角田光代の「いつも旅のなか」に、若い男女が旅の途中で出会い、恋に落ちていくシーンがあって、筆者はその二人と食事を共にするのだけれど“つまらない”と感じます。
そりゃそうです。いちゃつく若者の間に入って楽しいわけがない。

8abdaa20.jpgこの一編を読んだとき、学生時代に有志で発行していた同人誌の事をフト思い出しました。

わたしはそこに『旅への誘い(いざない)』と題しシリーズで、いま読み返せば赤面ものの作品を書き連ねていたのです。

何号目かに寄稿したのが旅での出逢いについてでした。
あ~だ、コ~ダと長文を書いていたのですが、結論だけ言うと旅先で芽生えた恋は続かない…というものです。
それは、旅という日常から離れた状況での出逢いは、お互いが本来の人となりではないからです。
旅から帰って=日常に戻って再び会うと「アレッ? 何だか変だ」と感じるのです。
日常に帰ってお互いが普段の自分に戻ったからです。

このように書くと、旅に出るとまるで人が変わっちゃうみたいだけど、実際、解放された状態では人は多かれ少なかれ変わります。
旅に出てまで眉間にシワ寄せてる人は少ないでしょう。(故・田宮二郎みたいな人は別です)

このことは、わたし自身が何度も体験したので書いたのです。
西表島で出会った女性は、その時はメチャクチャ可愛いと感じていましたが、東京に戻って再開した際には彼女が私の目の前に歩いてきても、私は当人だと気付かないほどブ◯でした。
思わず「どなたですか?」と聞きそうになるくらい別人だったのです。

またある時は美人だとか可愛いだとかは関係なく、本当に意気投合して旅や夢や音楽やモロモロが、お互いに違和感なく話せたので再会の約束をして東京で会いました。
すると何故だか会話がかみ合わないのです。しかも、彼女は私なら聞いてくれると思ったのでしょう、仕事のグチやら同僚が嫌いだとか話し始めました。若かった私は、すぐにキレてしまいました。(今でもグチは嫌いです)

非日常での出逢いって、そんなものだと今でも感じています。でも、今ではそんな出逢い自体が少なくなりました。

それは旅のスタイルが変わったからです。

角田女史もその事を書いていました。
デイパックひとつのバックパッカー・スタイルが、30を過ぎて“なんか、つまんない”と感じていることを。

わたしは今のカタチの旅に満足してますが、ときどき学生時代にしたような旅に出てみたいと思うことがあります。

オートバイにシュラフとツェルト、替えのパンツとTシャツに雨具と防寒具を積み、地図も持たずに行き当たりバッタリに走り回る旅に出てみたいと思うのです。

もしも今それが実現出来たら、角田光代のこの1冊を荷物のリストに付け加えるかもしれません。