タカラガイの独り言

ダイビングや旅のこと、子どもたちとのサッカーの事など徒然に。

読書&音楽&映画

筆力

何度か勧められ何冊か手にしたことはあるものの、結局どれも読破できなかったのが宮部みゆき作品だった。ダラダラと無意味な文章が続くことが多く、途中で飽きてしまうのだった。
gamouそしてまたも勧められ、躊躇したけども読み進み、なんとか読破出来たのがこれ、「蒲生邸事件」。この作品も、書かなくても良いだろう描写が多くて途中で何度か嫌になったのだけど、今回は頑張って読了した。
タイムスリップというありきたりなストーリーだけど、2.26事件にまつわる話しに興味があって、その部分に関しては苦無く読み進むことが出来たのだった。しかし、やっぱり無駄な描写があまりに多い。あとあとの伏線なのかと思いながら読んだのに、結局無駄な文章が長々と書かれていただけだった。
現代に戻ってから、過去で交わした約束の部分だけを書き膨らませていれば、とても素晴らしい作品になっただろうと思うのだけど、彼女にはそれだけの筆力が無いんだろう。それでも数多くの作品を発表しているってことは、宮部みゆきという作家は文章家ではなく、ストーリーテラーなだろうと想像する(ほとんど読んでいないから)。

宮部みゆきで何となく消化不良感が残ったので、久しぶりに藤沢周平の作品が読みたくなり「龍を見た男」を買ってきた。
これも藤沢作品に多い短編集なのだけど、さすが!と思わず何度も唸っちゃった。最後まで読み終え、そこに結末が書かれていなかったり(その後の成り行きを読者に想像させる)、男と女の所作を書き連ねているだけなのに、何故かその二人の会話が見えて(想像できて)きたりする。まさに全てを書かずして行間で読ませる藤沢氏の作風は、誰にでも真似の出来る文章ではないだろう。私もそんな文章が書けていたら、夢のような印税生活が送れるんだがなぁ……。

ryuここ数年、残念ながら色んな文学賞受賞作品をトンと読んでいない。いつの頃からかは忘れたけれど、たびたび期待を裏切られているからだ。本屋(古本屋ばかりだけど)に行っても、結局昔からのファンの作品しか手に取らなくなっている自分がいる。なんか寂しいなぁ。ガツン!と心に響く作品に巡り会いたい。

雑誌が売れなくなっているのも、記事を推敲すること無くただ単にページを埋める作業をしているからのように感じる。自分の作った本をお金を出して買って貰っていることを忘れて記事を書くからだと思う。

小説も雑誌も、書き手や編集者は「良い物しか出さない! 良くない物はメモ用紙にしてもらう!」くらいの気構えで上梓・出版して欲しいと思う。そんな気合いの籠もった作品が増えれば若者の活字離れも解消されるだろうに……と思う今日この頃。

PTA、やらなきゃダメですか?

人が集まって何かを成そうとするとき、こそには明確な目的が必要になる。しかし、その組織が歴史を刻むに連れ、その目的が形骸化してくることは良くあることだろう。
途中で抜けた時期もあったが、私も少年サッカークラブお手伝いを初めてかれこれ25年になる。

PTAさて。
本書は自分の息子が通う小学校からPTA役員を依頼されたパパの、そのPTA改革奮戦記である。
形にばかりとらわれてしまって本来の目的が希薄になり、依頼されることを懸命に避けようとするPTA=Parent-Teacher Associationを、もっと父兄父母が自主的に参画できるように機構改革し、PTO=Parent-Teacher Organizationに変革した、悪戦苦闘の記録だ。

ベルマーク集めを頼まれた主婦の、「お金を払うから辞めさせて欲しい」という言葉などは、そのPTAの硬直ぶりを端的に表している。拘束時間を計算すれば、ベルマーク集めるよりバイトした方がはるかにお金になる。
PTA役員になることから逃げるために、子供に居留守を使わせているうちにノイローゼになってしまったなどという話しは、思わず「そこまで思い詰めるなら受けてしまえば良いのに」と思うけれど、それほどまでにPTAという組織が嫌われているのは何故か? 子供のために必要なのが判っているなら何故、改革しようとしないのか?
そんな疑問から筆者は地元小学校のPTAを、皆がボランティアの精神で率先して参加出来るPTOに変革した。
誰もが役員をやりたがらないようなPTAがもしもまだ存在しているなら、その組織を変えるために本書は素晴らしい手本、ハウツー本となるだろう。

私の所属するサッカークラブも、かつてまとまりが悪くなった時期が少しあった。子供たちにサッカーの素晴らしさを教え、そのサッカーを楽しく安全に出来る場所を与えることが目的だったはずが、参画する人々の動機に少しずつ差異が生まれ始めたためだ。
しかし、そんな過去があったからこそ、運営方法を少しずつ変えることが出来たからこそ今に至り、ついには教えていた子供たちが社会人となり、コーチとして戻ってくるようになった。すったもんだもあったけれど、そんなクラブももうすぐ創立30周年を迎える。

国民を守れぬ国

正月休みに久しぶりに映画館へ行きました。まぁ、無料のチケット戴いたってのが一番の理由ではあるのですが…。観た映画はコレ↓

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映画作品としては私の好きな主演の内野聖陽が独り気を吐いていたくらいで特に絶賛するほどでもなく、テレビ放映される機会があったら観れば良いかな、程度の作品でした。

この映画で一番残念なことは、パンフレットに“今初めて明かされる真実の物語”なんて書かれてるのに実際には真実を伝えていないことです。haruka
たまたまこの映画を観る前に門田隆将の『日本、遥かなり』を読んでいました。海外に居る日本人が現地で戦争や動乱が勃発した際に日本政府は法律の縛りがあって助けようが無い、という事が書かれています。
昨年、やっと安全保障関連法の一部が改正されましたが、それでも日本国は海外に居る日本人を直ぐには助け出せません。

映画『海難1890』は、1890年に起きた和歌山県串本町沖でのトルコ軍艦「エルトゥールル号」海難事故で、地元住民が必死に救助に当たった事を発端にしています。その時の献身的な日本人の救助が永年トルコで語り継がれ、結果1985年に勃発したイラン・イラク戦争の際に、トルコが日本人救出のために旅客機を飛ばしたのです。
映画は、その際にイランの日本大使館が動いたことになっていました。まったくの嘘デタラメです。イランに各国救援機が飛んでくる中で、日本の外務省は何も出来なかったのです。実際には永年トルコと親密にしていた一人の一般日本人が、当時のトルコ首相に直接掛け合って救援機を飛ばしてもらったのです。

まぁ本当のことを描いていたら、きっと政治的圧力がかかって公開も出来なかったでしょうが、日本とトルコの合作映画なのに真実を知っているトルコ制作側は何も言わなかったのかしら? トルコでも公開されるそうだけど、せめてトルコでの上演は真実に基づくものであって欲しいと切に願うところです。

女心

himitsu先日書いたけど、若い女の子に薦められた東野圭吾の作品が私にはイマヒトツだったので、改めて彼の人気作品を読んでみた。いや~やっぱり凄い筆力だし、見事なストーリーテラーだと思う。彼女が薦めてくれた作品は、物語的に私には合わなかっただけなのだ。

この『秘密』は広末涼子主演で映画化もされてるらしいけど、アタシは知らなかった。
巻末に広末も感想書いてるのだが、それを読んでいてハタと気付いた。東野圭吾の凄さは筆力や物語性よりも、女心をしっかりと捉えられるところにあるんじゃなかろうか、と。表現する方法はまるで異なるけど、歌手の徳永英明に似た感性が備わってるんだろうと。

男と女の会話で噛み合わない事が多々あるのは、男が会話に結論を求めるに対して、女は協調を求める傾向が強いからだそうな。
そう言われて過去を振り返ると、納得する場面はまことに多い。今朝ですらかみさんが「××に行くには戻ればいいの?」と唐突に聞くので、「戻る? 何処を起点にして? サッパリ言ってることワカラン!」と返したら、プイッと席を離れて行った。私は新聞読んでいたんでうるさいのが居なくなってホッとしたのだが、しばらくするとiPhone持ってきて、「ホラ、この出口からだと戻ることになるじゃない!」と語気荒く言うのだった。
この時、どうせ私は新聞に没頭してたんだから、「そうだね」とでも返事をしておけばよかったのだ。思考を新聞から中断し、まともに答えて怒鳴られてたんじゃ割に合わんゾ。

男と女の会話は所詮このようなものと、もっと若いうちから理解していればアタシはきっとモテてモテてドンファンのような生活が送れていた事だろう。

さて作品に戻って……。
途中から「結末が見えてきちゃったなぁ」と思いつつ読み続け、それを見事に裏切られた。いやはや驚きの結末だった。女心が理解できなければこんな結末を考えつくはずが無い! というのがアタシの読後感想なのだが、映画の方はまた違った結末らしい。今度チャンスがあったらDVD借りてこようと思うのだった。

3.11に70年前を思う

newginia5年ほど前からチャンスがあったらパプアニューギニアに行こうと虎視眈々と狙っているのだが、フライトスケジュールが私のカレンダーと合わず、行けないでいる。
そんなニューギニアの戦争手記を読んだ。この地に1万数千人が送り込まれ、生きて日本に戻れたのはわずか2百数十名。戦闘で傷つき亡くなった兵士もいたが、病気や飢えで亡くなっていく兵士の方が多かった。それらが淡々と綴られた生存兵の手記である。

戦争とはその目的が何だったのかを問われ責められることを許しても、その中で行われた行為に対して何かを問うことは何の意味も持たない。なぜなら戦争という行為の中に、道徳や人間性を求めること自体が愚かだからだ。戦争はただ単に大量殺戮を目的にした行為にすぎない。大虐殺があったかなかったか、従軍が強制であったか自己の意思だったかなど、そこにどれだけの意味があるのか。
戦勝国も敗戦国も、どちらにしても戦争に巻き込まれた当事者に残るのは、悲しく辛く、忘れたくても絶対に消えない苦悩だけだろう。

本書に書かれていたように、この地球上から戦争というものが根絶されたとき、人類はやっと文化の高さを誇れるのだと思う。その日は来るだろうか。
今年は終戦70年。私の母も父も戦争体験者だ。語ることは少ないけれど、死の淵を覗いたという話しは聞いた。その時、父か母が死んでいればこの私も存在していない。

もしもパプアニューギニアに行けるチャンスが訪れたら、線香と共にこの本を携行しようと思う。

やり直せるなら

とあるシミュレーション・ゲームにハマってて、雨でボールを蹴りに行けない土曜日などは一日中遊んでることもある。ゲームだから途中でミスに気付けば、ちょっと前に戻ってやり直すことも出来るから、負けることはまず無い。(そんなゲームやっててオモロイのか?と思うでしょ? それがオモロイの!)

