タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

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アメリカのオバマ大統領とキューバのカストロ議長が会談した。首脳会談としては58年ぶりのことらしい。
5年前にキューバを訪問した。古いアメリカ車が街中で走っていた。何もかもが古かった。別にレトロ好きなのではなく、ただ単に物資が枯渇しているからその年代物を直しながら使い続けているのだった。トイレに入れば便座が無かったり手作りの木製便座だったりした。
そんなキューバもこれで様変わりすることだろう。

アメリカがキューバとの国交を始めるというのは、アメリカの力が弱ってきたからだろう。サトウキビしか採れないような国だ。かつてのアメリカならば社会主義国ということだけで国交断絶しても何ら不自由は無かったはずだ。
今のアメリカを見ていると、今後のキューバのみならず世界はどんどん様変わりしていくだろうと思う。国家としての力関係が急速に変化している。

写真はキューバと同じ社会主義国・ベトナム、ハロン湾での果物売り。同じ社会主義ではあるけれど、私にはキューバ国民の方が幸せに見えた。キューバ国民の方がはるかに貧しいのだけれど。
もともと陽気な国民性ではあるけれど、それだけでは無いと思う。それはキューバは医療と教育は全ての国民みな無料という政策のせいかもしれない。モヒートをおごらされたカフェで、彼は私に大きな声でカストロ批判を語り出したのだ。私が周囲を気遣うと「ノープロブレム!」と言って笑った。
教育水準の高さは国家に批判的な思想をも許容していた。国家として成熟している証左だろう。日本の隣国とは国家としても国民も、レベルが違うのだ。

キューバ、ハバナのホセ・マルティ国際空港です。

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左の奥に日本の国旗も見えます。

キューバはアメリカと喧嘩してるので(一方的にアメリカが喧嘩ふっかけてるように思えますが)、アメリカの国旗はあるかな・・・と探したら、
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ありました! カストロ議長、寛大です!

地図を覗けばキューバからはメキシコのカンクン、フロリダ半島のマイアミ、そして大地震で今も復旧がままならないハイチが、すぐそこにあります。
マイアミ行きは当然無いだろうけど、ポルトーフランス行きの便があるかと思ったのですが見つけられませんでした。カンクン行きの便は結構な本数であるようです。

搭乗案内を待つ間、たまたま空いてる席に座ったら向かいには小さな女の子とその弟、そしてお母さんが座っていました。メキシコに行くようです。

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ご覧のごとくとても可愛い女の子と、クリクリ天然パーマがこれまた可愛い男の子。そして立派な体格のお母さんです。
その男の子がグズりだしました。するとお母さん、そのサッカーボールのような見事なオッパイをボロンと出して男の子に与えはじめました。

いやはやこんな時、男は非常に困ります。
本でもあれば読んでる振りして覗き見も出来ますが、何かしらの防御壁が無いと男は非常に弱いものなのです(^^;)

で、どこの国の国旗があるかなぁ………なんて上を向いていたわけでして(^^;) 涙がこぼれそうなわけでもないのに。

girl昔は日本でも普通に電車やバスの中で授乳してるお母さんがいました。
最近は地方に行っても見かけなくなりましたがそれでも先日、電車の中で若いお母さんが、やおら背中で赤ちゃんをくるんでいたものを外して自分の胸の前に持ってきて、そこに赤ちゃんを再び入れてオッパイあげてました。
ちゃんと胸元が隠れるように出来てるんですね。便利な物があるんだなぁ、とシゲシゲと見ちゃいました(これならOKでしょ?)。

着てる物や履き物を見るに、多分この母子はキューバ人ではないでしょう。きっとメキシコ人だと思います。
メキシコにはまだ、昔の日本のような母親の姿が残っているようです。





beer1キューバには2種類のビールがありました。
右写真のブカネロと、口当たりが軽いクリスタルです。どちらもクセの無いテイストで、日本人好みの味です。
探せばあるのかもしれませんが、どのお店でも小瓶、もしくは350mlの缶しかありませんでした。
この量では足りません(^^;)
結局2~3本飲んでしまうのです。

