海外に出向くと、いつもお国柄というものを感じずにいられません。
5月に行ったメキシコは、イメージ通りのお国柄でした。明るく、陽気な国でした。

角田光代の「いつも旅のなか」の中に “イミグレーションという場所は、その国の個性を明確にあらわしていると思う”という一文があります。

確かにそうだと私も思います。

メキシコの入国審査は果たしてあったのだろうか、と思うほどアッケラカンと済んでしまったし、ミクロネシアのある島ではその島に知人がいるというだけで顔写真との照合もそこそこに通してくれました。

イミグレーションではなかったけれど、タイでは税関で警察官に私のキーホルダーを没収されそうになったことがあります。
なんで没収なのかと抗議したら、チェーン状だから危険だと言うのです。なんでチェーンが危険なんだと更に問い質したら、パイロットの首を絞められるだろうと言い返すではないですか。
あっけにとられました。呆れました。
だったらヒモはどうなるんだと言っても通用しませんでした。

そのキーホルダーは父の形見でもあったので、渡すわけにはいきません。
形見、という英単語(keepsake)を知らなかった私は、
「It is my important father's memory!」と必死の形相で言いました。

すると、食って掛かったその時の形相がよほど凄かったのか、その警官は苦笑いしつつ通してくれたのでした。

後日、海外旅行を良くする、特にタイに行くことが多い人にこの話しをしたら、「タバコ1箱でもあげれば直ぐに通れたのに」と教えられました。

父が永年使用していたそのキーホルダーは、燻銀のようなまるで骨董品のような代物です。
タイの警官には、よほど貴重なものに見えたのかもしれません。だから没収と言えば高額な賄賂をせしめられると思ったのでしょうか?