本日はちょっと、雑感などを書いてみようかと。

実は先週、東日本大震災被災地を福島から宮城県北部の気仙沼までレンタカーで北上しました。桜植樹の打ち合わせと、新たな植樹地の視察のためです。その最後の訪問地が気仙沼の八瀬(やっせ、と読むそうです)でした。市内から車で10分ほど山の中に入ったところにありました。

この八瀬に入った途端、何とも言えない郷愁に襲われました。子供の頃に見た日本の原風景が広がっていたのです。
そして地元の方々何人かともお会いしたのですが、皆さんみな笑顔、笑顔。とにかく微笑みが絶えることがないのです。

福島原発事故のために避難してる方々の、「早く家に戻れるようにしてくれ」という言葉を聞く度に、私は「放射能汚染されてしまった土地などはさっさと見切りを付けて、新しい地で気持ちも新たにスタート切った方が良いだろうに」といつも思ってました。
しかしそれは私にとって、郷里なるものが無いからそんな事を言っていたんだと気付きました。今の土地に住み着いて既に40年以上になりますが、私には今の土地に愛着など微塵もありません。土地に愛着が無いばかりか2軒先に引っ越してきた小さな女の子のいる家のお父さんの顔も知りません。そんな土地ですから、もしも放射能汚染でもされればすぐに出ていきます。

しかし嬉々として八瀬の良いところを話してくれた八瀬住人の方々に接し、「これだけ愛している土地を捨て去ることは出来ないだろうなぁ」と感じたのでした。きっと福島の方々も同じ思いなんだろうなぁ、と知ったのでした。
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明治7年に建てられたという八瀬小学校と中学校。こんなに古くても、あの大地震で壊れていません。
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自由に中を見学させてくれます。
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正門前のバス停。むかしはこんなバス停が田舎に行くと必ずあったものです。
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あちこちで、はざ架けに稲が干されていました。そしてその周辺にはお蔵のある旧家が。
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その旧家の一軒にお邪魔させて戴きました。昔は養蚕を行っていたそうで、この部屋の天井裏は蚕棚だったそうです。
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干し稲の上にイタチが乗ってる! と思ったらネコでした。

小川を覗きこむとヤマメが泳いでいました。昔は鰻も捕れたそうです。
私も叶うならばこんな所に住みたいです。………。でも、もうちょっと暖かな土地の方がいいかな。