まぁ暑い国ですから(写真の奥にネコもぐったりしてます)、ビールが暖まってしまうのを防ぐ意味ではこのサイズで頻繁におかわりした方が良いのかもしれませんが・・・。
しかし、飲んでも飲んでも汗になって出てきてしまうので、あまり酔っぱらうこともありません。アルコール度数も5.4度と低いわけじゃないんですけどね。

ハバナ旧市街の街中に新しく出来たというビール専門のお店にも行ってみました。
ビールが飲みたいというより、軽い食事を摂りたかったのですが・・・・。



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ビールの量り売りをしてるわけではありません。
この筒のようなサーバ1本をオーダーします(もちろんジョッキでもオーダー可です)。
一見相当な量かと思いますが、筒の中にもう一本筒があって、そこに氷が入れられて冷やしているので、見た目ほどの量では無いのかもしれません。4~5人で飲んでいたグループがおかわりを注文してましたから。

ちなみにキューバは猛烈に暑い国ですが、日影に入るとさほどでもありません。湿度が低いからでしょう。
わたしは随分といろんな南の国や島を訪れましたが、世界中で一番暑苦しいのは東京だと思ってます。
この日のキューバは、お店の中に入って直射日光から逃れても暑い日でした。ビールの売り上げもさぞや上がったことでしょう。

日本もこれから猛暑の季節に入ります。
ずっと昔に新橋にサンバのような踊りを見ながら飲めるビアガーデンがあって、最後はお客も一緒に輪になって踊っていたのですが、いつの間にか無くなっちゃいました。
ちょっと懐かしく感じる今日の東京のお天気です。











一昨日&昨日と私が担当する子どもたちのサッカーの試合でした。
春の学年別大会は初戦敗退(泣)。負けちゃうのは仕方ないにしても、日頃の練習でやってきた事がまるで出来ずにあっさりと負けてしまった。
コーチとしては意気消沈  勝ってくれるのが一番だけど、負けでも良いから全力のプレーを見たいのだよ、コーチとしては。でもまぁ、大人だってそんな事はあるしなぁ………。と、頭じゃ理解しててもやっぱり悔しい! 
子どもたちが負けて悔しそうにしてないことが更にグヤジィ~!

と、腐っていても仕方ないから気持ちを切り替えよう!
キューバ戯れ言・第4弾です。

kotegeキューバに到着して入国審査を終えて向かった先は、先にも書いたけどマリア・ラ・ゴルダというキューバ西南部の田舎のホテル。
海辺のコテージと林の中のコテージが10数棟という、リゾートと言うよりは周辺各地を回るためのベースキャンプ的宿、そしてダイビングのためのビラ、みたいなプチホテルでした。どこからかノソノソと牛がやって来ては、コテージ周辺の草をモシャモシャ食べてるという、見事なまでの田舎です。

南の島ではヤモリの存在は不可欠であります。よってココ、私たちが利用したコテージにもヤモリはいました。
私は爬虫類が嫌いではないので、部屋の中で「チッ、チッ、チッ、」と彼らが鳴いていても意に介さないのですが、部屋の中を見渡すにどうも彼らの餌となる虫どもがいないのです。
餌が無いところにいたって腹が減るばかりだろうと、わたしは彼を部屋の外に出してあげました。
ところがダイビングを終えて部屋に戻ってくると、私が彼を見つけた場所にまた居るのです。「ヒョッとして彼女かな?」と思い、別れ離れは可哀相だし、そいつも外に出してやりました。
ところが翌朝・・・・・・・・・・・。

また、同じ場所に居るのです。


手で捕まえても舞い戻ってくる彼(彼女?)にとって、この部屋は餌はなくても安住の場所なんでしょうか?
それとも爬虫類好きな私のことを理解し、私にナデナデして可愛がって欲しかったのでしょうか?

