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私が小学生2年か3年の頃。
確かクリスマスだったと記憶するのだけど、何かの音楽に合わせて私が踊り、それにつられて父も踊り出しました。

私の父は水泳はおろかキャッチボールも出来ない超運動神経オンチだったから、それは踊りというよりは操り人形が飛び跳ねているような図で、母も私も笑い転げました。
肝臓に病気を持っていて、コップ半分ほどのビールでも酔っぱらうほどの父でしたが、もしかしたらこの時は、特別な日だからと少したしなんでいたのかもしれません。

ところが父はウケを狙ったのか踊りながら、「キンタ○がブランブランする」と言ったのです。

今だったら大爆笑したであろうそのセリフは、当時の私には不快な言葉でしかなく、一気にシラけてしまって突然ダンマリを決め込みました。
父は何が何だか判らず、さぞや困った事でしょう。

それ以来なのか、年を重ねるに連れて誰もが通る反抗期に突入したのか、私にとっての父はそれ以降、反面教師となって存在するようになりました。


この森浩美の『家族の言い訳』は短編集(全8作品)なのですが、その一編に以下のようなくだりが出てきます。

貧しい家に育った主人公は苦学し若くして税理士になります。金もそれなりの社会的地位も得ました。
学生時代から母との接触を拒んできた彼は、入院した母の病室の前で、母と妻の会話を立ち聞きします。
子供の頃に空きビン拾いをして酒屋に売ったお金で、彼は母の日に口紅をプレゼントしたのですが、その母は一度使ったきりで「もったいない」と使用せず、以後ずっとお守りとして大切に持っていたのです。

その言葉に彼は、親不孝していた自分に気が付きます。
━━━━少年だった私の方が、何倍も母を喜ばせていたと思うと、
急に今の自分がちっぽけな人間に感じられた。━━━━



私も父に何かプレゼントをしたことはあったとは思うのですが、何をあげたかすら思い出せません。

結局その肝臓の病で少々早く他界してしまった後に、私は初めて反面教師どころか父のとてつもない大きさを知りましたた。そして、何も孝行らしい事をしてあげてなかった事にも気付きました。

父は少しでも私との、出来ることなら楽しい想い出をもって旅立ってくれたのだろうか、とこの作品を読んで悲しくなってしましました。

この世に居なくなってしまってから言い訳しても遅すぎますね。





来月、父の13回目の命日がやって来ます。