もちろん私は言語学者ではないし、茂木健一郎さんのような脳科学者でもないけれど、ワタシ的考察するに言語というものは使わないと脳みそから出てこなくなる。
例えば英語。海外に行ってしばらくは聞き取り辛いし言葉が口から出てこないが、数日すると耳も慣れ言葉もそこそこ出てくるようになる。
日本語も同じだ。
我が家では、「ホラ、そこのアレ取って!」、「ソッチのアレ、頼んだよ」、で会話が成り立つ。
これは家庭内において、ほとんど会話がなされていないという証左であって、さほど言語を必要とせずに生活してる…ってことだ。だから、時に普段の生活とかけ離れた物事に事が及ぶと大変なことになる。
「パソコンが変だったんで覗いたらコード、クチャクチャで、やったんだけどダメだった」。
何のことかサッパリわからん。
パソコンに異常があって、直そうと行動はしてみた…までしか理解できん。
もしも家庭内において普段からパソコンの話しをしたり、はたまた政治や経済、時に哲学なんかの話題までもしてれば、きっともう少し固有名詞が出てくるんだろうと思う。
しかし、最近では物覚えが悪くなってきたのに加えて物忘れも多くなってきた。今にワタシの脳みそは空っぽになるんではないかと恐ろしい。言葉を多用して能の言語中枢を刺激する以前にボケが始まってるとしか思えん。先月もある人と道でバッタリ会って、とても近しい人だとは分かったが名前がとうとう思い出せなかった。
それでも立ち話出来ちゃうのがこれまた恐ろしい。

トラウツボ@柏島。
最近じゃあ人の名前同様に魚の名前も出てこん事が多々ある。でもこのくらいインパクトのある奴なら忘れない。
先月会った御仁、確かに地味~な人なんだけど、あとあと思い出したらアタシの大事な仕事先の社員さんだった。 間違いなくアタシはボケ老人になるんだろうな。