そばに寄ってもまるで動じないので、こんな接写が撮れました。

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餌が無いところにいるもんだから、おなかペッチャンコです。















日本のマスコミは中国・上海万博が予想を大幅に下回る入場者数だと報道してますが、現地に行かれた方のリポートをチラッと読ませていただきましたが、もの凄い事になってるみたいですね。

入場口前では中国人が大好きな“割り込み”が出来ないよう鉄柵で列がつくられるようにしてるらしいですが、ゲートに近づくなり列は雪崩のように崩れ、人を押しのけて(殴り飛ばして?)先を争うので危険きわまりないようです。
また、中に入っても人気パビリオン前では係員に誰かが何かを聞いていてもお構いなしに別の人が質問をしてきて、一人の係員に何人もが取り囲み質問攻めにして戦争状態だそうです。


いま、普天間からの移設を求めてるテニアン島でも、インドネシアのメナドでも、そして今回訪れたキューバでも中国人のマナーの悪さを耳にしました。
一昨年は“品格”なんて言葉が流行ってましたが、結局のところマナーって教育と躾のレベルだと思うんですよね。周囲の人の事を考えない。後から来る人、後で使う人の事を考えない。そんな人間が日本でも増えてきてるような気がします。

キューバは貧しい国でした。
物がありません。便座の無いトイレが殆どでした。壊れても部品が無いから修理のしようが無いのですね。1940年代のアメリカの車がバンバン現役で走ってますがエンジンを積み替えたり別の車のタイヤを付けたりと、苦労の後が見受けられました。
だから先日も書きましたが、住宅事情も酷いものです。



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雨が降ることが少ないのでこれでも生活出来るでしょうが、ハリケーンが来たときはどうしているのでしょう?

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流石に天井そのものが崩落した家には住人らしき姿は見かけられませんでしたが・・・・・・・、


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お互いの方向に壁が傾きかけた家ではこのように支え合ってました。
日本のように地震が多い国でしたら一発でアウトです。

現地を散策中に壁の一部が崩落してくるところを偶然に目撃しましたが、その事を話すとバルコニーがそのままドスンと落ちてきたのを見たことがあると、現地の方が言ってました。



その街並みを守ろうと、フランスに攻め入ったスペインもイギリスもパリの街並みだけは壊さないようにしたらしいです。
日本に爆弾を雨のように落としていったアメリカ軍も、京都と奈良だけは爆撃目標から外したと聞き及びます。

スペイン統治時代の1800年代の建物がいまだに残るキューバ。
私たちはそれを観光者として見物してるわけだけど、何となく矛盾を感じます。
確かに歴史建造物の保存も大切でしょうが、まずは住人の安全が第一であることは間違いないわけでして・・・・・。





今回のキューバでは、西部の田舎町ピナル・デル・リオとハバナの2カ所に滞在しました。で、ハバナで使用したホテルがホテル・フロリダという旧市街にある、そしてヘミングウェイの定宿でもあったホテル・アンボス・ムンドスとも近い所にあるホテルだったのですが、このホテルも由緒・歴史あるホテルでして・・・・。歴史ある・・・って言えば聞こえは良いですが、要は古いってわけでして・・・・・・・・・。

restroom左はこのホテルのバスルームです。洗面台、便器も重厚感あふれてます。でも、流石にこれらは昔から使用されていた物ではなくここ数年に付け替えられた物でしょう。
しかし、ドアや部屋は当時の物をそのまま使っているのです。天井なんかとても高くて、床から4mほどあります。ですからドアもとっても大きい!

ところで子供の頃に悪戯して押入や納屋に罰として閉じこめられたこと、ありませんか?
怖かったですよね、アレ。今だったらなんのことも無いかとは思うのですが子供の頃は本当に恐怖だった。

あの時と同じような経験しました。
この上の写真の部屋に閉じこめられてしまったのです。

用を足そうとこの部屋に入ってドアを閉めようとしたのですが堅い。古い家屋だから仕方ないよなぁ、と思いながら無理矢理ドアを閉めました。
ところが・・・・・・・・・・・・・。

用が済んで部屋から出ようとしたら今度はドアが開かない!
どうやってもピクリとも開かない。開かないどころか何だか釘で打ち付けられたようにドアノブすら回らない。
焦りました。子供の頃の恐怖感が蘇ってきました。部屋の中にはフロントに繋がる電話もあったので、いよいよはフロントに「便所のドアがロックされて出られない」って泣きつけば良いのですが、それは恥ずかしい。

いよいよ になる寸前に「引いてもダメなら押してみな」と、ドアを押したら少し動いたのです。
このドア、中からは引き戸なんですがどうして押したら動くのか? そんな疑問よりも脱出が第一なんで、とにかくドアを押してノブを回すと回るではないですか! ドアノブが回って脱出成功!