さて。
ゲームでなく、もしも自分の人生で、過去に戻ってやり直せるとしたら……。modoru
ひさびさの読後感想でございます。

この『戻る男』(山本甲士著・中公文庫)はタイムスリップのお話し。とある人物から過去に戻ってやり直したいことは無いかと持ちかけられ、主人公はお金を払って過去に戻り、その時の忌まわしい過去をすげ替える。

読み進む内に「モシモ、オレガカコニモドレルトシタラ、イツノ、ドノバメンダ?」と考えた。
ところが無いのだ。一応あるにはあるのだが、この小説の中では、過去を変えることで現在に影響が出るような事は出来ないという。
例えば、気に入らない上司に酒の席でくだをまいて喧嘩になったあの時とか(=結果、昇進が遅れた)、○○○○に××××しようと思わず言っちゃった時(=結果、△△△が出来ちゃった)とか。(物語では中盤以降、現在に影響するような過去を変える場面も出てくる)

例えば、女の子から「好きです」と告白され、思わず「お前なんか大嫌いだぃ!」と言っちゃって泣かしちゃったような過去は、その時に戻って「ごめんね。もう付き合ってる人がいるの」と嘘言って断ることは可能だそうな。(タカラガイ注=私には女の子泣かしちゃった過去なんてありません!)

さて戻って……。
考えるに現在に影響しないような変えたい過去が、私には思いつかない。それだけ幸せな人生を歩んできた…ってことなんだろうな。(単に鈍感なだけ…という声も聞こえるような気がする)
私には、もう一回人生をやり直せるとしたら戻りたい年代はあるけれど、過去の言動の一部(瞬間)をお金払ってでもやり直したいという場面がない。そんな場面のある人がいたら、それはある意味しあわせな事なんだと思う。ネタバレになっちゃうからこの辺でやめとこ。最後は思わず「ホ~ッ!」な見事な結末でありました。

しかし、“今の私”は“過去の自分”の積み重ねであることも忘れてはいかんよね。




今回は(  )=注釈多く申し訳ない。文章、推敲する時間が無く………。(言い訳)



惚れ込む

今年。鹿児島県に属するある島で、海が好きで好きでたまらない!という気持ちがこちらにもビンビンと伝わってくる熱いガイドさんに会った。
私も海は大好きだけれど、それは自然が好き!のひとつであって、今は海にのめり込んでいるけれど昔は山だったし、今後はまた少年時代に夢中になった釣りに戻るかもしれない。要は自然の中にこの身を晒していることが好きなのだ。
izakayaだから私にとってその彼との出逢いはとても新鮮だった。

この本、酒をこよなく愛する私としてはとても新鮮な一冊だった。
日本全国の都市を、居酒屋求めて放浪記を書けるという立場も羨ましい。
居酒屋がメインだから、最近わたしがはまってるワインは登場してこないのはちょっと残念だけど、訪ねた先の観光ガイドには載らないようなうんちくも素晴らしいし、何より活字にするに一番難しい味や風味をわたし好みの言葉で表現してくれていて、自分も知っている店が登場してくるのも嬉しかった。

さて今夕から東北へと向かう。残念ながらかの地を居酒屋捜しながら徘徊するような時間は無いけれど、一軒くらいは現地の居酒屋の暖簾をくぐってみようと思う。

このシリーズは何冊かあるので、自分の故郷が紹介されている一冊を購入されることをお薦めします。まずはシリーズ集大成のこの『自薦 ニッポン居酒屋放浪記』の後書きを一読されたし。きっとそのままレジへと持っていくことになるはず。

父の軌跡

いっつもオバカな事しか書いてませんが、今回は少々真面目なことを書きますので堅っ苦しい話しが好きでない方は本日はパスしてくださいマシ。

owarazarunatsu私は父の過去をほとんど知りません。
若い頃に家(新潟)を飛び出し、東京で独り暮らしを始めたこと。満鉄に入った途端に第二次世界大戦が勃発、何度も死を覚悟しながらも命からがら帰国できたこと。帰国後、なんとか会社勤めが出来るようになったら結核になり長期療養を強いられ、会社を辞めざるを得なくなったこと。
私が知っている父の過去はこんなものしかありません。

浅田次郎の『終わらざる夏』を読みました。
まさに父が必死に生きていた頃のお話しです。話しの内容に父の生き様が、父の若かかりし頃の姿がイメージされ、胸にズシンと響きました。
浅田作品としては『シェエラザード』や『日輪の遺産』系統になるけれど、前2作に比べると登場人物が多く、そのために一人一人の描写が薄くなった感は拭えなかったです。しかし先に書いたように、父が20代で過ごしていた時代が克明に書かれていて、登場人物の一人に父の姿をダブらせながら読みました。

父があの戦時下をどのようにして生き延びてきたのかが、何となくだけれどわかったような気がします。そして、生き延びられた奇蹟と喜びを、今もう一度、あらためて感謝します。
でなければ今ここに、この私という存在すら無いのですから。

「この戦争の真の悲劇は敗戦ではない。国民の意思にかかわらず戦が始まり、それを国民の意思と断定して継続したあげくに、敗けたのだ。すべての民主的な手続きを無視し、勝手に戦い、勝手に敗けた」(本文より)。
どこの国でだって国民総意のもとに始める戦争などあり得ないでしょう。いかにも国民すべてが賛同していると思わせるプロパガンダによるところが大きいと思います。
それは似たようなカタチで今でもまだ、この日本でも隣国でも行われています。

8月15日まであと2日です。
同じ過ちを犯さないように、8月はいくつもの忘れ得ぬ日、いえ忘れてはならない日がやって来ます。その熱く苦しかった8月のお話しです。私たちや私たちの後進達が、二度と同じ過ちを起こさないためにも、ご一読をお薦めします。

心に残す

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先日、暇つぶしに本屋を徘徊していて、タイトルに惹かれペラペラと数ページ読むと東日本大震災の話しが書かれていて思わず買い求めてしまった。
タイトルからして太平洋戦争の沖縄戦の事とは容易に想像できたが、それをどうやって東日本大震災の話しと結びつけるのかと興味を抱いたのだ。
churaumiしかし、読み進むうちに途中で結末はすぐに想像できた。そしてちょっと飽きてしまったのも事実だ。馳星周にしては筆に力がこもっていないし記述が被るのだ。(記述がカブるのは、この小説がウェッブ連載されたものだと後で知り納得した)。
しかし、最終章まで読み進んだら見事に心を鷲づかみされてしまった。

2011年7月。
私は宮城から岩手まで、緊急物資を運ぶトラックに便乗させてもらい被災地を北上した。閖上(ゆりあげ)では辺り一面家屋の基礎部分が残るばかりで、他にあるのはグチャグチャに潰れた車と船ばかりだった。気仙沼では地盤沈下した箇所に汚水が溜まり猛烈な腐敗臭を放っていた(上の写真)。大川小学校にも雄勝にも女川にも陸前高田にも行った。どこもかしこも建造物はことごとく破壊されていた。まるで原爆でも落ちたのではないかと思えるほどだった。
そして18000人を超える人が亡くなった。
現地に何度か足を運んでることもあって冒頭の箇所だけ読んで購入したのだけれど、あの戦争と先の大震災が、68年という時空を超えて語られる。
確かに人災である戦争とあの天災を同列で捉えることはいかがなものかとは思う。けれど、そこに両方の被災経験者を主人公にすることでこの物語は許される。

「そして被災地以外の人々は、津波と地震が奪った夥しい数の命を実感することもなく忘れていくのだ。
 沖縄がそうだった。日本の盾とされ、二十万人を超える人々が死んだのに内地の人間は沖縄戦の真相を知らなかったし、知ろうともしなかった。そのくせ、観光に訪れては、南の島の楽園だと脳天気に笑いながら、海で泳ぐのだ。1945年に血で赤く染まっていたあの海で」。
 (本文より)

私は戦争のことは知らない。けれど、ダイバーとして南の島に潜るたびに戦争の傷跡を目の当たりにしてる。だから知らなくとも肌で感じ取っている。東日本大震災のことも絶対に忘れない。なぜなら、何度もかの地に足を運びかの地の友人も出来たからだ。
一人でも多くの人が、沖縄の、日本が軍国主義国家となっていった時のことを、そして戦争を知り、東日本大震災の被災地にも訪れて欲しい。被災地の人から、被災したときの話しを是非とも聞いてあげて欲しいと願う。
過去の悲しみはたとえそれが他人のものであっても忘れた、知らないでは済まされないと思うのだ。私たちは同胞なのだから。

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何度か使用したカットで恐縮だが、上の写真はミクロネシア・チュークの朝焼けとそれに染まる海面。
ここも戦時中はこの朝焼けよりも赤く染まったに違いない。海底にはまだ多くの戦没者がいまも眠っているのだ。


Waste the time

anataheどうしても肌に合わない人っているもんだけど、私にとっては高倉健という役者がそれ。
確かに素晴らしい役者さんだとは感じるのだけれど、その演技が私の好みではない。性格俳優ってそれなりに作品の中で良い味を出してくれて、とっても光っているのだけれど、その性格丸出しのような演技ゆえに人によって好きずき分かれるのは致し方ないことだと思うのだ。
私が好きな個性剥き出しな役者さんは、今は亡き松田優作や下川辰平、そして佐藤允などなど。

そんなわけでいま公開中の映画『あなたへ』も観には行かない。田中裕子は好みなんだけど。
たまたまヒョコッと立ち寄った本屋でこの本が目に止まり買ってしまった。

先日の日曜日。この前のブログにも書いたけれど東京は朝から雨で、私はゴロゴロと何もせずFM聞きながら雑誌を読み、パソコン覗いたりしながら一日をダラダラと過ごした。その前の週もそうだったけれど、なんか夏バテが今ごろきたのか身体がだるいのだ……、と自分に言い訳して。
しかし、生きるって事は時間を消費してることでもあって、無為な時間を過ごすってことは自分の生を無為なものにしちゃってる、って事でもあるのだ。………とこの本で改めて教えられた。
特に感動するでもなく、ストーリーもまさに映像向きな内容ではあるけれど、自分に“喝!”を入れてくれたことに感謝。だから最近ほとんど読後感などを書いてないので書き残すことにしたのだった。本稿のタイトルはその意味です。けっして本を読んだ時間が無駄だった…という意味ではございません。

高倉健が嫌いだのと、読後感どころか本のあらすじさえ書いてないのだけれど、そこはまぁ、つまりそのぉ、行間を読んで欲しいっちゅうか、ネ? ご理解くださいマセ。m(_ _)m
ストーリーに興味のあるかたはググってくださいマセ。今なら公開中につき、いっぱい出てくると思います。

