NHKが「無縁社会」という特集を放送している。
人との接触がほとんど無く、孤独死を迎える人が増えているそうだ。
困ったことや解らないことがあっても、相談する人がいない・・・。そんな若者が増えているそうだ。
友達はいる(いた)のに「こんな事、聞けない」と独り悩む。
突き詰めて考えれば、人は死に向かって生きているようなものだから、それ故に自らの人生を素晴らしいものにするべく生きるべきだ、とわたしは常々考えている。
だからこそ今日一日を大切にしなくちゃならいのだけど、社会の中で誰にも認められず接触も無ければ、いったいどのように、誰のために“今日”を大切にすれば良いのか。

インターネットは、私たちの世界をものすごく小さなものにした。
昨夜もロンドンの友人からメールが届いていた。
プラハに居る友人は日々、現地の様子を知らせてくれている。
地球の裏側にいる同級生とも、瞬時に連絡が取れ彼らの日常生活もSNSやTwitterのおかげで手に取るように分かる。
けれど、その距離感を感じさせないことが逆に孤独感を増大させてはいないか?
とても遠い精神的な距離(=無縁)を作り出してはいないか?
人は対面して会話することが絶対に大切なんだ。
地球の裏側にいる友人とはネットを活用させてもらうけど、すぐそこに居る友だちに、なぜ直接会おうとしないのか?
いまの若者が礼儀を知らず、人とのコミュニケーションを取ることが非常に下手なのも、対面することが減ったことで礼儀や人間関係を学ぶ機会が減ったからだろう。
本当はちっとも孤独でも疎外もされていないのに、勝手にそのように思い込み、自ら人との接触を拒んではいやしないか?
写真はロタ島・松運丸にて。
人との接触がほとんど無く、孤独死を迎える人が増えているそうだ。
困ったことや解らないことがあっても、相談する人がいない・・・。そんな若者が増えているそうだ。
友達はいる(いた)のに「こんな事、聞けない」と独り悩む。
突き詰めて考えれば、人は死に向かって生きているようなものだから、それ故に自らの人生を素晴らしいものにするべく生きるべきだ、とわたしは常々考えている。
だからこそ今日一日を大切にしなくちゃならいのだけど、社会の中で誰にも認められず接触も無ければ、いったいどのように、誰のために“今日”を大切にすれば良いのか。

インターネットは、私たちの世界をものすごく小さなものにした。
昨夜もロンドンの友人からメールが届いていた。
プラハに居る友人は日々、現地の様子を知らせてくれている。
地球の裏側にいる同級生とも、瞬時に連絡が取れ彼らの日常生活もSNSやTwitterのおかげで手に取るように分かる。
けれど、その距離感を感じさせないことが逆に孤独感を増大させてはいないか?
とても遠い精神的な距離(=無縁)を作り出してはいないか?
人は対面して会話することが絶対に大切なんだ。
地球の裏側にいる友人とはネットを活用させてもらうけど、すぐそこに居る友だちに、なぜ直接会おうとしないのか?
いまの若者が礼儀を知らず、人とのコミュニケーションを取ることが非常に下手なのも、対面することが減ったことで礼儀や人間関係を学ぶ機会が減ったからだろう。
本当はちっとも孤独でも疎外もされていないのに、勝手にそのように思い込み、自ら人との接触を拒んではいやしないか?
写真はロタ島・松運丸にて。
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