タカラガイの独り言

ちょっとした出来事やダイビングや旅のことなど徒然に。

カテゴリ: 舞台

先週末、久しぶりに舞台鑑賞。とはいってもリモートにてのライブ鑑賞だった。最近は講演会などもリモートでの参加がほとんどなので特に違和感はなかったけれど、やはりモニター越しでは臨場感は味わえないなぁ。
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作品は上の写真ご覧いただければ書くまでもないのだが『Braveheart~真実の扉を開け~』というミュージカル。政界の裏を暴く新聞記者の話をミュージカル仕立てにしたもの。
かなり硬い内容なので、私的にはミュージカルにしない方が面白かったのではないかと感じた。まぁ内容が硬いから敢えてミュージカルにしたのかもしれないけど。
サッカーなどの中継にも言えることだけど、やはり舞台鑑賞もその場で観ないとダメだな。レンズを通して演者のアップも良いけれど、その他の演者が何をしてるかも見れないと。サッカーならボールさばいてる選手だけ見ても意味がなく、その他の選手がどのような動きをしてるかを見たいのだ。それは舞台も一緒。なので出来るならアップと舞台全景の両方が観られると良いんだけど。コロナが治まってもこの形式は残るだろうから、きっとこれから良いアイディアが生まれてくるのだろう。

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先週末の土曜日。リモートライブを鑑賞した。福島県の酒造会社を支援するライブだったのだが、嬉しかったのがライブ開催前に福島のお酒が送られてきたこと。前の日から冷やしておいてライブ観ながら頂いた。
IMG_5855a右のお酒が送られてきたもの。チケット購入(3000円+消費税)した人全員に送られるのだが、どのお酒が届くかは分からない。福島といえば酒蔵は多いから、送られた種類もいっぱいあったんだと思う。TBSテレビの日曜日、『サンデーモーニング』の〝喝!〟でおなじみスポーツコーナーのアナウンサー・唐橋ユミの実家も確か酒蔵で、その妹だったかお姉さんもライブに登場し歌を披露してくれた。
しかしやはりコンサートなどはオンラインより生の方が良いなぁ。演奏する方もきっとそうだと思う。ステージと観客が繋がることで臨場感は倍増する。演奏者は(役者も)ステージから客の反応を見ることで熱も籠ろうし、反応次第でアドリブも入れられる。
オンラインではそれが伝わらないし分からない。見る方も演(や)る方も、テンションが互いに一方通行だ。
そういやぁ昨日から大相撲も始まったけど、お相撲さんだってプロ野球選手だってサッカー選手だって、会場からの応援が直接届くことで気合も入るってもんだろう。
しかし相撲に関していえば、開幕前から横綱が二人とも休場ってことで、すでにシラケてはいるんだが。

かれこれ30年以上も昔のことだけど、前職時代に杉村春子さんをインタビューしたことがある。
いったいどんな作品に出られたときだったか、そしてどんな内容の会話をしたのかはすっかり忘れてしまっているのだけど、杉村さんは終始笑顔で話されているのに、それを聞いている私はといえばものすごく緊張していたのをいまだに覚えている。
IMG_4780緊張したのは彼女が大女優だからという訳では無い。なんか凄い迫力に威圧されていたのだ。それを未だに鮮明に覚えている。
なんでこんなことを書きだしたかというと、昨日、杉村さんが所属していた文学座の研修生たちによる卒業公演を観てきたのだった。JR信濃町の駅から文学座に向かう道すがら、このことを思い出したのだった。

