
世にあまたある宗教の、どれひとつとして経典を読んだことも無いけれど、どの宗教も基本的には人としての道を説き、生きる指針となることが目的ではないのだろうか。
人は誰しも悩み苦しむものだから、その時に指針を与えてくれて心の支えとなってくれれば素晴らしいと思う。
しかし、宗教というものは往々にして心の支えを通り越し、心そのものを奪ってしまっているように無宗教の私には映ってしまうのだ。それ故に争いごとも無くならないのだと。
最近、ガツン!と読み応えのある本に巡り会えないので、某サイトで“感動した本”のランキング上位のこの本を読んでみた。
(ここから先は、もしもこの本をこれから読もうとする方はお読みにならない方が良いかもしれません。ちょっとネタバレします。)
厳格な祖母に幼少期を育てられた少年のもとに死んだと言われていた母が帰ってくる。
母はクリスチャンで、厳格な祖母はクリスチャンであることを止めるか家を出ていくかどちらかにしろと迫り、母は自分の子を置いて家を出たのだ。
このあたりからして私は、自分の子どもより宗教の方が大事なのかと違和感を覚えた。
確かに家を出ても子どもには会うことは出来るだろうけれど、この母は祖母が死ぬまで一度も子に会いに来ていない。
青年となったこの息子は、自らの命と引き替えに多くの人の命を救うのだが、その時にこの母は、
「息子の死は悲しいけれど、これほど多くの人に感謝され祝福された死はないのだから嬉しい」と語る。
逆だと思うのだ。
「多くの人に感謝され祝福されたことは嬉しいけれど、こんなに悲しいことはない」というのが親というものだろう。
人は何のために生きるのか。
人のために生きるというのは立派なことだ。けれどわたしはこの本からは、そのようなメッセージを受け取ることは出来なかった。
まるで宗教のために生きているような印象を受けた。
物語の主人公は実在の人物だそうだ。
それを思えば、ここまで他人のために尽くすことが出来るのかとある種の感動もあったけれど、宗教に対する嫌悪感もしっかりと残ったのも事実だ。
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