ちょっと遅めの最後の夏休みを取らせてもらってテニアン島へ行ってきました。

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ダイビングが目的です。
テニアン周辺でのダイビングはかつてサイパンからの遠征ダイブで何度か経験していますが、テニアン島上陸&滞在は初めてです。

ダイビングの詳細は後日アップするとして、今日はちょっとだけご報告。



初日のダイビングを終えてマッタリとホテルのバスタブに浸かっていたら、

「お父さん」   と呼ばれました。


小さな声でしたがハッキリと聞こえたので、かみさんを呼びました。

「なに?」

すると「何が?」とかみさん。

「呼んだでしょ?」

「エッ、呼ばないよ」

「さっき、お父さん、って呼んだじゃない」

「呼ばないって。第一、あたしが“お父さん”なんて呼ぶわけないっしょ」










確かにその通りです。

かみさんはいつも私のことを、

普通の時はアンタ、ちょっと機嫌が悪いとオイ! もしくはンッ。

もっと機嫌が悪くなると音声は発せず、無言の横目ビームが飛んできます。

何か欲しいとき、もしくは企みのあるときは アナタ になります。

少なくともここ十数年来「お父さん」、などと呼ばれた事はありません。


さて、誰がわたしを呼んだのでしょうか?


次の日、村の中にあるレストランで昼食を摂りました。

そこそこ美味しかったので、晩ご飯もここで食べることにしようとホテルまでのピックアップをお願いしに行きました。

時刻は午後3時頃でした。

お店はちょうどお休み中で、店内の電気も消えていました。

店内を覗くと女性が柱のそばに立っていたので、私は「エクスキューズ・ミー」と言ってドアを開け、店内に入ったのですが、










女性の姿が消えていたのです。

ひょっとして店の奥に入っていったのかな、と思って更に店内奥に進んで再度、「エクスキューズ・ミー」と大きな声で呼んだのですが、誰も出てきませんでした。


信じますか? 本当なんですよ。

私はこのような事に、しばしば遭遇するのです。




この島では1945年、8000人以上もの日本兵士が亡くなりました。


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上の写真はテニアン島北部に現存するアメリカ軍のエーブル滑走路です。
ここから原爆リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイと、ファットマンを搭載したボックスカーが広島と長崎に向かって飛び立ったのです。

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そして、広島では10数万人が、長崎では7万人以上もの人々が無差別殺人の犠牲になったのです。

少々判りづらいですが、左はエノラゲイにリトルボーイを搭載するときの写真です。

エーブル滑走路の外れに、二つの原爆を搭載した格納庫が、今でも保管されて展示されていました。

その格納庫の中にあったプレートを撮影したので画像が見づらくなってしまいました。

B-29に搭載するために、日本に原爆を落とすために造られた原爆専用格納庫です。(下の写真)


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写真は長崎に投下された原爆の格納庫ですが、分厚いガラス壁が誰かに破壊されていました。

壊した張本人は、未だに捕まっていないそうです。
壊した人の気持ちが判ります。
本音を言えば、わたしも壊したい気持ちでしたが、しかしこの格納庫を破壊しても意味の無いことでしょう。

むしろこれらの施設を大切に保存することで、無差別殺人の惨さを忘れないようにするべきだと思います。

それにしてもこれらを残して公開し、今でも訓練用に使用しているというエーブル滑走路を、観光用にと民間人の立ち入りを許可するアメリカという国の考え方が私にはわかりません。
少しは良心のある人がいるという事でしょうね。公開して少しは後悔してる、ってことでしょうか(駄洒落てるところではなかったです。スミマセン)

このテニアン島で、食料や家屋の心配よりもビールの在庫量を心配するという安楽な毎日を送るチャモロの人々は、今でも続くイラク戦争にアメリカ兵士として駆り出された父や息子の給金で暮らしているのだそうです。

昔も今も、いたたまれない島です。
空も海も美しく、そして島民がみな明るいだけに、とっても悲しくなります。