さて。
卒業生たちが演じた『花火、舞い散る』は色んな劇団で演じられているようだけど、今回の文学座卒業公演でこの作品が取り上げられたのは、登場人物全員にそれなりの役どころを与えられるから…ということらしい。確かに今回の卒業生全員(?)30名は最後に登場してくる刑事役以外、みなかなりの台詞が与えられていた。
それと、全4回公演されるうち卒業生は役を演じ分けるようになっていた。2つの役を演じ分けるというのは結構難しいだろうと思うのだけど、演じる側としてはきっと面白いのではなかろうか。
登場人物が多いので最初のうちは誰と誰がどういう関係なのか分からず、観ていて戸惑ったけど作品中盤でようやっと理解できた。30名全員の役どころを表現し、人間関係まで分かるようにするには、2時間という公演時間では演出的にちょっと時間が足りないのだろう。

大俳優、大女優と呼ばれる役者さんには何人かお目にかかったけど、杉村さん以外で同じような威圧感を感じたのは森繁久彌さんくらいだ。
剣道の有段者と防具を着けて相対したことがある。そのとき、相手の竹刀が私のものより長く見えて、「それは卑怯だ!」と竹刀の長さを比べてみたら一緒だった。
やはり前職時代、萬屋錦之介さんの舞台を観たことがある。舞台上での萬屋さんは凄く大柄な人だと感じていたのに、楽屋でお会いしたら私より小さかった。
杉村さんも剣道の有段者も、極めた人の迫力、威圧感は凄まじい。
今回の文学座第59期卒業生からも、そんな役者が出てきて欲しいな、と思ったのだった。

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舞台の撮影は禁止なので、上演前にワンカットだけ撮らせてもらったのだけど、このブログを書いた後に演者の方から写真が送られてきたので追加アップしちゃいます。上の写真じゃあまりにも寂しいから送ってくれたのだと勝手に解釈して。
あくまでも私が撮影したものではありませんので、念のため。
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もうかなり前の事になっちゃったんですが、NHKホールで行われたバイエルン国立歌劇場の「タンホイザー」行ってきました。
歌劇というものを一度も観たことがなかったので、いつかチャンスがあったら観たいなぁ~と思っていたのですが、あると知ってすぐさまチケット購入しようと思ったんですね。でも、その値段見てビックら仰天! せっかくだから一番良い席で……、とそれを見るとナント!65,000円!!! 一番安い席でも17,000円です。

はてさてどうしたものか、としばらく思案すること数日。すると某協会から特別チケット販売のお知らせが! それでも2万円以上しましたが、2階席の最前列だったので購入しました。

いやはやもの凄い迫力でした。マイクを通さずにホール全体に響き渡る歌声の、その声量に一番驚いたけど、物語の演出が凝っていて、それもビックリ。言葉がさっぱり分からないのですが、舞台の袖に和訳が流れるので意味は分かりました。
そして値段が高いのにも納得。あれだけの楽隊から演者までスタッフ総勢何人になるのか分からないけど(きっと100人は優に超えてる)、それだけの人員をドイツから来てもらうだけでも旅費は相当なもんでしょう。
次回チャンスがあったら、特別チケットが手に入るようだったら、もう一回観に行っても良いかな。

当たり前だけどステージは撮影禁止なので、写真は先月行った青森から鶴の舞橋が架かる廻堰大溜池の夕景。

昨夜は久しぶりにライブ鑑賞。それもダンス。正直言ってダンスに特に興味は無いのだけれど、私の古くからの友人が出演するとあっては観に行かねばならぬ。
ダンスに興味は無いとは書いたけど、あの自分の身体だけを使って行う極限の肉体表現は、やはり見ていて圧倒される。重力や関節が無いのではないかと思われるような肉体表現は、自分には「到底ムリ!」なだけに凄いなぁ、といつも感じる。

さて、その友人。もうすぐ還暦を迎える。さすがに60になる年齢で見せられるもの(技)は、限られてきた感が否めないけど、それでも凄かった。

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衰えていく肉体を鍛え、その中で出来る限りの表現をする。それで良いのだと思う。要は何を表現するか、なのだから。
しかし正直言って今回のこの8組が演じたダンスフェスティバル、踊り自体は素晴らしかったけど何を表現したいのか理解できない作品の方が多かった。そうなってしまっては、詰まるところダンサーの自己満足でしかない。「眠くて困っちゃった」ととなりに座ったおばあさんがポツリ。きっとお孫さんでも出演しているのだろう。そうであれば他の出演者の自己満足な作品などは何が何だかサッパリ分からんだろうと思う。

