タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

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ペリリュー島での夕景(1982年撮影)

この前の日曜日(15日)は終戦の日でした。終戦記念日という人もいるようですが、私には〝記念日〟という言葉に非常に違和感を感じます。そもそも〝終戦〟ではなく、〝敗戦〟です。日本が能動的に戦争を終結したわけではありませんから。
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40年近く昔のことですが、ペリリュー島に行ったことがあります。激戦地で日米合わせて1万人以上もの戦死者が出た島です。そんなことも知らずに浮かれて行った私は、現地の人から悲惨な戦争の話を聞き、戦没者の慰霊碑があるとのことでそこに連れて行ってもらいました。そして「線香の一本も持ってくるべきだったね」とたしなめられたのでした。
この慰霊碑が損壊したのかどうかは分かりませんでしたが、一昨年、新たに慰霊碑を立てるという記事を目にし、少しばかりでしたが寄付をしました。そして昨年、慰霊碑が完成したけれど、コロナで式典は中止になったとの記事が。タイミングさえ合えば、私もその式典に参列しようと思っていたのですが残念です。いつかその新しく建立された慰霊碑をお参りしたいと思っています。

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上の写真は2009年2月、ペリリュー島で撮影した夕陽。27年ぶりの再訪だった。
HPの方にも書いたことなのでダブってしまうけど、27年前そのペリリューに、私はビンロウジュをクチャクチャ噛みながら浮かれ気分でパラオから渡った。
その当時ペリリュー島には小さな桟橋と、たった一軒の雑貨屋さんしかなかった。何を買おうとしたのか覚えていないけど、その雑貨屋に入った直後、私は主に「なんで線香の一本も持ってこないんだ。今の君たちが生きる日本は多くの戦没者のおかげだろう」と叱られたのだった。そしてこの島の、1万人を超える戦没者たちの慰霊碑に連れて行かれた。
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これが当時の慰霊碑だ。
今ではもっと立派になり、そして綺麗に手入れがされている。私はこの慰霊碑に向かい、線香はもちろん花を手向けることも出来ず、ただ手を合わせるしかなかった。以来、チューク島でも何処でも、戦争の傷跡が残る地に行くときは線香を携行してる。この島に再訪したこの時にも持参し雨の中で焼香した。
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島の中にはまだまだ戦時の遺物がたくさん残されている。遺骨もまだまだ多くが眠ったままだ。島での樹木の成長は驚くほど早い。だから、一度遺骨を発見しても1年後にその場所の近所を探そうとしても、最初の場所すら辿り着くのは容易ではないだろう。
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ゼロ戦の残骸も、ときどき島民が伐採に来てくれるから、こうやってなんとか見ることが出来るのだ。

今日、天皇皇后両陛下がパラオへと向かわれた。明日はペリリュー島に行かれるそうだ。有り難いことだ。どうか御無理をなされずにと願う。

ダイバーの憧れの地でもあるパラオだけれど、線香など携行しなくたって良いからせめてこの地で多くの日本兵が、そしてアメリカ兵も亡くなったのだということを知って欲しい。ペリリュー島の東側、美しい海岸が続く。今はオレンジビーチと呼ばているけれど、かつてはおびただしい戦死者の血で真っ赤に染まったことからブラッディビーチと呼ばれていたことも知っていて欲しいと願う。

我が家ではほぼ毎朝、食卓に納豆が出てきます。
私は納豆、あまり好きじゃないんですが健康にいいから、とほぼ毎朝かみさんに食べさせられてます。納豆をネバネバさせるために必死に箸でこねなくちゃならんのが面倒なのと、食した後に口の中がネチャネチャするのがどうにも好かんのですが、味は好きです。

東京よりず~っと西の方で、納豆の糸引くのが嫌い(腐ってるようで)ってのは良く耳にします。
かみさんの故郷には昆布締めという、これまた糸引く刺身があります。刺身が糸引くって、コッチの方が腐ってるような感じですが、これはまことに旨いです。

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というわけでイトヒキアジに登場してもらいました。

ビギナーズラックという言葉がありますが、私は初めて競馬の馬券を買ったとき、まさにこれにぶち当たりました。何という馬に賭けたかも忘れましたが100円馬券が5万円以上になって返ってきました。(今だから白状しますが高校生でした
初めてラスベガスに行ったとき、$6ほど投資してそれが$200以上にもなりました。(結局その後ズルズルと負け続け儲けは$40ほどだったけど)

まさに私にはビギナーズラックの才能があるのです!(キッパリ!)

しかし、ことダイビングに関してはそうでなく、逢いたい魚に会いに行ってドンピシャ遭遇したことは稀です。そんな中で上の写真を撮ったペリリュー島のブルーコーナーは凄まじい大当たりでした。
ナポレオンが来るわバラクーダの群れはやって来るわギンガメはトルネードするわの、もうお祭り騒ぎのような状態でした。
ダイビングではこれが私のビギナーズラックかと思い返していたのですが、よくよく数えればこの時点でダイビング本数200本を超えてましたから、ビギナーとは言えんです。初めて潜った沖縄・読谷村でパニックになり、それでもしっかり潜りきって、生きて戻ってこれた…ってのが幸運といえば幸運だったのかもしれません。







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