟らかくて美味しかったですが、コウモリは見た目通りの食感で、スープは飲めましたが肉は食すことが出来ませんでした。

ポンペイではマングローブカニを食しました。これは本当に美味しかった。
インドネシアのメナドでは屋台料理に挑戦しようか迷ったのですが、現地に住む方が「ほぼ100?の確率でお腹を壊す」と言うので止めました。
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会社の社員旅行でタイに行った際、社員の殆どがお腹を壊してウンウン言っているのに私と当時の役員二人だけは全然平気だったことがあります。
「道に落ちても3秒以内なら大丈夫!」とばかりに拾って食べちゃうこともあったくらい、こと食事に関してはお腹に自信があったのですが、数年前に胆石で胆嚢を摘出してからは、どうも調子が悪いのです。
身体の中の臓器が一つ無くなったのだから当然と言えば当然かもしれません。

なので最近は少々危なっかしい食物は最終日に摂るようにしています。
せっかくの海外旅行で初日にお腹を壊しては台無しですから。

ちなみに写真はコスラエ空港の売店(上)。コスラエみかんは見た目は青くて酸っぱそうだけど、サッパリした甘さがあって安くてお勧めです。
写真下はマジュロのレストランで出されたサカナ(メジナ?)とお馴染み椰子ジュース。


教育基本法案でなにやら巷が騒がしい。
郵政民営化の時も思ったけれど、いまそれほどその教育基本法というものを変えなくてはならないほど切迫した問題なのだろうか?
私にとっては北の裸の王様・ラーメン大好き小池さんの方が怖いのだけれど。老後の生活がどうなるかの方が心配なのだけど…。

確かに現行の教育基本法を読んでみれば、昭和22年に施行されたものだけに無理があるとも思う。
けれど、議論の中心である“愛国心”という言葉を入れる入れないなぞ、本末転倒だ。そんなもの入れなくて良いに決まってる。

確かに今の日本を見渡せば“愛国心”など何処にあるの? って感じではあるけれど、それを教育の現場に委ねようとは何を考えているのか、このバカ者!

本来、愛国心などは教えるものでは無くて自らがそう考え実践することだ。法案を野党の意見を無視して強引に通そうとする政治家やそこにぶらさがっている国家公務員が自ら襟を正すのが先だろう、アンポンタン!

定年後もタップリと恩給をもらえる立場の者が、汚職や談合をしていて何が愛国心だ。
大学受験を優先するがために単位未履修でも卒業させていたことを知っていながら知らなかったとうそぶく教育委員会のセンセイ達の元で何が愛国心だ。
子供が自殺をするような国(そんな国、日本だけだぞ!)で、その子供達にそんな国をどうやって愛せと諭すのか?

大人が自分のしっかりした生き様を見せ素晴らしい生活を送っていれば、それを見る者達は自分もそうありたいと自ずとその国を愛するだろうに。
手本となるべき大人、特に政治家と本来国民の下僕であるべき公務員が自ら手本を見せてみろ。国民はみな日本を好きになるに決まっているではないか。
まさかこんな教育基本法ごときで「美しい国・ニッポン」が実現すると思っているんじゃないでしょうね?安倍サン。

昨年、ベルトをチタンやゴム樹脂に付け替えられたり出来て、ダイビング・ログも専用ソフトで図表にして残せる
からとスキューバプロの『Xtender V3』を購入した。

確かに町中で装着していても違和感の無いほど格好いいのだけれど、少々困ったことになってきた。
最近、若干老眼が入ってきたのだ。だから時計が小さいということは表示される文字も小さいのでダイビング中、水深や安全停止の際の残り時間、ノーデコタイムの確認がし辛くなってきたのだf(^_^;)

しかし、いくら格好良くても肝心のデータが見づらいのでは意味がない(T_T)
結局、ダイビング中は古いアポロも一緒に装着して潜っている。なんかオバカだなぁf(^_^;)

先ほど今年のラストダイブで石垣島に行った際、船上で出会ったグループの一人が私と同じ『Xtender V3』を装着していた。「オッ! 同じジャン」と思っていたら、その彼が2本目のダイビングを終えた船上でしょんぼりしている。どうしたのか聞いたら船の下にそのダイコンを落としてしまったのだそうだ。ショップのガイドさんが賢明に探していたけれど、結局見つからず。

高いのになぁ『Xtender V3』。アポロくらい大きかったら見つかったかもしれない。ってことは目の良い人にも小さすぎるダイコンはあまりお勧めできないってことか。


11月2日の夜に羽田を発って5日(日曜)まで、石垣島の川平で今年最後(多分)のダイビングを楽しんだ。
川平といえばマンタ・スクランブルが有名で、私もそのマンタことオニイトマキエイに逢いたくて出向いた。

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思えばマンタに逢おうと、これまでにポンペイ(1枚)、そしてヤップ(3枚)と遠くまで出向いたけれど、ここ石垣島では10枚以上に遭遇した。

毎日マンタ・スクランブルに行き、飽きるくらいにマンタに逢えた。二日目は正直言って「マンタばかりで詰まらないなぁ」なんて贅沢な事を思ったほどだった。けれど、3日目に潜った時、やってくるマンタが毎回違うことに気が付いた。

なにせこのポイントのマンタはダイバーのすぐそばまでやってくる。中にはくすぐられるのが気持ちいいのか、ダイバーの吐き出す泡の上でホバリングし泡を腹で受け止めているマンタもいた。

だから、マンタの個体をそれぞれ識別できる。ヒレを鮫にかじられた奴やシミの無い綺麗なヒレを自慢げに羽ばたかせる奴など、音もなく海中を羽ばたいてくるマンタは見れば見るほど楽しくなった。
ショップのオーナーが言っていた。「いつかきっとマンタも僕を認識してくれるはずだ」。

これだけマンタと至近距離で逢っていれば、それも実現しそうな、いや既にマンタはあのガイドの顔を覚えているのかもしれない。



東京湾アクアラインを年に数回利用する。
いつもガラガラだ。これでは赤字解消は100年たっても無理ではないか? だいたい通行料金が高すぎる。木更津まで走って4千円を超えるのは、官費でなければ利用する気にはなれない。

しかし私はここを通過するのが好きだ。川崎側、羽田線から入るとまもなく長いトンネルに入るのだけれど、このトンネルは海蛍を境にして木更津沖からは海上の道となる。このトンネルを抜け出る瞬間が何とも素晴らしいのだ。
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千葉への出張で利用したこの日は、生憎天気が悪くてイマイチだったけれど、それでも左に東京湾に面した高層ビル群が、右手には横浜から三浦半島にかけて眺望が広がる。
道路の脇に立つ道路灯の上にはカモメがよく停まっていたりして、何とも日本離れした景色が堪能できる道路だ。

気が短いので高速道路は追い越し車線以外を走ることは滅多に無いけれど、このアクアラインを走るときだけはなるべくゆっくり走っている。
よそ見運転は良くないことだけれど、この海上の道を走る際の景色は本当に気持ちいい。

そんな事をもっと広く知らしめれば、もう少し利用客も増えて赤字解消する日も10年位は縮まって90年後位になるのではないか?

