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上の写真は2009年2月、ペリリュー島で撮影した夕陽。27年ぶりの再訪だった。
HPの方にも書いたことなのでダブってしまうけど、27年前そのペリリューに、私はビンロウジュをクチャクチャ噛みながら浮かれ気分でパラオから渡った。
その当時ペリリュー島には小さな桟橋と、たった一軒の雑貨屋さんしかなかった。何を買おうとしたのか覚えていないけど、その雑貨屋に入った直後、私は主に「なんで線香の一本も持ってこないんだ。今の君たちが生きる日本は多くの戦没者のおかげだろう」と叱られたのだった。そしてこの島の、1万人を超える戦没者たちの慰霊碑に連れて行かれた。
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これが当時の慰霊碑だ。
今ではもっと立派になり、そして綺麗に手入れがされている。私はこの慰霊碑に向かい、線香はもちろん花を手向けることも出来ず、ただ手を合わせるしかなかった。以来、チューク島でも何処でも、戦争の傷跡が残る地に行くときは線香を携行してる。この島に再訪したこの時にも持参し雨の中で焼香した。
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島の中にはまだまだ戦時の遺物がたくさん残されている。遺骨もまだまだ多くが眠ったままだ。島での樹木の成長は驚くほど早い。だから、一度遺骨を発見しても1年後にその場所の近所を探そうとしても、最初の場所すら辿り着くのは容易ではないだろう。
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ゼロ戦の残骸も、ときどき島民が伐採に来てくれるから、こうやってなんとか見ることが出来るのだ。

今日、天皇皇后両陛下がパラオへと向かわれた。明日はペリリュー島に行かれるそうだ。有り難いことだ。どうか御無理をなされずにと願う。

ダイバーの憧れの地でもあるパラオだけれど、線香など携行しなくたって良いからせめてこの地で多くの日本兵が、そしてアメリカ兵も亡くなったのだということを知って欲しい。ペリリュー島の東側、美しい海岸が続く。今はオレンジビーチと呼ばているけれど、かつてはおびただしい戦死者の血で真っ赤に染まったことからブラッディビーチと呼ばれていたことも知っていて欲しいと願う。