卒業式に入学式、正月だったり会社の新年度だったり、毎年毎年なにかしらの節目となる日が訪れる。子どもたちにとっては夏休みが終わって新学期が始まった今の季節なんか、とっても重たい節目なんだろうと思う。だって私なんか子どものころ、夏休みが終わりに近づくにつれて毎年ノイローゼになってたから。(←ウソ
tamasima
今年の正月に訪れた、岡山県の古い町並みが未だ残る玉島地区。
先週も古い町並みが残る富山県八尾に行ったけど、この玉島地区の町並みには歴史をヒシヒシと感じた。ここを訪れる前に倉敷にも立ち寄ったのだけれど、あちらは懸命に古さや歴史を残そうとしてるのが分かちゃって、なんかちょっと“造られた”ようなイメージを受けたけど、この玉島地区はまるで時間が数十年ストップしちゃったんじゃないかと感じるほどに、昔の面影がそのまま保存されていた。

上の写真は造り酒屋の壁。風雪に耐えた板壁には無数の節が。

樹木は年輪という、目に見えるもので一年一年のおのが歴史を刻んでいくけど、ニンゲンはアルバムやこのブログのようなものに記録として残す以外にすべがない。
それでも人によってはその顔や手、そして言動の中に年輪を感じさせる人もいる。

本日、ワタシも回目の誕生日を迎えた。

何人かの人からお祝いのお言葉や贈り物を戴いた。そのお言葉や贈り物は、大変嬉しく、ありがたく戴きますが、申し訳ありません、当人にはなんの感慨も、ましてや感動もないです。
自分の手の甲や頭髪を見れば、「歳、取ったちゃったなぁ」と溜め息も出てくるから、それなりに年輪は刻まれてはいるのだけれど、意識はちっとも年輪を刻んでいない。いまでも夏休みが恋しい。そういやぁ、今年はまだ夏休みを取っていなかった。