写真は熊本からの帰路、機上から撮った阿蘇山。

aso

フェイスブックから「今日はお友達○○さんのお誕生日です」とのメールが届いた。しかしその彼は昨年他界している。
フェイスブックのサーバが閉ざされるということはまず考えられないから、これからも永遠に毎年「お誕生日です」のメールが彼と繋がっていた友だちみんなに届くわけだ。

天童荒太の『悼む人』ではないけれど、故人を思い出すという事においては良いことなのかもしれないけど、果たして自分はどうかと考えた。私はやっぱり嫌だ。私の命日を知らせてくれるならまだしも、誕生日など死後に告知されてもやはり困る。はてさてフェイスブック脱退しようかと通勤電車の中で考えていて、自分は誕生日の告知設定を外していることを思い出した。そもそも誕生日を祝ってもらうこと自体があまり好きではないから。なので私が死んでも、少なくともお誕生日の告知メールは友人達に届くことはないので、脱退せずにもうしばらくフェイスブックは使っていよう。

その亡くなった友人のフェイスブックには、彼が他界したことを知らない人から「おめでとう!」のメッセージがさっそく書き込まれていた。なんともやるせない。