数年前、ヤップ島でのダイビング中にウェイトを脱落・紛失してしまった事がある。
ダイビング中に何処かで落としてしまったのだけれど、安全停止する時までまるで気が付かなかった。安全停止の際にやけに身体が浮くので変だな? と思ったらウェイト・ベルトごと無くなっていた。ちょっと離れたところにあった岩につかまってなんとか安全停止時間をクリアーした。

ダイビングでオーバー・ウェイトはエアー消費が多くなるので自分の適正ウェイトを知り、なるべく軽めのウェイトで潜った方が良い。
とは言うものの、その日の体調によっては少々重めに装着しないとならない時もある。

4年前、石垣島に仕事で行った際にフリーになれた日があったので早速潜りに行った。その前夜、しこたま酒を飲まされて体調は最悪だった。

1本目。何だか潜行しづらかったので「エ?イ、面倒だ」と頭からフィンキックで着底。海底付近を散策しているうちは良かったのだけれど、水深が徐々に浅くなるにつれて、私の身体は中性浮力を取れなくなった。エアーの吸い込みをいくら少なくしても、どうしても身体が浮いてしまうのだ。
海底には小さな石しか見当たらない。仕方ないので小石を見つける度にBCのポケットにジャラジャラと入れていった。

以来、少々体調不良の時は1?ほど余分にウェイトをお借りして、2本目で調整するようにしている。しかし体調不良で潜るのがいけないのだ。事故が起きてからでは遅い。ダイビングで美しい海辺に来てるからと翌朝に響くような飲酒は慎むべき。とは分かっていてもついつい飲んじゃうんだなぁf(^_^;)

さて、明日の最終便でその小石ジャラジャラをやった石垣島に4年振りに渡る。前回は島の南側、竹富島近辺を潜ったけれど、今回は島の北側。川平をベースにして潜ることにした。今年最後のダイビング、潜り納めだ。泡盛の飲み過ぎには重々気を付けて、マンタとご対面して来よう。


突然に、まさに唐突に懐かしい昔の光景がフッと脳裏に蘇り、胸の下あたりがキュンとなった経験は無いですか?

昨日、知人とのゴルフで早朝の都会を抜け出ようとしている時に、まさにこの感覚に襲われた。
頭の中に現れた記憶は、特別に忘れ得ないような想い出ではなく、何で今頃…と思えるような、取るに足らない昔の情景だった。それは小学校時代のものなのだけれど、何だかとても郷愁を誘った。
その小学生の頃の、すっかり忘れていたはずの記憶が、鮮明に脳裏に蘇ると同時に軽い胸苦しさのようなものが襲ってきたのだ。

とっても不思議な感覚だった。その胸苦しさは決して不快なものではなくて、懐かしさに溢れる感じ…と言ったら良いのか。何にせよ、料理の味を文字で表現するのと同じで、こればかりはこれ以上を私の文章力で表現するのは無理のようだ。

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この不思議な感覚は暫く続いたかと思うと、フッと無くなり、また暫くして別の忘れていた情景と共に蘇ってきた。それが何度か繰り返されるうちに車の運転に注意を払うようになったためか、いつの間にか無くなってしまった。

ゴルフ場からの帰途、あれはいったい何だったのだろうと渋滞の関越道路で考えていた。
多分にその前夜の事が影響しているとしか思えなかった。

その前夜は私が卒業した中学校の同窓会だった。会としては2回目、4年ぶり。卒業してからン十年振りの、懐かしい友との再会だ。
みなオジサンにおばさんであるのは当たり前としても、すっかり頭頂部が薄くなっている奴や、デップリと貫禄見事なお母さんもいる。01c8b93b.jpg


新宿の高層ビル53階でお昼の12時から開催された同窓会は、別の高層ビルの1階に場所を変えて2次会に突入。その後は赤坂や地元の居酒屋へと三々五々に分かれて深夜まで話は尽きることがなかった。

私は翌朝のゴルフに備えて早々に失礼させてもらったけれど、それでも12時間飲みっぱなしのしゃべりっぱなしだった。

車の運転中にフラッシュバックしたように唐突に沸き上がってきた昔の想い出は、中学時代を通り越して小学生時代のものだったけれど、きっと記憶を担当する神経は寝ていなかったのだ。
ゴルフ当日の朝、酒が残ってカスミがかかったような私の脳ミソは、まだ仲間との会話を続けていたのだ、きっと。

中学で3年間、高校3年間、そして大学で4年間。都合10年間(浪人時代入れればそれ以上)も英語の勉強をしていながら満足に英会話が出来ないというのはどういうワケか?

趣味と実益を兼ねて、いま南の国にプロモーションを仕掛けている。残念ながら今回の企画はどうやら通らなかったようだけれど、悔しいのは自分の語学力の低さだ。
何とか自分の意志や考えを伝える程度の会話力は備わっているけれど、流石に仕事となると私のレベルではおぼつかない。ちょっと早口で話されるとサッパリ聞き取れないし。

小学生の英語の授業を増やすとかどうとか言われているけれど、ほかの科目を削ってまで英語の授業を増やす必要など無い。
私のように10年以上も英語授業に付き合って(しかも私は成績優秀な方だった)、それでも英語で満足なコミュニケーションが取れないというのは、教え方が下手か間違っていたのだと、なぜ気がつかないのか?

