著者は誰だったか、なんていう本だったか忘れてしまったけれど、ある旅行記の中に「3日もいれば紀行文が書ける。3ケ月も滞在すれば一冊の本が書ける。けれど3年も住めば(その地の事が)何も書けなくなる」というような記述があって、なるほどなぁ~、そうだよなぁ~、と感心した記憶がある。
今の居住地に引っ越してきて26年が過ぎた。「あなたの住んでる町のことを何か書け」と言われれば、非常に困る。私が住むこの町にはチット有名な寿司屋やケーキ屋、春ともなれば駅周辺は人出でごった返すほど少しは見所のある土地柄なのだけど、そのことを書くのは結構苦しい。
それらは私にとって既に日常であり、少しも特別でも無く、ましてや人に薦められるほどのものでもないと感じ始めているからだ(春のイベントはお奨めだけど)。
私が住むこの町に、例えばアネット・ベニングがやって来たとか、ある日突然、駅前に巨大な豆の樹が天まで延びていた、とかしたらこれは紀行文が書けるどころか大ニュースなんだけど。
アッチこっちと旅歩く私にとってその旅先は全て私の非日常だけど、出会った当地の人々はみな日常の中だ。だから海中という私にとっての非日常の世界に生きる魚たちにとっても海中が日常であり、彼らにとっての非日常とは、釣り人の針に掛かってしまった時とか、荒波で陸上に打ち上げられた時などだろう。
ところが想定外の非日常が襲ってくることもあるのだった。
このモンツキカエルウオくんにしてみれば、まさか水中でニンゲンにくわえられるとは夢にも思わなかっただろうし、
このイシヨウジくんにしてみたって、まさか突然ダイバーに首根っこ摘まれるとは思わなかっただろう。
目が点どころか線になっちまってる。
日常が破壊され、これは彼らにとってはまさにトンでもない大事件なわけだ。
彼らに文才があれば今ごろ「モンツキ危機一髪!」とか、「イシくんの大災難」なんて物語を書き始めてるかもしれない。
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