先日、学生時代の友とン10年ぶりに会い飲んだ。懐かしい話しに酒席は盛り上がった。
しかし、あの頃に戻ることは出来ないのだ。楽しく、懐かしい思い出は私の、そして仲間との共通の宝物でもあるけれど、私はやっぱり今日と明日を大切にしたいと思う。
その酒席で、まるで武者小路実篤の小説『友情』のような話しを聞いた。第三者の存在がそれまでの二人の友情を壊してしまった…という内容なのだった。しかもその第三者とは私だった。
何十年ぶりの話しではあるけれど、私の頭の中ではそのディテールはおぼろげながら残っていた。身に覚えのある話でもあったので、とても驚いたのだった。
今さらだけど、ゴメン! m(_ _)m ゴメンのひと言で済むような話しでもないけど、ゴメン! m(_ _)m
さて海中でも第三者のごとくシャッターを切っているわたし。下の写真はエスペランスのジェティで潜った時のもの。

安全停止を終え、ビギナー氏が急浮上しないようにとファーストステージを押さえて浮上中のガイド氏とそのビギナー氏のふたり。
この桟橋の上では釣り人も多く、私たちが上がっていくと「何がいた?」と必ず問いかけてきた。
私が「そこの海中の柱にコアラがつかまってた」とジョークを言うと、けっこうウケてくれた。しかし実際には柱には釣り人達の置き土産が至る所にあった。

こんな場所で潜るときは、くれぐれも自分が釣られんようにしないとイカンね。
釣った(引っ掛けた?)釣り人はどんな大物が釣れたかと大騒ぎするだろうが、こちらも急浮上してはヘタすりゃ命が危ない。必死に海中へと逃げざるを得ない。
まさにヘミングウェイの『老人と海』のような緊迫したシーンが桟橋の上と下とで展開されることになる。
さて冒頭の話し。
何気ない言動で人に勇気や暖かさを与えることもあるが、当事者が気付かぬうちに相手の心に大きな傷を残すこともある。勇気や愛を与えたときには相手も感謝の言葉を返してくれるだろうからこちらとしても気付くだろうが、心に傷を残したときにその事を伝えてくれる人は滅多にいないだろう。
だから人はいつまでも同じ過ちを繰り返すことになる。誰だって人の心に傷を、こんな海中に引っ掛かった朽ちることの無い釣り針のような置き土産は、出来ることなら残したくはないのだ。私だって……。
コメント