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先日、暇つぶしに本屋を徘徊していて、タイトルに惹かれペラペラと数ページ読むと東日本大震災の話しが書かれていて思わず買い求めてしまった。
タイトルからして太平洋戦争の沖縄戦の事とは容易に想像できたが、それをどうやって東日本大震災の話しと結びつけるのかと興味を抱いたのだ。
churaumiしかし、読み進むうちに途中で結末はすぐに想像できた。そしてちょっと飽きてしまったのも事実だ。馳星周にしては筆に力がこもっていないし記述が被るのだ。(記述がカブるのは、この小説がウェッブ連載されたものだと後で知り納得した)。
しかし、最終章まで読み進んだら見事に心を鷲づかみされてしまった。

2011年7月。
私は宮城から岩手まで、緊急物資を運ぶトラックに便乗させてもらい被災地を北上した。閖上(ゆりあげ)では辺り一面家屋の基礎部分が残るばかりで、他にあるのはグチャグチャに潰れた車と船ばかりだった。気仙沼では地盤沈下した箇所に汚水が溜まり猛烈な腐敗臭を放っていた(上の写真)。大川小学校にも雄勝にも女川にも陸前高田にも行った。どこもかしこも建造物はことごとく破壊されていた。まるで原爆でも落ちたのではないかと思えるほどだった。
そして18000人を超える人が亡くなった。
現地に何度か足を運んでることもあって冒頭の箇所だけ読んで購入したのだけれど、あの戦争と先の大震災が、68年という時空を超えて語られる。
確かに人災である戦争とあの天災を同列で捉えることはいかがなものかとは思う。けれど、そこに両方の被災経験者を主人公にすることでこの物語は許される。

「そして被災地以外の人々は、津波と地震が奪った夥しい数の命を実感することもなく忘れていくのだ。
 沖縄がそうだった。日本の盾とされ、二十万人を超える人々が死んだのに内地の人間は沖縄戦の真相を知らなかったし、知ろうともしなかった。そのくせ、観光に訪れては、南の島の楽園だと脳天気に笑いながら、海で泳ぐのだ。1945年に血で赤く染まっていたあの海で」。
 (本文より)

私は戦争のことは知らない。けれど、ダイバーとして南の島に潜るたびに戦争の傷跡を目の当たりにしてる。だから知らなくとも肌で感じ取っている。東日本大震災のことも絶対に忘れない。なぜなら、何度もかの地に足を運びかの地の友人も出来たからだ。
一人でも多くの人が、沖縄の、日本が軍国主義国家となっていった時のことを、そして戦争を知り、東日本大震災の被災地にも訪れて欲しい。被災地の人から、被災したときの話しを是非とも聞いてあげて欲しいと願う。
過去の悲しみはたとえそれが他人のものであっても忘れた、知らないでは済まされないと思うのだ。私たちは同胞なのだから。

chuuk

何度か使用したカットで恐縮だが、上の写真はミクロネシア・チュークの朝焼けとそれに染まる海面。
ここも戦時中はこの朝焼けよりも赤く染まったに違いない。海底にはまだ多くの戦没者がいまも眠っているのだ。