豊かさ

どうやら関東地方もとうとう梅雨入りしたようです。

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もう先々週のことなのだけど、かみさんに拉致されて国立新美術館までエルミタージュ展を観に行った(前日にサッカーやって足が痛いというのに)。
決して絵画が嫌いなわけではないけれど、あんまり興味の無い私は(いや、無いのは興味じゃなくて教養だな)電車の中で、「ところでエルミタージュって何人さ?」とかみさんに問い、「恥ずかしいわね! 大きな声でバカなこと聞かないでよ。あっち行って!」と怒られたのだった。(タカラガイ注:知ってる人がほとんどだと思うけど、エルミタージュってのはロシアの国立美術館の名前ね)

しかし日曜日の、しかも午前中も早い時間だというのに、国立新美術館の入り口はすでに入場者でごった返していた。
イヤハヤ驚いた! もうずっと、ズ~っと昔のことだけど、バーンズコレクションってのが上野の国立西洋美術館で開催されたとき、「一生観ることが出来ないよ」と言われて出向いたけど、これまた物凄い長蛇の列に恐れをなして退散したのだった。
昨年の暮れ。知人に誘われて六本木にあるホールへクラシック・コンサートを聴きに行ったのだけれど、その時もホールは聴衆者で溢れんばかりだった。今年2月に行ったミュージカルだって、けっこうなお値段するのに満席だったし。

フィリピンやインドネシアの片田舎でダイビングをすることが多い私は、それらの地域に暮らすとても貧しい人たちの生活を垣間見てるから、コンサートや美術展に長蛇の列が出来るというこんな光景を目の当たりにすると、「日本って国は本当に豊かで平和な国なんだ」と感じないわけにいかない。(わけのワカラン殺人事件は多いけど)

芸術にこれだけの人々が集まってくるってのは、間違いなくその国の豊かさの証左だろうと思う。電車の中で一心不乱にゲームに興じる若者や大人たちも、この国の豊かさの恩恵を享受してるのだろうとも思う。人種的には別格のように感じるけど。

さて、エルミタージュ展に戻って。
ロシア国立美術館が所蔵する名画は、時代の流れと共に変遷する技巧なども解説されていて、それなりに楽しめた。(人が多すぎることを除いて)
それにしても1400年代から1500年代初頭にかけて描かれた裸婦たちは、なんであんなにもブクブクなのか不思議だった。みんな揃ってヒップやウェストはブクブクなのに、どういうわけかオッパイは小さいのだ。
日本でもかつては腰まで届く長い黒髪とオカメのような下ぶくれ顔が美人必須条件だったというから、当時のロシアではペチャパイのデ◯が美しい女性の絶対条件だったのかもしれない。
生活が豊かになれば、人の腹周りも豊かになるものだ。その頃の王朝ロシアは、とても豊かだったのだろう。

豊かさの弊害でメタボも増えている。豊かな日本、これからは美人の条件がふくよかさに変わっていくのかしら?
おかげさまで私の胴回りは今のところまだ85㎝にはなっていないので、へルシア緑茶のお世話になることもないのだけれど、体型よりも心が豊かでありたいものだ。

軍師の挑戦

今日はひっさびさに読後感想などを。
なのでちょっとお堅い内容となりますのでご了承をば。
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『軍師の挑戦』上田秀人著。
この人の作品読んだのは初めてかもしれない。読んだ記憶が無いのだ(本屋にはいっぱい並んでるのに)。
本屋でちょこっと立ち読みして惹き込まれて買ったら、とても楽しめた。

短編集なのだけど、千利休や勝海舟、福沢諭吉などの私の知らない側面から書かれていて一気に読んでしまった。

先日、歴史は面白いってことを記したけれど、これだけ歴史に造詣深ければ、京都や奈良なんか旅したら楽しくてたまらないだろうなぁ、と思う。
しばらくこの人の作品、読み続けてみようと思います。
中学校の歴史の勉強も、こんな人に習っていたら世の子どもたちは歴史大好き少年になるに違いない。

ちなみにこの本の最後に納められている作品の中にこんなくだりがあった。
「国を背負うだけの器量がない奴に、政(まつりごと)を任せるほどの悲劇はない」。勝海舟の言葉。彼が本当にこんな言葉を残したかどうかは分からないけれど、まさに今の日本を見るようだと思った。
知識レベルがトップクラス(人間性は?)の集団=(霞ヶ関)を動かすには、国を背負っているという器量や度量が絶対条件だとあらためて感じ入った。

昔の人々に倣うことは本当に多いものだと痛感。お薦めの一冊となりました。






デスゾーン

Nolimit先月、クライマー・栗城史多氏の講演会を聴くチャンスがあった。
その時のお土産に、彼の著書「一歩を越える勇気」か「NO LIMIT」のどちらか一冊を貰えるというので「NO LIMIT」をお願いしていた。
昨日、それが届いた。すっかり忘れていたのだった。

講演では彼が引き籠もりだったことや、なんで山に登り始めたのかを交えながらエベレスト無酸素単独登頂にまつわる話しなどが聴けた。
少しも悲壮感無くむしろ笑いを招く話しぶりは、極限を極めたゆえのものだと感じた。
自分も一時、登山にのめり込んだことがあるから、彼のやってきた、そしてこれからやろうとしていることの凄まじさは肌感覚でわかる。

山を登る楽しみには頂上を目指す、一番上に立つ、初ルートを切り開くなどなどあるけれど、私はすでに一般ハイカーと一緒で山自体を、頂上までの道程を楽しむことしか出来ない。

この本は彼のエッセーと写真をまとめたものだ。写真好きの私には、どの写真も素晴らしい。写真を撮るという行為は、タイミングや技量の問題もあるけれど、私は「そこに行かなきゃ撮れない」写真が好きだ。だからこの本に載る写真は、私にはまず撮ることが出来ないものばかりなのだ。B6版の小さな本だけど、載ってる写真は迫力満点! こんな写真が撮れるところに一度は行ってみたいなぁ。

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「夢は、折れなければ実現する。
 僕は身をもって証明したい。
  見えない山を登っている
    すべての人のために。」

                                    (本より抜粋)


酸素濃度は地上の3分の1。氷点下40度近くにもなる、生き物を寄せ付けないデスゾーンを単独で登り詰めた者の言葉は重みがある。






めぐり逢いに巡り会う

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タヒチ・モーレア島。この島に行ったのは、もう7年も前のことだ。

何度かアネット・ベニングの映画『めぐり逢い』の事を過去に書いたけど、あの映画でもタヒチの島が出てくる。私の想像では映画の中に出てくる、あのタヒチの島は、このモーレアではないかと思っているのだけど自信はない(汗)。

映画の中でウォーレン・ビーティとアネットがその島に行き、ビーティの叔母(キャサリン・ヘップバーン)のピアノに合わせてアネットがハミングするシーンが圧巻だった。
その後、「あの曲は誰による何て言う曲名なのか」何度か調べたのだけど、結局わからずに諦めてしまっていたのだった。
それが先日、ひょんな事からYouTubeで見つけたのだった。なんかとっても嬉しかったので、ここにアップしちゃう。いつの日か削除されて見られなくなっちゃうとは思うけど。

 

作曲はエンニオ・モリコーネだった。どうりで良い曲であるわけだ。彼はマカロニウエスタンで名をはせたけど、「海の上のピアニスト」や「オペラ座の怪人」、そして私が一番好きな映画「ニュー・シネマ・パラダイス」も彼の作曲による。

「めぐり逢いの」作曲者が解明されたことで、この曲が入った彼のアルバムを買い求めようとアマゾンも捜したけど、見つからなかった。
彼の最新盤ベスト・アルバム(古い作品のものはある)が出てくるの待つことにしよう。

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国境

どうやら自動車重量税が下げられるようだ。なんのためか、よ~ワカラン。消費税増税前に「減税してますよ~!」とアピールしたいのと、円高で打撃を被ってる自動車業界支援策としか思えない。
日本の経済を自動車産業が牽引してきたことは認めるけど、どうせ一業種に肩入れするなら今は内需系企業だと思うのだが……。もう自動車産業優先の時代ではないだろう。
自動車なんか、業務用車を除き150万円以上するようなものはむしろ増税すべきと思う。車なんてものは、屋根があってタイヤが4つ着いていてちゃんと走ればそれで事足りる。高級車なんかガンガン増税すべきと思う。もっと国内に目を向けて欲しい。

という事で、世界のお話。(をいをい! 書いてることが支離滅裂!)
wakeariこの本のあとがきに、「若い頃は海外旅行なんて軽薄だ、と思っていた…」と筆者・武田和弘氏が書いていた。
私も学生時代、「日本を知らない奴が海外に行ってド~スル!」と、ずっと国内を走り回っていた。しかし本当のところは、言葉や風習や、自分が無知であるゆえに海外に独りで行くのが怖かった、ってのも多分にあったと思う。

さてこの本。
本屋をブラブラ散策していて見つけた。ペラペラめくって、「確かになんでアメリカとカナダの国境線は一直線なんだ?」と思った。
日本も未だに択捉、色丹、国後、歯舞を返してもらってないし、最近じゃ尖閣諸島も中国が領海侵犯してくるなどきな臭い。
世界各国の国境問題を読むにつけ、日本の隣国との領海問題も見えてくる。

かつて日本は台湾、朝鮮半島、ミクロネシアなどの南洋諸島、さらにはインドシナ半島に香港、フィリピンなどを支配していた。この頃は、日本は確かに超大国であったろう。しかし、今や小さな、小さな島国だ………、と認識していた。たぶん皆さんもそうだと思う。
ところがこの本を読んで認識新たにした。
日本は周囲を海に囲まれている。そして西は尖閣諸島、南は沖ノ鳥島まで持っている。ここに排他的経済水域(沿岸から200海里=約370㎞)を加えると、ナント!日本は世界で6番目に広い領土を持っていることになるそうな。
どうりでお隣さんがちょっかい出してくるワケだと思った。

アフリカの国境線も一直線の所が多いし、恥を承知で書くけどジブラルタルが国だったなんて知らんかった。ずっと海峡の名前だと思ってた。
やっぱり世界は広い。知らないことがいっぱい書かれてた。たまにはこんな雑学本も必要だと思ったのだった。





senko


何度かレック(沈船)ダイブも経験したし、ケーブ(洞穴)ダイブも経験した。そして当然ナイト(夜間)ダイブも。どのダイビングでも予備の水中ライトを携行している。しかし、かつて私は予備ライトを持たなかった。ある経験を境に持つようになった。
始めてテクニカル・ダイブ(減圧潜水)をやったヴァヌアツでのことだ。名物ポイントのプレジデント・クーリッジに潜った際に、同行したダイバーのライトが水中で「ボンッ!」という音と共に点灯しなくなった。同行ダイバー氏は予備のライトを持っていたけれど、もしも予備ライトが無かったら暗い船内でパニックものだったろう。それを見て以来、私のBCDポケットには予備の小さな水中ライトが入ってる。