今回、私の友人とは別の作品で彼の息子も出ていた。親子でこのような世界を共有出来るって、そうそう無いだろうと思う。羨ましいことだ。
舞台が終わってエントランスで彼が出てくるのを待った。
「これからも無理しないで続けていこうと思ってる」と彼。
そうさ、継続こそ力なり。

さて私の力は何だ? このブログか? それはちょっと嫌だ。

singer前職時代、上司から「全ての文章は3行にまとめられる」と叩き込まれた。200文字×3行ではない。15文字×3行だ。どんなに長い文章も45文字あればじゅうぶん要約出来るのだと。その上司の下で一年間、写真キャプション書きをびっちりやらされた。

昨夜観た舞台『奇跡のシンガー』は、途中休憩を含む2時間半の舞台だったけど、1時間ちょっとで十分な内容だった。
唐突に出てきた演者は、きっと伏線となって最後には「なるほど〜!」となるかと期待していたが、結局何もなかった。意味のない無駄な場面作り。
主人公である薄幸の歌手・優子を好きになる音楽プロデューサーに施設介護士の由美が横恋慕するのだが、そこにいたる演出は無くあまりに唐突で、意味不明。
無駄な場面があるかと思えば、大事な演出は欠落してるという、なんともトホホな脚本&演出だった。

無駄が多い文章を駄文という(このブログもだけど)。まさに駄演な脚本・演出だった。その脚本・演出、そして音楽をやったのは甲斐智陽。昨年、土屋アンナと問題になった人なのでご存じの方もいるだろう(知らない人はググッてね)。どっちが悪いの良いのなどは書く気はないし興味も無いけど、原作者が脚本を認めなかったようなことも聞き及んだ。今回上演した内容はその原作とは別個のものなんだろうな、きっと。

それにしてもこの脚本&演出では演者が可哀想だ。役者は脚本に忠実に演じるしかないのだ。その上で演技が上手いか下手かと評価される。この脚本ではどんなに名演しても報われない。
公演はこの秋にもあるらしい。それまでに少しでも良くなることを期待して、辛辣批評書かせてもらう。

hahakaeru昨夜、そぼ降る雨の中を観劇に出向いた。発電ジョカの『母帰る』だ。
発電ジョカのメンバーの一人と知り合ったのは、もうかれこれ20年近く昔のこと。単に酒飲み友だちのような存在であったのだけど、ある日「実は舞台やってまして…」ということを知り、「じゃぁ観に行ってあげる」と初めて彼女たちの舞台を観たのが15年ほどまえだったか…。

それまでにも舞台は何度か観に行ったことはあったけれど、特に舞台が好きな訳ではなく、単に知人から「観に来てネ~!(^_-)-☆」と言われ、その女性のウィンクに惑わされて行ったようなものだった。

ところが初めてこの発電ジョカの舞台を観た時、たいへん面白くて「次も必ず行くから連絡ちょうだいね!」と言ったのを覚えている。hahakaeru1

あの頃(15年ほど昔)の発電ジョカは、ある意味共演者の力に負っていた部分が大きかったように思う。私にとっては共演者のパフォーマンスが驚きだった。
しかし数年前から作品の傾向に色が付いてきたようだ。ある意味いい意味で発電ジョカカラーが明確になってきたように感じる。作品的には「小津の踊り子」あたりからだろうか。

個人的には「はてしのない物語」や「消えたヒト」などの作品が好きだが、「小津…」から続く「はりきりマンボ」、「理想の女」シリーズ、「オトギナ食堂」などなど、今回の「母帰る」含めていかにも「発電ジョカでござい!」な作品は安心して笑って観ていられた。

毎回、舞台小物は自らの手作りと聞いてるけど、その後はどうしてるんだろう? 残しておいて次回の再演の際に利用できれば最高だろうけど、そうそう管理するのも大変だろうしなぁ。
ヤフオクにでも出品してるんだろうか?




