先週末、能の鑑賞会にお誘い頂いた。
わたしが能に接するのはこれで3度目。ようやっと能の良さが判ってきたような気がする。
判ったような気がするとは言っても、お稽古用の台本を見せて頂かないと聞き取れず、何を語ってるのか謡ってるのかサッパリ理解できない。古語だから致し方ない部分もあるのだけど、もともと日常使ってない言葉で理解するにも大変だってぇのに囃子方(小鼓、大鼓などを演奏する人たち)の「いよぉ~」の掛け声が大きくてますます聞き取りづらくなる。

しかし、これを700年ほど昔には普通に人々は楽しんでいたってんだから不思議でしょうがない。古語が当時の常用語だってのは頭じゃ理解できるんだが。そして700年もの間、ずっと変わらずこれが受け継がれてきていることに驚嘆する。
私が見ていたのは700年も昔に観阿弥・世阿弥が創り上げた世界で、いまだに科白も動作も昔のままってんだから、ふと自分が鎌倉時代にタイムスリップしてるんじゃないかのような幻想にとらわれた。

能鑑賞会の翌日、私はいつものようにサッカー練習にグランドへ向かった。毎週のことで同じ事をやっているようだが、実際は毎回違ってる。教える内容も異なれば集まってるメンバーも違う。
日々の生活だって、同じような毎日が過ぎていってるようだけど、やっぱり違う毎日だ。
それなのにこの能の世界だけは700年間変わることが無かったのだ。これが驚愕と言わずしてなんとしよう。驚嘆無くして観ることは、私には出来なかった。

sora

変わらずにいること、そのままを繰り返し続けることってのは苦痛をともなうものだ。
まだまだ残暑が残るグランドで、太陽が雲に隠れたときの嬉しさったらなかった。変わることなく続けること。私のような凡人には到底出来ないことだな。


先週もまた、しっかりと日焼けしてしまった。
もはや私の足は、靴下脱いでも白いソックス履いてるみたいだ。でも、これだって数週間もすれば再びもとのカモシカの様な足に戻ってしまうのだ。(←笑うとこです)