東京は昨日に引き続き今日も快晴だ。通勤途上、空を見上げたら雲ひとつ無い綺麗な青空が広がっていた。

aozora

昨夕、「大規模停電の恐れアリ」の海江田くんの言葉に、企業はこぞって終業を早めたようだ。我が社もそれに習えで通常の1時間前に帰宅と相成った(そのおかげもあって危惧は杞憂に終わったけれど)。
帰宅途上の私にかみさんからメールが届いた。「近所では牛乳が買えない(どこも在庫無し)から、途中で見つけたら買ってきて。それと、そろそろお米が無くなるんだけど、お米も買えないから見かけたら買ってきて」。

物流が停止してる東北地方なら理解も出来るが、なんで東京で物不足になるのだ? 東北地方の親戚に送ろうとしてるのか? 宅配便は全て、東北地方宛は荷受け停止してるようだから、それはありえない。
となると、東京在住の人間が買い溜めしてる、ってことだ。

海外のメディアはみな、東北地方の被災された方々が少ない物資を並んで買い求めてる姿に、日本人の道徳の高さ、民度の高さを絶賛しているらしいが、この浅ましき東京人の姿も報道してやってくれ。
NHKも連日被災関連の報道を流してくれていて助かるが、少しでも良いからこの東京人のバカさ加減も報道して欲しい(私は見てないけどもう放送したか?)。
東京で残ってる物資を少しでも困ってる人に送ってあげよう、っていう思考は働かんのだろうか?

東京というモノが溢れかえった地で生活していると、モノが無くなることに異常に恐怖感を抱くのかもしれない。誰かが買い溜めする姿に「我も」となる気持ちも解らんでもないが、そこには自己の思考のかけらも見いだせない。

昨夜、私の古い記事にコメントを戴いた。
 >知性を兼ね備えて且つ闘争本能を持ち合わせる人、それをサムライと呼ぶ……と。
確かに。
私はそこに正義と情けを付けくわえさせていただきます。

日本教育に武士道を加えて欲しいものだ。“武士は喰わねど高楊枝”しろ、などという意味ではない。サムライのように他者を思んばかる優しい心を持ちながらも危機におよんでは率先して立ち向かうようになるべきだと思うのだ。いま私たちに必要なのは、このサムライの心と振る舞いだろう。

今日の澄み切った青空のような心を持ち続けたいものだ。