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久々に舞台を観に行った。観劇なんて何年ぶりだろう。
愚息の友人に役者志望がいて、たまたま数ヶ月前にバッタリ会った際、「タカラガイコーチ、今度また舞台やります。よかったら観に来てください」と言われたのだった。
だがそれ以来何の連絡も無い。10nenkibo先日、そのことをフト思い出し、「いつやるのかな?」とネットで調べたら、ナント昨日からだったのだ。手帳を覗くと空いている日は昨日のみ。仕事をLINEのコニーばりにこなして劇場に出向いた。

大学を卒業した仲良しグループが同窓会を開く。楽しいひとときを共にして、毎年続けようと約束する。10年の歳月が流れる内には色んな事があり、仲間がひとり、また一人と集まらなくなっていく…というストーリー。

ストーリー的にはよくある話しで目新しさは無いのだけれど、どうやらこれが4回目の再演らしい。それだけ再演されるって事は、それなりに良い作品なんだって事なんだろうけど、アタシ的には………。
舞台で演じられてたのと似たような経験を、とっくの昔に経験しちゃってる年齢の私には、ストーリーとしての感動はまったくない。お話しには感動しなかったけれど、役者さんの力量で救われてた。いやホントに上手かった。知人が出てるって事でヨイショしてるわけじゃないよ。
公演初日だったからか、舞台始まって最初のころは互いのセリフの間も、動きもぎこちなくて、「アリャリャ、こんな調子で進んじゃうの?」と心配もしたけど、途中から呼吸も合ってきたようで小気味よい台詞回しが観られた。

この作品は役者の技量が試される作品なんだろうな。だから4回も再演されてるんだろう。
希望を述べれば演出的にラストの場面、もうちょっと他の演(み)せ方にしてくれた方が泣けたかも。しかし、若かりしあの頃、を思い出させてくれました。ありがとう!

ここ数年、舞台に接する機会が増えた。なんでだろ?
昨夜、お誘い受けて銀座博品館まで『素敵なウェディングプランナー 幸せの香り』を観に行ってきた。weddingplannner

なんでも実話だそうだ。なかなか感動的な話しなのでちょこっとストーリー要約して書いた方が良いのかもしれないけどやめとく。昨夜が千秋楽で、もう観れんのに書いても意味無いから。

しかし役者さんってのは、昨夜のように観客が無反応だと演じていて辛いだろうなぁ。

普通、このような舞台では客層はそれなりに似たような人々が集まるものだけど、この日、博品館に来た客層はバラバラだった。きっと出演者が多くそして多様だったから、それぞれのファンが観に来たことで集まった客層がバラけたんだと思う。

あれだけ異なった観客に観られていたら、演じる方もどんな演技をしたらいいのか、誰を対象にしたら良いのか絞れなくて困るだろう。
笑いをとるところで笑って貰えない。手拍子貰えるところでパラパラの手拍子しか湧かない。
これは辛いですよ、役者にとって。
テレビや映画などは監督さんと音声さんがOK出せば良いわけだから、意識をその二人に集中すればいい。OKさえ貰えば、後はつぎはぎ編集してひとつの作品にしてもらえる。
だけど舞台は、ライブはそういうわけにはいかない。まさに一発勝負的なところがあるのだけれど、だからこそ演じる方も観る方も緊張感があって良いのだ。

