タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

タグ:サロベツ原野

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先週に引き続き夏休みもらって北海道に行ってきた。一昨年の2月に先輩が経営する民宿へ行き、「今度は夏に来るからネ~!」と言った約束を実行したのだった。
コースは女満別空港でレンタカーを借りオホーツク海沿いに北上。日本最北端の宗谷岬を回ってサロベツの先輩民宿まで。翌日は日本海沿いに南下して旭岳温泉に泊まり、翌日旭岳をチロッと散策して旭川空港から帰る、とう計画。
どんなコースかっていうとこんなん。

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全走行距離は770㎞を超えた。
いや~、走ったなぁ。しかし北海道は、特に道北は信号がほとんど無いから時速60㎞で走ってればほぼ1時間で60㎞を走破してることになる。
実はこのコース、40年前に初めて北海道をオートバイで走ったコースの逆行なのだ。

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で、宗谷岬に立ったのはそれ以来。40年前のこの最北端の碑は、たしかメノウが埋め込まれたもっと手作り感のあるものだった。あんときゃあ雨に濡れて、7月だというのに寒くてガタガタ震えながらの記念撮影だった。
アッ、一緒に写ってる男の子は私の孫ではないからね。たまたま好かれちゃって一緒に写りたいっていうんで並んで撮ってもらった。指はピースじゃなくて3本。

で、民宿に着いたらサプライズ! その民宿設立を一緒に手伝った先輩がいた! いやぁ~、たまげたね。先月たまたま泊まりに来て、その際にこの日わたしが来ると聞いて再訪してくれたそうな。
書くまでもないが、深夜まで宿主交え3人で設立当初の懐かしい話しを肴に酒を飲み、ビールひとケースが空になった。

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二日酔いの身体に鞭打って、日本海沿いに南下する。
宗谷岬にも林立してたけど、サロベツ原野の脇にも風力発電の風車がズ~っと並んでた。

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この日本海沿いを走るオロロンラインは、初めて北海道に行ったときはどうしようもない砂利道の悪路で、私のロクハンで走るには辛かったので避けたのだったが、いまはしっかりきれいに舗装されていて快適この上ない。ただしスピード違反取り締まりはそこかしこでやってるので要注意道路でもある。
留萌で先輩と再会の約束してお別れし、旭岳温泉へ。

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軽装のお隣のC国さん、サンダル履き姿もいるK国さんに混じって、こちらもスニーカーで旭岳を散策。ロープウェイで2000㍍付近まで運んでくれるから、こんなお気軽ハイクも出来る。気温計ったら22℃だった。東京はこの日、35℃だとニュースが報じていた。帰りたくなかったけれど、お休みは昨日まで。先週の宮古島に続き、南へ北への私の2015年夏休みは、これにて一件落着ゥ~!(だと思う)。

東京はすっかり春の陽気だというのに、北海道では猛烈な寒波が暴風雪を引き連れてきて、9人もの命を奪っていった。車に乗っていても命を奪っていくその凄まじい暴風雪は、都会に住んでる私などには想像も出来ない。
お亡くなりになられた方々のご冥福を祈ります。

sarobetsu
先月、サロベツの民宿宿主と35年ぶりの再会を果たしたとき、私は偽名で予約を入れていた。
その時の会話。
「猛吹雪になった時はお迎えに行けませんのでご容赦ください」(宿主の奥さん)
「その時は、アタシはどうやって行けば良いのですか? ほふく前進で行くしかないですか?」(アタシ)
「(笑)その時は駅前の旅館にでも泊まってください」(奥さん)

確かにニュースで見た、あの暴風雪の傷跡見たら「迎えに来てくれ」なんて言えんなぁ。サロベツ原野のど真ん中で車スタックして凍死は間違いないと思う。
運良く到着したその日はご覧のごとくの天気だったから、宿主もお迎えに来てくれて感動の再会を果たせたのだけれど、この時も前日までは猛吹雪でバスが運行できず除雪車出動してもらってその後ろを追走し、息子さんはようやっと帰宅出来たのだそうな。

アタシはツイていたと、つくづく思う。
この宿のブログを先ほど覗いてみたら、先週末に来たお客さんもサロベツ原野を貫く上写真の道道444号線が通行不能となり、車も雪に埋もれて帰れなくなったらしい。
bakkai
こんな厳しい環境のもとで暮らすことは、私には到底出来ない。

sarobetsu

いつかは行こうと思い続けていたサロベツへ、先週末ようやっと行けた。
学生時代に、その建ち上げから手伝ったことのある民宿のあるじに会うためだった。その当時の様子がブログにアップされていた。宿主の了解得ずに(ブログなどの管理は奥さんがやっている)リンク張らせてもらっちゃおう。若かりし頃のアタシも写ってる。コチラ 

joeサロベツ原野から数キロ西へ行った丘の上にその民宿はあった。〝あった〟と過去形で書いたのは、その当時のものは火事で跡形もなく焼失してしまったからだ。現在は、元の場所からちょっと離れた場所に、以前のものとは比べようも無い素敵な宿に変身して建っている。(右写真)

実に35年ぶりの再会だった。
偽名で予約し、駅まで迎えに来てもらった。駅で私の顔を見るなり本名で呼ばれた。覚えていてくれたのだ。
驚いた宿主の顔が、まだまぶたに焼き付いてる。

深夜まで酒を飲み交わし、再会を約束して翌朝早くに別れたけれど、再訪するチャンスは訪れるだろうか。

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写真=上のカットはその宿から撮ったサロベツ原野からの日の出。            
    下のカットはサロベツ原野から遠く利尻富士を望む。             

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