笑い話じゃないけれど、英語圏なら2歳の子供だって英語でおねだりしてるじゃないか。しかし何も英語ドップリの生活をする必要も無いのだ。勿論その方が修得は早いだろうけど。
毎日ボールを蹴っている子供がメキメキとサッカー技術を上達させるけど、だからといって朝から晩までボールを蹴ってるわけじゃない。少しで良いから英語、しかも会話で接するようにすれば良いだけだと思うのだ。

深夜まで辞書に首っ丈にならざるを得ないような勉強をさせるより、1日30分でも英語で話す機会を与えてくれていたら、わたしの南の国へのプロモーションも上手くいって、今頃は短パン&Tシャツ姿で商談をしていられたに違いない。
それより企画そのものが悪かった、ってコトは今日のテーマでは不問ということにしておこう………(涙)。

きのうの日曜日。
前々からもう一度観たいと思っていたウォーレン・ビーティ&アネット・ベニングの『めぐり逢い』をようやっと発見。早速レンタルしてきて鑑賞した。

この映画、ケイリー・グラント&デボラ・カー、その前にはシャルル・ボワイエ&アイリーン・ダンが『邂逅』という邦題で(この作品が最初かな?)、そして新しいところではトム・ハンクス&メグ・ライアンの『めぐり逢えたら』と、何度もリメークされているけれど、私はこのウォーレン・ビーティ&アネット・ベニングのコンビ作品が一番好きだ。

途中で出てくるタヒチ・モーレア島の景色も良いし、それ以上に何と言ってもアネットの笑顔が最高! 
そしてラスト・シーン。エンパイアステートビルの屋上で待ちぼうけをくった主人公・ウォーレンが、途中で事故に遭い会うことが叶わなかったアネットに「待たせてしまって悪かった。だからお詫びを言いに来た」という、あのセリフ。格好いいなぁ。まさにこれぞ男の優しさ…ってヤツですな。アネットはこのセリフに参ってウォーレンと結婚したんじゃあるまいか、と思えるほどの名セリフだ。

あまり評判にはならなかったようだけど、この作品は秀作だと思います。この作品の後にトム・ハンクス&メグ・ライアンのリメーク版が出たというのは非常に残念。リメークしたなら前作を超えなくちゃ、ネ。

その昔、学生時代にオートバイで日本全国を走り回っていたころ、何度も人の親切を受けた。

東北地方、確か秋田県だったと記憶するけれど、道順を教えてもらおうと道行く人に声を掛けた。それはそれは親切に一杯教えてくれたのだけれど、残念なことに一寸見ご高齢なそのご婦人の話す内容がまるで理解できなかった。英語の方がまだ理解できたかもしれない。結局分からずじまいで若い人に教えてもらった。ちょっと訛りはあったけれど標準語だった。
私の顔には、きっと「コトバガ、リカイデキマセン」というメッセージが現れていただろうに、そのご婦人は一生懸命説明してくれた。そして別れ際にリンゴ(だったと記憶する)をくれた。

鹿児島の海辺でテントを張り、さてボチボチ食事でも作ろうかと支度を始めたら「うちに泊まりなさい」と声を掛けられた。何度も固辞していたのだけれど、「明日から天気が荒れるよ」の言葉に結局お世話になることにした。お風呂に夕飯までご馳走になり、泊まった場所は納屋だったけれど、干し草の臭いに包まれ暖かくてシュラフ不要で眠れた。そして翌日。あるじの言葉通り荒天となりもう一泊お世話になった。テントで寝ていたら、きっと夜半に起こされ雨中の撤収に泣いていたことだろう。

長崎の港で寝ていたときは、酔っぱらいに声を掛けられた。こちらもこれから俺の家に来いという。酔っぱらいについていく訳にはいかないから、こちらも頑なに断ってたら、ナント!200?近い重量の私のオートバイを小さな渡し舟に勝手に乗せてしまったのだ。舟は見事に傾いた。転覆してオートバイが海中に沈んでは困るので舟の反対端に座り込んだ。そのまま島に連れていかれた。高島という炭坑の島だった。そこの寮に着くなり、その酔っぱらいのおっさんと酒盛りになってしまった。意気投合した。結局、2泊3日間その寮にご厄介になった。その炭坑も今は閉鎖されている。

時には「親のスネをかじって遊び惚けている奴に売るガソリンなぞ無い!」と罵倒されガソリンを売ってもらえなかった嫌な人間もいたけれど、まだまだ数え切れないくらい色んな人に親切にしてもらった。

以来、今度は私の番だと思っているのだけれど、なかなかチャンスが巡ってこない。

海外旅行をするようになって、日本の素晴らしさやスゴさを再認識するようになった。
日本を知らずして何が海外だ!と学生時代はひたすら日本国内をオートバイで走り回っていたけれど、外国から日本を見ることも大切だと最近は感じる。

欧州には行ったことが無いけれど、サンフランシスコやロサンゼルス、シドニーを見ても日本の東京ほど大きな都市はないと実感する。こんな大都市、世界中で他に無いのではないか。

南方の島で家族23人を持つ家主に会ったことがある。その時、彼は私に椰子の葉で編んだコースターを売りに寄ってきた。5つで確か$2だった。それが彼らのひと月の収入だそうだ。それなのに悲壮感など微塵もない。食するには困ることのない場所だからだろうと思う。サカナも果物もふんだんにある。

サンタモニカの海ではイルカの姿も見たけれど、船が1艘も浮かんでいなかった。釣りだの漁だのする人が少ないということだ。

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「原爆実験をするぞ!」と息巻く国にも行ったことは無いけれど、彼らの生活振りが想像できる。きっとひと月2$以上は収入があるだろうけれど、あの裸の王様のもとでは彼らの生活振りが窺えて、気の毒でならない。

グローバリズムの時代だそうだが、そんなことは私にはどうでも良いこと。でも、いま世界がどのようになっているのかは知っておくべきだと思う。日本しか知らない井の中の蛙にはなりたくないから。

そんな意味でこの本は読んで損は無いでしょう。『塗り変わる世界地図の読み方 21世紀の大再編が始まる!』(藤井厳喜・著)
内容的に賛同するか否かは、それぞれが自分で判断すべきだと思うけれど、世界の見方が少し変わる。ちょっと視点を変えて物事を見るのも大切だろう。

そうそう! 八丈でこの話を聞いたときには絶対に書こう!と思っていたのに忘れていた(^_^ゞ
八丈島で宿泊した際、一人で来ていた女性ダイバーと一緒になった。八丈島は近くてダイバーには有り難いですね…なんて話していたら、ナント!その女性ダイバーが「日帰りダイビングをしたこともありますよ~」。
私が「????」状態でいると、朝一番の飛行機で来てダイビングをし、最終便で帰るのだそうな。cd2b08d7.jpg