昨日、ジェームズ・キャメロン監督作品の『サンクタム』を観てきた。
作品内容からして、どうしてもロードショーで観たい映画だったので、前夜のうちにネット予約をしたのだけれど、座席予約ページを覗くと埋まっていたのはたったの4席。その時点で「きっと面白くないんだろうな」とは予感がしたけど、やっぱりワイドスクリーンで観たかったから予約して出向くことにした。

日曜日だというのに六本木ヒルズの映画館は半分も入っていなかった。結果として、やっぱりその客の入りがうなずけるような作品ではあった……
実話の映画化だそうで、それを思えば映画ストーリーは背筋がゾクゾクする内容ではあった。3年前、メキシコの地底水路・セノーテを潜ったけれど、この映画を観た後だったらきっと、相当ビビリながら潜ったに違いない。それほど、闇と洞窟でのダイビングは恐ろしいと認識新たにした。

沈船ダイビングでは「船が傾くんじゃないか」とか、ケーブでのダイビングでは「岩が崩れてくるんじゃないか」とか常に頭の片隅にあったけど、そこにエアー切れの思考は働いていなかった。しかしよくよく考えれば、何が一番怖いかといやぁ、やっぱりエアー切れだ。その次が闇だ。自分の指先も見えないような、真の闇の中で減っていくエアー。想像しただけで恐ろしい。
ちょっと沈船や洞窟に潜る気持ちが萎えた。しばらくは遠慮しておこう。





みっけ!

我が社の片隅にあるロッカーには、読書好き社員が読み終わった本を寄贈し、皆で読み廻すための『みんなの仲良し図書館』(この名前はウソ)がある。
先日、帰りがけに何か読み物が欲しくて、その中から一冊を持ち出した。カバーが掛かっていてタイトルすらも判らず、適当に選んだ一冊だった。

rupinところが半分ほど読み進む内にグイグイと引き込まれ、「いったい誰の作品?」と改めて中表紙をめくったら横山秀夫だった。「なるほどなぁ。さもありなん」と思った。
かつて私は彼の『クライマーズハイ』を非常に面白く読んだ。そして今回、偶然にも手に取った本は彼の『ルパンの消息』だった。
文章テンポも彼特有の素晴らしいさがそのまま生きていたし、構成がなにより素晴らしかった。
私はこんな事でもないと推理小説は滅多に手にしない。けれどこの作品は推理小説の枠を超えていた。物語の最後、グッとくるものがあった。推理小説だから結末書いちゃうのは御法度だろうけど、どうやら映画化、ドラマ化されてるようだから知ってる人も多いだろう。
でも、書かない。ルールだから。

終末に近づくにつれて、物語のテンポは一気に早くなる。そして最後に「まさか!」という女性が登場してくるのだが、この人がこれまた泣かせてくれるのだ

この作品が処女作だそうだ。筆者自らの“改稿後記”を読んで、再び驚いた。
この作品はサントリーミステリー大賞(今はもうない)の佳作に選ばれたらしい。サントリーミステリー大賞は、前職時代、私が担当していたのだった。前の会社を退職した後にこの作品が出てきたってわけだ。前職退職後数年間、活字と映像から完全に逃げていた時期があったので、この作品は知らなかった。

しかし、偶然でこんな面白い作品読めるなんて、なんだかダイビングしていて海底で宝物を見つけたような気分だ。




小さな画伯たち

先週末、子供たちの絵画入賞式典に出席しました。あいにくの雨模様のなか、会場となるホテルに向かう途中で私の前を真っ白なシャツに吊り半ズボン、そしてこれまた真っ白なソックスに革の靴というお洒落した子供と、これまた一張羅と思わしき(失礼 m(_ _)m !)洋服姿のお母さんが歩いていました。「きっと入選した子供とそのお母さんだな」と、ピンッと来ました。

この絵の選考会はかれこれ39回目だそうです。ずいぶんと昔からやってるんですね。後援は国土交通省なんですが、国交省とすれば港やそこに浮かぶ漁船なんかを題材に描いて欲しいのでしょうが、残念ながらカメやイルカ、ペンギンやカラフルな魚たちの作品がほとんどです。

BlogPaint

しかし今回は、東日本大震災の津波や、震災で破壊された港や家の様子が描かれた作品もありました。

私はこの展覧会に何度か出席させて頂いているのですが毎回感じることは、とにかく皆、絵がとても上手なのです。上手な作品が選ばれているのですから当然といえばそうなのですが、それにしても巧い。子供の描いた絵とは思えない作品ばかりです。

絵の巧拙だけならば、それは日頃の努力の賜と言えるでしょうけど、絵の構図ですら「ホントにこの子がこの構図を思いついたの!?」と驚くものすらあります。
子供の発想は、時として大人の常識を覆す事がありますが、「イヤハヤなんとも……。参った!」と、いつも感じるのです。
まるっきし子供の独創とも思えず、多かれ少なかれ周囲の大人の助言はあったのだろうと想像に難くないですが、この中から未来の画伯が生まれることを願います。

入選、おめでとう!


しかし、一番嬉しかったのは当の子供たちよりその親御さんたちだったのでしょう(笑)。

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心に龍をちりばめて

kokorniryu少しでも暑さを忘れさせてくれと、2冊本を買い求めた。まずはそのうちの1冊「心に龍をちりばめて」。

物語中盤では小気味よいテンポの、壮快な啖呵が主人公・美帆の口から飛び出したりして、ちょっとは暑さを忘れさせてくれた。
しかしエピローグは「なぁ~んだぁ」で終わってしまった。
登場人物が性格的にどうなのかは置いておくとしても、背格好とルックスが皆がみな最高に“イイ男にイイ女”ってのがナンダかなぁ~。しかもそんなイケメン登場人物たちは、主人公の継母を除きみな心に龍ならぬ“傷”を持つ人物ばかりなのだ。

心に傷を持つ者同士が集まったってことで、すでにもう充分物語なんだから、何も登場人物全員をイケメンにしちゃう必然性は無いと思うんだが。
まぁ、なんにせよ数時間は暑さを忘れさせて戴きました。

ところで、こう暑いとシャワー浴びる回数も増えちゃうのだけど、最近は風呂に水を溜め、水が溜まる時間でエクササイズするのがマイブームになってる。
フル◯ンで筋トレしてるってのも、もしも誰かに見られればその場で「逮捕!」「病院!」…なんてなってもおかしくはないのだが、密室故に堂々とやってる。なんでそんなアブナイことやってるかというと、汗をかき火照った身体をドブンと水風呂に沈めるその一瞬が爽快でたまらんのだ。
しかし、その爽快感はドブン!とやった直後の1分ほどで、肌をまとう水はすぐにぬるま湯のようになってしまう。こんな時、水道水が恨めしい。地下水だったらきっと爽快感もずっと続くと思うのだ。
キンキンに冷えた身体で、キャンキャンに冷やしたビールを飲む………。このひとときがたまらない 夏季限定の贅沢だ。








スクープと暴露

wikireeks正直言ってこの本を読むまで、私はウィキリークスの行っていることは暴力だと思っていた。(ウィキリークスを知らない人はコチラを参照ください)。
本の中でも序盤、上杉氏はこのウィキリークスを賛辞するような書き方をしていて(実際はそこまで絶対的な賞賛をしてるわけでもない)、ちょっと不愉快だった。

国家レベルの機密文書をネット上で一般に公開してしまうという行為は、私は容認出来なかった。
しかし上杉氏の言うように、それがネットという世界だから人からは(特に日本人)暴露サイトと言われる。ところがもしもそれを大手のメディアがやったら大スクープとなる。

昔から私は日本に真のジャーナリズムは存在しないと思っていたのだけれど、それは私が接している情報源にジャーナリズムという意識(もしくは認識)が欠落していたのであって、決して日本にジャーナリズムが存在しないわけではなかった。
真のジャーナリストがエセ・ジャーナリズムに封じ込まれていたのだ。
確かにネット上を探索してると「オッ!」と思わせる記述にぶち当たることがある。今や私も含め、誰でもがネットを介して情報を発信し、誰でもがそれを受け止める事が出来る。
新聞やテレビが衰退していくのは、ネットという新しいメディアが出てきたからだと一般的には言われているけれど、それは新しいメディアが台頭してきたからではなくて、既存のメディアが本来あるべきジャーナリズムの姿を忘れてしまっているからだ。所詮、ネットなどは情報伝達の道具にすぎないのに(新聞やテレビもそうだけど)、テレビや新聞がどうして“道具”に駆逐されるのだ。んなことあるか。ネットの方に求めるものが、真のジャーナリズムがある…ってことじゃないのか? テレビや新聞にネット以上の中身が無い、ってことだろう。
中にはそれに気付いている人もいるのだろうけど、大きな組織の、巨大なメディア間談合のようなシステムの中にあっては、それも抹殺されてきたのだろう。

本の中で氏は「ジャーナリズムの最低限の仕事は、政府などの公権力が隠そうとする事実を暴くことにある」と記しているけど、私はそれだけでは暴露と変わらんと思う。その裏に何らかの意志があり、何らかの意見なり意図が加わって初めてジャーナリズムだと言えると思う。
ウィキリークスに持っていた私の嫌悪感はそこにあった。機密文書を入手したと国家に脅しをかけるような行為はジャーナリズムでも何でもなく、単なる恐喝に近い。(金品を要求してるわけじゃなさそうだからこの言葉は不適切だけど)。
しかし、最近ではウィキリークスも情報を公開する前には充分な検証をしてるようだが…。

どちらにしてもTwitterやFacebookを介してチェニジアで始まったジャスミン革命が、中東全域に飛び火したように、これからはネットを介した情報が優勢になることは間違いない。中国政府は一所懸命ネット制限を行っているようだけど、無駄な努力だろう。

これからの私たちにとっての問題はネット上に氾濫する情報をどのように捉えるか、だ。単純に鵜呑みにしてしまう人が多いのも事実。それが怖い。
情報に対する真贋を見抜く知識と、その情報を元に自分で考える知恵が必要だ。「ペンは剣よりも強し」という言葉があるが、まさにその言葉通りの時代に突入している。ペンにも善と悪が現れてくるだろう(すでに現れてる)。邪悪なペンに刺されない知識と知恵という盾と鎧を持たねばならない。