昨夜、舞台上では終演挨拶で女優さん達はみな泣いていた。あの涙は千秋楽を迎えられた涙ではなく、自分の演技に満足できなかったからだったと思いたい。よしんば演じ終えたという感慨からの涙であったというならば、その感慨(感激)は私たちに与えて欲しかった。

nichirinまさにこの作品が後の『シェエラザード』に続いたんだろうと思われるような浅田二郎の『日輪の遺産』を、先月読んで大いに震えた。

このテの作品を書かせると、この人の筆力は本当に恐ろしい。
この作品も映画化されたようで、しかもかなりの興業収益をあげた…と何かの記事で読んだ記憶が残る。
確かにこれだけのストーリーを書き上げられたら、よほどの演出下手くそがメガホン取らない限り、よほどのダイコンが演じない限り、見応えのある映画が出来るだろうと思う。(映画の評判が良かったのは、原作の良さに加えて監督や役者さんが素晴らしかったからで、決してヘボ監督&ダイコンの映画とは思っていません)

昨夜、ちょっと知った方が出演してるので、ミュージカル『ひめゆり』を観に行ってきた。あの沖縄戦で320人中224人が悲惨な死を遂げたというひめゆり学徒隊の話しだ。
ミュージカルの方は歌を多用しすぎていて、もう少し台詞を入れればもっともっと感動的な作品になったと思う。でもこの作品、これまでに何度か行われていたらしいから、もともとが極端に台詞の少ないミュージカルなのかもしれない。

さて。
舞台上で少女役を演じる彼女たちの姿を観ていたら、私は再び『日輪の遺産』を思い出していた。
あの作品を読んだのは先月も月初の頃で、あの時の鳥肌が立つような感動の余韻もすっかり消えて無くなっていたのだけれど、戦時下の、しかも共に女学生が主人公ということもあって、脳裏をオーバーラップしてきたのだった。

himeyuriもうすぐ8月6日がやってくる。今年もまた、8月9日がやってくる。
毎年この日が来るたびに、戦争とはまるで縁もなく平和にそして豊かに生きてこられた私にも、重苦しい暑い夏の日となるのだ。
私が生まれるちょっと前に、こんな悲惨な時代があったことを、そしてその激動の時代を父母が生き延びて来れた幸運を、忘れては行けないと思うのだ。いつまでも。



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Calamity1お世話になってる方のお嬢さんが出演されているので、『カラミティ・ジェーン』観てきました。

私は友人にダンサーや役者がいるので、年に数回は舞台に接する機会があります。時には舞台終了後に、その役者たちと酒席を囲むこともあります。そんな役者たちは一様に、「観客の反応が良いと自分たちの演技もグッと良くなる」と言います。役者たちは客の反応見ながら演技し、時にはアドリブも交えるそうです。舞台はまさに演者と客とのコラボなのでしょう。

さてカラミティ・ジェーンに戻ります。
このミュージカルは2部構成になっているのですが、第1部を見終わった時点では、ちょっとガッカリでした。なんか、ピリッとこないのです。演出が悪いのかな?と思ってました。
しかし、第2部に入ってガラリと変わりました。なんか別の舞台を観ているような……。
それはパパイヤ鈴木の力だと感じました。彼は第2部からの登場なのですが、彼が登場した途端、舞台と客席の距離が一気に縮まったのです。
ポスターでは湖月わたる、金児憲史、パパイヤ鈴木の3人がメインのように扱われていますが、登場時間で言えばパパイヤ鈴木はほんの少ししか出演していません。そのほんの少しの時間で彼は見事に観客を舞台の上に引きずり上げました。
湖月わたる、金児憲史の二人にはその力がなかったのですね。こんなこと書くと、二人のファンに怒られそうですが。

パパイヤ鈴木が登場してからの第2部は、その湖月わたるの演技も、他の出演者の演技もガラッと良くなったように感じました。観客が彼らに近寄ったからだと思います。
どんな客が来たかによって、舞台の質は変わるのでしょう。舞台はその演者と客とのバトルなのだと思います。だからこそ舞台、ライブは面白いのだと思うのです。

本日は、ちょっと堅いお話しでご容赦。m(_ _)m  たまにはこんな事も書かないとね。

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