ダイビング後は1ダイブなら12時間、2ダイブなら24時間は飛行機に乗れないと記憶していたのだけれど、彼女および宿の店主(彼もバリバリのダイバー)そろって言うには「八丈の飛行機は高度が低いから大丈夫なんだよ。むしろ伊豆の箱根越えの方が危ない」。

確かに機密性の高い飛行機が高度を低く飛べば箱根の峠を車で越えるより気圧変動は少ないだろう。けれど、そういう問題だろうか?
「八丈島のショップではそれを許しているの?」と聞いたら、ほとんどのショップがOKなんだそうだ。

いくらショップが過当競争状態だからといっても、果たして良いのだろうか? 最終的には自己責任なんだろうけど、事が起こってからでは遅いと思うんだけどなぁ。

金曜日の夕方、全日空の最終便で八丈島に渡った。
“八丈ブルー”と呼ばれる海の蒼さを体感してみたかった。

土曜日と日曜日に潜り、月曜の朝一便で羽田に戻り出社。定時に1時間ほど遅れてしまうけれど、私にとって手軽なダイビング候補地になった。
ダイビングの話は後述するとして、初めて訪れた八丈島の感想などを。
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街の中を車で移動すると、やけに綺麗な新築の家と、主人無き廃屋が目に付いた。聞いたところでは新築の家は、街の道路拡張に伴う移転費用で建てられたものだそうな。

一方、廃屋の方は離島によるものかと思ったら、高齢者の住まいで家主の死去によって朽ち果てた家がほとんどではないか、との事だった。

拡張され綺麗に整備されている海岸線を走っていたら、とても立派な建物が目に入った。八丈島で一番立派なホテルだったそうだ。“だった…”というのは、数年前に倒産しそのまま閉鎖されているのだという。

確かに観光するにしても八丈島は見所が少なすぎる。だから観光では成り立たない。温泉はとても素晴らしいお湯が豊富に出ていて、眺望も良くて最高なのだけれど、温泉に入るためだけにこの島を訪れる人は少ないだろうと思う。772b6a61.jpg


食べ物に関しては、島寿司とあしたばソバ&うどんはマァマァ…といったところだったけれど、焼酎とくさやは絶品だった。飲み比べで7種類の焼酎を試飲したけれど、個人的には「磯むすめ」と「黄八丈」「島流し」が好みの味だった。これも年によって味が変わるらしい。

小さな子供連れで磯遊びやキャンプも楽しそうだけれど、結局はダイビング客が一番のお客様なのだろう。

この小さな島に28ものダイビングショップがあると知って驚いた。まさに過当競争だ。リピート客を確保するために、各ショップはサービスを充実させているのだと想像できる。

確かに海の中は素晴らしかった。魚影の濃さも魚種の豊富さもさることながら地形の面白さも楽しめる。

私自身の日本でのダイビング経験が少ないので、あまり偉そうな事は書けないけれど、伊豆の雲見や神子元へ行くよりお手軽だと感じた。問題は台風の影響を受けやすいことか。8c2d456e.jpg

実際、計画して一度は台風の進路が気になり日延べにしたのだ。郵送してしまったダイビング機材を追いかけるようにして2週間後にやっと渡れた。
渡ってから海況が悪くて潜れないのは運が悪かった…で済むけれど、仕事を持つ身では台風で戻れません…が一番恐い。これさえ無ければダイバーにとって八丈はとっても素晴らしい島であることは間違いない。

約2ヶ月ぶり、今年6回目のゴルフに行って来た。
場所は千代田カントリー・クラブ。

このコース、接待ゴルフ場(易しいコース…ってことです)との噂もあるらしいけれど、何処が接待ゴルフ場なのか。
フェアウェイは狭くバンカーも多いし、どうしてどうして戦略性を問われる立派な難コースだった(苦笑)。17421b2e.jpg


しかし、私はこの手のコースが好きだ。だだっ広いだけ…のコースは好きではない。それでも景観さえ良ければ少しは良いのだけれど……。

だから接待ゴルフ場の名門コースであるよみうりゴルフ倶楽部は好きじゃない。だいたいプレーフィーが高すぎる。あそこで高いプレーフィー払うくらいなら東京よみうりカントリークラブの方がいい。

ティーグランドに立って「サアテ、ドウヤッテセメテイコウ…」と考えさせられるコースが、どうせゴルフをするなら楽しい。

そういえばゴルフのプレー・スタイルと車の運転は、その人の性格が出る……って良く聞くなぁ。確かにそうだと感じることもある。

気の短い人は思い切り良くサッサと打つ(打った後で後悔する姿も)
一方、熱心にラインを読んだりクラブ選択を入念に行う人もいる(で、ミス・ショットしてカリカリしたりする姿も)
万事がゆっくりで前の組に遅れても意に介さない人もいる(気が付かないだけか?)

確かに性格はプレースタイルに現れてくるようだ。

さて私のプレースタイルは? トリッキーなコースが好きって事は、とても緻密な性格を持っている…って事か? それともただ単にへそ曲がり…って事か? こればかりは同伴競技者さんの受け取り方&感じ方次第ということで。

※写真は中コース18番をクラブハウスから眺めたもの。

タイでクーデターが起こった。

タイでは政権交代がほとんど軍事によるクーデターで行われているそうで、国民も特に驚かず騒がずで、戦車バックに記念撮影している光景なんかがテレビで報道されていた。

かつて日本でも小規模ながら○○一揆なる(伏せ字の部分、今の教科書には当時は決して使われなかった言葉に書き換えられているようです)クーデターがあったらしいけど、今の日本で起こらないのがとっても不思議。

役人が私利私欲で公費を使っている国で、しかも国民の格差を容認している国で、何でみんな怒らないのだろう?
本来役人は国民のために働くべき存在で、だからこそ恩給という定年後の厚い手当もあるのだろうに、滅私奉公するどころか自らの懐を暖かくして更に天下ろうと、定年後の蜜タップリな大木(企業)を探しまくる。全ての役人がそうでは無い事は重々承知のうえだけど、一部の人間でもその様なことが発覚すれば、企業だったら一発でクビ。下手をすりゃ企業自体の存続が危ぶまれる。当然の事だ。それなのに役人の不祥事は後を絶たない。きっと僕らが報道で知り得るのは氷山の一角なんだろう。

天下ってきた元・役人の、現・権力との繋がりという人間関係を利用して儲けようとする企業も企業だけれど、かつての○○一揆的デモだのストライキではラチが開かないような気がするのだ。
かといって自衛隊から戦車盗んできて役所に乱入するわけにもいかないし、結局は小泉さんの後を次いだ安倍さんに期待するしかないのかなぁ。どう見ても無理そうなんだけど……。