向日葵

向日葵と書いてひまわり。
そのひまわりを戴きました。私に、ではなくかみさんに、ですが。


himawari

社会人になったばかりの頃、ソフィア・ローレン&マルチェロ・マストロヤンニの映画『ひまわり』を観ました。
学生時代に友人から良い映画だから観ろと薦められ、内容も聞いていて観たかったのですが、そのチャンスはなかなかありませんでした。それが池袋の文芸座だったかどこかの映画館でリバイバル上映され観る機会を得ました。しかし、その時は友人に聞いた話のイメージが私の脳の大半を占めていたようで、見終わった後、さほど感動も無かったのです。
ところがその数年後。今度はテレビで放映され再び観ることになったのです。その時、私は映画館で観たときには無かった感動を得ました。

自分の意志ではない、どうしようもない不条理な別離は、意識の中で納得する部分があるだけに悲しさが倍増するのだと知りました。

ちなみに私は、この映画に出てきたロシア女性の方がソフィア・ローレンより綺麗だし素敵だな、と思いました。
ソフィア・ローレンの様な猛烈な情熱をぶつけられても、それを受け止め、それ以上の愛情を返せる男ってどれほどいるのでしょう?
私には絶対に無理です。その情熱以前に体格で押しつぶされてしまうでしょう。







日本人の誇り

Nihonjinnohokoriこの方、本当に凄い人だと思う。本来は数学者だとういうのに歴史に関する造詣が物凄く深い。それに加え読者をグイグイ引っ張っていくその読ませる文章は、父・新田次郎の血を受け継いでいるのだと思う。
ここ最近の教育書がどのようなものか私は知らないけれど、少なくとも私が習った小・中学校時代の歴史教科書は最低のものだった。単純に年号の暗記だけ。それも奈良・平安時代から始まり鎌倉時代を“イイクニツクロウ”と走り抜け、安土桃山時代、江戸時代が授業の殆どだった。
藤原さんに言わせれば、この時代にも興味深い事は多々あったのだろうけど、現代に生きる私たちが一番興味深く知りたい時代は江戸から明治にかけてと、その後の昭和初期ではないだろうか。実際、この時代の出版物が一番多い。

戊辰戦争によって江戸から明治へと移り変わる時代。大正に第一次世界大戦が勃発し、戦争に明け暮れながら昭和へと移りゆく。
このたった100年ほどの間に日本は大きく揺れ動いた。この激動の時代はその変革の激しさ故に、知れば知るほどに驚愕し感嘆する。なんで学校の先生はこんな面白い時代を教えてくれなかったのか(その理由もこの本に書かれている)。

「過去の出来事を現在の価値観で判断してはいけない」という言葉に大いに感銘を受けた。
過去においての過ちはその時点で裁かれるものであって、もしも過去の過ちを現代で裁くとすれば、現代の私たちが行っている事(良いと思われること)も未来において過ちとされるかもしれない。
そんな過去のことを未だに誤った認識で引きずり、おとなから子供まで日本人は誇りを失い見い出せないでいる。そんな日本人に“喝!”を入れてくれる名書だと思う。
お薦めします。是非とも皆さんにも読んで戴きたいです。






想い出の曲(その2)

ずっと前に「想い出の曲」と題し、記憶に深く残る歌の話しを書き、その時にはきっと第二弾も書くだろうと思って(その1)としたのだけど、結局それ以降は書くこともなく今日まできてしまった。
で、やっと(その2)です。…………、ネタ切れにつき

大学に入って私はがむしゃらにバイトをし、ホンダのシビックRSの中古車を購入しました。
この中古車は、中古だっちゅうに新車よりも高かった。それはこの車が2000台の限定生産であったことと、そしてちょっぴりだけど無限(ムゲンというチューン会社の名)のチューンアップが施してあったからです。

今どきの若者はあまり車に興味を抱かないようだけど、私たちの時代の男子学生にとって車はステータス・シンボルであり、ナンパの必需品でもありました。しかし、私はひたすら“走り”を求めていたので軟派目的なんていう不純な動機にこんな高額の買い物をする奴を笑い飛ばしていました(ウソ)。
第一、このRSは知る人ぞ知るマニアックな車だったので、「なんだぁ~、シビックじゃん」と女の子には不人気だったのです。でもいいのです。私はジムカーナやダート走行を楽しむのが目的だったのですから(半泣き)。
だから私は“ここぞ!”という時には友人の同じホンダのS800(スポーツカーです!)を借りていったものでした。それも1回しかなかったけど。当時の私は硬派だったのです(いやホント)。

そんな硬派の私だったけど、仲間に誘われ女の子たちと一緒にスキーには何度か行きました。
この八神純子の「さよならの言葉」がその頃にオーバーラップするのです。「硬派だったってのに、ずいぶん軟派な曲聴いてたんだなぁ」なんて言わんといてください。私や仲間の車に分乗しスキー場に向かう間、誰かが持ってきたこの曲が入ったアルバムのカセット・テープを何度も聴いていたのです。
硬派な私も聴き惚れ、結局アルバムを買い求めました。



私はこの曲の歌詞の、
 私の手には多すぎて、ずいぶん捨てたつもりでも…(中略)、私の指をこぼれてるという部分が特に好きです。

どこかのセンセイは「国民のことを一番に考えてる」なんて平気で嘘を言ってますが、一つでもこぼすことなくバケツ持ってでも国民の思いを、被災された方々の思いを全て受け止め対処して欲しいものです。
そういえば「辞任しろ!」とあれほどバッシング食らい、解散騒動劇まで演じられたのに未だにそのポストにしがみつくあの方は、何が欲しいのでしょうか? ひたすら権力の座にしがみついてるようだけど、その割りには権力使って何かをするでもなく、何も出来ず……。

「総理、ぜんぶ手の平からこぼれちゃってますヨ!」。

なんか不思議な人だなぁ。










天童荒太・その3

itamu_hito私がこの人の作品を読んだのはこれが3作品目だ。
初めて読んだのが「永遠の仔」。この作品を読んだときは正直、強烈なインパクトを受けた。この作品の最後、確かこの本の読後にも書き残したと記憶するのだけど、鳥肌が立ったのを覚えている。
その時のイメージがいつまでも残っていて、その後に全5巻の長編「家族狩り」を読んだけど、あまりに暗い物語に心はドヨ~ン 確か今回読んだこの「悼む人」が直木賞を受賞したってんで買い求めに本屋へ行ったのだけど、「単行本は高いなぁ~」でヤメ。そろそろ文庫化されてないかと本屋に立ち寄った際に、「家族狩り」を買っちゃったんだった。

そしてようやく文庫「悼む人」を先週手に入れたわけなのだけど、「永遠の仔」のような感動はなかった。
しかし東日本大震災後であり、来週には私の親友の命日を迎えるというタイミングは、読み進む内に考えされられることが何度かあって、本を閉じてしばし黙考させられてしまった。

まだ読まれていない人もいると思うので、チョロっと内容を付記しておくと、要は人の死をどのように捉えるか…ということがテーマ(短かすぎるゾ!)。
これだけでも“ドヨ~ン”の雰囲気は伝わると思うけど、この世を去った人たちがどのように死んだのか、ではなく「誰を愛し、誰から愛され、誰からどのように感謝されていたか」を知ることで残された人の心にいつまでも留まるというのは素晴らしいことだなぁ、つくづく感じた。

では、私が死んだら? 私は誰から愛され、誰からどのように感謝されているんだ?
やめときましょう、まだ早い(笑)。実は誰からも愛されてないような気もして……(泣)。(喜怒哀楽が激しいなぁ)

少なくとも私の心には今も父と親友Mくんがしっかりと残っているのだから、それでいいのダ。








坂の上にあるもの

実はNHKドラマ『坂の上の雲』第1回目の放送を見て引き込まれたのだけど、昨年年末に放送された第2回は敢えて見ないでいました。
なんか出し惜しみされてるようだけど、自分としては出来れば一気に全編通して見たいし、きっとNHKはそれをするだろうと思うからです。
それともう一つ。
「映像は決して原作を超えられない」が私の持論でして、テレビであれだけ面白いのだから原作はもっと面白いに違いないと思ったのです。
で、昨年から読み始めました司馬遼太郎の『坂の上の雲』。年が明ける前に5巻を読破し、残り3巻は年末年始の休暇中に読み切ってしまおうと目論んでいたのですが、結局正月は1巻も読破できず、年が明けると今度は何やかやと忙しく、あれこれと時間を取られ遅々として読み進めず、先々週ようやっと全巻読み切りました。読了に3ヶ月もかかってしまった

読後、「これはどうもNHK(映像)の勝ちかもしれん」と思いました。
史実を重視するあまりか、くどい記述が何度かあって、これなら8巻にもせず全5巻くらいに収まったのではないかと感じました。
それでも読み応えありましたけど。

kumo

正岡子規にしても秋山好古・真之兄弟にしても、そしてこの原作に登場はしないけど、坂本龍馬も高杉晋作も、坂の上に雲を見い出していたわけですが、今の日本の舵を取る人達は何を見ているのでしょう?
雲を見上げるどころか、蹴つまずいて坂を転げ落ちないように足下だけを注視してるとしか思えません。平成の志士はいつ現れてくるのでしょうか?  
せめて私は雲でなくても坂の上を目指していこうと思います。俯いてばかり、足下を気にしてばかりいるような生き方だけはしたくないと思います。




適当な画像が無く、坂の上でなく海の上の雲で恐縮です @ポンペイ






コンダクター

昨夜はある社長さんのご招待を受けてサントリーホールへ。その存在は認知していたのだけど、実は中に入るのはこれが初めて。

suntoryhole

入るなり眼前のとてつもなくデカいパイプオルガン(だと思う)に圧倒され、そして指定の席に行くと、ナント最前列でまたまた仰天!
この写真がその位置です。まるで大相撲の砂かぶり席に座ってるようだった。その相撲の方は未だにいつから開催されるかわからん状態だけど……。

私は演奏者を見上げるようにして聞き入っていた。やっぱり生はいいもんだ。
先日クラシック好きの人に聞いたのだけど、指揮者がいなくとも楽団はちゃんと演奏できるそうな。そりゃそうだろうと心の中で思っていたら、「でも、甘えちゃうらしいですよ。指揮者がいないと。ついつい手を抜いちゃうんです」。
なるほど、と思った。サッカーだって監督がいなくてもゲームは出来る。でも、「ここぞ!」って時にモチベーションが上げられないんだよね。
だから同一の楽団が同じ曲目を演奏しても指揮者によって別の楽曲のように聴こえるのはそのためだ。

ところでこのような場所では必ず開演前に「携帯電話の電源をお切りください」のアナウンスがあるものなのだけど、このサントリーホールでは一切なかった。変だなぁ、と思いながら自分だけでも携帯電話の電源を切っておこうとしたら、圏外になってた。

このサントリーホールは携帯電話の電波が入らないように造られているのだそうだ。
なんで映画館や電車の中ではこれをやらんのだろう? いまだに映画館の中ではホタルしてる奴が必ずいるし、電車の中でもでっかい声で長々と話してるバカがいる。言ってもワカラン奴らがいるんだから、このような防御は出来んもんなのだろうか?

