その昔、学生時代にオートバイで日本全国を走り回っていたころ、何度も人の親切を受けた。

東北地方、確か秋田県だったと記憶するけれど、道順を教えてもらおうと道行く人に声を掛けた。それはそれは親切に一杯教えてくれたのだけれど、残念なことに一寸見ご高齢なそのご婦人の話す内容がまるで理解できなかった。英語の方がまだ理解できたかもしれない。結局分からずじまいで若い人に教えてもらった。ちょっと訛りはあったけれど標準語だった。
私の顔には、きっと「コトバガ、リカイデキマセン」というメッセージが現れていただろうに、そのご婦人は一生懸命説明してくれた。そして別れ際にリンゴ(だったと記憶する)をくれた。

鹿児島の海辺でテントを張り、さてボチボチ食事でも作ろうかと支度を始めたら「うちに泊まりなさい」と声を掛けられた。何度も固辞していたのだけれど、「明日から天気が荒れるよ」の言葉に結局お世話になることにした。お風呂に夕飯までご馳走になり、泊まった場所は納屋だったけれど、干し草の臭いに包まれ暖かくてシュラフ不要で眠れた。そして翌日。あるじの言葉通り荒天となりもう一泊お世話になった。テントで寝ていたら、きっと夜半に起こされ雨中の撤収に泣いていたことだろう。

長崎の港で寝ていたときは、酔っぱらいに声を掛けられた。こちらもこれから俺の家に来いという。酔っぱらいについていく訳にはいかないから、こちらも頑なに断ってたら、ナント!200?近い重量の私のオートバイを小さな渡し舟に勝手に乗せてしまったのだ。舟は見事に傾いた。転覆してオートバイが海中に沈んでは困るので舟の反対端に座り込んだ。そのまま島に連れていかれた。高島という炭坑の島だった。そこの寮に着くなり、その酔っぱらいのおっさんと酒盛りになってしまった。意気投合した。結局、2泊3日間その寮にご厄介になった。その炭坑も今は閉鎖されている。

時には「親のスネをかじって遊び惚けている奴に売るガソリンなぞ無い!」と罵倒されガソリンを売ってもらえなかった嫌な人間もいたけれど、まだまだ数え切れないくらい色んな人に親切にしてもらった。

以来、今度は私の番だと思っているのだけれど、なかなかチャンスが巡ってこない。