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韓国へ2泊3日で行って来ました。
羽田発金浦空港まで飛行時間は2時間ほど。日本に一番近い外国です。しかも街中に氾濫するハングル文字は、私にはサッパリ判りません。まさに異国情緒満点。とっても身近な海外旅行を楽しめます。

たった3日間、実質2日ほどで韓国を見て回るには少々無理がありました。
もう少し時間があれば、それなりに興味深い場所も訪問できたでしょうが残念です。

で、たった2日程だけの滞在でしたが、それなりに感じたことなど書き留めておこうかと思います。

まずはソウルの街並みですが高速道路も出来ているし、マンションなどの高層ビルなども結構建っていて、ちょっと見には立派な大都市でした。けれど、よくよく注視すると、もぬけの殻になったビルや解体作業中のビルなども結構あって、韓国の経済状態が少々下降線であることが窺えました。
聞けばソウル・オリンピックの際に大規模な都市開発などがなされ、一気に開発が進んでビルなどが乱立したそうです。

東京もオリンピックで一気に経済が上昇加速しましたが、その30年後にバブル崩壊。韓国はまだオリンピック後18年が経過したばかりですが、日本と同じ道を辿るのでしょうか?
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2度の夕食では、観光客相手らしき店に入りました。初日は鍋料理、翌日は宮廷料理でした。
味はそれなりに美味しいのですが、値段の高いのにビックリ! 韓国の通貨はウォンですがビール1本6,000ウォンなんて単位ですから、相当インフレが進んでいるんでしょうね。

インフレが進んでいるのに韓国も日本同様、格差社会が深刻になりつつあるそうです。しかも格差レベルが日本以上に深刻らしい。
フラリと入った繁華街・明洞(ミョンドン)の裏通りのお店では、焼き肉食べてしっかりお酒も飲んで、〆に冷麺をたのんで5人で49,000ウォン、日本円で約6,000円でした。全てのお店が高いわけではないようです。ちゃんと、庶民的なお店もある…ってことですね。

物価が安くて有名な南大門市場にも行ってみました。でも、日本の100均ショップやユニクロの方が商品の質も良いし値段もずっと安いです。
同行者がこれまた安いと有名な韓国の眼鏡店でメガネを作りましたが、1万円以上したそうです。日本だったら5,000円で買えますね。名物の足裏マッサージなども日本と値段はほとんど変わりません。

おばさん達が大挙して買い物をしている姿も見かけました。これから韓国が観光でそれなりのお金を落とさせるには、彼女たちに向けて新たなサービスをする必要があるかもしれません。いつまでもペ・ヨンジュンやイ・ビョンホンなどの韓流スターの人気が続くとも思えませんから。

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逆光の太陽で、キラキラ光る海が好きです。
波の揺らめきでキラキラ光る海面も一緒に揺らめくのが何ともいい。

ず?っと昔、新潟の海水浴場で日がな一日遊んで、陽が傾き始めると家に帰るのだけれど、その時の光る海の記憶が私の脳ミソの奥に仕舞い込まれたのかもしれない。
そういえば子供の頃に『光る海』というタイトルのドラマがあって、そのタイトルバックに使われていたきらめく海もいまだに覚えているなぁ。
どうもこの二つの光る海のイメージが脳に刷り込まれてしまったようで、陽が傾き始めた時間帯のキラキラ海面を見るとホッとするのです。

この時、私の頭の中ではボサノバが流れています。



中学・高校時代、歴史の授業が大嫌いだった。
今ではむしろ好きな分野だけれど、一番覚えなくてはいけない学生時代に嫌いになったためか、悲しいかな私は一般の人より歴史に疎い。

人のせいにしてはいけない事は重々承知だけれど、でもやっぱり出会った教師が悪かった(^_^;;;
テストで年号ばかりを記憶させられたから嫌いになったのです。「いい国(1192)創ろう鎌倉幕府…」なんて覚えさせられても、ちっとも面白くない。
だから年号を覚えさせられるたびに「オマエハ、ソレヲミテキタノカ?」なんてバカな事をブツブツ言う不良学生になってしまったのだ!〔人のせいにするどころか、ここまでくると正に曲解の極みですね(^_^;;; 〕

年代の丸暗記などではなくもう少し興味深い話し、例えば「この歴史だって君たちが覆すことも出来るんだよ?」なんて言ってくれたら、思わず「エッ!? ドウシテ?」って思ってもう少し授業に熱中したと思うのです。

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そんな事をこの本は教えてくれます。
竹内薫著『99.9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』(光文社新書)

科学の世界を分かり易く書いてあります。
今年の2月に初版が発刊されたのですが、数日前に惑星ではなくなってしまった冥王星のことも、あの星が惑星であるのは限りなくグレーだと書いてありました。

……100パーセントわかってはいないのに、100パーセントわかったかのように強制的にみんなに教えてしまうと、だれもが先入観をもってしまって、疑問に思う人がいなくなってしまう……(本文より)

歴史だって教えてる側が誰かの受け売りなんだから、「ダレ誰は××資料を元に鎌倉幕府は1192年に始まったと言っている。でも、違うかもしれない…」なんて言ってくれれば、歴史好きの少年が増えて「よし、俺がその定説を覆してやろう!」なんて本気で歴史を勉強するかもしれない。

地動説から天動説へ。ニュートンからアインシュタイン、そしてホーキング博士へと、その時代には『当然の事』と言われてきた事が覆されてきた科学の歴史が分かり易く、面白く書いてあります。
いま生きている僕らも、実は映画『マトリックス』のような世界で生きているかもしれない。

……この世界は、実はほんの数秒前に誕生したばかりです。でも、あなたの頭には精巧なニセ記憶が仕込まれているので、あなたはもう長いあいだ生きていると思っているし、地球は何十億年も続いていると考えているのです。
この仮説を否定する方法はありますか?……
(本文より)
さて答えは。………この仮説を否定できる証拠はないのだそうです。

カフスやらタイピン、指輪のような装飾品は嫌いだけれど、どういうワケか昔から腕時計が好き。
で、土曜日に日本橋三越の「ワールド・ウォッチ・フェア2006」へブラリと出向いてきました。72136d68.jpg


数100万円台はゴロゴロ、1000万円台から写真のように2000万円台~3000万円クラスの腕時計がそこら中にあってビックリ!