と、ご大層な事を書いてるんだけど………。

kinsi

おいおい。携帯電話の電源切ったゾと偉そうなこと書いてるけど、撮影も禁止じゃないか! それも劇場&ホールでは当たり前の事ですね。

反省 m(_ _)m




P.S.実は昨日、ニュージーランドの地震に関して書いたのだけど、自分の旅行体験をベースに書いてしまいました。ちょっと不謹慎と感じましたので記事をいったん撤去しました。
一日も早い不明者の方々の発見と、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。




民の見えざる手

今日は結婚式で横浜まで出向いた。でも、そのことを書くのではない。
たまたま家を出る前に書いたこの前の記事を、電車の中で携帯電話で読み返していて、「なんか詰まらなかった本の事ばかり書いてる」ような気がしたのだ。人の作品をけなしてるばかりではイカンなぁとフト思い、最近読んだ本の中でお薦めはないか、と思い返していた。tami_no_miezarute

で、あった。1冊。
ちょっとムリムリの感がしなくもないが……
大前研一の『民の見えざる手』(小学館)。これは小説じゃないから、要約は書かない(いつも書いてないか)。
タイトルを見れば「神の見えざる手」から来てるな、とは思うだろうが(私はそう思った)、その言葉は誰が発したのか覚えてる人は凄いと思う(私は思い出せなかった)。経済学者アダム・スミスの国富論の中での言葉だそうな(そういやぁ高校で習ったな、確か)。
この本は大前流現代版「国富論」だ。

それで私がこの本をお薦めするのは、彼の数々のアイディアもあるのだけど、一番は彼が現在の日本政府に対して「クーデターを起こそう!」と提案していることだ。
クーデターなんて書くと血生臭いイメージを抱いてしまうけど、彼が唱えるそれは、当然ながら武器を持っての国民の隆起ではない。どこかのお国みたいに隣国に難癖つけてデモるのでもなければ、日本を見限って海外逃亡しよう…なんて話しでもない。
日本を良くするための無血クーデターだ。

私は賛同した。たとえ“ハチドリのひとしずく”であっても、一人でも多くの人が参画することが、この無血クーデターを成功させるのだ。








どうですか? ちょっと興味持たれましたか?
興味はあるけど経済書はなぁ……という方は、巻末146頁あたりから読まれたら宜しいかと。




翳りゆく夏

通勤途上でいつもの見慣れた小学校を今朝見ていたら、なんとなくくすんだような暗い感じがした。なんかいつもと様子が違う。でも、すぐに気がついた。小学校はいま、夏休みだ。子どもたちがいないと学校も寂しそう。

昨夜は早々に寝るつもりだった。一昨日、しこたま飲んで帰宅し、身体が火照ってすこぶる浅い眠りだったのだ。それ故に昨日は一日中ボ~ッとしちゃって、駅の階段昇るときなんかめまいがしてちょっと怖かった。だから、昨夜は早々に寝るつもりだったし、夕食摂りながらウトウトする始末だった。
kage_natsu_imageそれなのに、この本読み出したら止まらなくなってしまって、結局今日も睡眠不足だ

大手新聞社に新卒として入社が決まった女子大生の父親は、20年前の誘拐犯だった……ってところから物語は始まるのだけど、話しのテンポがとても良く、文章も上手くて引きずり込まれた。
「んな事ないだろ~」的な結末には文句もあるけど、このジャンルの本で感動を求めるのは非常に難しいことなので、私は許しちゃう。
何より“読ませる”筆力に敬服だ。

作者の赤井三尋という方は、現在フジテレビの報道局に勤務されてるそうだ。なんか本にするネタがゴロゴロ手に入りそうな環境だけど、事実を小説のネタにするのはきっと難しいだろうな。
仕事を持ちながら(しかも報道関係というけっこうな激務セクション)執筆するのは大変なこととは思うけど、次回作を楽しみにしたい。この筆力は素晴らしい。

二日続けての睡眠不足で、きっと今夜は爆睡だろう。こっちの夏はまだ翳りそうもないけど、ちょっと気温も下がってきたし。
そういやぁ今朝は曇り空だった。だから小学校がくすんで見えたのか? それともやっぱり寝不足のせいか? 







インセプション

わたしは二度寝して、さっきまで見ていた夢の続きを見ることが出来るという、とっても素晴らしい特技を持っていたのに、最近は目覚めた後で夢を覚えていることが少なくて、その特技を発揮することが無くなってしまった。
というか、時には続きを見たい夢も見るのだけど、二度寝する時間的余裕がない。それと、年を取ったせいか二度寝すること自体が難しくなった。一度目が覚めると寝付けないのだ。なんか悲しい。

夢ってやつは、さぁこれから! って時に限って目が覚めるもんだ。怖い夢でもそうだけど、嬉しい夢でも、とっても素敵な女性が登場してきて、さぁこれからムフフフだ~い!って時に目が覚める。
そんな時に続きを見られるなんて、素晴らしい特技だと思うでしょ? ところが残念至極で、その特技を発揮できても、その夢の続きが希望通りになることはまずないのです(泣)。
綺麗な女性は再び登場してくれるのだけど何処かに行ってしまうか、他のカッコいい男が登場してきてかっさらって行ったりするのだ これがわたしの潜在意識ってことも、なんか寂しい限りだ。inception

昨日、レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙の『インセプション』を観てきた。最高に面白かった!
人の夢の中に入り込んでアイディアを盗む…っていう物語の骨子は平凡だけど、夢の中で更に夢を見させて、その中の夢の中にまで入っていく…っていう、まるで深層心理のヒエラルキーを追いかけているようで、見応えがあった。
当然、夢だからしっちゃかめっちゃかなシーンもバンバン出てくるんだけど、だんだんどっちが夢の中で、どっちがリアルの世界なのか判らなくなってくる。

劇場を出てからエレベータの中で、「なんだかサッパリ判らなかったね」と話し合ってる初老のカップルがいたけど、映像だけ追っかけちゃうとこの物語にはついていけないです。あの「マトリックス」のように、リアル世界とバーチャル世界が明確じゃないから。
それと、“夢を共有する”ってところがバーチャルの世界に馴染んでいない世代には理解しづらいんだろうな。自分の夢の中に他人の夢が重なってくる…なんて、なかなか概念的に捉えづらいよなぁ。でも、私には最高に面白かったです。結末もコマの回転に含みをもたせていて、クリストファー・ノーランという監督(脚本も)は、なかなかですな。
このコマの部分はネタバレにもなっちゃうので、これ以上は書きません。

夢の世界に興味のある方は必見です。夢に興味がなくても面白いけど。





台風

8月に入りましたが今年はまだ、台風が来ませんね。
先月14日ころに2号だか4号だったか台風が発生してましたが、日本に向かうことなく東の方へと行ってしまいました。その直後にわたしは石垣島で潜っていたのですが、水温はどのポイントも30度を超えていました。
「このままだと(サンゴが)ヤバイんだよなぁ。台風でも来てくれないと…」と、現地のダイビングショップのお兄さんが言ってました。台風に海水をかくはんしてもらいたいのです。
daikouzui今年は雨が多いから水不足の心配は今のところ無さそうだけど、南の島では時々台風が来てくれないと害虫も増えて困るのだ、って話しも聞いたことがあります。

むかし子供の頃に住んでいた練馬では、台風のたびに石神井川が氾濫してました。ときには床上浸水することもあって、押入の中に入れられた私は、部屋の中を泳ぐ大きな鯉やオタマジャクシを捕まえたくて、何度も水の中に入ろうとしてはお袋に怒られました。当時はまだ汲み取り式の便所だったから、鯉やオタマジャクシと一緒にウ×コも流れてくるんです。
今では治水もしっかりして、石神井川の氾濫をニュースで聞くことも少なくなりました。むしろ最近では神田川の方がゲリラ豪雨で氾濫することが多いように感じます。

『東京大洪水』。
低気圧の停滞で連日雨が続いていた関東地方。その東京に二つの台風が合体し、超巨大化して襲いかかります。
荒川や隅田川が氾濫すれば、江東区や墨田区はもとより、上野そして銀座も水に没します。東京は壊滅的な打撃を被ることになるのですが、果たして・・・・・。

二つの台風がマジンガーZのように合体しちゃって、超巨大台風に変身する・・・ってところがミソなんだけど、このちょっと漫画チックな設定が少しも笑えない緊迫感でもって話しは展開していきます。
ここ数年、猛烈なゲリラ豪雨があるし、先週だって雷雨に会って、道路が冠水するのを目撃&経験してるからなぁ。この異常気象下では台風が合体しちゃたって、なんも不思議はないように思います。でも、小説の中の話しで終わっていて欲しいですな。

都内では至る所で大雨用の地下貯水施設も建設されていますが、この小説のようになったら本当に大丈夫なのかと、ちょっと心配にもなったのでした。









シェエラザード

岡田ジャパン、良くて引き分けかと思っていたらカメルーンに勝ちましたね! 後半は疲れからか守りに入ってしまって、もっと攻めて欲しかったけど、まずは勝利でバンザイ! バンザ~イ!   なのですが、本日書きたいのはサッカーの話ではありません。

海底に沈んだ船、沈船に潜るダイビングのことをレック・ダイビングといいます。
わたしは過去にチュークの平安丸に神国丸、ロタ島の松運丸、サイパンの松安丸、そしてヴァヌアツのプレジデント・クーリッジなど、いくつかの沈船に潜りました。下の写真はロタ島に眠る日本軍の運搬船だった松運丸です。
ダイビングでは潜る前に、これから潜るポイントの説明をしてもらいます(ブリーフィングと言います)。それらの沈船に潜る際にも当然ありました。
でもその説明は、通常は潜る上での注意事項やどんなもの(魚)が見られるかの説明がほとんどで、何で沈んだのかは概要だけしか教えてもらえません。そんな詳細を話してる時間も無いからでしょうけど、そこに潜る私もどうして沈んだのかと考えながら潜ることもありませんでした。突き詰めれば、結局は戦争という悲劇の産物なのですから。
しかし心の何処かに呵責が生まれるのか、はたまたそんなタワケ者がやって来ることを船の方が拒否してるのか、私はあまり楽しく潜ることが出来ないでいました。

rota_ship

浅田次郎の「シェエラザード」の中に、わたしが潜ったことのある船の名前が出てきました。このシェエラザードでは弥勒丸という豪華客船が主人公です(実際の船名は阿波丸というそうです)。
serazard当時、世界で一番の豪華客船として生まれながら戦争という悲しい時代の中で軍用として徴用され、一度も客船として就航することなく台湾海峡に沈められました。この弥勒丸引き上げ話しに端を発してこの物語は進んでいきます。