外に出てドアをしげしげと眺めてみたら・・・・・・・・・。

door



わかりますか?
上の方は5cmほど空いてますが下はピッタリです。ゆがみ反り返った重厚なドアを無理矢理締めてしまったので開かなくなったのです。

以降、ドアは閉めずに用を足していました。
開け放されたドアでの用足し。歴史の重さをヒシヒシと感じるひとときでありました。







Guevara



本名=エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。キューバの英雄、チェ・ゲバラです。

こんなモニュメントみたいにしちゃうと、いまひとつですが実物はとってもイイ男です。
イイ男だと知ったのは、赤羽橋のキューバ大使館へ旅行者用の証明書を取りに行った時でした。大使館の中に置かれていた写真集を見て初めて知ったのです。

che正直言って、映画で彼の生涯を演じた役者より実物の方がイイ男だと思います。
こんな男前で医師であり革命家であり、そして義勇の人であることに、男であるわたしもカッコいいなぁ、と惚れてしまいます。

キューバからは昨日帰りました。
眠気はさほどでもないのですが、なんだか頭がボーッとしちゃって、まだ時差ボケが残ってるみたいです。

ゲバラの話しに戻ります。
キューバ革命を勝利で終結し、カストロが一緒に国を建て直す事を願ったのに「私を必要としてる国がまだある」と言ってボリビアに渡たり革命を起こそうとするのですが、処刑されてしまったのでした。

キューバの事はこれからホームページの方に書きたいので、あまりここで書いちゃうとネタ切れになりそうなんで嫌なんだけど(笑)、重複覚悟で書いちゃおう。



キューバに行って一番に感じたことは、共産主義は決して悪いものではないな、ってことだった。
食料も完全な無料ではないらしいけど国が配給してくれる。医療も無料だし、子供も無料で学校に行き勉強できる。
家も国からの配給だ。住宅事情は最悪のようだけど、それはアメリカの経済封鎖によって物資が入ってこないためで、土地は余っているし人手も余ってるから建材すらあれば問題は直ぐに解決するはずなんだけど、20年前に建て替えのためにハバナを離れざるを得なくなった家族が未だに戻れないでいるそうだ。
確かに競争原理が働かないから、人は熱心に仕事をしない。問題が無いわけじゃないけど、アメリカが目の敵にするほどのことじゃない。いや、それよりアメリカが大好きな民主主義という名の下の格差の方が、資本主義という大義名分の下の拝金主義の方が、私はもっと問題だと最近感じてる。
日本近くの半島の共産主義は独裁の下の共産であり、お隣の方は日本と同じで政治家が自分の立場を守らんがための共産主義だ。でも、キューバでは思想統制なども行われて無く、政府批判も自由だ。車で走ればそこら中でヒッチハイクをしているし、それをちゃんと乗せてあげてる。皆が助け合いの精神で繋がっている。

「チノか?(中国人か?)」の言葉にはフザケルナ!と完全に無視したけど、町中で「ヘイ!アミーゴ!」と何度も声を掛けられた。
日本人だと知るとなんやかやと話しをしてきて、最後には一杯おごらされた(笑)。
彼らからすれば決して“たかった”わけじゃなく、“持ってる人が分け与える”文化なのだ。だから彼らがお金をたくさん持っていれば、きっとわたしにおごってくれただろうと思う。可能性は薄いけど。




さて、もう一度ゲバラに戻ります。
キューバでお土産はラム酒と葉巻が一番有名ですが、実はこのゲバラのお土産が一番種類が多いです。写真集はもちろんのこと、彼の本やTシャツに帽子、はては本の栞まで。
彼がこれほどまでにイイ男でなかったら、今のキューバはまた違ったキューバになっていたかもしれません。


キューバ与太話、まだ続きます。たぶん…………。

















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