勿論、こんな時計は買えないし買う気も無く、お目当ては最近よく評判を耳にするダニエル・ロート。でもこの時計も、私が身につけるには当分無理だなぁ。とってもカッコいいんだけどなぁ。

なんでこんなに時計に興味を持つのか自分自身でも解らなくて不思議だったんだけれど、今回この会場に来て解りました。
そのメカニカルな所に惹かれるのだと。

あの小さな中にミクロ決死圏サイズの人間じゃなきゃ作れないような技術が凝縮されている事が、私をワクワクさせるのだと実感しました。
最近は時計の裏蓋がスケルトンになっているのがブームで、腕時計の精密なパーツやその動きを見ることが出来ます。
先のダニエル・ロートもそうで、懐中時計の部品を使用したモデルを見せて貰って、そのメカニカルさに改めて惚れ込んでしまいました。

ちょうど男の子がプラモデルに夢中になるのと近いような気がするのです。これは男の世界なんだろうなぁ。女性はメカニカルさよりも宝飾の方を優先するのではないでしょうか? だから数1000万円なんて腕時計が登場するのだと思うのです。
時計自体の機能だけを考えれば、良いとこ百数十万円…ってところが妥当だと思うのですが……、そんな事はないでしょうか?

何にせよ、今回凄い時計を見れて目の保養にもなったし、どうして自分が時計好きなのかが解ったような気がして、何だか嬉しい一日でした。クォーツ時計に魅力を感じない理由がやっと解りました。

カフスやらタイピン、指輪のような装飾品は嫌いだけれど、どういうワケか昔から腕時計が好き。
で、土曜日に日本橋三越の「ワールド・ウォッチ・フェア2006」へブラリと出向いてきました。f5f164b8.jpg


数100万円台はゴロゴロ、1000万円台から写真のように2000万円台?3000万円クラスの腕時計がそこら中にあってビックリ!

勿論、こんな時計は買えないし買う気も無く、お目当ては最近よく評判を耳にするダニエル・ロート。でもこの時計も、私が身につけるには当分無理だなぁ。とってもカッコいいんだけどなぁ。

なんでこんなに時計に興味を持つのか自分自身でも解らなくて不思議だったんだけれど、今回この会場に来て解りました。
そのメカニカルな所に惹かれるのだと。

あの小さな中にミクロ決死圏サイズの人間じゃなきゃ作れないような技術が凝縮されている事が、私をワクワクさせるのだと実感しました。
最近は時計の裏蓋がスケルトンになっているのがブームで、腕時計の精密なパーツやその動きを見ることが出来ます。
先のダニエル・ロートもそうで、懐中時計の部品を使用したモデルを見せて貰って、そのメカニカルさに改めて惚れ込んでしまいました。

ちょうど男の子がプラモデルに夢中になるのと近いような気がするのです。これは男の世界なんだろうなぁ。女性はメカニカルさよりも宝飾の方を優先するのではないでしょうか? だから数1000万円なんて腕時計が登場するのだと思うのです。
時計自体の機能だけを考えれば、良いとこ百数十万円…ってところが妥当だと思うのですが……、そんな事はないでしょうか?

何にせよ、今回凄い時計を見れて目の保養にもなったし、どうして自分が時計好きなのかが解ったような気がして、何だか嬉しい一日でした。クォーツ時計に魅力を感じない理由がやっと解りました。

母校・早稲田実業が全国高校野球選手権大会で優勝した。初優勝だそうな。
過去に優勝した記憶があったのだけれど、春の選抜高校野球選手権大会の方での優勝だったようだ。

数日前のブログで決勝にまで勝ち進んだら甲子園球場まで行ってみようか…と書いたけれど、昨日の日曜日は仕事が入ってしまって行けず、テレビでも観戦できず。
帰宅して延長同点で再試合になったと知り、ならば今日…とも思ったけれど、こんな日に限って重要人物との面談が入っていて、突然に風邪をひくことも許されない(T_T)

結局会社でテレビ観戦したけれど、気迫のこもった素晴らしいゲームだった。今の早実を「ぼっちゃん学校」なんて過日、書いてしまったけれど、とんだ失礼を書いてしまった。早実のピッチャー・斉藤、連日猛暑の中での4連投なんて半端な根性では成し遂げ得ない事だ。

試合が終わって甲子園球場に校歌が流れたときは、母校愛欠落者の私にも懐かしさがあふれてきた。

祝! 優勝!


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『収容所から来た遺言』辺見じゅん著(文藝春秋社)
ロシアに抑留されていた日本人俘虜たちの壮絶な記録。

終章を通勤途上の電車の中で迎えた。感動で鳥肌が立ち涙があふれた。下車の際に足下が歪んで恐かった。

私の稚拙な文で余計なことを書くのは止めようと思う。
しかし、1945年の敗戦から実に11年間、1956年の暮れまで極寒のシベリアに抑留され、過酷な労働を強いられていた人々が60万人もいたという事実。そして、その人々が故郷を忘れることなく、必死に帰国を望み11年もたって念願が叶ったという事実。7万人という祖先が凍てついた大地に埋葬されているという事実。
その他、私たちが後生に残しておかなければいけないことが一杯あるという事実。それらを実感をもって知ることが出来る本だということは書き残しておこう。

何が感動的なのかは書かないでおく。私のこのブログを読んだ後にこの本を読む人がいるとすれば申し訳ないので。

私の父も満鉄で働いていたと聞いた記憶がある。父はそれ以外は何も語ってくれなかったけれど、満州からの引き上げも並大抵ではなかったのだと、この本で知らされた。
父がもしも収容所に入れられていたら、いまの私はこの世に存在しなかったかもしれないのだ。

今日の対福井商戦に7?1で完勝し、我が母校・早稲田実業がベスト8入りした。

私が入学した年は春の大会に出場した。その翌年は、同じ中学からの先輩がライト・フライをエラーして甲子園一歩手前で敗退したと記憶する。卒業後は後輩の荒木大輔が夏の大会に出場し、愛甲率いる横浜高校に決勝戦で破れた。
以来、何度か甲子園には出場していたような気もするけれど、かなり久しぶりの事らしい。

先週、その母校から寄付金と応援ツアー参加のお願いがきた。
でも、残念ながら母校愛が欠乏しているので寄付はしない。母校に寄付するくらいならユニセフに寄付をする。
応援ツアーにも参加しない。旅行会社と結託しているようなツアーなど冗談じゃないし、第一いま頑張っている選手の、面識もない親御さん達と一緒に行っても面白くもない。