アメリカの豪華客船だったプレジデント・クーリッジも、そしてチュークに眠る平安丸も、みなこの弥勒丸と似たような運命で海の底に沈んだのでした。
悲惨な末路をたどったこの船たちが(松運丸とプレジデント・クーリッジは犠牲者を出していませんが)、今はダイバーの見せ物となってることがとても悲しかったのを覚えています。そして戦争によって沈められた、程度の知識しか持たずに潜っていた自分が恥ずかしい。

わたしは南の島に行くときは、大抵お線香を携行しています。供養のためです。
しかし巨視的に戦争をとらえてそんな場当たり的な行為をするのではなく、その島その地の、そして海中に今も眠るその船の、一つ一つにあった歴史にもっと目を向けるべきだと思います。
とは言っても彼女(船)たちの過去を知れば知るほど、きっと潜ることが躊躇われるようになるな、とも感じています。

物語に出てくる弥勒丸は水深50mほどの海底に沈んでいることになっています。テクニカル・ダイブなら潜れない深さではありません。でも、この物語を読んでしまった私は、仮に潜れたとしても潜る気には到底なれません。
物語はフィクションでもアメリカ海軍に沈められたのは事実です。そのあまりにも悲しい運命を知れば、それを物見遊山的に見物するようなことは出来ません。でも、そのような事実を知らないことはもっと罪なのだとも思います。

私が小さかった頃、宅地造成のためにか私たちが遊ぶ原っぱにトラックが土砂を置いていくことが度々ありました。原っぱに出来た土の山を陣地に見立て、戦争ごっこだと土のかたまりを投げ合って遊んでいました。
親に見つかりこっぴどく怒られたのを今でも覚えています。親は目に当たったら失明するだろうと私たちを叱責しました。
その理由もあったでしょうが、あれは戦争を遊びにしていたからだったのかもしれません。戦争体験者が終戦後に、自分の子が“ごっこ”と戦争を遊びにするのは耐えられなかっただろうと思うのです。

読後に作品のタイトルにもなっているリムスキー・コルサコフの「シェエラザード・第3楽章」を聞きながら、平安丸プレジデント・クーリッジに潜った時のログを見ていたら、図らずも涙が出てきてしまいました。
安らかに眠ってください、などと私が言えるものか判りませんが、せめてこれからもあなた達を訪ねるダイバーに「過去を忘れるな!」と言い続けていて欲しいと願います。日本の繁栄は、このような過去の上に成り立っているのだと。

だから今も眠る英霊たちに、

     宜しく候・・・・・・・・、

       よォそろォー!

          
                         よォそろォー!



       




かぐや姫とロケット

いや~、驚いた! 

たまたま携帯電話で動画を撮ろうとしたら「マイクロSDカードがありません」とメッセージが出て撮れなかった。
microSDそこで、そのマイクロSDカードってのはナンボするのか調べてみたら1000円程度で買えるらしいってんで、たまたま新宿ハルク方面に出かけるついでもあったのでビッグカメラに立ち寄り購入した。1270円也。
この小指の爪ほどの大きさも無い1270円のチップが容量4ギガですと! 
まるで以前にご紹介したウミテングの赤ちゃんのようなサイズで4ギガですよ!
これを驚かずにいられますか?
わずか1cmほどのウミテングと思ってたら実は体長10mのザトウクジラだった! みたいなもんです。

私が初めて購入したパソコンはエプソンのPC286ってやつで、たしかハードディスク容量は20メガほどだった。友人からの払い下げだったけど、それでも25万円(定価は70万円以上!)だった。
それなのにたった1270円のこのチビ助は、そのPCの約200倍!
これはまさにかぐや姫は存在するか否かを語っている人々の前で月面着陸しちゃうくらいの隔世感がある。
わたしは今まで、
1.テレビを自分で購入した世代、
2.テレビが我が家に来た日を覚えてる世代
3.生まれたときにすでにテレビがあった世代、
で考え方や生き方が異なると思っていたけど、もはやそんな比較では成り立たない時代になってしまった。

先日読み終えた「不幸な国の幸福論」の中で、最近はキレるのは子どもより老人に多く、その原因は激変する社会の中で存在感が薄れてきたからではないかと書かれていたけど、本当にそう思う。

今にこんなマイクロチップを頭の中に埋め込んで、ガンガン記憶してしかも絶対に物忘れしないようになっちゃうのだろうな。
どんどん開発されて便利になっていく通信やネットワーク事情に置いて行かれないように頑張ってきたけど、わたしももうキレそうです。付いて行かれまへん。
わたしがキレるようになる前に、是非とも私の頭にマイクロチップ埋め込んで欲しい。なにせ1行読み進んだだけで忘れてしまう頭なのだ。








ザ・コーヴ

cove第82回アカデミー賞で和歌山県太地町のイルカ漁を隠し撮りした映画「ザ・コーヴ」が、長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

ダイバーである私としては、出来うることならイルカを殺すのは止めていただきたいのだけど、地元の漁師さんにしてみれば、「じゃあ、イルカは止めて他のものを捕りましょう」ってわけにはいかんのだろうなぁ。

いくつかの報道ではこの太地町のイルカ漁を“江戸時代から続く伝統”と紹介しているけど、これは伝統じゃなくて習慣だろう。
漁に伝統はあるけれど、それは漁法が伝統なんであって獲物が伝統ではないはず。勘違いしてる。
習慣であるなら止められるとは思うのだけど、きっとそうもいかんのだろうなぁ。

日本の捕鯨に反対テロをしかけるシーシェパードは、捕鯨反対が目的では無く営利目的でやってるとしか思えないが、この映画は何を言いたいのだろう? 観る気はサラサラ無いけどね。

むかし近所に飯場があって、そこで働く人が野良犬を殺しているのを何回か目撃したことがある。まだ幼稚園か入園前の事で、とてもショッキングな光景だったけど、あれは間違いなく犬を食すためだったと思う。
今では日本で犬を食べることは無いだろうけど、世界の何処かじゃ、お隣の国も多分、いまだに犬を食べているだろう。
アマゾンでは猿を食べるし、アラスカでは鯨(それと昔はシロクマも)が一番貴重な食料のはずだ。

なんで日本だけにいちゃもんをつけるのか? 人の国の文化にアーダ、コーダ言ってないで自分の国を振り返ってみろ!スカポンタン!
それともう一つ不愉快なのが、日本公開では映画に映る太地町の人達は顔にモザイクがかけられるそうだ。太地町の人達がそうしてくれと言ったのだろうか?
隠し撮り故の配慮のような気がするのだけど、だったら上映しなけりゃ良いのに。
太地町の漁師さん達も、イルカ漁が自分たちの文化だと自負するなら、堂々とすればいいと思う。もしもそれが出来ないと言うなら心の何処かに呵責があるということになってしまう。

それにしても相手の文化を知りもせずに自己の主張を強引に発信することの、なんと愚かなことか。









想い出の曲(その1)

中学時代からの友だちで千◯(センマル、という名ではない。変わった名前なんで身元がバレる恐れがあり伏せ字にした)という奴がいた。彼は結構有名な日本画家の息子なんだけれど、中学時代は目立たなくておとなしい、そして勉強も運動もイマイチのパッとしない男だった。
それが高校生になるや仮面ライダーばりの変身をして、見事なヤンキーになった。
バリバリにいじくった彼のCB750や仲間のKH500、そして私のTX650などに相乗りし渋谷や原宿に夜な夜な遊びに行っていた。

少し記憶が薄らいでるけど、確かスーパーマーケットの半地下のような場所だったと思う。その少し大きなスーパーマーケットのゲームコーナーみたいなところで、私たちは数人でたむろしてた。きっと煙草を吸うためだったろう(デパートやスーパーは当時、ちょいワル未成年者にとってはもっとも安心出来る場所だった)。
そこに当時は当たり前のように置かれていたジュークボックスがあった。
彼がジュークボックスに近寄ると、「オッ! あるじゃん」とコインを入れてかけた曲が岩崎宏美の『ロマンス』だった。

私はその時始めて聴いたのだけど、いたく気に入ってしまった。良い曲だな、と私が言うと千◯は「じゃあ、もう一回な」と再びコインを入れた。
他の連中も「うん、うん。これはいいよ」ってな調子で、皆で持ち合わせのコインを入れて何度もこの曲をリクエストした。たぶん、15~20回分はコインを投下したはずだ。
当然っちゃあ当然だけど、私たちは5回ほども聴いたら飽きてしまった。他の所に行こうってことになり、私たちはゲラゲラ笑いながらその場を離れた。スーパーマーケットのゲームコーナーから、延々と岩崎宏美のロマンスが流れ続けていたからだ。

数日前の事だけど、夜半に聴いていたラジオからこの曲が流れてきて、懐かしさと一緒に当時の悪友たちの顔が浮かんできた。
その内の一人は20数年前に癌で死んでしまった。もう一人は赤坂&六本木を拠点にしっかり稼いでいる。
そして肝心の千◯は高校時代を最後に会っていない。渋谷で水商売をやってるらしい…なんて噂を聞いたけど、わたしは疑わしいと思ってる。

つまらないだろうけど話しはここで終わらない。もう1曲。アン・ルイスの『リンダ』。



この曲も始めて聴いたのはラジオだった。でも、その時は特に記憶に残ることもなかった。

この曲がヒットした翌年の確か2月、福井県の東尋坊に行った時にこの曲が流れていたのだ。
東尋坊は吹雪だった。こんな時にやって来る奴は自殺志願か私のようなよほどの偏屈野郎か、テレビ朝日の2時間ドラマ制作陣だけだろう。
こっちの寒さなど知ったこっちゃない、とばかりに粗悪スピーカーはこれでもか! というほどの音量でガリガリと割れた音のこの曲を流していた。

あの時、周囲に観光客の姿を見た記憶はなく、人っ気無い吹雪の東尋坊にBGMなんて必要があるのか? 第一、なんでまたこの曲なのか? あの時のあの場面にあまりにも意味不明で場違いなBGMは、ものの見事に私の脳裏に焼き付いた。
以来この曲を聴くたび、私はビュービューと吹きすさぶ吹雪の東尋坊を思い出すのだ。












映像見てて気付いたけど、ジョン・レノンが殺されたのはこの年(1980年)だったか。忘れていた。











エッ? そんな事よりなんで真冬に東尋坊へ行ったのかって?



