今期のサクラ植樹の打ち合わせのため、3ヶ月ぶりに東日本大震災被災地に行って来ました。
仙台駅でレンタカーを借り、福島県新地町での打ち合わせを皮切りに、宮城県山元町、南三陸町、唐桑町、岩手県陸前高田市、大船渡市と北上。一泊二日の被災地ドライブでした。

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ご存じ南三陸町の防災庁舎です。鉄骨は錆び付いて真っ赤になってしまいました。献花台が設置されていてお線香もあったので献金してお祈りしようとしたら、数個あったライター全てが使用不可でした。
私も同行者も煙草を吸わないので、お線香点すことが出来ませんでした。
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そしてこちらも有名になった気仙沼の船です。この船にも献花台があります。

この二つ。共に地元では3・11東日本大震災の爪痕として残すべきだという意見と、解体撤去するべきだという意見と分かれているそうです。
わたし個人としては残すべきだと思いますが、残すための管理費を考えると、それが果たして良いことなのかどうか分かりません。
しかしながら意見が分かれてしまうのは、何もこの事に限らず人が共同生活を営む以上、いつでもあることです。意見が割れるならば、互いの反対者が唱える障壁をどうすればクリア出来るか考えるべきでしょう。
互いに「反対!ハンタ~イ!」と叫んでいるだけでは、少しも前に進みません。
主張する相手方の問題点を解決出来た方が、結局は勝ち…ってことになるのだと思います。

お互いを尊重し合い、一日も早く復興することを願います。
被災地の復興は、あれから2年が過ぎようとしてるのに遅々として進んでいません。上の方では利権や票集めが優先し、下の方では互いの意見を主張するばかりだからと感じるのは私だけではないはずです。地元の人も感じてるはずなんです。分かってるはずなんです。