でも、もしも決勝まで残るようだったら一人でフラリと行ってみようかな。まだ一度も甲子園に入る事もツタの絡まる球場自体も見たことがないから。

私が通った早実の校是は「質実剛健」であり、実際にバンカラな校風だった。硬派がゴロゴロしていて、ナンパな連中は実に少なかった。
ところが聞くところによると、最近の早実はまさにナンパな坊ちゃん学校になってしまったらしい。在校男子生徒が学園祭に来た女子高生の手を取り、嬉々としてネイル・アートなぞしていると聞いて絶句してしまった。当時だったら「ちょっと体育館の裏に来い!」と呼び出されて不思議はない。

もしも決勝まで進んだなら応援がてら、そんな坊ちゃん学校がどうして決勝まで行けたのか、観に行くのも一興かもしれない。 続きを読む

息子が小さい頃に、自分がオートバイで日本を走り回っていた時の話を何度か語り聞かせたことがあった。

4?5万円をバイトで稼ぎ日本一周に出る。基本はすべて野宿で自炊。洗濯物が貯まったり、悪天候の時だけユースホステルに宿泊した。
当時のユースホステルは1泊2食で代金は1000円もしなかった。ガソリンはリッター40円後半?50円台でタバコのハイライトが45円の時代。

途中で資金不足になるとユースホステルや農家に頼み込んで短期のバイトをさせてもらったりもした。

その息子が数年前にオートバイを買いたいと言い出した。
思わず「ウッ…!」の瞬間。

親としては乗せたくは無いのだけれど、自分の放浪話をしてきた手前、ダメとは言えない。

息子は中古のヤマハ中型車を月賦で購入した。そして夏休み、驚いたことに雨合羽や防寒具も持たずに北海道へと旅立って行った。しかも途中で携帯電話を無くし、連絡もままならなくなった。(そういえば私の時代は携帯など無く、家への連絡は3日に1度程度だった)

行く先々で、知り合ったバイク仲間からその無謀さを指摘され、そしてかなり辛い目にも遭ったようだ。その翌年はそれなりの装備をして富山へ旅だっていったようだった。(それでも私には無防備に見えた)

何と無謀で無計画でバカな息子かと呆れたけれど、自分の過去を振り返ってみれば大同小異。私の初ツーリングも仲間と一緒に秩父へ向かい、帰路に台風に遭遇し、直撃の嵐の中を百数十?走って帰ってきた。
雨具は皆、持っていなかった。しかも途中で仲間のバイクが故障してしまった。修理工具を誰も持っていなかった。

自分では普段の息子の起居振る舞いにハラハラの連続だけれど、自分の父も母もきっと同じ思いだったのだろうなぁ。

これから先何年後かには、その愚息も同じ思いをするに違いない。その時、我が愚息はどのような態度を取るのか? 見れるものなら見てみたい。


梅田望夫の『ウェブ進化論』(ちくま新書)を読んだ。
パソコンのこちら側で感動していた時代から、パソコンの向こう側にある世界に感動する時代が訪れているという。47177b2a.jpg

読めば「ナルホド、ソノトオリ!」なのだけれど、意外とこの世界を理解できない人が多いのも事実だろうなぁ。

グーグルやウィキペディアなどを題材にして、過去から現在、そしてこれからのウェッブ世界感が書かれています。

私のこのブログを読んでいる人や、ネット・ゲームを楽しむ人などにはさほど驚きは無いかもしれいけど、この本を読んで「あり得ない!」、「んなわけ無いだろ!」なんて言う人は10年後、きっと困るだろうなぁ。
ファックスやコピー機の使い方が分からない人のようになってしまうんだろうなぁ。
で、そういう人に限って「使えなくても不自由しない」なんてシレッとした顔で言うんだ。使わない(使えない)からそんな台詞も吐けてしまう。

一度使えばそれがどんなに便利で凄いのか分かるのに。使えないことがどんなに不自由なのか、どんなに損なことか分かるのに。

確かにネットの中の情報は玉石混交。下手をすれば悪意に満ちた蜘蛛の巣(ウェッブ)にまんまと騙されてしまう事があるのも事実。しかし今、ほとんどのネット・ユーザーはそれを承知で玉か石かを識別している。

この本では断言はしていないけれど、そんな悪意に満ちた情報も善意の不特定多数が駆逐してしまう世界を窺わせている。
確かに私が初めてネットの世界を覗いた頃、モザイクと呼ばれていたその頃にはエロ&グロを通り越して狂気&猟奇の世界もあったのに、いつの間にか淘汰されて無くなった。

マサチューセッツ工科大学が講義をネット上で公開しようとしているそうだ。それが本当に実現すれば、今の日本のように裕福な家庭の者しか教育を受けられないような世界は無くなる。
一方、グーグルは地域格差による貧富の差を無くそうとしているそうだ。

これからのネット世界に乗り遅れたくない人には、読んでおいても損は無い本だと思います。

私のダイビング師匠のブログを読んでいて、私なりにも感じた事があるのでちょこっと書いてみようか……と。タイミング的にはかなり遅いのだけれど……。

亀田興毅のタイトルマッチ。
試合のジャッジメント結果にマスコミ各社が騒いでいたけれど、私自身は亀田興毅が可哀相に感じてる。

あのジャッジに何某からのお金が動いていたのでしょうか? それを明確に証明出来ない限り、確かにきな臭い判定結果ではあったけれど、結果として受け止めるしかないと思う。騒ぐのは疑惑を証明するような事実が出てからだ。第一、あんな判定して損をするのはボクシング界そのものだろう。

私は亀田兄弟のファンでもないし、これからも彼らを好きになることは無いだろうと思う。何で彼らを好きになれないかと言うと、品格が無いから。教養が無いことは許せても(悲しいけど)、人間として品格の無いのは好きになれない。
まだ19才の子供だから少しは許せるとしても、あの兄弟に品格が備わるようになるには、このままタイトル・ホルダーで居続けることより難しいことだろうと思うから。

今回のジャッジメントに対するバッシングは、大晦日に行われるらしいタイトルマッチの結果で自ら晴らせば良いことだ。
しかし、あの少年が一度登りつめた頂点の蜜の味に溺れることなくハングリー精神を保ち続けられるだろうか? 私は無理だと感じている。それが出来そうな男なら、もう少し品格も感じられるはずだから。