ムフフフフ





ヒ ・ ミ ・ ツ  ! 










ペンは強いか?

若松孝二監督の「キャタピラー」主演女優の寺島しのぶがベルリン国際映画祭・最優秀女優賞を受賞した。
若松監督は大学時代の友人の叔父にあたる人で、わたしはかなり昔からこの監督の存在を知っていたけれど、当時はエロとバイオレンスに充ち満ちた作品が多かった。それが今回の受賞作品は反戦的な内容だそうだ。反権力を全面に打ち出していた初期の作品の流れを汲むのだろうか? 日本では今夏公開されるようだけど、是非とも観たいと思ってる。

「ペンは剣よりも強し」とは言うけれど、映像はどうか?
映画「ローマの休日」を初めて観たとき、オードリー・ヘプバーンの清楚な美しさにたいそう驚いた。



わたしに限らずほとんどの人がこの映画のエンディングに感動したと思うのだけれど、今の時代にグレゴリー・ペックのようにスクープ記事をボツにしてまで個人の立場と心を守る事が出来るジャーナリストが果たしているだろうか?

前職時代に私は何度かゴシップではあるけどスクープ・ネタを拾った。当時の芸能週刊誌に売ったら結構なフィーを貰えるようなネタであった。
私の知人からもたらされたのだけど、彼らは私がそのような行為に走らないと信じるからこそ話してくれたのだと、私は彼らの信頼を裏切ることなく、そのネタは時々の酒の肴として語るに留めた。

記者クラブという狭い世界でネタを拾い、色こそ異なれ中身はみな一緒の今の新聞というメディア。スクープを狙ってる記者はいるのか? それでなくとも整理記者がどこで切っても良いように散文的な表現しかできないのに、そんな記事を書いてて嫌にならないのだろうか?

ペンは剣よりも強いと思うけれど、新聞ジャーナリズムに限っては剣に立ち向かえる記者は見受けられない。
となれば、いまや映像の方が新聞の上を行っているのかもしれない。



holydayinroma2
かあさん、かあさん。
それは 真実の口 じゃありませんよ。


でもどこに行けば真実と真のジャーナリズムに出会えるのか?












3D

ちょくちょく映画化もされる某・作家の作品は、ほんとによくこれだけ書けるものだと感心するほど本屋に並んでる。

そんなに多産されているにもかかわらず、いつもグイグイと引き込まれて寝る間も惜しんで読み切ってしまうのだけれど、読み終わると物語性としては大したことない事に気付くのだ。
かなりの数の作品を上梓していて、本屋に行けば何作品も平積みされているほどの彼の人気は、物語性よりその筆力に負うところが大きい。

先日、話題の映画「アバター」を観た。

数週間で過去の観客動員数を塗り替えたというのも頷ける作品だったけれど、こちらもストーリー性はといえばありきたりだ。

人間の強欲さ。
自然の大切さに美しさ。
そして愛。
今まで何度も取り上げられているテーマだ。

それでも皆が賞賛するのは、ジェームズ・キャメロン監督の手腕によるわけだけれど、よくよく考えればそれはCGと3Dという手法である。別にお初の試みではない。
確かに“パンドラ”という想像世界の美しさは、作品を観る前のわたしの想像を超えるものだったけどね。


何年前だったか仕事でロスに行った際に、ちょっとフリータイムを頂いてユニバーサル・スタジオを訪ねた。
そこで、実演する役者と映像が合体する当時としては先駆的な映画を観た。で、更にその映画は3Dメガネで見るというエンターテインメント性たっぷりのものだった。

このユニバーサル・スタジオで観た3D作品は、映像が自分の方に飛び出してくる演出で、思わず何度ものけ反ったり、会場のあちこちから悲鳴が上がるような作品だったれど、アバターの3Dは映画のコピーどおり「まさにそこに居る」かのような奥行きを主体にした見せ方だった。


一昨年他界してしまった重鎮とも言える役者さんが、ずっと、ズ~ッとむかしにお会いしたとき、「私たちは演じるだけだ。本(台本)さえ良ければ絶対に素晴らしい作品に仕上げてみせる」と言っていた言葉を思い出した。

作家も監督も、そして役者もつまるところ力量があるか否かなのだ。


力量のある人たちの作品にもっともっと出会いたい。








蒼穹の昴

NHKの放送受信料金ってやつは、支払い義務は存在するけど仮に支払を拒んでも罰則は無い。

昔はNHKなんて滅多に見なかったこともあって、「見てないよ。うちに勝手に電波を流さないでくれ」なんて受信料徴収に来た人を困らせていたけど、今はちゃんと支払ってます。
実際、最近じゃ見るに値するテレビ番組はNHKがほとんどなんだよね。今まで徴収のオジサン困らせちゃってゴメンね。

subaru今週末の土曜から『蒼穹の昴』が再放送されるらしい。

私は活字を超える映像は絶対に無い! と思ってる。
だからこそ、この前放送していた『坂の上の雲』は、とても面白かったのだと思う(はい、まだ読んでません)。

ドラマの『蒼穹の昴』も、見れば原作の勝ちになることは明白なのだけれど、壮大な中国文化の映像美を見てみようかな・・・・、なんて今、思ってる。
ちょうど今週末はサッカーの練習も、学校催事の関係でグランドが使用できず休みなのだ(だったら、溜まりに溜まった家の諸事を片づけろって?)。



近年、この年になってようやっと歴史の面白さに目覚め(今さら遅いか?)、特に幕末から明治維新の頃の物を読むことが多くなった。
浅田次郎の「蒼穹の昴」は先月読み終えていたのだけれど、ちょうど日本のその時代の頃のお隣の国のお話しってことで、それはそれでけっこう面白かった。

「難しく考えるな。知恵も力も何もいらない。やさしさだけがあればいいんだ。大地も空も時間も、すべてを覆いつくすほどのやさしさがあれば………」。
物語の終盤での、主人公に語りかける言葉だ。

まさか今の日本の総理大臣はこの物語を読んで、あの“友愛”って言葉を使い始めたわけでもないだろうけど、これは乱世、混沌の世にあってこその言葉だ。

友愛もとっても大切だけど、いまの日本に必要なのはやっぱり知恵と力、リーダーシップだと思う。

いまの日本も充分に“混沌”としてはいるけど・・・・。










P.S.2010.2/3 一部不適切表現あり改稿






おかめ

うどんと蕎麦とどちらを選ぶか、といえば蕎麦。
かみさんはうどん派で好みが分かれるのだけど、この二つの食材に関してだけはお店が別々になることがあまりないので、今のところ家庭内争議にまで発展したことは無い。
それ以外の事では結構あるんだけどね。

蕎麦は結構好きで、美味しいと聞けば必ず一度は足を運んでいる。

けれど今日、近所の蕎麦屋に入りメニューを見ていてハタとあることに気が付いた。
まだ食したことの無い蕎麦があったのだ。

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これ↑ おかめ蕎麦 今まで食べたことが無かった。

本来“おかめ”といえばうどんが定番らしいけど、私は蕎麦派。
ゆえにおかめ蕎麦を頼んだ。

出てきた蕎麦を見て、はたまたハタッと気が付いた。


なんで おかめ なんだ?

まさか丼の中がおかめに似てるからか? と思い、家に戻って調べてみたらどうやらそうらしい。

具がたくさん入っていて、その配置がおかめに似ているからだそうだけど、だったらとろろ
蕎麦のとろろを渦状に載せて
 ひょっとこ蕎麦 があってもいいのにな…なんて、どうでも良いことを考えてしまった。




年賀状作成に追われたつまらない日曜日昼下がりの、どうしようもなくどうでも良い暇ネタ記事でした。









カレンダー

カレンダーが届く季節になった。

先日、「1年分の日付が載った大きな一枚カレンダーが欲しい」という御仁に会ったけど、人それぞれだなぁ、と実感した。
そのようなカレンダーを頂いても、悲しいかな我が家では張る場所が無い。

まぁ、もしも張る事が可能なスペースがあっても、それは我が家の趣味では無い。
扱いづらい事もあるけれど、1年間ものあいだ同じ絵(写真? イラスト?)を見ているのは味気ない。

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我が家でカレンダーを貼るのは、トイレ、リビング、そして私の部屋だけで、あとは小さな卓上カレンダーをパソコン・デスクやかみさんは鏡台の上に置いている。

卓上カレンダーは頂いたもので充分事足りるのだけれど、トイレに張るものだけはこだわりたいのだ。
出来れば上の写真のように綺麗な景色のものが欲しいのだけれど、趣味に合ったものはなかなか頂けない。
だったら希望の物を買えば良いのだけど、根がケチなんで今年も綺麗な好みのカレンダーをどこかで貰えないかと虎視眈々と狙っている。





プリズンホテル

愚息一号がまだ2歳か3歳だったころ、千葉の保養所の大浴場で893さんに遭遇。

洗い場に座り、浴槽に向けた背中には見事な彫り物が燦然と描かれていた。
「なんか嫌だなぁ~」と思いながら、愚息を湯船に入れ自分も目をつむり極楽気分に浸っていたら、

「と~しゃん! と~しゃん! このヒト背中に絵描いてるよ~!」
と風呂場に響き渡る大音響の声。

ハッと愚息が遊んでいたはずのエリアを見ても、一号はいない。
まさか、と893さんのいた洗い場の方に目をやると、愚息はあろう事か893さんの背中をなでなでしてるではないか!

いや~、一気に湯冷めしそうでしたね。

運良く心の広い893さんで、
「おう、坊主。背中洗ってくれるのか?」なんて話してる。

そそくさと駆け寄り、
「スミマセン、失礼しました」愚息を抱えて風呂場を後にした。

PrisonHotel自分は背中に彫り物のある方と風呂が一緒になっても、それほど気にする方ではないのだけれど、フツーの人は嫌だろう。

まさか風呂場でいちゃもんつけられることは無いと思っていても、気分よろしく湯に浸ることは難しい。

でも、こんなホテルだったら物は試しにと行ってみたいなぁ。

「プリズンホテル」浅田次郎
大物総会屋の親分さんが経営するホテルで繰り広げられる人間模様。
偏屈な作家を中心にして、同宿した人々の悲喜こもごもが、笑いと涙を誘う。
夏から始まって全4巻。全編を通しての起承転結はきっちりあるけど、一話一話が短いのでアッという間に読破してしまった。

笑い溢れる内容だけど、最後はホロリと涙させられた。

奥湯元あじさいホテル=別称・プリズンホテルはどうやら群馬県の渋川あたりにあるらしい。

日に日に寒さもきつくなってきた事だし、温泉が恋しくなってきた。
訪ねて行ってみようか。あそこにでも。







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  • 黒か化粧か?
  • 画像はアンボンですが屋久島に行って来ました。
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