でも彼が強いことも事実。フラフラになりながらも最終ラウンドまで戦い抜いたんだから。
是非とも今度はスカッとノックダウンで勝利して欲しい。ファンはそれを望んでいるだろう。ファンでは無い私も、同じ日本人として彼のそんな勇姿を見てみたい。
で、出来れば人間としての品格は今更供えられなくても、王者の風格を持って欲しい。

風格は自らの行いの中で自然と生まれてくる。本当の強さが彼の自信となって風格に滲み出てくるはずだ。その為にも今度は完璧な勝利をしなくてはならない。
でないと彼らも、最終的にはボクシング界がファンを始めマスコミから捨てられてしまうと思う。

クチや不遜な態度で強がるチンピラのような事はせず、疑惑のジャッジなどでない誰もが認める結果を出して勝利する事を切に望む。


昨夜、一昨夜と熱帯夜が続いた。

使用すると疲れが取れない…、むしろ目覚めたときに余計に疲れているような気がするので、就寝時はクーラーはおろか扇風機も使用していない。
開け放した窓から入ってくる風が唯一の頼り。

なので昨夜のような無風熱帯夜地獄の時は、扇風機を窓の外に向けて回し寝ることにしているのだけれど、昨夜はそれをせずに寝付いてしまった。
朝、新聞配達の喧しいバイクの音で目が覚めた時にはパジャマが汗でグズグズになっていた。
それでもクーラーや扇風機の風を直接受けて寝たときよりも疲れは取れている。(と、思う)。

更に早朝に起きて時間に余裕があるので、敢えて熱い風呂につかる。汗を再びタップリかいて身体を洗い流しバブシャワーでクールダウン。
驚くことに目覚めたときにあれだけ汗をかいていたのに、この入浴で更に体重が600?800?ほど減る。それだけ水分(ビール)を摂っているってこと?

今夜もビールが美味そうな暑さだ………(^_^;;;

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岩牡蠣……イワガキ、です。夏しか採れない牡蠣なので夏牡蠣という人もいるようです。
昨年ネット通販で購入し、とっても美味しかったので今年も案内メールが届いたので早速購入しました。1個320円で殻を外して送ってくれるので助かります。

で、せっかくだからと近所の酒屋でワインも購入(写真、ピンぼけですが(^_^ゞ )。
『ドメーネ・ヴォコレ』というフランス ブルゴーニュ地方のシャブリです。カラットした喉ごしで牡蠣の味を損なわず、良いワインでした。

私は料理が魚介料理でも、基本的にワインは赤が好みなのだけれど、この『ドメーネ・ヴォコレ』のようなライトなクチあたりなら良いなぁ。

なんでも樹齢古い老木から採れたブドウを使用しているのだそうです。ブドウの樹は樹齢が高くなるにつれてブドウ房数も少なくなって収穫量も減るけれど、その分ブドウ1房への養分が多くなって凝縮された味わいが出るのだそうです。そのブドウを使ったワインだそうです。

業界紙から執筆の依頼がきた。
2年ほど前にある人から代筆を頼まれ、その業界紙から今度は私宛に直接依頼が届いた。
前回の寄稿が気に入られたのかと思ったけれど、きっと他に適当な人物がいなかった…ってところだろう。

前職は雑誌の編集をしていた。編集業務もしたけれど自分は記者の方が好きで、編集会議で気に入った企画が出た時は自分で取材し、記事にしていた。

大学を卒業して編集の仕事を希望してはいたのだけれど、実際に出版社入社直後は原稿になっていなかったらしく(自分ではそうは思っていなかった)、「お前の文章は破綻している」と何度もデスクから書き直しをさせられた。
それが数年もすれば、年上のフリーライターの原稿をボツにし、赤をガンガン入れていた。石の上にも……、ってやつか。

今でも文章を書くのは好きだ。文章表現が巧みか稚拙かは第三者の判断にゆだねるとして、「稚拙だ」と言われても何らかしらに書き続けるだろうと思う。
ここのブログも飽きれば止めるかもしれないけれど、きっと何処かで何かを書くことは止めないだろうなぁ。

鬱陶しい雨模様の天気から、ようやっと青空が顔を出してくれた。
青空と雲を見たのは何日ぶりだろう?
こんな天気の中、街中を汗を拭いながら歩いていると、ダイビングへ行きたくなってくる。ea328870.jpg


ここ数日、仕事も芳しくなく鬱陶しい天気が続いていたから、ぼちぼちリフレッシュ計画でも練ろうかと思うのだけれど、どうもカレンダーが巧くない。9月にもう少し連休が重なってくれれば嬉しいのだけれど…。

私の母72才、そしてカミさんの母84才。
二人の老母を連れて先の3連休で北海道を訪ねた。いわゆる孝行旅行。

事の発端は、カミさんの母が「死ぬまでに一度、ラベンダー畑を見てみたい」と言ったことがはじまりのようだ。
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それならば…と60才を過ぎて始めたゴルフにいま熱中している私の母を広大なゴルフ場へ、カミさんの母をラベンダー畑に連れて行こう! となった。

カミさんの母は足が少々悪く、歩くのが辛いようなのでレンタカーと一緒に車イスも借りた。
初日、千歳から富良野に向かう途中でラベンダー畑に立ち寄り、翌日は私は母のゴルフのお供をして、その後に皆で他のラベンダー農園を訪れた。(北海道のゴルフはスルーでプレイするので朝イチでスタートすれば昼にはあがれる)

あいにく富良野で花火大会が開催されるとあって街は大渋滞。目的の農園を止め市街の農園へ行って来た。(上の写真)
“見渡す限り一面のラベンダー”では無かったけれど、それでも両老母は喜んでくれた。745cfa57.jpg


カニもラーメンも沢山の海産物も堪能してもらう事が出来たと私は思っているのだけれど、果たしてどうか。

私は父にはとうとう一度も孝行らしきことをしてやれなかった。
その父は生前、何かといえば「親孝行、したいときには親は無し」と聞こえよがしに言っていた。
私に対する当てつけかと当時は思っていたけれど、きっと自分も出来なかったのでは無いかと今は思っている。

今回、二人の母を北海道に連れて行くことが出来て本当に良かったと思っている。
帰りの千歳空港で、カミさんの母と別れる際に「このご恩は一生忘れません」と泣かれてしまったのには参ったけれど、もっと忘れ得ない事を増やしてあげようと、来年もまた何処かに連れて行ってあげたいと思っている。

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